2015年02月28日

疲労

すみません。

なにもかも激疲れです。  

Posted by アーバンギア at 22:53Comments(1)あれこれ

2015年02月27日

素晴らしい一文

今日、素晴らしい一文に出会いました。

「今の自分は過去の自分」

分かりやすく書けば5年前の自分の行いが
5年後の今の自分を作り上げたと。
また今の自分は未来の自分だとも言えると、
とあるブログから教えていただきました。
誰でも分かっている事であります。

しかし、このシンプルな言葉を読んで、
なるほどと思わないではいられませんでした。

私は、この言葉から「ある」ことを得ました。
もしタイムマシーンが、あって、未来と過去と、
どちらかに行けるとしたら。
私は「過去」の自分に会いに行きたいです。
この過去の自分と言う「亡霊」にずっと
悩まされ続けてきて、ついには病にまで侵されて
しまったのです。

ただ、この「今の自分は過去の自分」という
シンプルな言葉を何度か口に出して言ってみると、
「そうか、昔の自分に会いたきゃ、ここにいるんだ」と
非常に馬鹿馬鹿しいことではありますが、自分の中で
「自分が二人いた」ものが、先ほど、やっと
「一人に統合」されたのです。
嬉しかった。

分からないでしょうね。
この気持ちは「まとも」な人には分からないです。
お礼を言います。

ありがとうございました。ゆきみだいふくさん。

PS:ブログにコメントを残させて頂いたのですが、
なぜか反映されていませんでした。まぁ今更なので(笑)

こんな子が



こんな感じになりました。


  

Posted by アーバンギア at 18:56Comments(2)あれこれ

2015年02月26日

コスト優先の代償

素人は何でもかんでも「安い」方が良いと
言う傾向が強いです。見かけは「同じ」に
見えますが、やはり価格の差は「歴然」と
あるものです。姉歯事件を思い出します。
ディペロッパーからは、とにかく安く上げろ!!
と、せっつかれます。

姉歯は鉄筋の量をケチりました。
コンクリートも減らせます。
そこだけが表にでましたが、そんな肝心な
部分にまでコストダウンを強いていたのですから、
当然、内装や設備だって、ケチっていたに
違いありません。この部分は生き死にに関わらない
ので、逮捕にまで至りません。

施主は転売目的でも自分の住居でも「安く」
上がるのを好みます。十分理解できます。
我々は、そんな事をすれば後々、自分が
面倒な事になると説明しますが、中々聞き入れて
くれません。なぜでしょう。

実際の設計に入る前の「業者の選定」や
「設計者の選定」の段階では「中くらいの」を
やたらに気にするのに。
あんまり安い事を言う建築屋は信用できない。
でも高いところは法外な利益を「ぼってる」と
妄信的になっています。

自分で納得した請負先なのに、今度は、コスト
ダウンの作業に一気に走る傾向が出てきます。

つけは回ってきます。必ずです。
設計や施工をしているものは「クレーム」の山に
日々悩まされています。
当然「文句を言われない」ようなものを作ろうと
なります。冒険はしない。
規格ものっぽい建築ばかりになります。
それも仕方が無いでしょう。

こうなんでもかんでも「作り手側」に法的な責任を
押し付けられたのでは当然です。
もし、あなたが画一的な建築をお望みでなく、
それを具現化してくれる「設計者」をお探しならば、
相手の能力よりも、まず「自分のスタンスを」その
面倒な建築に見合った状態にする事です。

時間をゆっくりと掛け、様々な質問のやり取りを
繰り返し、どの選択が「ベスト」なのか、
ひとつひとつ納得の上で作業を進めて行く事です。
選択枝は「ひとつ」だけではありません。
また、その選択が「モアベター」なだけだという
ことも承知しておかなければいけません。

完全など在り得ないのです。



※このデッカイ窓は木製です。ピーラー松という素材です。
西日が強く当たるデッキに取り付けられています。
向いは大きな河川ですから、物凄い風雨に晒されます。
設計段階から「物凄く反る」「物凄く重い」「物凄く雨が入る」
など「ろくなことはない」ことを威張って説明させて頂きました。
それでも空間に一番合う素材は「無垢」以外に考えられない。
また、定期的なメンテナンスで使い続ける事くらいは可能だと
説明させて頂きました。

クレームではなく「手入れ」の連絡が定期的に入ります。  

Posted by アーバンギア at 17:34Comments(0)建築

2015年02月25日

バター 色々考える

一昨日、娘に「グラタン」を作って欲しいと頼まれる。
時間が掛かる料理なので本当は作りたくないのだが。
オーブンを回しっ放しにするので電気代が掛かる。

今日は家にいて時間が取れそうだったので、昨日
グラタンの材料を買おうとスーパーに行くと。
やっぱりだ。
やっぱりバターが無い。ずっと前から気にしていたのだが、
乳製品売り場にバターが「1個も」無いのである。

仕方なく、スーパーを梯子してみるも無い。どこにも。
薬局やコンビニ、田舎の小さな商店にまで行ってみるも、
たったの1個も無かった。
こりゃ駄目だなと思ったが、今朝になって早朝からやって
いるイオンに寄ってみると「お一人様1個」で在庫が
4つ程あるのを見つけられた。
並びなおして2個購入してきた。

我が家は結構バターを使う方だ。
私は、バターが大好き。おいしいもん。
この状態が続いては子供たちが大好きなオムライスは
もちろん、私のレパートリーの洋食は、中々作って
あげられそうにない。

このバター不足は、なにも最近になって始まった訳ではない。
もう何年も前からバターが店頭から消える事が頻繁に起きる。
私は、このバターが長期に亘って消費者に届かない状態を
見るにつけ、「政治」も限界だろうと感じてしまうのだ。

ネットで、バター不足と検索しても「嘘」や「ごまかし」の
記事にしか出会えない。複合したキーワードで何度か
繰り返すと、その本質が見えてくる記事に出会える。
洞察力があれば簡単に想像が付くことではあるが。

このバター不足は米の問題と似ている。
日本は基本的な成り立ちは「農業国」であるということ。
現在では、とても農業で国を維持することなど出来ない事は
国民の誰もが知っている。
生産者が一番良く知っている。
農業を捨ててゆく農家は、あとを絶たない。

日本は小麦を殆ど輸入に頼っている。
年間消費量の85パーセントも輸入品で、まかなっている。
ウルグアイランドで小麦を個人で輸入する場合、相当に
関税が掛けられるようになった。実質、輸入小麦は
政府が「安定供給」という名の下に独占販売の状態だ。

