2016年12月31日

死にました

今朝うちの猫が生涯を全うして天国に帰りました。


かれこれ11年くらい一緒に暮らしました。
変わった猫だった。
気が小さくて。
冬になると私の仕事場のヒーターの傍で一日寝ていた。

私を警戒しているくせに、傍に来る。
餌も私が出したものしか食べない。
従順だった。
朝起きると必ず足元にやってきて、朝ごはんをねだる。
ロシアンブルーは鳴かない。名前を呼ぶと「にゃっ」と
小さく短く返事をする。

うちにきたときから感染症に掛かっていて、医者にも
見離されていた。ずっと鼻水が出て苦しい一生だったな。
もう1週間近く何も食べないで。
3日くらい水も飲めないでいた。
おとといの晩くらいが峠かなと思っていたが。もちこたえた。

今朝、ゆっくりと起きて猫の傍に行くと既に息をしていなかった。
そっと撫でていると息を吹き返した。驚いた。
だが直に息が止まった。すると、また息をした。暫く傍にいて
話しかけた。名前を沢山呼んだ。
最後に水を飲ませてやりたくて割り箸で口元に何滴か水を
落とした。もう死んでしまっている。

苦しい晩年だった。
何度か繰り返し水を口に注ぐと、突然ゴクッと飲んだ。また息を
吹き返した。しかしそれが最後だった。
やはり切ない。
家族に先立たれるのは辛い。
大晦日に我が家の邪気を全て持って犠牲になってくれたように
感じる。ありがとう、キャレロ。
うちの家族でいてくれて。
本当に、ありがとう。


  

Posted by アーバンギア at 19:34Comments(0)あれこれ

2016年12月30日

仕事納め

やろうと思えば、まだまだ仕事できますが。

一応、本日「提案」を出したので、明日は仕事を休んで、
掃除をしたり正月の「お飾り」なんかを作ろうかと思います。

提案は1月1日にクライアントに届きます。
縁起が良いんじゃないでしょうか。
他にも、お待ちいただいているクライアントがいます。
こんな能力の低い設計屋に期待を寄せていただいている
のですから、本当に有り難い事です。

今年も色々ありましたが、それでも幸せな一年を送ることが
出来たと思います。それは兎にも角にもクライアントと家族、
友人の御蔭です。十分な御恩返しが出来なかったと思います。
命がある限り、人の役に立てるよう頑張る所存です。
ありがとうございました。  

Posted by アーバンギア at 18:27Comments(0)あれこれ建築

2016年12月29日

まだやってますよ!!

仕事が終わりません。
明日ひとつ終わる「かも」しれません。
明日の夜には提出しなければ...

でも直ぐに次のが控えています。
間を見て外構計画の提案と進行中の案件の立面図を
書き上げて承認を貰わなければ。まぁ来年だな。
って、あと二日しかないし。

なんか満足な「挨拶」も出来ないで情けないよ(T-T)
今年は喪中だし、年賀状も作らないけどね。
その分、ギリギリまで仕事だ。  

Posted by アーバンギア at 20:59Comments(0)あれこれ建築

2016年12月28日

終わらない

なんか、ずっとだな。いつ終わるんだろう....

もう完璧に嫌になってる....  

Posted by アーバンギア at 20:47Comments(0)建築

2016年12月27日

ドライジョイント工法

私、かれこれ15年は「窯業系サイディング」を実施設計に
入れたことがありません。


なぜなら。「継ぎ目」が、ダサくって、絶対に許せないんですよ。
そもそもコーキングが切れれば漏水の原因にもなりますしね。
で、多くはガルバリュウム鋼板という、まぁ早く言えばトタン、
ペラペラの板っぺらで外装を仕上げていました。
他には板張りだの塗り壁だのですね。
とにかく「継ぎ目」にコーキングが無いものを設計してきました。

特にサイディングには「柄」が入っていますので、一番悲しいのは
「タイル」それも「芋目地」にならない「イギリス積み」や「フランス積み」の
パターンの場合、これは容赦なく垂直にカットされますから、もう
「なんちゃって」の極みなんでございます。

でも最近になって、ついに「コーキング白」の無い施工方法が
考え出されました。正直「やっとかよ!!」という感じでございます。
塗り壁は、コストも大変なものですし、そもそも汚れだのクラックだの
後々面倒な事「必至」でございまして。
できれば十分に採用するに「価値」が見出せるような設計計画でないと、
合わないなぁ~というのが実感でした。ドライジョイント工法は、
確かに釘で打ちつけるよりもコストは上がりますが、基本的には
シームレスでサイディングが貼れるという事は設計者には大変な
福音なんでございます。

そして、これは「日本の建築」にも大きく貢献するのです。
日本の現代建築の「ダサさ」は特筆物で、諸外国の歴史的建築物や
コンテンポラリーな「掘っ立て小屋」にすら負ける程の「美的センス」の
欠落を生み出している張本人が「窯業系サイディング」の普及だと
言っても良いと私は思っております。
町並みが「汚い」ですよ。ガチで。

防火・準防火地域などのように構造や仕様の規定が厳しいところでは、
どうしても「泣く」ことが多かったのですが。
まぁ少しは選択の余地が広がった訳でございます。
とまぁ久しぶり、つまり15年ぶりくらいにサイディングで行こうかなとか、
思っている今日この頃でございます。  

Posted by アーバンギア at 19:42Comments(0)建築

2016年12月26日

娘と息子

違いが幾つか有りますね。


娘たちの方が「続かない」ですね。
一貫性が無いというか、怒ったり笑ったり、つまり
機嫌が「悪い」「良い」ってのが突然やってきたり、変わったり。
まぁこれが「女」の特徴ですね。男は、あんまり態度が
変わらないっていうか、勤めて「冷静」でいようとしますからね。

あと年取りましたね。動悸や目眩が酷くてですね、大きな声を
出したり、暴れようものなら「生死」に関わってきてね。

腹減ったって言うから、一生懸命「寒い台所」で「豚汁」作って
やれば、風呂へ入るって「しぶしぶ」入ったくせいに、歌なんか
いつまでも歌って出てきやしない。ああ...
もう良いから早く飯食って、寝ろよっ!!って感じでございます。
まだ仕事ちう...  

