2018年12月31日

ありがとうございました。

大晦日の今日。本当に思ったこと。
「俺は本当に良い友達に恵まれている」
「俺は本当に良い家族と一緒に暮らしている」
「本当に善意に支えられている」と感じたんです。
嘘じゃありません。
つくづくそう思いました。
ありがとうございます。今年も沢山の善意に支えられまいた。
きっと来年も変わらないんだと思います。
私も、ひとつでも多く、善意に報いられるよう頑張ります。
全部、分かっています。ちゃんと感じています。
皆さんの温かい気持ち。気配り。恐縮です。
家族全員で感謝しています。みんな、お蔭様で元気に
一年過ごせました。必ず元気にお礼を言わせて頂きます。
世界中の人々が誰一人、悲しまない、怯えないで
新しい年が迎えられるよう祈ります。全身全霊で祈ります。
皆さんも誰か「たった一人」の幸せを祈って、今日の
眠りについてください。誰かを慮って、皆で幸せになりましょう。
ありがとうございました。





次女の特技の御蔭で先ほど「おかざり」も交換して
家族全員で仏壇にも神棚にもお礼を言うことが出来ました。
奇跡の大晦日です(笑)

  

Posted by アーバンギア at 21:29Comments(0)あれこれ

2018年12月30日

浴室 中折れドア ガラス交換

まだやってますよ(T-T)


怪我の方は軽傷で、なんだかテニス肘みたいな感じです。
動けます。
最近になって不動産がらみの問い合わせを頂いたので、
物件を漁りまくっているという。時間がああああああああ(T-T)

で、まだ大掃除に取り掛かれず。
家の補修が多くて...もうずっと、ほったらかしにしていた
壊れたところや不具合を一気に直そうという。
今年の初め、娘が風呂で転倒してガラスに突っ込んで
死に掛けたのですが。そのとき割れたガラスは入れずに、
なんとゴミ袋をテープで張っただけで由としていたんですよ。
ここまでガラス屋に来てもらうと大変な金額ですしね。

50年近くも前の家なので風呂のドアが、ガラスっていうね。
ポリカに換えようと思ってました。自分で。甘かったですね。
ガラスを挟み込むゴムのことをグレイジングチャンネルとか
グレイジングビードって言うんですけどね。無いですね。
今時は、全部チャンネルしか置いてないっていうガラス屋ばっか。

計測が甘かったのでサイズも間違えていたしね。コーキングで
留めようかとも思いましたが、やっぱ後々を考えるとゴムでね。
で、チャンネルで良いやと思ったんですが、カビたりしたときに
交換することを考えると、やっぱビードだよねって。
サイズが合わないチャンネルは、ゴミになってしまったしね。
一番ガッカリしたのは昨日、行ったガラス屋。

「ビード」が有るっていうから30キロも飛ばして夕方滑り込みで
買いに行ったのに、そこに在ったのは「チャンネル」。
それも5mに切ってしまってある。いらないって思ったけど、
切っちゃったんだから買って帰ると言いました。
で、いくら置いてけば良い?と尋ねると「m、300円だから」
「1620円です」って。しっかり消費税も入れて(しかも速攻で暗算)
私は、そんな馬鹿たけー訳ねーだろ?!と目を見開きましたが、
まぁせこいガラス屋が良い正月休みを迎えられるように、
「助かりました」と礼を言って金を払いました。もちろんゴミ代金です。

本日、楽天でm当たり58円で「そんなの無い」と言われた、
グレイジングビードが、あっさりと購入できました。しかも休みは
3日までなので4日には発送していただけると。大概のガラス屋は
7日から仕事初めですよね。

明日は襖の紙を一部だけ替えますかね。全部やったら大変な
金額なのでね。壊れた建具も補修します。完成はしないでしょうけど。
今日は居間で使っている一枚板のテーブルにサンダー掛けして
少しだけ表面を新しくして蜜蝋を塗りました。珍しく次男がやって
くれました。会社を辞めるそうです。春から服飾専門学校に
行くつもりです。東京。寂しいですね。一気に男の子達が三人
いなくなります。引っ越そうかな。

明日は夕方、「捨て値」になったおせちの材料を買ってこようと
思っています。相変わらずの、ドタバタな年末です。

  

Posted by アーバンギア at 21:41Comments(0)あれこれ

2018年12月27日

最悪

最悪だ。脚立から落ちた。まともな場所に
落下できなかった。右腕、打撲だ(T-T)
ここに来て...
じじいは傾きに対処でいないようだな。
  

Posted by アーバンギア at 18:54Comments(3)あれこれ

2018年12月22日

腰痛

激痛状態です。
歩くのもやっとです。  

Posted by アーバンギア at 22:26Comments(0)あれこれ

2018年12月20日

疲れました

凄く凄く疲れています。倦怠感と痛みですね。

頑張りますが...  