米に関しても輸入される米は基本的には政府が輸入する
「備蓄米」のためのものだ。滅多に流通には乗らない。
実は「牛乳」も政府が調整している。

米農家も大変だが、酪農家は相当に苦しい状況であろう。
外国のように「メガファーム」で経営していれば、活路も
見出せるかもしれないが、日本では小規模が中心だ。
先ほどの「バター不足」で検索を掛けると、農林水産省の
「まるっきりごまかし」の記事が最初にヒットする。
これを読むと酪農家が減っただとか、病気のせいで牛乳が
減っただとか、牛乳を先に作るのでバターは後回しになるだとか、
まるっきり小学生か中学生の「宿題調べ」のような回答です。

浅い連中が政府が「チーズ」を多く作らせる政策を採ったから
バターが無いとか書いているのを見ると情けなくなります。

牛乳。それは「生乳」と言います。
牛乳には、もうひとつあります。それは「加工原料乳」です。
飲料用にする牛乳とバターなどを作るときに使われる
牛乳は「呼び名」が違います。
では、何が違うのでしょう?
何も違いません。同じ牛乳です。

牛乳の安定供給を第一命題に挙げていますが、基本的には
酪農「経営」の安定化を図るためです。
飲料用の生乳の方が「高く」買い取ってもらえます。
当然生産者は飲料用を生産します。
しかし、それでは加工用の生乳は無くなってしまいます。
そこで安い買取になってしまう加工原料乳を生産した
農家には「補給金」を出す制度を行っているのです。
しかし、この補給金には限度があります。

これのせいでバターは無くなるのです。

補給金を出してもらっても、それでも経営が立ち行かない。
バター不足は、そう物語っているのです。
スーパーでは飲料用の牛乳が「山積み」になっています。
売れ残りばかりです。
何も知らない消費者は「どうして牛乳が、あまっているのに
バターを作らないんだろう」と首を傾げます。
誰も納得できないでしょう。
だって捨てるほど牛乳は余っているのに。

それを農林水産省では「飲料用の牛乳は不足していない」と
書いています。
「不足していない」ではなく「余っている」です。

自民党の最大の支持母体は「農協」です。
自民党が政権を握っている限りは、この生産者農家を
守る制度はなくならないでしょう。これは良いと思います。
最初にも書いたように、もし日本から生産者農家が、
いなくなったら。食料自給率はゼロです。
輸入元と何かあったら、日本は数ヶ月で餓死です。
やはり生産者を守る手立てを継続して考えてゆかなければ
なりません。

ただ。施策です。
多くの人が知った「TPP」と言う言葉。
関税を掛けないで自由に生乳を輸入する事ができたら、
それは一瞬でバター不足を解決してしまうだろう。
あらゆる乳製品が激安になることだろう。
実は、このバターにも「二種類」存在する。
それは「一般家庭用」と「業務用」だ。
私は、初めて、これを知ったときに驚きを隠せなかった。

この二つの違いは「冷蔵」」と「冷凍」だけだ。
政府が苦肉の策で輸入しているのは「冷凍」、つまり
業務用のバターだ。政府は業務用のバターの需給率が上がれば、
メーカーが家庭用のバターを作り出すと見込んでいるのだ。
では、なぜ政府は「家庭用」のバターも輸入しないのだろうか。
先ほど書いたTPP、酪農家保護が強力なジレンマを生んでいるせいだ。

どのように守らなければならない事があろうとも、
やはり「手に入らない」程にバランスを崩してしまっている
政策は、既に限界を迎えていると言わざるを得ない。
ついに、あのJA全中も解体される。
農家を取り巻く環境が、ドラスティックに変わってゆく
気配を感じる。

今日、娘が小さな冊子を持って帰ってきた。
この前の絵画コンクールの受賞作品が載っている本だ。
本には沢山の子供たちの作文と絵が載っている。
農家の子供たちの作品も沢山ある。
将来、自分も農家になって家業を受け継ぎたいと、希望に
胸を膨らませている作品もあった。
彼等が生業を誇りに想い、日本人らしい「豊かな生活」を
送れる様、しっかりとした政策を打ち出して欲しいと
心から願う。

コンクールの主催は解体が決まったJA全中だった。


※無事「鶏とマカロニのグラタン」が出来ました。
にんにくの芽と葱をあしらっています。


  

Posted by アーバンギア at 22:17Comments(0)あれこれ

2015年02月24日

残念な仕事

先週コンペの作品をプリントに出しました。
我が家のプロッターは、完全にインクが固着して
しまって全く使い物になりませんでしたので。

ネットで検索すれば今時いくらでも「大判出力屋」が
出てきます。データで送れば翌日には届いてしまいます。
料金も大変に安い店が簡単に見つかります。

しかし私が「なぜ」プロッターなどという滅多に
使う事もないような邪魔なものを購入したかという
経緯については、この「印刷屋」が大きく関係しています。
印刷屋は信用できないと感じた出来事にあったからです。

もう10年位前です。
やはり同じようにコンペの作品を提出するために
A1で出力をしてくれる印刷屋を探していた時です。
当時は、ありませんでした静岡には。
やっとのことで見つかった印刷屋。しかし出力できる
データは「DTP」ソフトのものだけでした。
IllustratorやPhotoshopなどです。

私は自前のCADソフトも持ち込んで出力をお願いしましたが、
結局まともに出力出来ませんでした。
2枚の出力をお願いして1万円を取られました。ゴミです。
紙も普通紙。とても製図に用いる「ケント紙」のような
平滑性を望めるものではありませんでした。
やはり静岡は「田舎」だと落胆したのです。

それで、自分で印刷すればコストも掛からない、なにより
納得が行くまで印刷を繰り返す事ができると考え、
大型のカラープロッターを購入したのです。
今回提出するコンペは、その苦い経験をしたコンペです。
嫌な予感がしました。

CADのデータは大きいので、電話で問い合わせた「静岡」の
印刷屋に「直接持ち込み」で依頼をしました。
正直、最初の電話の対応が「あまりにも頼りない」感じ
だったので、依頼を躊躇したのですが。
後から電話が掛かってきて「出来るので、やらせてくれ」と
まで言われ、まぁそこまで言うなら地元だし、持ち込めるしと。

しかし相当に念を押しました。
紙は「厚手のコート紙」で。サイズは「A1]で。
必ず「VectorWorks」で開いて出力するようにと。
向こうからA3サイズで確認を送りますとまで言われました。
が。

データを渡した翌週。不安で堪らなかった私は、電話を
入れました。すると電話に出た「かの担当者」は手のひらを
返したように「面倒だ」「簡単だと思った」「見本は出せない」
「実は外注に出す」と言うのです。ビックリしました。
まぁ外注だろうが、なんだろうが出てくれば良いですよ。
私は、「じゃぁオペレーターと直接話をしたい」と言うと、
相手は、あからさまに難色を示し「出来ないですね」と言った!!
驚いた。
私が、しつこいのか。すると向こうは「だったら止めてもいい」
位の調子で酷い態度を取った。