Posted by アーバンギア at 19:43Comments(0)子育て

2016年12月25日

8年ぶりの深夜ラーメン

お兄ちゃん待ちで8年ぶりに
夜中にラーメン屋にいます。

食いたくねえ(T-T)


  

Posted by アーバンギア at 23:16Comments(0)あれこれ子育て

2016年12月24日

Unmerry≠Christmas

メリークリスマス!!のメリーって、どんな意味か知ってますか?


Merryは楽しいって意味です。
ちなみにクリスマスは「クリス」と「マス」がくっついてる訳ですな。
ペンパイナッポーアッポーペンと理屈は一緒です。
クリスはキリストの事ですね。マスはミサですね。
キリストが生まれたことを「厳かに」祝うというより、キリストに
願っている訳ですな。ミサってえのはmassって書くんですよ。

我が家のクリスマスイブ。
毎年「地獄」です。諸々ね。
やっぱ子供が多くて辛いなと感じるのは、クリスマスですね。
家内が間違っちゃってる人なので、もう仕方が無いです。
私は、これでも、れっきとした洗礼を受けたクリスチャンですから、
クリスマスは、とても大切な祝い事の日であります。

しかしなぁ...
腹の底から「メリー!!」って叫びながらクリスマスを祝う心境に
毎年なれんなぁ...イエスには申し訳ないが。
毎年25日の明け方だけ、どうか世界中が幸福に満たされますよう、
その努力を惜しまないことを誓いますと朝日に向って祈ってる次第です。

どうか世界中の人々が、人になって生きていることに喜びが
感じられますよう、渾身の思いで祈ります。  

Posted by アーバンギア at 21:44Comments(0)あれこれ子育て

2016年12月23日

断面図

朝早くから設計図を書いていました。

設計図を書くという事は、即ち「設計」するということを
一般の方は、どれくらい理解しているでしょうか...
きっと設計とプランは別だと思っているんでしょうね。
プランってのは「間取り」と「外観」ですかね。
恐らく普通の方は、間取りを考えて外壁の色や仕上げ材料
位は、ちょちょちょと簡単に考えてくれると思うんでしょうね。
ハァ....

建ぺい率と容積率、それに高さの制限を考えてプランする
なんてのは高校生だってします。
壁の構造に制限が有る場合、認定の工法を採用するなら、
もう「メーカー」まで決めるって事ですよ。
敷地にパンパンなら、足場が掛けられるかとかね。

床のレベルが違う場合、これは、もう構造まで検討して
おかなければ、間取りだけ作っても、実際には建てられない
なんてことが出てきます。断熱材の種類によって天井の
懐も違いますし、屋根の形状や構造も変わってきます。

断面図を書きますが、これは「高さ」を知るためです。
各部分の高さの関係ですね。主に天井の高さです。私は
矩形図と、ほぼ同じくらいの詳細な高さや横架材間の距離が
分かるように断面図には書き込みます。
後々の設計が楽です。根拠がある図面を書いておくことで、
見積もりもリアリティが出ますし、クライアントに説明を細かく
することが出来ます。
でも。
でも、このちゃんとした設計図を「おまけ」「付録」程度にしか
考えていない人が物凄く多いです。

PCの自動設計CADかなんかで、間取りを入力すれば、ポンッと
出てくると思っているようです。そんなもので、建築家が
設計するような設計プランなんて、書けるはず無いのに...
分からんだろうな、仕方が無いか。まぁ仕方が無いんだよな...



窓。画像の歪みではありません。障子の下枠は斜めに
カットしてあるんです。こうすれば枠と障子のクリアランスは
最小に出来ます。ちなみに、この細工は建具屋さんが勝手に
やってくれました。こんな面倒な事を頼めば出来ないと言われるか、
相当に高くつく訳です。やって欲しいのは山々なのですが、
言い出せないっていうね(笑)
私と施主が「華奢な」というキーワードを連発したので、理解して
細工を施してくれたんです。
もし、このブログをお読みの近畿地方の方がいたら、大津市には
「西谷建具」さんという、良い仕事をする建具屋さんが、いることを
覚えておくと良いですよ!  

Posted by アーバンギア at 21:09Comments(3)建築

2016年12月22日

滋賀 琵琶湖の家

今晩は久しぶりに、この時間も設計をやってる。

どうも遅くなりそうだ。
建築家は「かっこのいい家」を作るって言われる。
その通りだと思う。
昔、恩師に「格好は二の次だ、兎に角クレームの出ない家を作れ」と
小言幸兵衛のように言われた。言っている意味は分かった。

私は設計に「順番」は無いと思っている。
沢山のことを教えられたが、先生から離れる「きっかけ」も持っていた。
運命だと思った。
私は、カッコの良い家を作れないものは「建築士」ですら無いと
思っている。それは修練の賜物であり、飯を食う能力だ。
素人では考えられない「まとまり」を持ったものを作れないのであれば、
意匠設計など、やるべきではない。

私は技術者では無い。実際の現場での細かい納まりは設計者と
施工者のタッグが有って、初めて「優良な」建築物に成り得る。
設計者も職人に駄目を出すが、施工者も設計者に駄目を出すなんてのは
日常茶飯事だ。そんなに完璧な建築士なんて滅多には、いない。
50も半ば近くになって、やっと最近「言われる」回数が減った。
言われなくなったのではなく減ったのだ。
一生言われるのだろうか。
これは自分が挑戦し続ける限り避けられないことだろう。

建築家に設計の依頼を出すという事は、最初に「格好」が来なければ
クライアントの要求を満たすことはできない。
どのような様式であっても、2番目、3番目にカッコイイじゃ駄目なのである。
ワンオフである限り、最上のデザインを生み出す。
それが建築家の使命であり、生き残る唯一の術だと思うのである。


  

