2011年12月26日
コールハースとメタボと私
昨日ブログを久し振りに更新しました。
1週間以上もブログを書かなかったことは過去にありません。
ブログというものを始める時に「電子日記」であると
認識していたので「日記は毎日つけるもの」と思ってのことです。
それでも「日課」になっていたものに縛られていたようにも
感じています。実際感じていたと思います。
ブログに限った事でなく「毎日しなければならない事」ってのは
誰でも多かれ少なかれ持っているものなのですが。
この「やらなければならない」という強迫観念のようなもの
から逃げる事は「罪」だと感じていました。
私は自分では感じていなかったのですが「大変にストイック」な
人間なようです。いつからか顕著になってきました。
そのことが自分を苦しめる、プレッシャーになっていると思ったのです。
でも実際の所、少々休んでみたというか「客観視」してみると
自然な形で元に戻れることも知りました。結果的に
「人間、休養は必要だ」という極々当たり前のことを体感したに
過ぎなかったとう感じでしょうか。
もうひとつ大切な事も感じました。
それは「修行のような人生は望ましくない」ということです。
まぁ出来れば、それが最高だと思いますが。
誰しもがガンジーやイエス・キリストのようになれる訳ではありません。
そこそこ息抜きを楽しみながら「長い道のりを行く」ってのが
良いのだと思います。
さて、このブログを再開するきっかけになったのは
「常連さん達のコメント」に他ならないのですが。
後押しをされることが非常に少ない人生の私。
ありがたかったです。 心の底から救われました。
年末ジャンボの最終日に宝くじを買おうと思っていたのですが、
買いませんでした。もう十分「今年は良い事があった」と
実感できたからです。当たる筈もありませんが、もし当選してしまったら
「この感動が薄れてしまう」と本気で思ったからです。
そんな嬉しかったコメンテーターの一人が「convexさん」です。
この方は建築設計のお仕事をされている「同業」の方です。
私のブログは建築に関する記事が少ないのですが「なにか」を
共感していただいて、実に長期に渡ってお読み頂いています。
そのconvexさんから「いつかは独立したい」とコメントをお寄せ頂きました。
私のような「無茶苦茶」「チンピラ建築家」の経歴に影響されて
独立をしてしまうほど「アホウ」な方ではないと思いますが。
それでも今日はひとりの建築家を紹介したいと思います。
「レム・コールハース」という建築家をご存知でしょうか。
十分有名な人です。人気も高いです。
私は、この建築家を知ったのは建築の仕事をしてからでした。
もっと言えば独立して「一人前に建築家を名乗るようになってから」でした。
まったく無知で恥ずかしくなりますが。
さて私はミュージシャンだの画家だのカメラマンだの
興味があることに「ドップリはまりながら」も、とうとう飯が食えず、
まるで「することがないから建築設計」を始めたかのように
大きく誤解されてしまったのですが。
建築を「なめている」、「なめた人間」「ちゃらんぽらん」、「軽薄」など
随分と尾ひれが付いて「言い訳をするのが面倒になった」感じなのですが。
当然なめてなんかいませんし、毎日建築を考えることで
「生きがい」と「喜び」を感じています。本当に「やっとたどり着いた」と
心から現在の境遇を享受しています。
さてコールハースですが。
この人は元々建築の仕事もしていなかったですし、学校も出ていません。
私と全く同じ経歴です。彼は作家でした。物書きです。
後に建築に興味を持ち設計事務所で働き、イギリスの建築学校を出ました。
しかし彼は「ひとつも実体がないまま建築家になった」のです。
彼は熱心にコンペに参加しますが、負けっぱなし。
しかし著書の評価は大変に高く、その「考え方」だけで
一流の建築家の仲間入りをして行きます。
プリツカーも受賞しています。今現在では当然作品も多く実施されていますが、
その総数は決して多い方ではありません。
私は、自分のような無謀でデタラメな事をしでかす人間は「いない」だろうと、
疎外感と孤独感を独立当初から引きずってきました。
しかし独立から3年くらい経った時にコールハースを知って
「大変に気が楽になった」事を昨日のことのように覚えています。
お前の才能とコールハースを一緒にするなと言われそうですが。
自分に自信があったという点ではコールハースと私は全く同じです。
さて表題の「メタボ」ですが。
まぁ私の出っ腹も十分メタボなのですが。今日はデブの話ではなく、
建築においての「メタボリズム」についてです。
すっとんきょうな生い立ちと人間性で、好きな建築家に「黒川紀章」という人がいます。
もう亡くなってしまいましたが。
コールハース自身はメタボリズムを提唱している訳ではないのですが。
メタボリズムとは「新陳代謝」という意味をあてて「都市の膨張」の
ような事を提唱した考え方です。
私が生まれた1963年近辺の日本では、とにかく建築が盛んに行われました。