私は、締め切りも迫っていたので、そのまま信用して
お願いすることにした。
昨日は確定申告の用意で忙しかったので、出来上がったプリントは
家内に取りに行ってもらった。
とても待ち遠しかった。
夜遅くになって帰ってきた家内からプリントを受け取ると、
それを受け取る前に「恐ろしい不安」が襲ってきた。
なぜなら、その紙は、コート紙でもなんでもない「ただの普通紙」。
それも恐ろしくコスト最優先の「ペラッペッラ」の紙だ。
筒状に丸めてあるのだが、表の印刷が透けて見えている程だ。

私は、プリントを開いた。
気を失いそうだった。
レイアウトが出鱈目だ。当然、紙の真ん中、つまり余白が
均等になるように丁寧に画像を並べたのに、それは「左」に
寄っていて左右の余白が5センチ以上も違っている。
そして7つあるはずの画像の一つが、「ばってん」になって
マップされていない。
「この野郎~!!あれ程言ったのにVWで出さなかったなぁ!!」
きっと何かのコンバーターを使って出したのだろう。
印刷のレベルもカラーバランスも酷かった。

心臓が、バクバクした。
怒りが込上げて来た。抑えられない。
直ぐに電話を入れたが担当者がいないと言って逃げられた。
今朝になって一番に店に駆け込んだ。
こんなものには、とても金を払えないと言って返金に応じてもらった。
金が返ってくれば済む話ではない。
もし、これが締め切りに間に合わなかったら、どうして
くれると言うのだろう。酷い。

レイアウトが変だったのは紙がA1では、なかったからだ。
A1は、ロール紙で出す。つまり短辺方向は間違いようが無いのだが、
長手方向が「長すぎた」のだ。酷い。
印刷屋が紙の大きさを見ても間違いに気が付かないとは。
出力を下請けした先は印刷専門ではないだろう。
恐らく設計事務所か測量事務所だ。だから電話に出させることが
出来なかったのだろう。

東京の印刷屋に依頼した。
データを送って翌日には届く。ファイルに対応したソフトで
オペレートしてくれる。紙質も大変に良い。
それで送料を入れても、このインチキ業者より1000円も安い。

どんな気持ちで仕事をしているのだろう。
印刷屋といえば私と同じ「職人」だと思っていたのだが。
確かに単価が安く、儲からない商売だ。これも私と似ている。
だが建築士には厳しい法律と行政処分に刑事処分まである。
印刷屋には無いに等しい。

私は金のために図面を綺麗に仕上げようだとか、設計をしようと
考えた事はない。設計は無心でする。精魂込めた設計なのだから、
当然「美しく」図面に表したいと思う。
それをクライアントに見せる時、第一弾の「報い」がやってくる。
お金は発生しない。
こだわり。
そう、仕事への拘りが「あるのか、無いのか」。

正直あれから10年経って、やっぱり静岡は田舎だと思った。
仕事のクオリティが低すぎる。
この程度であれば、益々仕事が減って、あらかたネットの
サービスの良い業者に「ごっそり」持っていかれてしまうだろう。

どなたか私の仕事のクオリティを試してみたい方はいないだろうか。
是非名乗りを上げて欲しいものだ。
どうぞ、よろしく、お願いいたします。  

Posted by アーバンギア at 15:24Comments(3)あれこれ

2015年02月23日

辛い事

今日は非常に温かかった。
穏やかな一日になるのかと思いきや、
時折突風が吹きぬける。
夕方からは、やはり寒い。まだまだだ。

夕べの雨は非常に激しかった。
私は雨音が好きだ。眠れる。
季節の変わり目は、本当に辛い日が続く。
私の様な病気を持っているものには厳しい季節だ。
ちょっと前にFBに「夜が長い」と投稿をすると、
友人から松田聖子の「瑠璃色の地球」を捧げると、
コメントが入った。この曲は、松本 隆らしい
美しい言葉の響と博愛主義を表した詩を持つ佳曲である。

「夜明けの来ない夜は無い」と歌いだすのだが、
私は、どこかで夜明けの来ない夜の存在を信じている。
地球が自転を続ける限り夜明けは繰り返される。
だが、それも永遠ではない。
揚げ足を取るつもりではないのだが、人生の苦しみを
乗り越えたいと苦しんでいるものに「比喩」として
詠っているのなら、光を浴びていても苦しみの
渦中にいるものの心は「暗黒」だと思うと反論したい。

この楽曲は最終的に、ずばり「地球」について
詠っているので、「人」に照らして詠っている訳では
無いとすれば、問題も無くなるのだが。

この歌の歌詞にあるように、私も、よく海に行って
夜明けを待っていたことがある。
私の住む町には海が遠くないところにある。
なぜ海に行ったのか。
理由らしきものは見つからない。
行ってみたいという衝動もない。
「ただ」海に行くのだ。

灯台がある海岸に車を止めて、砂浜に出てみる。
春一番が吹く日の夜は信じられない位に温かい風が
砂浜を暴れながら駆け抜けてゆく。
色々考えながら海に着くのだが、海に着いて浜に出ると、
それらは一片に成りを潜めてしまう。
波の爆裂音。風。なんと言っても、その波の「色」が
恐ろしくて、繊細な事を考える事を許さない。

昨日、娘に戦争について少しだけ話しをした。
娘は戦争が悲しいことだと学習発表をした。
その悲しみは「大切な人を失うこと」そして
「自由を奪われてしまうこと」だと力説していた。
私は娘に「パパが一番戦争で悲しいことは」と自分の
想いを話した。
それは「人間同士が殺しあう事」だと伝えた。

人は概ね男女が愛し合って生まれてくる。
例外的に生まれるケースもあるが、やはり男女の
両親が揃わない事には、生まれる事は出来ない。
我々の国土は海に囲まれている。
国境を意識することは希薄だが「外国」を感じる事は
容易である。それが日本人だ。
だが「地続き」で国が隣接している場合。これは
非常に国境を強く意識しているであろうことは簡単に
想像が付く。

ある日、突然「ここからは我々の国だ」とチョークで線を
引くのである。同じ人種。同じ人間。もしかしたら
「友人」だったものが突然「外国人同士」になってしまうのだ。
それが、もし「争う」ことになったら。
それが戦争だ。
愛し愛され、笑いながら豊かに暮らすもの同士が、
命の奪い合いをする事ほど「醜くて」「つまらない」
ものなどありはしない。

明けない夜は無い。
確かに、そうだ。
だが、しかし。
「自然現象」「成り行き」任せで、やってくるものと
「人が対峙している問題」は同列には扱えない。
自分の弱さに立ち向かって進みたいと願う。

ただ。
ディーバの優しい歌声を聴いていると、母に勇気を
貰っていた頃を思い出す。

  