Posted by アーバンギア at 20:02Comments(0)建築

2016年12月20日

お休みします

疲れました。  

Posted by アーバンギア at 21:03Comments(3)あれこれ

2016年12月19日

竣工

滋賀の家が「ほぼ」完成しました。


外構、それから設備に一部、内装に少々工事が残っていますが、
まぁほぼ終わりというところで検査に行ってきました。
ちょっと言葉にならないくらい「カッコイイ」家になりました。
詳細は明日にでも書きます。

ただ、大津駅で施主と別れるときに満足な「挨拶」が出来なかった
のが若干悔やまれます。喋ると泣いてしまいそうで。
もう涙を堪えるのが、やっとでした。
施主と最後に握手を交わした、その手のぬくもりが、まだ残っています。
良い仕事でした。

ありがとうございました。




パンと黒はんぺんの磯部上げ。
不思議な取り合わせでしょ(笑)
パンは、いつも必ずお土産に施主が焼きたてを持たせてくれるんです。
これは私の、お気に入りのメイプルシロップが効いている葡萄パン。
今日は、バターが増しているように感じました。ほっぺが落ちそうになります。
黒はんぺんは、今日こちらからお土産でお持ちしたものと同じです。
施主と「さし」で飲んでいる気分になりたかったので、今、揚げました(笑)

また一人で泣いております(笑)  

Posted by アーバンギア at 22:31Comments(0)あれこれ建築

2016年12月18日

毎年恒例

いつのまにやら残すところも2週間か...


ああ、暗い気持ちになります。凄く。
毎年毎年、暮れが近づくたびに憂鬱になりますね。
多いでしょうね世界的にも。
去年は18年ぶりに自殺者の数が2万5千人を下回った
らしいですよ。良かったですね~って、あんた!!
2万4千人も死んでますよ!!
なぁ~にが精神疾患の人たちが適切な治療を受ける
体制が整った証拠だよ!!ふざけるな!!

今年も既に多くの方が自ら命を絶ってしまっている訳です。
なんとも、やるせない気持ちになりますよね。
折角、生まれてきたのに、辛いことばかり...
生きているより死んだ方が、マシだって思うんですよ?!
分かりますね、その気持ち。

我が家は12月生まれの子供が二人いますし、クリスマスだの
正月だのって、まぁ気も変になるって感じでございます。
今年は「浪人生」もいますしね。現役受験よりも神経を
使いますね。本人も大分弱ってます。
いつもと違う自分に戸惑っている様子も十分伝わってきます。
一生懸命に気を楽に持てるように説いて聞かせます。
全ては運命で決まっていることです。
正に人事を尽くして天命を待つって感じですよね。

ここ数年、我が家の「もうひとつ」の恒例行事?があります。
20日にTVでオンエアが予定されているようです。
日テレのエブリィです。まぁ関東ローカルなので、私も
見られませんし、知り合いにも見られないので、まぁ良いかなと。

今日は、クライアントにメールを送ったり、溜まっていた「つまらない」
用事をデスクでしているうちに、あっという間に夜です。
夕飯の支度でもしようかな。
長男と私の二人きりです。皆さんは、クリスマスパーティーだとか、
部活だとか、なんとこの薄ら寒いのに「公園」で暗くなるまで
遊んでいるそうな。元気でございます。
先ほど家内からのLINEで、もうみんな帰り始めてるのに、
うちの子だけ超ハイテンションで遊んでるよって....
ああ、自殺者が2万4千人も出るのに....

私は、メンタル弱いですけど、そんな私が「良いと信じて」やった
子育ては、どうやら良かったみたいですな。トホホ...


  

Posted by アーバンギア at 17:36Comments(3)あれこれ

2016年12月16日

薬の副作用

薬ってのは難しいですよね。


薬ってのは、一般の人は「治すため」って考えているでしょうね。
大きな間違いですね。薬では治りませんね。
薬は基本的には症状を「和らげる」ために服用するんです。
ここが大きな落とし穴になります。

みんな藁をもすがる思いで医者にかかる訳ですから、当然
医者が出す、正確には処方した薬を飲めば体調が良くなる、
病気が「治る」と思っています。だから基本的には疑いも持たずに
ガンガン、しっかりと薬を飲みます。
「かぜ」をひいて医者にかかります。大概は「抗生物質」を
処方されます。御存知のように風邪は、ウイルスが原因で
引き起こされる疾病です。つまり風邪という病気は無く、ばい菌が
体に入ったせいで様々な症状を引き起こしてしまう訳です。

ですから、もし風邪を「治そう」と思ったら、原因となるウイルスを
殺す必要が有る訳です。このウイルスは放っておいても自然に
体の免疫機能が殺してくれます。それまでの期間、楽にして
いられるよう、薬を飲んで症状を「緩和」し、また抗生物質で
「早く」ウイルスを殺す「手助け」をする訳です。
つまり抗生物質の過剰な摂取は体にとって「過保護」な状態を
作ることなので、体の免疫機能は低下して行きます。
抗がん剤も抗生物質のひとつです。

他にも例えば「鎮痛剤」ってのを良く処方されますよね。
普通に薬局でも売っています。我々が一番お世話になる市販薬は、
この「解熱鎮痛剤」なのかもしれません。飲み薬だけでなく、
貼り薬や塗り薬でも出ていますね。痛みを取る薬ですから、
当然「神経」に働く薬です。細かい説明は省きますが、神経には
「末梢神経」と「中枢神経」があります。末梢神経は体中を走っている
細かい神経ですね。中枢神経は「脳」と「脊髄」です。

サロンパスを張るという事は末梢神経を痺れさせて感じなくさせる
ってことですね。問題なのは中枢神経、つまり直接「脳」に作用する
薬を服用することです。この副作用は大変なリスクを人に与えます。
脳を「騙す」。脳を麻痺させる訳ですから、麻薬と同じ症状が出ます。
副作用ではなく「禁断症状」が出るということです。
副作用も重篤なものがあります。せん妄、つまり意識障害です。
酷い場合は完全に麻薬と同じような症状になります。