Posted by アーバンギア at 21:11Comments(0)あれこれ

2018年12月19日

クローゼット作り

実はですね、ここ数日「リフォーム」してます。


自分ちです。我が家は押入れは沢山有るのですが、いわゆる
納戸っていうかクローゼットが無いんですよ。洋服や靴が、しまえない。
9人家族ですから物凄い服や靴です。私は2階で寝ているのですが、
2階には子供部屋と6畳の和室があるんです。その6畳の和室は、
とても寝室として計画されたとは思えない「馬鹿馬鹿しい」意匠でして。
ぐるっと回り廊下が付けて有るんです。いらねー!!
押入れの襖を含めて「四方」全部が建具なんですよ(笑)何も出来ねー!!
殿様かっ?!

タンスを立てかける場所も無いですし。その回り廊下には靴だの、訳の
分からないビニールに入った「何か」だのぎっしりと散乱していました。
もう転居してから間もなくですよ。私は「ゴミ」になったような気分で
毎日寝ていた訳です。本職の家なんて、そんなもんです。

で、その廊下を間仕切りで塞いでクローゼットにしてしまうというアイデアは
大分前から有ったんですけど、なんにしても面倒で。やる気になれなかった
訳ですが。なぜか一念発起やるきになって。あげく脱臼までするという。
本日現在で、なんとか8割がた作業は終わりました。連続して作業すれば、
もっと早く出来上がったんでしょうけどね。忙しくてね。頭痛いし。
明日辺りで終わりにしたいのですが...

まぁそんな感じです。  

Posted by アーバンギア at 21:01Comments(0)あれこれ建築

2018年12月18日

自力で整復

整形外科に掛かりました。


でも思ったとおり、何もしてくれませんでした。
レントゲンとって、骨には異常ないですよって、あんた!!
俺は骨折なんてしてないって言ってんだろ?!

塗り薬、出しときますって言うから
「あの、死ぬほど痛いんですけど」って言ったら、
「じゃあ治療の方もやっときますか」ってさあ。
行ったことの有る医者だから、その一言でガッカリ。
なんだか変てこな電気マッサージ、そう家庭用の肩こり治す
あれと一緒のやつを10分。そんで電気風呂みたいな「桶」に
手を入れたのが10分。マッサージって言ってたのが、薬を
豆粒くらい塗り広げて、手を握っていたのが3分。
どんだけ「商売」すんだよ?!って感じ。

待合室で待っている間に自分で関節を入れて、なんとか
少し動くようにしました。亜脱臼だと思います。
私は人のなら入れて上げられるので。自分でも肩の脱臼でも
なければ直せます。

馬鹿やろーっ!!

  

Posted by アーバンギア at 20:06Comments(0)あれこれ

2018年12月17日

脱臼

右手首「亜脱臼」のようです。
いたあああああああいいいいいいいいい(T-T)  

Posted by アーバンギア at 22:27Comments(1)あれこれ

2018年12月16日

大学で学ぶ意味

久々に腹のそこから憤っています。


あちこちの大学の医学部で「不正入試」や「不適正な選抜」が
受験に際し行なわれたことがニュースになっています。
このニュースを最初に聞いたときには正直、落胆しました。
しかし、この「差別」的な選抜は、どこでも行なわれているという
噂は聞いていましたし、本音を言えば合理性もあると思っています。
許せないのは、どうどうと「差別します」と募集要項に書かないで、
秘密裏に行なったことなんです。酷い学校では卒業生の子供、
つまり「医者の家柄」の子供は優遇して合格させますという実態まで
明らかになっています。これでは裏口入学と同じです。

当初、東京医科大学で明るみに出て問題になりました。各大学
医学部に質問を行なったところ、当大学では、そういった事は
行なっていないと回答が出揃いました。ですが現時点で7大学も
嘘がばれました。もっと沢山行なっているはずです。
入試選抜において性別や多浪受験生について差別をして不利に
扱った大学は明るみになただけで10大学。9大学は私立大学
なのだが、信じられないことに国立の神戸大学まで優遇措置を
採っていたということが明るみになった。