Posted by アーバンギア at 17:57Comments(0)あれこれ

2015年02月22日

峰山文化祭

今日は娘の通う小学校で「文化祭」が行われました。

会場の体育館には地域のお年寄りが大勢集まって。
それから地域にゆかりのある方、小学校に縁の
ある方が集まって。そして子供たちが楽しみにして
いる「前任の先生方」も、お見えになって。

今年の文化祭は大分、文化祭らしかったですよ。
寸劇が披露されました。脚本は学校に縁のある演劇の
ご指導をされている先生によるもの。
地域の方の参加もあって盛り上がりました。

非常に短い話なのですが、中々にプロレタリアな
内容で、私も見入ってしまいましたよ。
もう一幕見たかった。正直な感想でした。
子供たちの演技も光っていましたね。
「のん兵衛」の父親役を熱演された教務主任の先生。
荒れた感じがリアルで、実生活が心配になりました(笑)
まぁ私のドキュメンタリーを時代劇風にしたんでしょう。
涙無しには見れませんでした。

峰山小学校には、他の学校では見ることが「決して」
出来ない特異なシーンが散見されます。
人との繋がり方や表情です。
学校は不思議な場所です。私は、ここに住むように
なってから、はっきりと感じるようになりました。
学校は「ただの箱」です。

先生と生徒で全て変わります。
校長の影響が最も大きいでしょう。
社会に似ています。国は言ってみれば「ただの箱」です。
そこに住む国民と思想によって国は形作られています。
今日の長女の学習発表は「第二次世界大戦」についてです。
学校の教材から学んだ事、そして、この山に住む
ご老人に実際に学校にお越しいただいて、当時の
生活の様子などを伺った感想をまとめたレポートでした。
感動しました。

私の母は、もちろんのこと、家内の両親も戦時中は子供です。
子供ながらに思ったこともあるでしょうが、孫に
「その記憶」を話す機会は皆無です。
私は親から戦争について随分と聞かされました。
何も感じませんでした。これが正直な感想です。
子供には難しい話だったと思います。

戦争をした「理由」が全く分からなかったからです。
もしかすると、嫌、絶対に母も父も理由を知らなかった
んだと思います。戦争をする理由が分からないままに、
様々な理不尽を押し付けられてきたことを恨んで、
そして戦争を疎んできたのでしょう。

現代では戦争の全容が分かってきました。
やっと「そのくだらない理由」とやらを知って、益々
戦争は、くだらない。争いごとは「つまらない」事だと
認知する事が出来たのです。

たったの7人しかいない「女子小」の子供たちが、
一年を通じて学校や校外活動、地域の住民との関わり
の中で生まれ、身に付けた事を年寄りに「検証」して
もらう機会が「峰山文化祭」なのです。
荒廃した国土に種をまいた人達が私の子供を見て、
「平和」であるとか「豊か」であるとか、感じてくださる
事が出来れば、教育は成功していると言えるでしょう。

なにより子供たちが大勢の人の前で「発表」が出来る
喜びを与えてくださった事に親として重ね重ね
お礼を申し上げる次第です。
本日は、みなさま「ありがとう」ございました。  

Posted by アーバンギア at 15:29Comments(0)子育て

2015年02月21日

ファッション

女の子だって、男の子だって「おしゃれ」に
気を使う年頃ってのがあります。
気を使う。
そんなの生まれた瞬間から、あるんじゃないだろうか。

個性が反映される。
子供の衣類を買いに出かけると、実に面白い。
親の好みで選んでいると、あからさまなリアクションに
出会う時がある。

子供はコーディネートが苦手だ。
靴なら靴だけを見て、それが欲しいとかってなる。
ワンピースも考えもなしに選ぶ。
真冬なのに半そでや、ノースリーブでは済まされない。
上着も必要。その服に似合う靴も必要。

それらが、なんとなく分かってきて、考えられるように
なるのは小学生になったころからか。
我が家の男の子は中学生になって、しばらくしてから
「あっても着ない」的な表現で自己主張し始めた。

私は自慢ではないが「おしゃれさん」だと思う。
記憶を辿ると「保育園」時代には相当に「おしゃっれ」に
拘っていたと思い出すことが出来る。
母親も子供に可愛らしい、カッコイイ服を着せることを
十分に楽しんでいたと記憶している。
経済的な「ゆとり」と言う基盤があって出来ることである。

どんなに子供に可愛らしい格好をさせてあげたくても、
それが叶わない御家庭も普通に存在している。
私は、ブティックに入って気に入ったものがあると
値段など見ないで買っていた時期がある。
子供も3人目くらいまでは、気にもしていなかった。
それが娘が出来てからは、比較的価格まで納得の行く
ものを選んで購入してきた。

これは大切な事だ。
私は言ってみれば子供の洋品を購入する事で、やっと
「普通の大人」になれたってことなのかもしれない。
私は、子供が「粗末」な格好をしていても全く気にならない。
どうしても許せないのは滅茶苦茶な「コーディネート」だ。
アイテムの成り立ち。色合い。子供が学校に行くだけだって、
それが田んぼ、沼地で泥遊びでもない限り、公園に行くだけ
だって「整って」いて欲しいと思う。

やはり蛙の子は蛙のようだ。  

Posted by アーバンギア at 19:42Comments(0)子育て

2015年02月20日

プロトコル

今日は、コンペの作品をプリントアウトしようと、
実に「5年」ぶりにプロッターの電源を入れたところ。

まともに動かず。

PCをお持ちの方なら大概プリンターをお持ちであろう。
プロッターとは古くは製図などに使うXとY方向、つまり
縦横に線が書ける装置のことを言った。
現在では大判プリントアウトが出来るプリンターの事を
プロッターと呼んでいる。

家庭で多く使われる定型紙ではなく「ロール紙」を使う。
A1以上のサイズを印刷するものだ。
建築ではA2で製図をする事が多かったのだが、役所の
要請でA3で提出する事が多くなり、仕方無しにA3に
小さな縮尺でギュウギュウに詰めて書いている現状だ。

A2で出さなければならないという理屈は無いのだが、
やはり図面は、ある程度大きい方が見やすいし、
レイアウト上も美しく見えるものだ。
A1が設計で要求されるケースは、もうこれは「コンペ」
以外では考えられない。
小さな設計事務所では、プロッターなど置いてない場合も
結構ある。現在では測量事務所が最大のユーザーでは
ないだろうか。広大な土地を図面に書くには、やはり
プロッターは必要不可欠だ。

私の様な小さな小さな個人事業主が、プロッターを持っている
等と言う事は、まず考えられない。
どれほど、私が本気で「コンペ」に取組もうとしているかの
証である。またどれ程、自分を売り込もうとしているか?
どれ程、真剣に設計に取組んでいるかの証拠にもなるであろう。
元々、事務所を開いた時から商売相手は「世界」だと思っていた。

そんなピュアな建築家が5年も電源すら入れていなかった。
プアな建築家になってしまったってこともあるのだが、
コンペの提出が紙からデータに完全に移行してしまった感が
あるのを感じざるを得ない。