向精神薬などに限らず「胃薬」や「痛み止め」といった薬にも
「中枢神経」に働いて症状を緩和させようとする働きを持つ薬が
非常に多くあります。恐ろしいのは、そういた薬の副作用について、
正確に説明されないまま処方されたりすることです。またこれらの
副作用が「公表」されていないものも非常に多く存在します。

処方する側としては「どちらをとるか」という事なのかもしれません。
痛みが酷くて「死にそう」なくらい苦しいのなら、痛みを和らげ、
死にたいほどの苦しさから救うことが肝要なのかもしれませんね。
ですから、こうなると薬無しでは生きられないということになります。
やはり言い方は問題かもしれませんが、麻薬と同じです。

最近の医者では手術の前に長々と「同意書」なるものを読まされ、
書かされることが多くなりました。昔からありますが、最近では
益々分かりにくく、「拒否」しにくくなっています。
本来の目的である「同意」を得るための目的というよりも「責任回避」を
目的にしているように感じます。つまり重篤な症状に陥った場合や
死亡した場合に「納得して」治療を受けたのだからという「かた」を
取っているように感じます。
携帯電話の契約だけでも「あれだけの長文の約款」を出されますから。
あれをちゃんと読む気になんてなれませんよね。

薬の箱には小さな文字で薬効が書かれています。ですが副作用
については箱書きには詳細に書かれていません。
中に入っている説明書に書かれています。ち~さな字でね。
大概の人は読まずに捨てるでしょうね。みんなが飲んでる薬なんだ
から大丈夫だってね。そして「お医者様」が出した薬なんだからってね。

薬は難しいです。
薬は即効性があります。即効性は無いといっても、効いてくるまでに
5年も10年も掛かりません。心の病は10年経っても原因が解決されない
場合も非常に多く有ります。痛みは必ず原因があります。痛いのですから、
神経に関係していないはずは有りません。神経に障る何かが明確に
あるはずです。そこを根治しない限り痛みが消える事は有りません。
がんのように痛みが消える事無く命が先に費えるような場合。それは
痛み止めを使用して「生きる」ことを優先させた方が良いとも感じます。

痛みを和らげながら「根治」に向けて努力するのは、患者である私たちです。
痛みの原因が体内にあるのか、それとも生活の中にあるのかは、
医者よりも患者の方が分かっているはずです。本来の症状が緩和されても
副作用に悩まされながらの生活は幸せではないでしょう。
病気は簡単には治りません。
人の体の構造が変わらない限り、病気は薬では治りません。
簡単に考えずに、しっかりと病気と向き合う勇気が必要だということですね。  

Posted by アーバンギア at 18:25Comments(0)あれこれ

2016年12月15日

和声ちゃん14歳

お陰様です。



  

Posted by アーバンギア at 22:53Comments(2)子育て

2016年12月14日

離婚を考えるとき

結婚している人で離婚を考えたことが有る人の方が
考えたこともないという人より圧倒的に多いだろう。


昨日、家内と車中での何気ない会話。
なぜ、そんな話になったのかは覚えていないのだが。

妻 「ねえ、唱和ってね、今は、ファミチキより揚げ鶏の方が好きなんだって」

私 「はあ」

妻 「揚げ鶏なら良いな。」

私 「なんで?」

妻 「揚げ鶏なら今度、作ってあげようかな」

私 「....」

妻 「あれならチャコにも作れるよ」

私 「....」

妻 「だって焼くだけだもんね!塩味でしょ?あれ」

私 「はあ?」

妻 「ファミチキは無理だけど、揚げ鶏なら焼くだけだもん!塩味かな?」

私 「なに言ってんだよ?!」

妻 「え?!焼いてあるだけじゃないの?!難しいかな?!」

私 「なに言ってんだよ!!」

妻 「醤油も入ってんのかな?」

私 「そーじゃねーよ!!」

妻 「....」

私 「揚げ鶏だぞ?!焼いてんじゃなくて、揚げてあるに決まってんだろ!!」

妻 「えっ?!あっ!そーか!!ギャヒャヒャヒャヒャ」

私 「....」

妻 「えっ?!でもあれ焼いてあるんじゃないの?」

私 「だったら揚げ鳥じゃねーだろ?!焼き鳥じゃねーか!!」

妻 「あっ!そうか...」


納得していない様子。

幸せそうに見えますか?私たち夫婦は「おしどり夫婦」に見えますか?
7人も子供がいて、さぞ裕福で幸せで明るい家庭を築いていると思いますか?
笑います。きっと家内も鼻で笑います。

厚生労働省の統計によれば2016年に結婚したのは約64万組。
そして離婚したのは22万組です。結婚した人たちが、そのまま離婚する訳では
無いので、短絡的には言えませんが、ザックリ3組に1組が離婚している訳です。
驚きですね。
統計では昭和22年から閲覧することが出来ますが、その初めの年では
出生が270万人近くいるのに死者が110万人以上います。
今日の記事に相応しい統計を見てみると昭和23年くらいから平成14年くらいまでは
死者の数が比較的近似しているのですが、近年では死者の数が100万人を超え、
2015年では130万人という統計を取り始めてから最も多い数になっています。

22年当時は戦争の影響が大きかったことを伺わせます。また近年では
高齢化が顕著になったことを表しているということでしょう。
では私の生まれた昭和38年を見ると、結婚したのは約93万組、離婚は
約7万組くらいです。7.5%くらいです。去年は34%強ですから、昔に
比べたら5倍近い人たちが離婚をしてるということになります。
もしかすると古い世代が「熟年離婚」を促進している可能性もあるのですが。
出生率が半分に迫ろうというのに離婚は倍じゃ効かないってのは大問題です。
なぜこんな世の中になってしまったのでしょう。

世界の実情を見てみると、やはりアメリカが離婚率では、トップです。
意外に少ないのは「イタリア」です。
私が思うには、やはり男性が「フェミニスト」な国ほど離婚が少ないのではないかと
いうことです。もうアメリカなんて結婚するという意味なんて有るのか?!って
くらい離婚します。もう結婚なんて離婚前提みたいに見えます。