でも私は医学部の場合、専攻する診療科目によっては男女の
性別による適正が分かれるのも事実であろうし、定員については
性別で変化が有るのは止む終えない気もする。ただ、そういった
「感覚」だけの裁量を行なうのであれば私立大学だけに止めるべき
だと思う。国立大学が、それを行なうのは公平性に著しく欠けると
思うのだ。本来、私立だろうが国立だろうが平等に審査されない
ことは民主主義国家において在ってはならない事であるはずだ。

そして今日、本当に憤慨しているのは、それ以上に許し難い
差別によって、医者への道を断念した女性の過去を知ったからだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181215-00000027-mai-life

この女性は52歳のときに「思い立って」医学部を受験した。
三度目の挑戦の時も不合格だったのだが、開示された成績は
合格者の平均点を越えていた。疑問に思った女性は大学に
不合格の理由を問い合わせた。信じられないことに「年齢」のせいで
不合格になったと伝えられた。今から13年前。55歳で医学部に
合格できる点を取ったことも賞賛に値するが、よくぞ50歳を過ぎて
から医者を目指そうと思い立ったものだと感心してしまう。
素晴らしい志ではないだろうか。

さらに驚いたことに群馬大学の正式な不合格の理由は、いつの間にか
「面接で著しい不良があった」ことにされてしまっていた。在り得ない。
面接で落ちるやつなんているはずがない。結局、女性は裁判まで
起こしたが、司法も長いものには巻かれろの姿勢は崩さなかった。
控訴は棄却されてしまった。ブラックボックス。伏魔殿。

大学は義務教育や高等学校と違って、真に学びの場だと誰もが
思っているのではないだろうか。その学びの最高学府で学ぼうと
するものを偏見や主観で差別するなどとは、人間の尊厳を根底から
侮辱する行為だと思うのだ。自分自身も下卑た人間に成り下がる
という行為だと私は思うのだ。

非常に不安だ。長男は三浪で間もなく受験だ。医学部ではないが、
多浪受験生で差別をされやしないだろうか。1点のところに何人の
受験生がいると思っているのだろう。上位合格者と最低点での合格者
との点差は思ったよりも少ない。受からないには理由が有る。
しかし、それでも諦めずに挑戦する「魂」には加点されることは有っても
減点されることは有ってはならないはずである。

長くひととこにいるということは様々良くないことばかりなのだろうか。

  

Posted by アーバンギア at 19:09Comments(0)あれこれ

2018年12月15日

和声16歳

12月15日の今日、長女が16歳になりました。


あっという間だったな。山に越してきて間もなく9年になる。
娘は山の暮らしの方が長くなる訳だ。でも、あと2年もしたら
この山を出て行く。私たちも、いつまでも山にいる訳でもない。
また別の田舎に移るのか、それとも都会に暮らすのか。
分からない。先のことは分からない。

今日は娘は「部活」だ。それも午前中だけなのだが、午後からは
「友達」と遊ぶそうで、着替えを持って出掛けて行った。
朝起きて直ぐに娘に「誕生日おめでとう、愛しているよ」と言った。
娘は寝ぼけ眼で「ありがとう」とだけ、やっと言った。
今晩は山の忘年会なるものが催される。私は役員なので支度
から参加する。娘を迎えに行くのは次男の仕事になりそうだ。
運転が心配だ。

例年、娘とは2人で食事に出掛けたり、プレゼントを買いに行ったり
するのだが、とうとう今年は、バースデーケーキすらない。
寂しいものだ。6日は次男の誕生日だったが、息子は夜勤で
家にいなかった。これもバースデーケーキは無しだ。寂しい。
これが普通なんだろう。

今日は日曜大工をやった。土曜なのだが。
納まりきらなくなった靴や服を何とか片付けたいのだが、タンスを
置く場所すら、この家には無い。昔の田舎の家は建具で
仕切られていて、壁というものが無い。収納も非常に少ない。
押入れが、いくつもあっても旅館じゃ有るまいしと思わずにいられない。
正直、独りで片付けや掃除をして、道具を出してなんて出来ない。
そこへ持ってきて建材が足りなくなってしまって。腰も膝も悲鳴を
上げ始めたので、今日は一旦中止だ。

間仕切りを作って、クローゼットを作る計画だ。なんにしても借家だ。
出て行くときに簡単に元に戻せるような「とんち」の利いたアイデアで、
マジかよ?!ってなクローゼットになる予定だ。
片付けば大掃除のし甲斐が有るってものだ。
それくらいしか、やることがないのである。



  