今日、プロッターの電源を入れるも、満足に給紙が出来なかった。
なんだかインクの状態も悪そうだ。そりゃそうだろう。
実を言うと「ためし刷り」のために動かしただけなのだ。
ちゃんとした出力は印刷屋に頼むつもりである。
5年も放っておけば、満足にプリントなどできるはずがない。
メンテナンス費用で数万円は飛んでいってしまう。
今時はネットでデータを送れば翌日には印刷物を送ってくる。
料金もA1のカラーを光沢紙で4000円も掛からないで作れる。

レイアウトの確認だけはしておかないと、一発勝負には出れない。

今日のトラブルは、とにかく紙のセッティングが悪かったようだ。
センサーがあるのだが、センサーに掛からないように紙が
ヘンテコに切られてしまたせいで何度やってもエラーになる。
用紙をセットするにも最初から「左」「右」で「どすん」で
シューっと紙を出したら巻き戻して「がちゃん」といかなければ、
ならないようだった。それに気が付くまでに4時間掛かった。

紙を手で適当に切ってしまったことがいけなかった。(泣)
自動カッターをオフにして、ようやっと印刷が始まったのが、さっき。
手順。
IT用語にインターフェースってのがある。
手順の事だ。
順番を守る事によって「相手」が納得して理解し、それを実行する。

今日は息子の教育資金の融資の相談に行ってきた。
実に手間が掛かる「イラっ」とする手続きであった。
が。
そこにもインターフェースは存在する。プロトコルという。
取り決めに従って手続きを踏む事によって間違いや「誤解」を
生まないようにする事が目的だ。

人は様々な環境で育ち、暮らしている。
その土地その土地。人種に文化。共通した部分を見つけて、
そこの部分だけと付き合う。それは、どうだろう?
非常に関係の構築に時間が掛かる。有効な交易が、し辛いだろう。
それでは「新しい」共通の「常識」を定めて、そこを通じて
互いの利益を図る事の方が、ずっとずっと有益だと思う。

プロトコル。
それは「はじまり」のための一石なのだ。  

Posted by アーバンギア at 20:18Comments(0)あれこれ

2015年02月19日

設計意図 どう伝えますか

設計をしていると、それはそれは真剣に。
出来上がった設計図を「作品」と呼ぶ事を、
非難する人がいます。設計者にもいます。
設計者なのに「作品」などと設計図や「人様の住居」を
呼ぶなどと「思い上がり」以外の何ものでもない!!
と、設計者が言います。

私は、そんな事を本気で言う設計者は本気で
設計に取組んでいないと思ってますよ。
または、施主に「おべっか」を使っているんでしょう。
へりくだり過ぎです。

本気で取組んだ設計には物凄い思い入れがあります。
だれだって、そうでしょうよ。
出来上がった設計の「思い入れ」を力いっぱい
説明したくなるはずです。自分が工夫したところ。
施主に対して相当に配慮した部分を顔を赤くして、
つばを飛ばして話す人こそ、本気で設計をした人だと
私は思いますね。

で。
実は現在「設計コンペ」をまとめているんですが。
これに「設計意図」を書くんです。800字以内で。
800字と言えば、相当な文字数で、結構な事を説明できる
のですが、問題は「本当に」800字も使って設計意図を
説明して良いのか?ってことなんです。

実施コンペは、選定する側は「遊び」じゃありません。
相当に設計内容について詳しく知りたいはずです。
しかし、我々「設計」に携わるものは、意外なほどに
「寡黙」でることが「美徳」だったりします。
つまり「図面」が全てを物語っていなければならない。
物語るのは図面だけで結構。
それが建築家。それが「カッコイイ建築家」なんだと、
建築設計者は思い込んでいたりします。

ですからプレゼンテーションが「口頭」の場合ではなく、
印刷物などで提出をする、いわゆる「第一段階」では、
饒舌に語りすぎると品位が落ちるという結果になりかねないのです。
ああ面倒。

で、削りましたよ。
半分以下に。
やっぱ語れば語るほど図面が冴えなく見えて。
自分でも、そう感じたんです。
私のブログは長文なのですが、普段は、あまりしゃべりません。
呑んで気分が良くなると「おしゃべり」に変身するんです。

まぁそんな話でした。  

Posted by アーバンギア at 20:42Comments(0)建築

2015年02月18日

カレー

私は「好物は?」と尋ねられたら「カレー」と答える。
実は、そんなにカレー馬鹿では、ないのだが。
寿司も好き、鰻も好き、まぁ上等な牛肉のステーキや
考えればキリが無く「美味しいもの」は浮かんで出る。
そうすると、もう判断のしようがなくなってくるのだ。

で「まぁカレーかな」となるのである。

日本人は非常に多くカレーを食べる。
一年に一度もカレーを食べない人の方が少ないだろう。
しかし、カレーを「外」で食べるって人は少ないだろう。
やはりカレーは「家庭料理の王様」なんである。
これは絶対だ。

カレーを食べる頻度が多いと言う事は家庭料理だからだ。
本気のカレー好きは外でも食べる。
っていうか、外で食べる。
このカレー好きってのは「二派」に分かれるのだ。
私は大変なカレー好きだという自負があるが、滅多な事では、
外食でまでカレーを食べない。
つまり「折角外食するのにカレー?!」と思ってしまうのだ。

なにも家で食えるカレーを外で食うなんて。
だったら寿司だの鰻重だの、スパニッシュにフレンチなど、
自分で作るのが面倒な料理を食いたいと単純に考えてしまうのだ。
しかし「外の」カレーは全くの別物だ。

カレー屋を営んでいる店主のカレーへの意気込みは凄い。
ラーメン屋も凄いのだが、カレー屋には「カレー」しか置いていない。
それだけで勝負しなければならないのだから、中途半端な
味なんかでは、あっという間に店を閉めなければならない。
私は、カレー専門店でカレーを食った経験は少なからずある。
実に面白い。
カレーは、何処で食っても「違う味」がする。

好みも分かれる。
私は小麦粉を炒めて、いわゆる「カレー粉」を合わせた、
ずっしりと、べったりとしたカレーが好きではない。
辛味もピンと来なければ、出汁もハッキリしないのだ。
美味いことは美味いのだが。
有名なところで両替町の「あの」カレー屋のカツカレーは
腹ペコさんには最高ではないだろうか。

チェーン店で有名な「ここ~」は割りと「水っぽい」。
レストランのカレーは、フォンドボーといって、子牛のスネ肉から
取った「ずい」を使った豊潤な出汁をふんだんに使った
コクと香りが特徴のカレーが多い。
こうして想像しながら書いているだけで、ああ食いたい!!と
思ってしまうほどである。