実は日本には離婚「しづらい」風潮があったんだと思います。現在もあると
思います。そこへ行くとアメリカには離婚して何が悪いっていう文化が、
完全に出来上がっています。人間が違いすぎると思いますね。
個人を大切にしているということでしょう。良いも悪いも、受け入れるという
「姿勢」が希薄なんだと思います。思いやりがないとまでは言いません。
ですが、結婚していれば、多少の「揉め事」は世界中何処にだってあります。
気に入らないからと言って、いちいち離婚していては国が滅びます。

安心、安定して暮らせないから離婚するんですよね。
ストレスだらけの証拠です。
イタリアの男性は基本「遊び人」です。ですが自分が愛した「女」そして
「家族」は必死に守ろうとします。大切にしています。また、そういった遊び人
だらけの国であることを女性も受け入れているようです。
男性というか、夫に対して求めているものは「誠実」であることは間違いない
でしょうけれど、それは「不実」の対義語としてではなく、「自分への愛」
注がれているかどうかということなんだと思います。

イタリアの男性は妻を「自分の体の一部」だと考えています。
ですから慈しむ事を怠りません。
では、イタリアでは夫婦喧嘩は無いのでしょうか。馬鹿馬鹿しいです。
そんなこと有るはずが無いです。誰だって夫婦喧嘩をします。人間ですから。
喧嘩や揉め事は生きている「証拠」です。
先ほど日本には離婚が、しづらい風潮があると言いました。つまり「我慢」する
風潮というか文化ですよね。離婚を相談しても「友人」や「両親」、そして「子供」に
概ね反対されます。良く考えろと。そして「我慢」しろと言われるでしょう。

アメリカは相談しないのです。自分たちで決めてしまうのです。
だから早いです。相談しても自分の「考え」を最も大切にします。
日本は、いわゆる「どろどろ系」です。実際に離婚が成立するまでに相当な
時間が掛かる場合が殆どです。私は、それが良いんだと思います。
先ほど「フェミニスト」が多い国は離婚率が低いと書きました。
つまり、やはり「妻」を大切に出来ない夫は孤独になるということだと思います。
どんなに「妻」が尽くして、それでも夫に大切にされないのなら、
これは離婚の確立が上がるでしょう。しかし、なにも男が女に尽くして尽くして
我慢に我慢を重ねなければ家庭は守れないってことではありません。
その逆だって良いんです。

どちらかが「自分の体の一部」だと思って接すれば、大概の事は許せます。
それじゃあ地獄だと言われる方。そんな事はありません。
いつまでも我慢や辛抱など続きはしません。愛して結婚したんです。
楽しい時もやってきます。必ずです。概ね「代わる代わる」大切にされる番は
巡ってきます。

私たち夫婦は離婚届にサインしたことが「3回」あります。
1度は区役所の受付に「ちゃんと」提出しました。二人で出しに行きました。
子供も4人も授かっていました。
書類に不備があって、私が受け取り、後ろの椅子に座っている家内に
記入を促すと、まるでこれから縛り首にでもあう囚人のような顔つきで
私を下から見るのでした。
私は「おいっ!どーすんだよ!!」と怒鳴りました。黙ったままの家内の表情を
見て、書類を提出せずに二人で帰路に着いたのでした。
その離婚届は出さずに暫く机にしまって置きました。

もちろん今となっては離婚などしなくて本当に良かったと思っています。
家内は私の体の一部だと真剣に思っています。
どうか今、離婚を考えている人が、この記事を読んでいるのなら、もう一度
考えて欲しいと思います。先ほどから繰り返し言っているように、日本では
離婚を相談すると皆が皆、口を揃えて「早まるな」と言います。
それは兎にも角にも「必ず乗り越えて福音が訪れる」ことを皆知っているから
に他なりません。みんな「同じ経験」をしているからです。
知恵を絞って、踏ん張ることで大切なものを失うのを防ぐのではなく
「本当に大切なもの」を初めて手に入れることが出来るのです。

あなただけじゃありません。
みんな同じ人間ですから。概ね似たような一生を送ります。



この笑顔の半年前、区役所に離婚届を出しに行ったのです。

※厚生省の記事
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei15/dl/2015suikei.pdf#search='%E4%B8%80%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%9B%A2%E5%A9%9A%E4%BB%B6%E6%95%B0'  

Posted by アーバンギア at 18:03Comments(4)あれこれ

2016年12月13日

耐火建築物の設計の実際

なんですか?!平成27年に法律が改正されているじゃありませんかっ!!


木造の耐火・準耐火建築を検討していたんですがね。
用途地域が防火・準防火地域に指定されていると建築には「様々な」
制約が一気に課されるんですよ。特に防火地域では木造で建築は
「出来ない」って感じでした。昔は。そのまた、もっと昔は何でもアリ
だった訳でございます。そこを厳しくした訳ですね。危ないので。

でも厳しくしすぎたので実情に合わない事も多くあったって事ですよ。
で、木造だって、諸々気をつければ作れるよ!安全だよ!って
ことが証明されて、まぁ行政も動かざるを得なくなったと。

今検討しているのは「防火地域」への「住宅」の建築です。
普通なら「鉄筋コンクリート造」ってチョイスが一般的でしょうね。
そもそも防火地域に指定されるような「場所」は住居系地域では無い
ことが一般的です。って、まぁ東京都内なんかだと、もうあっちこっち
防火地域だったりします。だからこそ「木造の耐火建築物」ってのが
ニーズとして無視できなかったんですけどね。

で、なんで木造かって、そりゃ「安い」からなんでございます。
鉄筋コンクリート造は最も金の掛かる工法ですから。
って、でも「ホントかな?」とか思ってですね。だって、そのくらい木造で
耐火建築物を作ろうと思ったら金が掛かるんですよ。
で、今回は規模を小さくして、具体的には2階建てで100㎡以下ですね。
予算的にもそこまでは無理なので、大きさについては問題なしです。
するとですね、防火地域でも「準耐火建築物」で、OKとなる訳です。
ここは福音です。
3階建ての耐火建築物は作れない法律だったんですけど、そこらへんも
改正になっていましたね。でも複雑な法律と「出来るのか?」な証明を
求められるので現存している木造の耐火建築物は、まさに「特殊」な
存在です。今のところ。