Posted by アーバンギア at 14:33Comments(4)子育て

2018年12月14日

GeForceとQuadro

なんのこっちゃ、さっぱりな方が殆どでしょうな。


パソコンを電気屋で買ってきて、そのまま使っている方には、
ほぼほぼ無縁な心配事。私のように仕事でPCを使う方の中でも
グラフィックデザイナーやCADデザイナー、動画編集などを
行なう方ならば、少しは気になる「グラフィックボード」のことです。

PCで狂ったようにゲームをやりたい方もグラボには拘りますね。
ゲームソフトが新しくなるたびにグラボも性能アップしますね。
デッカイ画面でグルングルン回しながらゲームをやるには、相当に
性能の良いグラボが必要になります。

私たちのような設計したものを「モデリング」して「レンダリング」
する必要が有る場合にも物凄く性能の良いグラボが必要になります。
って、なんのこっちゃ?!な言葉が炸裂ですな(笑)
まぁ触れないでおきましょう。
で、優秀なグラボは、やっぱり熱を出しますし、そもそも高負荷が
掛かるので電気も沢山食うんです。だからPCの電源も気にします。
性能の高いグラボを付けたは良いが、電気が入らない、立ち上がら
ないなんてことになってしまうんです。

で、ゲームをやりたい人には、GeForceってグラボが向いているんです。
なぜかって言うと、大概のゲームは「Direct X」ってので動くんですよ。
でもCADの場合は「Open GL」ってので動くんです。で、画像加工や
グラフィックソフト、それにCGなんかを作るには滑らかに描画してくれる
グラボが欲しいので、その場合は「Quadro」ってグラボを使うんです。
QuadroもDirect Xを動かせますし、高性能なGeForceならCADも
動かせます。まぁでもやはり相性ってのが有りますね。

PC新しくしなきゃならないんですけど、理想を言い出せば、金が
掛かりすぎて、そんな儲かる商売でもないのにってなるしね。
まぁでも色々組み合わせを考えていると気が狂いそうになるっていうね。
今日の記事は、自問自答、心の叫びってとこですかね。
このブログ読んでいる人で、この記事の意味って言うか「葛藤」を
理解できる人はいないでしょうね(T-T)

  

Posted by アーバンギア at 23:26Comments(0)あれこれ

2018年12月13日

水彩の表現

絵を描こうかなとかって。


私、絵を描くことが好きでした。得意なんでしょうけど、別にそういった
ことを、ひけらかすとかってことでもなく、兎に角「絵」を描いているのが
好きでした。っていうか、絵を描いていられました。

私は昭和の38年生まれ。55歳です。昔は今みたいに刺激的な遊びも
無ければ、分刻みで行動しなければならないほど忙しくもありませんでした。
今の子供たちは可哀想ですね。本当に気の毒な「目」で見つめてしまいます。
全部、大人のせいですね。教師は真剣に考えるべきです。

さて、めんこに缶蹴り、かくれぼ、駒回しに凧揚げ、虫取りに魚とり、釣り、
遊びは色々ありましたが、私は友達と上手に遊べませんでした。
プラモデルを作るのが好きでしたが、金が掛かります。絵を描くにも
画用紙が無ければ描けないってのが普通ですが、昔は、そんなつまらない
言い訳すら思いつきませんでしたね。新聞に入ってくる広告の裏が空いていれば、
それは宝物でしたよ。なぜか日曜日に沢山入ってくるんです。出来るだけ
「くそ紙」が有り難かったですね。デパートの広告は、艶々でつるつるしていて
鉛筆で描けないので、真っ白でも「なんだよ」な感じでした。

紙が無ければ近所の屋根屋の瓦を「かっぱらって」来て、それを叩き割って
そこらへんのコンクリートの基礎なんかに絵を描いていました。
あと砂に指で描いたりしてました。意外にも物凄く素敵な絵が描けて、
なんとか、それを取っておけないものかとムキニなったことが何度も
ありました。(笑)良い思い出です。

私は最近の中学校や高校の部活を「いぶかしく」見ています。
なんで、あんなに「道具」に金が掛かるんでしょうか。なんで中学生なんかに
お揃いのユニフォームだのジャージだのTシャツだの、プロ顔負けの道具など
必要なんでしょうか。親も馬鹿みたいです。これも少子化のせいでしょうね。

ブラジルのサッカー選手なんて、ほぼほぼ「乞食」みたいな暮らしからでも
レアルマドリードにスカウトされますよ。日本人の弱さは、そこですね。
さて、私は絵のことを誰かに教わったことも無ければ、書物を読んで覚えたことも
「ただの一度」だってありません。名画は沢山見ました。
でも描き方を聞いたことは無いんです。必要が無かったので。誰かの真似を
したいと思わなかったからでしょうね。昔、昔は絵の具は4色くらいしか有りません
でした。ミケランジェロだって、そうやって絵を描きました。