さて、でもだ。
私は、カレーは家で食う事を強く勧める。
カレー粉、カレールーは各社、完成度が高いインスタントが
出ている。これを使えば「はずす」ことは無いのだから、
自分のオリジナルカレーに挑戦して欲しいと思う。
極々一般的な工夫として複数のカレー粉を「混ぜる」という
手法があるだろう。
何処の家庭でもやっているんじゃないだろうか。

カレー粉を混ぜて使うだけで、なんだか工夫して料理をしている
気分になれる。混ぜても外さないのだから勝手に「悦に入る」
事が出来る。楽しい。子供には打ってつけ。
料理が得意でない奥様も、何だか料理上手になった気分が味わえる。
そもそも「家カレー」の最大の美点は「野菜を多く取れる」ことだ。
カレー専門店のカレーには野菜が少ない。
または「全く入っていない」場合もある。
特に「じゃがいも」だ。

外カレーと家カレーの最大の違いは「ジャガイモの有無」だと
言っても良い位だ。
ジャガイモは「腐らせる」から入らないのだ。
野菜全般にカレーを早めに腐らせてしまう。
またずっと煮込んだ状態の専門店では、どうしても野菜は
「溶けて」しまう。
あまりにも野菜が溶け込んでしまうと味が「ぼやける」。
スープを作るのと野菜を溶かしてしまうのでは意味が違う。

野菜を好んで食べない子供でも、カレーなら食べてしまう。

我が家では圧倒的に「ポークカレー」だ。
牛肉は高いし、なにより柔らかくなるまで煮込むと肉に味が無くなる。
そこへ行くと豚肉は、脂もスッキリしているし、煮込んでも
繊維だけになる事も無い。やり過ぎなければいい。
最近では、イタリア産の安い「ばら肉」のブロックが
簡単に手に入る。非常に脂身が多い、煮物に適した豚肉だ。

私のカレーの秘伝。
それは出汁に「カツオだし」と「醤油」を使う事だ。
ナンプラーの代わりだ。カレーと言えばインドだろうが、
シンガポール、インドネシアなどでも多く食されている。
インドネシアは鰹節の生産量世界一である。(確か)
インドネシアではカレーの隠し味にナンプラー(魚醤)を多く使う。
日本人には馴染みやすい味だ。

私は結構しっかりと豚肉をソテーし、ブランデーでフランべした後、
グレイビーソースと一緒に鍋に入れ、コンソメと例の出汁と
月桂樹の葉を入れ、長時間煮込む。
概ね同じタイミングで人参を入れる。

仕上がりそうな頃「玉ねぎ」を入れ煮る。
最後にジャガイモを投入するが、早めにカレー粉を入れて
溶けたところで火を止めてしまう。
するとジャガイモは、ゆっくりと火が通り、もちもちとした
触感で最高に美味くなる。
この触感を出すには材料を、あまり小さく切らない事だ。

ストックから工夫をするには料理の知識が必要になるが、
初めは「付け合せ」を工夫するのが良いだろう。
代表的なものでは「福神漬け」と「らっきょう」だろうが、
これでは工夫が無い。
トンカツを乗せるのも「付け合せ」の延長の発想だろう。
私のおススメは、ずばり「フライドオニオン」だ。
最近では輸入品の激安ものが、スーパーで手に入る。
これを、ただ掛けて食うだけでも、カレーが全然違う味になる。
香ばしいルーが最高だ。

私の祖母は、カレーが大好きだった。
母は、カレーを飯に掛けて食べるのを嫌った。
カレーを作っていると必ず母の「その一言」を思い出す。
「お母さん、カレーをご飯に掛けて食べるの嫌いなんだよな」
「お母さんのは、別によそっとくれ」

生前から夕飯の支度は私だった。

私が小学6年生くらいの頃だったか。
母が作ってくれた夕飯のカレーが、あんまりにも熱かったので
「こんなもの食えるかっ!!火傷しちまわー!!」と
怒鳴り散らして、カレーをそのまま冷凍庫に入れたという
思い出がある。その時の母、弟、祖母の静かなリアクションは
死ぬまで忘れられない。
何か面白くない事があったのだろう。
単純に反抗期だったのだ。

家庭料理、その食卓には様々な思い出が生み出される。
誰もが、少し切なくなるような思い出があるはずだ。
とりわけカレーは私にとって最上級の思い出を生み出した、
実に「甘い」優しさを感じさせる料理なのである。



もちろん今日は、カレーだったんですが。
私のだけ別注の激辛カレー。バーボンに良く合います!  

Posted by アーバンギア at 19:21Comments(4)あれこれ

2015年02月17日

真剣み

何でもかんでも。
いつでもどこでも。

人を当てにしている人がいます。
大勢います。

そういうことを恒常的にする人の共通点。
それは「真剣みが足りない」です。

「なんとかなる」とか「なんとかしてくれる」
と、妄信的になっています。
ひとつの才能と言える「障害」です。

誰かが迷惑を被っているという感覚がありません。

疲れます。  

Posted by アーバンギア at 20:19Comments(2)あれこれ

2015年02月16日

塩梅

先だって私の「手料理」を記事にしたためますと、
多少なりともリアクションが、ございまして。
少し嬉しかったのは正直なところです。
まぁ作り方の詳細は、いずれ小出しにして
紹介させていただきたい所存にございます。

さて私のような「素人」が料理について
含蓄のある解説を「のたまわる」などと
厚顔無恥だと、あざ笑われるのを覚悟で申し上げれば。
料理とは「塩加減」で全て決まります。

先だってアップした「イタリアン」チックな
名前と風貌の料理については基本的に「炒めた」だけ。
味付けも「塩」と「にんにく」だけです。
辛味と甘みを何かしらで調節するんですけど。
なぜイタリアンが多いかと言えば単純に
「金が掛からない」「早くできる」からでございます。

あまりものに新たに少しの食材を買い足して、
短時間で炒めて食う。安くて美味いの基本です。
そこへいくと中華料理は炒めるだけなのですが、
下ごしらえと調味料が複雑で、覚えるのは多少の
時間と「センス」を要します。
この前の画像では麻婆豆腐が一番面倒な料理です。
回りに盛り付けてある「チンゲン菜」は別に
炒めて、別のスープで味をつけ、別にあんにしています。
それを土手にして麻婆豆腐を盛り付けています。
ああ面倒。
普段は麻婆豆腐だけを「どんぶり」にして子供には
出しています。あれは「たまたま」です。

塩梅とは「塩」と「梅酢」のことを言います。
むかしは、この二つの調味料で料理の味付けを
完結させた事も多かったので、美味しく出来た時に
「良い塩梅」だといったことが、現在では、謀が
うまく行った場合などに使います。