さて。
木造の準耐火建築物は大きく分けて「二通り」検討することが出来ます。
告示で決められた仕様、大臣の認定を取った仕様で作ること。
それを「燃えしろ」と言って、実際に火災になって「45分間」燃えても構造に
支障をきたさないだけ燃え残るサイズの材木で作るという計算による場合。

他に「外壁耐火構造」と言って、外壁を耐火構造にしてしまう方法です。
正直これが一番手っ取り早いんです。この工法なら内部の構造には
規制が掛かりません。木が沢山剥き出しで使えます。
一般の方では「耐火構造」と言われてもピンと来ないでしょう。
これはもう早く言えば「コンクリート造」のことなんです。鉄は不燃材ですけど、
熱には滅茶苦茶弱いので、耐火の被服をしなければなりません。
これは4㎝以上のモルタルだったりコンクリートだったりですから、もう
コンクリート造だと思っておいた方が良いです。違うものですけど。
コストから見て、どれをチョイスっていう話なので。つまり「鉄骨コンクリート造」
ってのは最も金の掛かる「良いとこ取り」の工法なんです。
ちっこい住宅では選ぶ意味も余りないです。

だから、この外壁耐火構造ってのは「RC」と「木造」の「混構造」ってことに
なるんですね。構造計算が面倒です。そもそも成り立つんでしょうか...
で、話は前後しますが、木造で準耐火建築物を作るとなると、これは、
やはり告示の仕様ってことになります。ただ、言われたとおりの材木ですと、
これが「馬鹿でかい」ものばかりになるので。
で、今日は何とか、もう少し安く出来ないものかとプランニング以前のことを
一日模索してしまったという話なんですよ。

確かに延焼ってのは問題ですしね。
でもね...いつも思うんですが、法律で火事は無くせないですよね。
明日は計画をまとめます。



  

Posted by アーバンギア at 21:15Comments(0)建築

2016年12月12日

コメントが入らない理由

なんか最近、へんなメールが送られてくるんですよ。
そんな書き方じゃブログのアクセスが上がらないとかね。
それならまだ良いんですけど、逆効果だってのは流石に
脱力しますね。まぁこんなに読まれているブログなのに
全くコメントも入らないようなブログなので、多分私にとって、
プラスに働いていることは無いだろうなということだけは、
薄々気がついているんですけどね。

たまに入ると「揚げ足取り」だとか「ヘイト」ですからね(笑)
止めますかね...
真剣になりますね...  

Posted by アーバンギア at 20:29Comments(2)あれこれ

2016年12月11日

A hard rain's a gonna fall

やっぱりボブ・ディランは授賞式には、やってきませんでしたね。


当然です。最初から分かっていたことですね。出てくるとしたら、
それは正に「万が一」ってやつです。
私は、ボブ・ディランを大して知りません。好きじゃないって感じです。
有名な曲を数曲知っているだけです。聴き込んだ覚えもありません。
私の弟は、フォークソングが大好きで、ボブ・ディランを少しだけ
聴いていました。ですが、やはり「面白くない」と言って、長渕と
拓郎に行ってましたね。

ボブ・ディランは、やはり英語圏の人に支持されていると思います。
もしくは英語が「ちゃんと」分かる人ですね。
ボブ・ディランは、しばしば「難解」だと称されます。確かに歌詞は
「何を言っているのか?」さっぱり分からないものから、1回や2回、
さらっと聞き流したのでは全く理解できないものばかりです。
実は私は、そういったものが嫌いではありません。
このブログも「わざと」難しい表現を使ったり、文脈から感じ取って欲しい
「韻」を隠したりしています。

私だけに限らず「昔の」ロックやフォークは歌詞に強烈なメッセージが
含まれているものが多かったです。また正直、そのようなメッセージなど
込めたつもりもなくても、勝手にオーディエンスは「深読み」して
音楽を楽しんでいました。
つまりは、ロックやフォークを聴くという事は、そういう文化だったのです。
ですから大ヒットしたベイ・シティ・ローラーズなど「空っぽ」のアホバンド
扱いをされたのでございます。アメリカンロックの多くやダンスミュージックも
同様の扱いで「よくそんな軽いもの金を出して聴いているな!!」と
責められることも多く有りました。マジです。

だからマービン・ゲイやスティービー・ワンダーは特別な扱いを
受けたんでしょうね。技術も哲学も持っていると。
そのくらい70年代までは演奏能力や歌唱能力、
楽曲の完成度などは「二の次」になるくらい「歌詞」は大切にされてきました。
今日のニュースでパティ・スミスがボブ・ディランの「激しい雨が降る」を
表彰式で歌っている様子を見ました。なぜか嬉しかったです。

高校生の頃、仲間と集まると「あのバンド」の「あの歌詞の部分は」と
各々勝手な解釈で討論をしたのを懐かしく思い出します。
私は黒人音楽に傾倒して行くのですが、そのきっかけはマービン・ゲイと
カーティス・メイフィールドでした。What's going onというアルバムと
Back to the worldというベトナム戦争をストレートに批判したアルバムに
心底参ったのを昨日のことのように思い出します。

今日は、こんな話をズラズラ書きたかった訳ではありません。
先ほど紹介したボブ・ディランの「A hard rain's a gonna fall」の歌詞の
一節について思ったことがあったのです。洋楽の対訳ってのは訳した
人のセンスで随分と「意訳」されてしまいます。もう新たに「作った」くらいの
感じのものまであります。
この曲の2コーラス目に出てくる、

I saw ten thousand talkers whose tongues were all broken,

っていう歌詞があります。色々な訳を付けられていますが、これは、もう
「俺の見た1万人の喋ってる群衆は、みな舌を切られていた」と訳すなり、
「受け取る」のが一番良いと思うのです。
つまりバラバラで1万人と会ってきたって言うんじゃなくて、一度に見たとか、
「ひとつのことに対して話している」人々について「比喩」して舌を切られていたと
歌っていると思うのです。舌が壊れるってのは、ろれつが回らないって
事では無いでしょうから、壊れていると訳を付けた人はセンスが無さ過ぎます。