私は沢山の色が入った絵の具を持っています。でも使う色は限られていて、
買うときには、うわ~綺麗だなぁとかって色数が多い絵の具にロックオン状態に
なってしまうのですが(笑)結局、自分で混ぜて色を作っていますね。
絵の具を出すのが面倒ですし、気に入った色は結局「作る」しかないのでね。

私は水彩画が好きです。油彩よりも扱いが簡単なのが良いです。そして何より、
その技法や「発色」が他の絵の具では表現出来ない「自然な表情」を作って
くれるからです。水彩画でも軽くならず、とてもゴージャスな表現も可能です。
そんな「時間」を掛けた絵を描いてみたいと最近は思うようになりました。
ああ描きたい(笑)

水彩画は誰にでも、とっつきやすい絵です。ただ「マスキング」だけは抵抗が有る
テクニックなのだ。どうしても筆で一発勝負したいと思ってしまう。なんとなく「姑息」な
手段に思えてならない。でも精密な描画をするには、どうしても必要な手段なのだろう。
次に描く絵では、マスキングを行おうかと考えている。でもどうなのだろう。
綺麗に「抜けた」生地を見て、しめしめと思っている自分は、なんだかダサイ気がする。

普通の絵描きは、そんなこと考えないのだろうか。
私は設計でも、そういった「どうでも良い」ことを死にそうな表情で考えていたりする
時がある。仕方が無いのである。そういう人間なのだから。


  

Posted by アーバンギア at 19:44Comments(0)あれこれ

2018年12月12日

薪ストーブのある家

やっと冬らしくなりましたね。


私の設計した琵琶湖の家を住宅インテリア総合雑誌の
「チルチンびと」に取り上げていただきました。薪ストーブの
特集号です。施主は、大津市だけでなく近郊でも有名な
パン職人の方なのですが、その奥様も玄人はだしの料理の
腕前で巻頭から紙面を華やかに飾っておられます。
なにより私のような無名の建築家の作品を表紙にまで採用して
頂けた事には深い感謝と喜びを感じております。

さて琵琶湖の家の薪ストーブは「新品」ではありません。
ビンテージです。施主が見つけてきて設置したものです。
私は設計の段階でストーブの位置と、防火・防炎・遮熱の
検討をして設計をしただけです。
最近では相当に「薪ストーブ」の設置を希望される方が増えたと
感じております。これもやはり雑誌などで多く取り上げられている
ことが影響していると思います。以前では考えられませんでした。

暖炉を希望される、いわゆる「リッチマン」の方は時々いました。
ですが、やはり「薪」の調達に苦労して、その殆どが「飾り」に
なっている場合が多かったと思います。薪ストーブも付けたは
良いが住宅街では「煙」の苦情で泣く泣く使用を断念して、
やはり「飾り」に成り果てたという話も多く聞きます。

最近では「ペレットストーブ」というものの登場で比較的簡単に
「火の有る暮らし」を手に入れることが出来るようになりました。
安定した燃料と簡易な保存。価格も絶望的なほどには高くありません。
なにより煙突がいらない。排煙の経路の確保が容易だという点も
「初心者」には有り難いですね。

薪ストーブは暖炉と違って「空調」が簡単です。暖炉の場合は、
空気の循環に相当に神経質にならなければなりません。
燃えているところが開放されているので、極端に強力な換気扇
などで排気をしてしまうと暖炉の排煙が出来なくなります。
不完全燃焼も考えられ非常に危険です。そこへ行くと薪ストーブは
密閉されている場合が殆どなので余程のことが無い限り不完全燃焼で
死に掛けるということは無いでしょう。それでも煙突の貫通する構造や
床や壁など専門的な知識がないと安易に設置するれば火災などの
重大な事故に繋がります。自慢では無いですが私は、そこそこ
薪ストーブの知識は蓄積していると思っています。
是非お問い合わせを(笑)

別に、どちらが良いという話では無いんですが。私のような設計を
するものは、やはり「中立」な立場でいるべきだとも思いますし。
ただ。
最近では高断熱・高気密。全館空調などテクノロジーで住環境を
効率よく、また快適に暮らせるようにと「作り手」は発信しています。
ですが、「ローテク」でも快適な暮らしは可能ですし、また気候に有った
暮らし方というものを再度考えてみる必要も有ると私は思っています。