実際に、この上手く事が運んだ事は「按排」と書きます。
上手く並んだ状態を按排と言うのです。
「よみ」と「いみ」が一緒だったところから、按排を
塩梅と使うようになったんですね。
これは大変にセンスが良いと私は思っています。
按排では学の無いものには「ぴん」と来ません。
普段の生活の中で頻繁に使う「塩梅」を使う事によって、
その状態を分かりやすく説いているのです。

もうひとつ薀蓄を。
「三和土」というものがあります。
土間の仕上げを「土」で締め固めたものを言います。
「さんわど」と読めば良いのですが、これは我々
建築関係者なら「たたき」と読みます。
叩いて締め固めた状態をさして言うからです。
さて、では、この「三和」とは何のことを言うのでしょう。
私は初め「どっかの地名」だと思っていましたよ。

土間の材料です。
「土」「石灰」「にがり」を混ぜて使います。
にがりは凝固材ですね。豆腐にも使われる「あれ」です。
主な成分は塩化マグネシウムです。
塩を作る際に出来る液体ですね。

これも配合のバランスが大切です。
ここでも、やはり「塩」に関係した塩梅があったのです。
塩は我々人類にとって「命」とイコールです。
採り過ぎは良くありませんが、無ければ死んでしまいます。
料理を美味く感じさせる最大要素。それは「塩」。
毒にもならない、生きるに必要な丁度良い量の塩分。

それを感じた瞬間に料理は「美味い」と感じるのです。

今日は野菜炒めでした。
うまく行きました。  

Posted by アーバンギア at 20:45Comments(1)あれこれ

2015年02月15日

展望...大(台)

今日は大切な休日。

だから「奉仕作業」に行ってきました(泣)

峰山小学校には金色に輝く駿河湾を望む事が
出来る展望台があるんです。
っていうか、ありました。この前まで。

デッキ材が腐ってしまって使えなかったんですが、
校長先生が私の友人に「直してくれ」と
無茶振りをしたお陰で作り変える事になったのです。
まきおさんは、さっさと壊してしまって、高級な
材料をバンバン調達してきてしまったので、
まぁ作らざるを得なくなってしまったと。

やはり簡単には行きません。
平らなところならいざ知らず、斜面にコンクリートの
基礎も作らないで直径50cmもあろうかという丸太を
垂直に立てていかなければならないのです。
頭脳よりも「体力」と「耐力」勝負でございます。
もうフラフラ。

今日は柱を立ち終ったんですが。
先だっての「日が良い」ときに1本だけ親方が
柱を立ててくれました。
お陰で今日は小春日和で汗ばむほどでしたよ。
校長先生が差し入れてくれた握り飯も大変に
美味しく感じた次第です。
まぁでも校長には「釘の一本」でも打ってみろと
次回には説教をしてやるつもりでいますが。

現在タイプは出来ますが、ダブルクリックが出来ません。
殺す気かっ?!

どこぞの学校、いやさ、どなたでも「展望台」が
欲しいと言うオファーを頂ければ、早速
「PTAと、その仲間たち」が現場を見て見積もりを
出させていただきます。安いです。安いのか?
まぁ山本太郎と仲間たちよりは常識的で役に立つと
相当に思われますので、どうぞ遠慮なく。

来週にはもう少し「カッコ」が付きそうです。
見物、手伝い、差し入れ、大歓迎です。

PS:たかと、ありがとう!!


  

Posted by アーバンギア at 19:59Comments(2)あれこれ

2015年02月14日

手料理

無いです。ネタが。
偏頭痛で、ちょっと弱っています。
疲労困憊ですな。

タイトルに書きましたように私の手料理でも
紹介しようかと思いますが。
ずっとブログ用に写真を撮ってあったんですがね。
まぁわざわざ人様に見せびらかすようなものでもなし、
冷静に見れば、素人料理。大したこともないし。
まるみさんのように誰が見ても唸ってしまう
出来映えならともかく。

まぁでも踏ん切りをつけようかなとか思って。
本当は小出しにしてレシピノートと一緒に
偉そうに投稿しようとか思っていたんですが。
まぁ感心が、ある方は「何番目の写真の」とかって
コメント入れていただければ、材料だの作り方を
なんとなくお教えしますよ。

以前にブログに載った料理もあろうかと思いますが、
どうぞご容赦を。私は覚えてないんで。

<海老とイカと菜の花のアクアパッツアとぺペロンチーノ>




<フッジリのトスカーナ風ソース>




<ベーコンとエリンギのサラダをバルサミコで>




<海老とブロッコリーのぺペロンチーノ>




<鶏とジャガイモのアロースト>




<オムライス サルサポモドーロ>




<牛肉とニンニクの芽炒め>




<麻婆豆腐>




<炒飯と棒棒鶏>




<エンドウと蓮と鶏の生姜煮・菜の花の味噌汁・ビンチョウの御造り・豆御飯>




<桜海老の掻揚げ・大根の金平・鶏のつみれ汁>




<ともひろに貰ったシイタケのグラッセ>




<罰当たりな連中が捨てたワラビの炒め煮>




<誰もいない残照のアスパラベーコン>




こうして振り返ると、じっくりフレンチをやっている
時間が随分と減ったなぁと感じます。
我が家は「スピード」提供が命ですからね。  

Posted by アーバンギア at 16:43Comments(3)あれこれ

2015年02月13日

吹雪

今日は杉尾「子の神社」の春祭りでした。
本気の祭りです。
都会の皆さんのイメージする祭りとは乖離する、
昔ながらの神事です。

まぁそれは滞りなく終わったので由とします。

それより現在「吹雪」です。
リアルに困ります。
息子さんを迎えに下界に降ります。

家内は先ほど帰ってきたばかりですが、
今から下山します。私は、すっかり呑んでしまったので。

神様を祭るにも中々大変です。
神様が休日や祝日を決めたわけではないので、
平民の我々が、自分の都合で祝典の日程を決める
訳にはいかないのです。
しかし、私が住んでいる「過疎地」では、その
祭典を担う人が「ほぼ」いなくなっています。

私が神様なら「大勢の」氏子が集まってくれる方が、
断然「嬉しい」し「楽しい」です。
年に2回しかない「ご対面」ですからね。
なるべく大勢の「ゆかりある」人達の手で
祭りを盛大に行いたいと思うのです。

そうなってくると、何が何でも「この日」だって
いうと、平民は中々困ったりします。
う~ん難しい問題です。

過疎地ってのは祭りだけが問題な訳じゃないです。
様々な問題が「山積」でございます。
病気や怪我は「生死」に関わります。
この村には年寄りの単世帯もあります。
どーします?!!