なんでこの歌詞が気になったかというと、最近の「ネット事情」と重なった
からです。Facebookなどで毎日のように「誰か」や「どこかの国」を批判した
記事が流れてきます。最初の一人がコメントを書き込むと堰を切ったように
「同調コメント」が続きます。それが「プロパガンダ」かもしれない、誰かの
意図的な「操作」かもしれないのに。たったの「ひとこと」たったの「一片」だけを
取り上げて「つるし上げ」です。もう魔女狩りみたいです。

違う意見を言うことが出来ない。
言えない「ムード」を作り出してしまう。それが今のネット環境のような気がします。
子供たちのやっているLINEだとかってのも同じように感じます。
対面してなら、もっと違う空気や展開もあるかもしれません。
ボブ・ディランが歌っているのは異口同音ではあるが、心の中では違った
意見を持っている。または言えない環境になっている
と批判しているのだと
私は捉えています。

ノーベル賞を蹴るなどとは言語道断だ。近親者なら普通そう言うでしょう。
私ならスキップして授賞式に行きます。プリツカーなど最大の夢でございます。
ですが、そういった賞が本当に相応しいかどうか、考える人も多くいるはずです。
このような歌を歌っている人間が、ありがたい賞だからと、一切の疑問も持たないで
授賞式にやってくるなど、到底考えられないのです。
ですから一番最初に書いたように「来るはずが無い」ってことなんです。

私は住んでいる地域でも「嫌われもん」です。ずけずけと物を言って、恣意的な
態度を取っていると思われているからでしょう。自覚もありますし(笑)
私は建築家であって政治家でも活動家でもありません。別に世の中を変えたいとも
思っていません。みんな勝手にしろくらいの感覚です。

最近の「歌」や「映画」「本」などは実に「軽い」と感じます。良い言い方をすれば
「分かりやすい」「ストレート」「馴染む」でしょうか。ですが、ほんの少しだけ気になります。
子供たちが、まったく「会話」しないのを。会話に「内容」が無いことを。
会話の中に「投げかけ」と「自分の答え」が無いことを。

「あいつ、ああ言ったけど、あれ、ホントかな」とか
「あれって、どういう意味なんだろ」とか考える機会は
非常に少なくなったように感じています。
どんなに時代が様変わりしても、どんなに文化が変化しても、誰の胸にも
激しい雨が降ることが有ることだけは永遠に変わらないのですから。

※ボブ・ディランの訳を載せても面白くないですし、曲もつまらないので
貼りません(笑)興味がある方は是非検索されて、その「異常さ」を堪能して下さい(笑)  

Posted by アーバンギア at 17:52Comments(0)あれこれ

2016年12月10日

願い Pure Imagination

今日は寒かったですね。


とは言っても。4年前の今日は朝、目覚めると一面銀世界だった。
今年は暖かい穏やかな日が続いている。
今朝、長女と三男を学校まで送った。帰ると暫くは仕事だ。
少しでも設計をしようと試みるが、どうにも調子が出ない。
こんなときは、いくらやっても「つまらない」ものしか出来ない。
つまらないCADデータをダウンロードしてファイルを変換している
うちには12:00だ。待っていた12:00だ。

実は今日は「絶対に」やろうと考えていたことがあった。
それは「どんど焼き」だ。まぁ正確には小正月でもないのだから、
そうとは呼べないかもしれないが。
秋に行われた例祭で「小祀り」と呼ばれる竹で作った幣束を
新しくした際に、古くなった幣束を処分出来ずにいたのだ。
それを「御焚き上げ」しようと計画していたのである。

ベンチも腐って壊れていたので、それを薪にして焚火を焚いて
御焚き上げ、そして「焼き芋」を行うって計画だ。
一石三鳥になるのだ。
12:00になれば娘の部活が終わる。家内に迎えに行かせて、
私は「無駄な仕事」をギリギリまで頑張ると。

程なくして娘たちは帰ってきた。三男は遅くまで部活だ。そもそも
家にいたって外へなど出てきやしない。
女子+長男は、まだ救いのある「素直さ」を持っている。
持っていて欲しいと思った。
でも案の定、私が声を掛けても、火を着けても外へ出てくる
様子は無い。寒いのだ。つまらなさそうなのだ。

冴えない顔をして出てきた娘に私は
「お前たちは金が無いと楽しくないんだよな」と言ってやった。
もちろん気を悪くした長女と次女は家に戻ってしまった。
私は焚き上げとベンチの処分さえ出来れば良いと思い、
そのまま一人で焚き火を続けた。熱いんだか寒いんだか分からない、
なんともやるせない気持ちだった。

もう火も小さくなって30分以上も経ったころ、三女が、さつま芋と
ジャガイモをアルミホイルに包んで持ってきた。
「もう火なんて無いよ」と告げると娘も家に入ってしまった。
こんなものだ。親父の「想い」など、誰にも届きゃしない。
そう心で呟いた。

毎週毎週、土曜日も日曜日も「家」になんていられない。
学校は一体「何を」考えているのだろう。毎週毎週「部活」だの
校外活動だのって言ったら、もう家族で暮らしている「意味」など、
どこにも無くなってしまう。子供たちは、どこから「何を」学ぶのだろう。
それほどまでに「個性」など必要ないというのか。
「機関」で「マニュアル」に沿った教育だけで人格や行動を均一化
することが望ましいとでも考えているのか。

大層ご立派な教育の成果か、どうかは分からないが、子供たちは
家に帰るとTVに釘付け、そして遅くまで「宿題」、話しかけても
スマホの画面から視線は外さない。親の存在は、とても小さなもの
になっていると感じる。「宿題」はやっても「勉強」は決してしない。
子供たちは「命令」には従順に従う。しかし、自ら思考し行動する
ことを酷く嫌う。工夫も無い。
昔からTVは見る。親子で会話が弾む機会も少ないかもしれない。
だが、私は「それ」を言い訳にしていると思う。