この琵琶湖の家は「滋賀県」に建っています。私は静岡の山の中に
住みながら細々と設計をやっています。新幹線で行けば2時間くらいで
大津市の駅に着きますが、施主は地元の設計事務所に設計を
依頼しないで、わざわざ300kmも離れた「大丈夫なのか?!」な
建築家に設計を依頼しました。きっと運命だったと思います。
施主は雑誌の中でも語っていますが私の書いた1枚のドローイングで
「この人なら自分達の夢を叶えてくれるだろう」と確信したと言っています。
なんとも涙無しでは語れない、有り難いお言葉です(笑)

でも私も感じました。電話でご要望を伺ったときに、この人には、こういう
暮らし方が似合うだろうなと。ドローイングには薪ストーブも描きましたが、
植物も描き入れました。掲載された雑誌の近況を物語る写真には、
いみじくも至る所にドライフラワーや観葉植物が配されており、出会いから
3年以上が経って、自分の想像が微塵も狂っていなかったことに喜びを
感じ、安堵しながらページを何度も行ったり来たりしながら眺めています。

間もなく琵琶湖の家にも白い冬がやってきます。その姿も相当に
フォトジェニックなのですが、早春の頃、また突然尋ねて行ってみたいと
密かに画策している私は、やはり確信犯なんだと自覚している建築家なのです。



書店で発売中です。是非お手にとって御覧ください。



  

Posted by アーバンギア at 21:56Comments(3)建築

2018年12月10日

いろとりどりの親子

ご紹介したい映画があります。


きっと静岡では見られないと思っていたのですが。
やります。たったの2週間だけ。
最近、電動車椅子で酒の試飲をしようとした障害者の方が
車椅子を理由に断られたことが元で、プチ炎上騒ぎに
なりました。もう世間では忘れ去られています。
私は電動車いすに限らず、やはり大勢の人がいるところで
車椅子を一人で操作しなければならないのなら、飲酒は
控えた方が良いと思います。その意見をSNSで発信しましたら、
物凄い勢いで「なじられ」ました(笑)

多くの意見が有ると思います。それで良いです。
身体障害者だけに関わらず、世の中には様々なハンデを
負った方が大勢います。そういった方は決してマイノリティでは
無いんだと思うんです。では圧倒的なマジョリティは誰なんでしょう。
私達は自分たちのことを「まとも」だと思い込んでいます。
で、「まともじゃない」と思い込んでいる方が存在する訳ですが、
その「まともじゃない」と思い込んでいる方は自らのことを
「少数派」または「弱者」だと同時に思い込んでいる場合が
圧倒的です。確かにそうだと思います。特に日本では身体障害、
精神障害、性同一障害など、非常に暮らしにくい環境です。

世の中に「区別」、つまり「垣根」が無くなれば本当に暮らし易い
と思います。では、なぜ壁は無くならないのでしょう。分かりません。
そんなことを考えるのに、ひとつの機会になるのではないかと思う
映画がやってきます。私は冬休み、クリスマス前に希望する
子供と一緒に見に行こうと思っています。お勧めします。

「いろとりどりの親子」

http://www.cine-gallery.jp/cinema/2018/06/irotoridorinooyako.html

  

Posted by アーバンギア at 21:35Comments(0)あれこれ

2018年12月08日

空間図形

中学生、高校生の皆さん、その親御さん向けに書きます。


夕べ、ほんの少しだけ娘の数学を解説しました。
図形の問題でした。証明をするんです。
私も古い話なので、もう忘れています。ただ、仕事で図形とは
未だに付き合いがありますので、なんとなくですが、参考に
なるような話をしました。

証明は簡単です。理屈が分かれば。何かを証明するには
「条件」が必要なのですが、その条件は意外に少ないです。
学校で習う程度の条件であれば、知り合いの名前を覚える
よりも遥かに少ない数しかありません。また理屈を知れば、
その条件も「当たり前」なことばかりです。

私は大変に数学が苦手でした。好きでしたが、中々思うように
テストでは点が取れませんでした。いや、いわゆる中間テスト、
期末テストという「定期テスト」で点が取れませんでした。
しかし当時は出文という出版社が出している統一テストでは、
満点近くが取れました。ひとつに「時間」の問題でした。
統一テストでは出題範囲が広いために、じっくりと学習しない、
つまり定着度が低い子供では点が取れません。

定期テストでは範囲が狭いために、記憶力が良い、また要領の
良い子供は高得点が取れる傾向にあります。その御蔭で
通信簿は良いですね。統一テストは成績に反映されることは
凡そ有りません。でも受験に置いても、また「その後の人生」に
置いても、「出来るようになっている」または「理解している」、
そして「思考力」が身についてることが最も大切なことなんです。