都市を作る。都市に必要なものを作る。戦後のどたばたが落着いて、
やっと日本は経済的な成長を元に「文化や暮らし」について
「欲をかきはじめた」訳です。新しい建築が盛んに思考されました。
その主要メンバーに黒川がいました。
私は、生い立ちについては安藤やコールハースに共感を覚えるというか、
同胞のような気持ちになれますが、こと作品に関しては、よっぽど
黒川なんかの方が好きであります。
なんだか話は、とっちらかりますが。このメタボのせいで「箱物行政」だの
「官僚天国」だの「天下りシステム」など「社会悪」の権化のようなものも
生まれてしまった事も間違いありません。
これだけ借金大国になってしまった日本がメタボリズムは「過去の考え」と
忘れ去って行く事も必然だったように思います。
しかし元々そういった膨張建築的な考えの反対側を提唱していた
コールハースが今になってメタボリズムの必要性を語り始めています。
当初「何言っちゃってんだよ」と私は思いましたが、
何となく共感し始めています。
私は現在残っている巨大な建築物が時代にそぐわないものも多くあると
感じています。昨今の共通テーマは「持続可能な」「サスティナブル」と
呼ばれる建築であることは間違いありません。
仕方がないので、一旦壊して、もう少し長生きできる都市や建築を
再構築する方が人類や地球のためになるのではと提唱しているようです。
少し話が専門的で堅くなってしまいましたが、私が言いたかったのは
「建築を思考している人間は建築家と呼ぶに相応しい」と言う事です。
コールハースが実際には、どんな風に扱われ、どんな風に「陰口」を
言われていたかは知る由もありません。
そして「会社勤めの有能な建築士が、もっと夢を持てる社会環境」も
同時に閉ざされることなく、広く開かれて行く事も大切だと思うのです。
勤めを辞めて独立をしようとする方々の理由は様々だと思います。
サラリーに満足できない。人間関係が良くない。もっと思うような仕事がしたい。
きりがないほど理由はあると思います。
共通して言える事は「不満がある」と言う事でしょうか。
独立志向の人間が、皆コールハースのような才能と評価を得られる事はありません。
しかし強い独立心が未来を作ってゆくことは間違いないのです。
これからも多くの建築家が誕生し続けます。
その多くの建築家の中の一人でも多くが、幸せな環境で働けることを
祈っています。私も頑張らなければ。

日本で見られる数少ないコールハースの作品。福岡にあります。確か。
アパートですね。でも「レム棟」と「コールハース棟」って
ダサすぎる名前にがっかりなのです。
1週間以上もブログを書かなかったことは過去にありません。
ブログというものを始める時に「電子日記」であると
認識していたので「日記は毎日つけるもの」と思ってのことです。
それでも「日課」になっていたものに縛られていたようにも
感じています。実際感じていたと思います。
ブログに限った事でなく「毎日しなければならない事」ってのは
誰でも多かれ少なかれ持っているものなのですが。
この「やらなければならない」という強迫観念のようなもの
から逃げる事は「罪」だと感じていました。
私は自分では感じていなかったのですが「大変にストイック」な
人間なようです。いつからか顕著になってきました。
そのことが自分を苦しめる、プレッシャーになっていると思ったのです。
でも実際の所、少々休んでみたというか「客観視」してみると
自然な形で元に戻れることも知りました。結果的に
「人間、休養は必要だ」という極々当たり前のことを体感したに
過ぎなかったとう感じでしょうか。
もうひとつ大切な事も感じました。
それは「修行のような人生は望ましくない」ということです。
まぁ出来れば、それが最高だと思いますが。
誰しもがガンジーやイエス・キリストのようになれる訳ではありません。
そこそこ息抜きを楽しみながら「長い道のりを行く」ってのが
良いのだと思います。
さて、このブログを再開するきっかけになったのは
「常連さん達のコメント」に他ならないのですが。
後押しをされることが非常に少ない人生の私。
ありがたかったです。 心の底から救われました。
年末ジャンボの最終日に宝くじを買おうと思っていたのですが、
買いませんでした。もう十分「今年は良い事があった」と
実感できたからです。当たる筈もありませんが、もし当選してしまったら
「この感動が薄れてしまう」と本気で思ったからです。
そんな嬉しかったコメンテーターの一人が「convexさん」です。
この方は建築設計のお仕事をされている「同業」の方です。
私のブログは建築に関する記事が少ないのですが「なにか」を
共感していただいて、実に長期に渡ってお読み頂いています。
そのconvexさんから「いつかは独立したい」とコメントをお寄せ頂きました。
私のような「無茶苦茶」「チンピラ建築家」の経歴に影響されて
独立をしてしまうほど「アホウ」な方ではないと思いますが。
それでも今日はひとりの建築家を紹介したいと思います。
「レム・コールハース」という建築家をご存知でしょうか。