停電になっただけでも大騒ぎです。
ケガや病気になれば、誰を頼ります?!
やはり「助け合い」だけが頼りです。
どれだけ行政が頑張ったところで、過疎地にまで
市民サービスが満遍なく浸透する事は在り得ません。

やはり最後に頼りになるのは「人情」なのです。
国を図るのは大切ですが、その国に「誰」が
住んで、生きているのかってことが大切なんです。
その人が住んで生きている国の「政」が
それらを象徴しているんです。

私は日本人で良かったと思っています。
次に生まれてくるときも日本人が良いです。

そう、子供たちも思うような親でありたい。
そう思う環境を整備する責任を担っていると
感じる日でした。

PS:あんまり寒くて、流石にビールが美味くなかったです(笑)


  

Posted by アーバンギア at 15:22Comments(3)あれこれ

2015年02月12日

建築士

今日は3年ぶりの建築士定期講習。

カナリ疑問を感じる制度です。
絶対に必要ないです。
姉歯が、やらかしたせいで、一気に
行政に「つけこまれた」感じですね。

大変な金が動きます。

ダボダボに太った、メタボ天下りや
独法を食わせる「餌」を捻出するには
建築業界は打ってつけなんでしょう。
インテリは素直で意気地がありませんから。

おーなんだか久し振りに記事を書けば、
相当に毒ずいて、それ言っちゃってい~んですかっ?!
じゃありませんか(笑)


リハビリです(笑)  

Posted by アーバンギア at 21:22Comments(2)建築

2015年02月11日

書簡

昨日、実に久しぶりに手紙を書きました。
ayuさんにです。

ayuさんから手紙を頂いていたのですが、
中々考えがまとまらず、お返事を出せずにいました。

数日前に久しぶりにブログ記事を投稿しました。
そのままブログを続けるつもりはありませんでした。
しかし、何かしら書かなければという「強迫観念」
に囚われていたことは事実です。

ブログを休みますと宣言してから、アクセスランキングは
若干落ちましたが、それでも上位に入ったまま。
毎日、私のブログが「どうなったのか」気になって
訪問をして頂いている証拠です。
これならばアフェリエイトで食っていけそうです(笑)

「何か書いて、期待に応えなきゃ」
そう思えば思うほど、手が痺れ、何もアイデアが
浮かんできませんでした。
ブログを休んでいる間は設計コンペに取組んでいました。
とても集中できて楽しかったです。
現在は出来上がったプランをプレゼンテーションに
まとめている最中です。

本当のところ楽しめたと言うには程遠い作業でした。
めまいと痺れ、酷い偏頭痛に悩まされながらでした。
引きこもった感情で家族を困らせました。
特に家内は不安な気持ちで一杯だったと思います。
ここのところ仕事も上手く行かず、先行きの不安で
家内自身も固くなっている様子でした。

私は建築家です。
建築を模索している時だけは全くの無心になれます。
ここだけは自分でも不思議でなりません。
腹も減りません。
まぁ酒だけは呑みたくなりますが(笑)

大勢の方に「ブログをやってください」と励ましの
メッセージを頂戴しましたが、正直、全く書く気に
なれませんでした。それが家内が、ある日、私に
「ブログを読み返してみたんだよ、良い父親だね」
と電話をしてきたんです。
そして「また書いてよ」とも言いました。初めてです。
家内は私のブログを読んでいないと思っていたので、
記事の感想を聞いたのは「クレーム」以外では初めてでした。
自然と書く気が起こりました。

そんな訳で、またブログを「連載」致します。
折角の機会だから「アメブロ」に引っ越そうと思った
のですが(笑)今まで気に掛けて下さった方に、
これまで通りに読んでいただけるように、継続の
形をとることにしました。
ああアメブロ...

元々「商売」のために始めたブログでしたから、
これからは、もう少し建築の事、普段の仕事の事を
紹介して、少しでも商いに繋がるよう、努めたいとも
考えています。そんな所も応援して頂きたいと思います。
当面の目標は「はぴままカフェ2」を超えるアクセスを
ゲットすることでしょうか(笑)

ブログを再開する宣言をしたのには理由があります。

家内は、アトリエの営業を担当していますが、基本的には
電話営業です。電話を掛ける先は商業施設がメインです。
一昨日です。
隣の部屋で一生懸命に、アトリエの紹介をしていた声が
小さく私の耳に入ってきました。
私が部屋に入ると「のぶちゃん喜べ!教会建替えるって!」
と子供のように家内が言いました。

家内は無信心で、キリスト教もキリストも何も知りません。
私が洗礼を受けたことは知っていても「どの宗派」の
洗礼を受けたなんてお構い無しです(笑)
数ある教会の電話番号を調べまくって、そこに片っ端から
電話をしていたのです。
なぜ?
私には分かっていました。黙っていました。

それが昨日です。
家内が、ずっと大切にしてきた「見込み客」に袖にされたとき。
私は、光明が見えても、それにすがって仕事をしないよう、
少しだけ仕事の「いろは」を教えました。同じ時、
教会のことやキリスト教の宗派についても少しだけ話しました。
すると家内は「商売にならなくても良いかなと思って」。
「教会の設計出来たら、のぶちゃん喜ぶかなと思って」と
言いました。私は「知ってる」とだけ言いました。

私は、建築家になろうと決意した時に「建築で一儲けしよう」
とは「微塵も」考えませんでした。事実です。
効率的だとか、金になるとかの発想は少しも持っていませんでした。
軽井沢にある内村鑑三記念堂。石の教会を見て、自分も
「思想を形にした建築」を自分の手で作らなければと
思ったのです。決して「作りたい」では、ありませんでした。
何か「責任」のようなものを感じました。
以降、私の建築は基本的には「住宅」であっても「店舗」で
あっても「思想を形にした」というスタンスに変わりがありません。

金が無ければ生活は出来ません。
人は現実主義と理想主義をバランスよく持っていなければ
生きてゆくことは出来ません。
しかし、私には現実主義という発想は全く無いのです。
この女でなければ俺の女房は務まらんなと思うこと、しばしば。
これは障害なのかもしれません。
しかし、順応ということが出来ない魂は必要の無い魂だとは、
やはり思えないのです。
私にしか出来ない「業」。

家内が、それを理解しているかどうかは、分かりません。
ただ家内は、私が理解しているであろう事を知っているようです。

昨日、投函した手紙には、大した内容が書かれている
訳ではありません。書簡に「所感」をしたためた。駄洒落です。

昨日、雪を掻き分けると「蕗の薹」が出ていました。
もう春になります。


  

Posted by アーバンギア at 10:17Comments(4)あれこれ

2015年02月10日

直視

現実を見る。

大それたものじゃない。
目の前にあるものを真っ直ぐに見る。
感じたままに受け取る。
歪めない。

それが現実。
次がある。
すがらない。

それは、見た景色。
誰にも同じに映る景色。

さあ次だ!!  

Posted by アーバンギア at 22:36Comments(1)あれこれ

2015年02月09日

僕のブログ

少し自分のブログをアーカイブしてみた。

自画自賛で恥ずかしいのだが。
「価値」のある記事だと思った。

それが感想だ。  

Posted by アーバンギア at 15:43Comments(4)あれこれ