私は、発達障害でアスペルガーなので、思考する事に時間が
掛かります。また「普通の人」が気にならないようなことにも
一度執着してしまうと納得するまで先に進むことが出来ません。
我が子も概ね、そういった傾向があります。従って勉強をする
ときに「一般的な」というメソッドで行うことをさせません。
そもそも「一般的」なる定義について私は懐疑的です。

まず数学は当然のことながら他の科目でも勉強するときには、
メモ用の「紙」を必ず用意するように言います。子供たちは
面倒がって、それを中々しません。反抗期も手伝って、私が口を
挟むことを快く思っていないのでしょう。長男に質問して解説を
「聞いただけ」で納得がいけば、それで由としてしまいます。
これでは学校の「一斉授業」「塾での勉強」となんら変わりありません。
いくら何時間も掛けて勉強しても理解したものは定着しません。

中学校や高等学校で習う学問は正直、学校に行かなくても
独学で身につけることが出来ます。まぁ高校で習う高等数学や
物理は厳しいですけどね。それでも書物があれば相当に理解する
ことが出来るようになっています。学校に通うということは
「問題提起」を受け取ることと同じなのです。誰が問題を投げかけて
くるのか、それは教師ではなく「自分自身」なのです。
自分の心の声を、しっかりと受け止めて「自分の為に」思考する
ことが学習であり、学問の礎であると私は考えています。

さて、皆さんは「分からない」というより「なんでだ?」と考えたことは
ありませんか?学校で先生が教科書を使って「教えて」くれます。
数学や英語、他の科目でも「なぜ?」と感じたことは有りませんか?
先生は「質問は有りますか?」と尋ねることが頻繁にありますが、
凡そ生徒は手を上げて質問しません。別に聞かなくても良いやとか、
そもそも話を聞いていないとか、「話を全く理解できていない」などの
理由が有るでしょう。ほぼほぼ無いだろう理由は「理解できた」からです。

もしも全員が理解しているならテストは全員、満点です。無いです。
教える側も全員に理解させようという「気迫」が足りていません。
物事を「掻い摘んで」教えるということは出来ないに等しいのです。
「理屈」が非常に大切です。夕べ娘に解説した問題は、ある立体に
「補助線」を入れて、それが指定された辺に垂直に交わっていることを
証明する問題でした。私は娘に「紙」を持ってくるように言いましたが、
娘は例によって面倒がって持って来ようとしません。

私は立体物を考えるときは必ず紙を持ってきて「展開図」を書く様に
すると、簡単に分かるよと言って、自分で紙を持ってきました。
問題にあった図形は、こんな感じのものです。



頂点のAから底面に向かって垂直に線を引いて、その点から
辺BCに向かって書いた線は辺BCと直角に交わっていることを
証明する問題です。この図形を見ただけで一瞬でピンと来る人は天才です。
それか、相当に図形の問題に取り組んだ熟練です。極々平均的な
人であれば、「見た目」でなんとなく垂直になっていると考えて、
さてそれでは、どういう理屈が成り立つのかと考えるものです。
私は「一目瞭然」にすることが初歩の数学的思考には必要不可欠だと
考えています。

この三角すいには寸法は与えられていません。ここもポイントです。
三角すいの成り立ちを理屈ではなく「ビジュアル」で理解しているか、
どうかが問題を速く解くことができる鍵になります。この三角すいを
展開してみると、



共有している辺の長さが一緒でなければ形が成り立たないことが
分かります。最初から「三垂線の定理」だとかってことを頭に浮かべ
ないで、描かれた図から考えてみるのです。この場合、頂点Aから
作図した垂線から辺BCのどの位置にも線を書くことが出来ますが、
辺BCと線分HPが直角に交わることが出来る位置は「たったの一箇所」
しかないことが分かるだけで「発見」なのです。このような絶対的な
条件を見つけて、それを証明の条件として行く行程を理解することが
後々の応用に生かされてゆくのです。

三垂線の定理や外心などの言葉を覚えるよりも、その成り立ちを知ることが
大切なのです。私達は直角が90°であることに疑問を持ちません。
ですが私は一番最初に直角は90°だと教えられたときに前に進めない
程の疑問を持ちました。質問はしませんでした。する「間」も無かったです。
小学校の先生は、どんどんと授業を進めました。三女も「なんでそれ?!」
というようなことに、いつまでも疑問を持ち、固執し続けます。
実際に直角が90°である理由を説明できる方は少ないのではないでしょうか。