十分有名な人です。人気も高いです。
私は、この建築家を知ったのは建築の仕事をしてからでした。
もっと言えば独立して「一人前に建築家を名乗るようになってから」でした。
まったく無知で恥ずかしくなりますが。
さて私はミュージシャンだの画家だのカメラマンだの
興味があることに「ドップリはまりながら」も、とうとう飯が食えず、
まるで「することがないから建築設計」を始めたかのように
大きく誤解されてしまったのですが。
建築を「なめている」、「なめた人間」「ちゃらんぽらん」、「軽薄」など
随分と尾ひれが付いて「言い訳をするのが面倒になった」感じなのですが。
当然なめてなんかいませんし、毎日建築を考えることで
「生きがい」と「喜び」を感じています。本当に「やっとたどり着いた」と
心から現在の境遇を享受しています。
さてコールハースですが。
この人は元々建築の仕事もしていなかったですし、学校も出ていません。
私と全く同じ経歴です。彼は作家でした。物書きです。
後に建築に興味を持ち設計事務所で働き、イギリスの建築学校を出ました。
しかし彼は「ひとつも実体がないまま建築家になった」のです。
彼は熱心にコンペに参加しますが、負けっぱなし。
しかし著書の評価は大変に高く、その「考え方」だけで
一流の建築家の仲間入りをして行きます。
プリツカーも受賞しています。今現在では当然作品も多く実施されていますが、
その総数は決して多い方ではありません。
私は、自分のような無謀でデタラメな事をしでかす人間は「いない」だろうと、
疎外感と孤独感を独立当初から引きずってきました。
しかし独立から3年くらい経った時にコールハースを知って
「大変に気が楽になった」事を昨日のことのように覚えています。
お前の才能とコールハースを一緒にするなと言われそうですが。
自分に自信があったという点ではコールハースと私は全く同じです。
さて表題の「メタボ」ですが。
まぁ私の出っ腹も十分メタボなのですが。今日はデブの話ではなく、
建築においての「メタボリズム」についてです。
すっとんきょうな生い立ちと人間性で、好きな建築家に「黒川紀章」という人がいます。
もう亡くなってしまいましたが。
コールハース自身はメタボリズムを提唱している訳ではないのですが。
メタボリズムとは「新陳代謝」という意味をあてて「都市の膨張」の
ような事を提唱した考え方です。
私が生まれた1963年近辺の日本では、とにかく建築が盛んに行われました。
都市を作る。都市に必要なものを作る。戦後のどたばたが落着いて、
やっと日本は経済的な成長を元に「文化や暮らし」について
「欲をかきはじめた」訳です。新しい建築が盛んに思考されました。
その主要メンバーに黒川がいました。
私は、生い立ちについては安藤やコールハースに共感を覚えるというか、
同胞のような気持ちになれますが、こと作品に関しては、よっぽど
黒川なんかの方が好きであります。
なんだか話は、とっちらかりますが。このメタボのせいで「箱物行政」だの
「官僚天国」だの「天下りシステム」など「社会悪」の権化のようなものも
生まれてしまった事も間違いありません。
これだけ借金大国になってしまった日本がメタボリズムは「過去の考え」と
忘れ去って行く事も必然だったように思います。
しかし元々そういった膨張建築的な考えの反対側を提唱していた
コールハースが今になってメタボリズムの必要性を語り始めています。
当初「何言っちゃってんだよ」と私は思いましたが、
何となく共感し始めています。
私は現在残っている巨大な建築物が時代にそぐわないものも多くあると
感じています。昨今の共通テーマは「持続可能な」「サスティナブル」と
呼ばれる建築であることは間違いありません。
仕方がないので、一旦壊して、もう少し長生きできる都市や建築を
再構築する方が人類や地球のためになるのではと提唱しているようです。
少し話が専門的で堅くなってしまいましたが、私が言いたかったのは
「建築を思考している人間は建築家と呼ぶに相応しい」と言う事です。
コールハースが実際には、どんな風に扱われ、どんな風に「陰口」を
言われていたかは知る由もありません。
そして「会社勤めの有能な建築士が、もっと夢を持てる社会環境」も
同時に閉ざされることなく、広く開かれて行く事も大切だと思うのです。
勤めを辞めて独立をしようとする方々の理由は様々だと思います。
サラリーに満足できない。人間関係が良くない。もっと思うような仕事がしたい。
きりがないほど理由はあると思います。
共通して言える事は「不満がある」と言う事でしょうか。
独立志向の人間が、皆コールハースのような才能と評価を得られる事はありません。
しかし強い独立心が未来を作ってゆくことは間違いないのです。
これからも多くの建築家が誕生し続けます。
その多くの建築家の中の一人でも多くが、幸せな環境で働けることを
祈っています。私も頑張らなければ。

日本で見られる数少ないコールハースの作品。福岡にあります。確か。
アパートですね。でも「レム棟」と「コールハース棟」って
ダサすぎる名前にがっかりなのです。