なぜ三角形の内角の和は180°なのでしょうか。なぜ円は360°なのでしょう。
息子に聞いても12で割れるからかなぁと答えました。まぁ正解に近いです。
メソポタミア文明の頃、今のエジプト人やアラビア人のような姿の
シュメール人という人たちが地球が太陽を回る、つまり1日を1度と定めて、
1年が360日だから1周を360°としたのです。だから天文学が基礎になって
60進法を使っていました。時間も360を割ったところから決まりました。

みなさんは考えたことはありませんか?なんで90°?100°で良いジャン!と。
小学校の低学年に地球と太陽の関係を教えるのは大変です。一斉学習では
疑問を無視するようにと指導書に書かれているものも多く有ります。
学習と学問は違います。学習は既に明らかになったことを「習う」ことです。
学問は学習することと「研究」することが一緒になっていると思います。
探求です。考えることです。思考するには「動機」が必要です。それは「疑問」に
他なりません。疑問とは「分からない」です。分からないことを分かるようにする
のではなく「考えてみる」ことが学問なのです。つまり勉強ということは、
考えることなのです。大変な時間が掛かります。既に分かっていることを
ゼロから自身で考察することは「無駄」だとも言えます。ですが新しい発見を
して、さらに前進するには疑問を置き去りにしてはならないのです。

なんでも「そこそこ」出来る人材は便利な存在です。しかし特化した疑問に
固執できる人材は非常に稀な存在であり、未来を切り開く根源的存在です。
学校では、どんどん授業が進んで行きます。部活も有ります。他にも
沢山時間を使って「体力」を使って、やらなければならないことが多く有ります。
誰でも優等生でいたいものです。大概の親御さんは子供が優等生であったらと
願うはずです。しかし本当に学問に執着し、生きることに一途になれる人に
育てるには「すべてを握ろうとする」ことは逆行する指導だと思うのです。

これをやったから、これは捨てざるを得ない。それは必然です。
ただ、みなさんには知っておいて欲しいと思うのです。紙を持ってくる一手間が
既に学問の始まりなんだと。それをする気持ちが明日の自分を成長させるのだと。
  

Posted by アーバンギア at 18:27Comments(1)あれこれ

2018年12月02日

防災訓練

今日は地域の防災訓練の日でした。


のどかに始まり、のどかに進む。
いつもの山の防災訓練。
大分参加者も少なくなりました。

毎年思うこと。
なにも起きなければいい。
平和が、ずっと続けばいい。
炊き出しの手順を覚えるより
平和の尊さを学ぶ機会。

そういう学びの場だって良いんじゃないか。

  

Posted by アーバンギア at 20:48Comments(0)あれこれ

2018年12月01日

デジタルになって変わること

ふと思ったことが有るんですが。


家内が、このブログ内に有る「子供の写真」をコレクションしているんです。
小さな頃の写真ですかね。長男の頃は、まだネガからプリントした写真が
多かったのですが、三男、長女が生まれてからくらいは、コンパクトデジカメ、
携帯電話での撮影なんかが多くなりました。一眼レフもデジタルになった
頃ですかね。

しかしまぁ子供ってのは「良い表情」をしてくれますよね。奇跡のシーンも
数多く納められています。最近では娘達はレンズを向けると顔を背けて
しまいます。絶対にっていう程、写真を撮らせてくれませんね。
なんででしょう。
親にとってみれば子供の一瞬一瞬は全て宝ですよね。写真館なんかで
「作ったポーズ」「作った笑顔」なんかより日常のなんでもない瞬間が
「思い出」になるんですよね。

で、思ったんですが。デジタル画像っていうよりも「データ」ってのは、もう
ほぼほぼ永遠だよなって、今更思ったんですよ。子供たちの「爆笑写真」
なんかを、全く色褪せない状態で子供たちの「子供」や「孫」が見るんだよなぁ~
とかって思ったという。「これ、お前のお婆ちゃんだよ」とかって、私の孫が
私の娘のことを見せて笑ったりしているんだろうなって。
で、もっと想像してみるに500年後くらいに「これが500年前のご先祖様だ」
「地球が滅びる前の平和な様子が分かるよなぁ」なんて子孫が話をしている
のかな?なんてね。で、その写真が、この傑作だったら、みんなどんな顔を
するんだろうとかって考えたら痛快でね。

もしかすると、それを見ているのは生まれ変わった自分達だったりしてね。
九割がた、そんなことなのかもしれません。



  

Posted by アーバンギア at 20:37Comments(0)あれこれ