現代の「親」、「教育者」は、力まない。多くの人が口を揃えて
「そんなものですよ」と言う。私は納得できない。違うと思う。
グニャグニャの子供に一番最初に注ぎ込むのは「知識」でも
「習慣」でもないはずだ。私は「愛」だと信じて疑わない。
子供たち、一人一人に「愛」を説いて聞かせ、愛を感じさせる事は
「教育機関」での「一斉授業」では出来ないことだ。

折りしも世間は12月で「忘年会」だの「クリスマス」だの、お祭り騒ぎで
浮かれている真っ最中だ。TVも特番ばかり。それは、それで良い。
我が家では12月生まれの子供が二人。クリスマスに正月に「受験」と、
出費に歯止めが利かない。それも仕方が無い。
だが、金を使わずとも「群れずとも」、楽しむ事は出来る。
明日死ぬとしたら、今日「何を」して過ごすだろう。
まさかTVや、スマホでゲームやチャットってことは無いんじゃないか。

「こんなもの」と独り言を言いながら芋を火の中にくべた。
暫くすると家内が出てきた。「作ったような」明るさで元気良く出てきた。
流石だ。私にはできない。特に今の私は。
いつの頃からか、私は出来なくなってしまった。
娘たちも、ぞろぞろ出てきた。勝手に自転車を乗り回したり、
カップヌードルを食べたりし始める。
そうこうするうちに焼き芋が出来た。私も珍しく食してみる。美味かった。

熱々のジャガイモにバターを塗って食べる。凄まじい美味さが
口いっぱいに広がる。みんなも口々に美味い美味いと言って、
夢中になって食べている。火の周りに集まってくる。
長男もやってきて楽しそうに皆で遊んでいる。ゲタゲタと笑う声。
いつの間にか私の機嫌も治っているという訳だ。

マックのフライドポテトは滅茶苦茶美味い。娘たちの大好物だ。
しかも「たったの100円」で、殆ど「待たずに」食べることが出来る。
さつま芋は貰い物だったが、ジャガイモは買ってきた。高かった。
芋を「冷たい水」で洗って、新聞紙にくるんで、銀紙に巻いて、
火を起こして、煙たい思いをして、20分以上も待たなければ、
焼き芋は食べられない。
マックのフライドポテトと真っ黒けのジャガイモが並んでいたら、娘たちは、
きっとマックポテトを最初に手に取るだろう。

だが、一連の作業を「自分で」やったのなら、まぁ兎に角「味見」を
してみようじゃないかとなるはずだ。誰だって「首尾」を確かめてみたい
ものだ。マックポテトの美味さは周知だ。だが、面倒な作業の「報い」が
「どれほど」のものかは「やってみなければ」知ることが出来ないのだ。
そして初めて「出来立てのじゃがバター」「焼き芋」の極上の味を知る
ことができるのである。

「習慣」や「規律」は大切だ。私にだって理解できる。
だが、人と違うことをするには、それらを
犯す必要が出てくる。日本は、これだけ義務教育が発達しているのに、
リテラシーは世界的には低い水準だ。でもそれで良いと思うのだ。
誰もが満遍なく教養に溢れている必要は無い。必要な知識を
必要な人間が持っていれば良いのだ。

家内は、焼き芋を作ることは出来ない。支度ができるだけで十分だ。
我が家には私がいる。家内は私の居ないところでは焼き芋を作る
ことが出来ないことになる。だが、いつも私と一緒なのだから、全く
問題にならない。子供たちは私と作業をする事で勝手に覚えるだろう。
従って、この家を出て行っても誰かと焼き芋を作ることが出来る。
これが家族であり、連鎖と分裂なのだ。

魚釣りが好きな親父がいる家庭なら、子供たちも魚釣りを勝手に覚える。
母親まで太公望である必要は無い。魚を下ろせれば尚よいが「支度」が
出来るだけで十分だ。さて、釣りの支度も焼き芋の支度も、一番大切な
「支度」がある。今日の出来事のように「面白いこと」をするんだぞ!!という
空気を作り出すことだ。それこそが「伴侶」の最も重要な仕事なのである。
二人で始めた「家庭」だ。人が増えても減っても協力し合って理想に
近づけてゆく「義務」も「責任」もある。

親父に従えと言っているのではない。「伴侶」だ。立場が違えば、
支える方も変わる。伴侶は「ふたり」だけではない。一緒にいるものは
皆「伴侶」だ。従って「子供たち」も伴侶なのだ。家族は「向って」行く
ものだ。二人で幸せになると誓って歩みだす。
だから子供たちも「幸せ」に向って一緒に歩かなければならない。
それは義務だ。

私は家内にプロポーズ「された」ときに
「金は無いぞ、きっと一生、金には縁が無いぞ」と言いました。
「習慣」や「義務・責任」、「根性」なども大切です。
ですが、私は困っても泣いても「諦めない」「思いやり」のある「面白い」
人間になって欲しいと腹の底から願っているのです。
もう少しだけ家族が一緒にいられる時間が欲しいです。
子供たちが私と家内の子供らしい子供に育ってくれるまで。

世の中を儚んで、悲嘆にくれて生きるような人生を送って欲しくないんです。
誰かを恨むより愛することが出来る人間になって欲しいです。
つまらない諍いがあれば、止めろと言う人間になって欲しいです。

家内に結婚を迫られたとき、私が言った、その後に家内は、こう答えました。
「うん、お金なんていらない。チャコ、ノブちゃんと一緒に居るだけで楽しいよ。」
もちろん私は、やれやれ困ったなと思い、その場で結婚しようとは言いませんでした。
その後、1年経ったか2年経ったか。家内は相も変わらずの調子で
結婚してくれと、まくし立てます。いつだったか、長野県の栂池自然園に
旅行したときです。家内の後姿に向って声を掛け、振り返った家内に
「チャコ、結婚しようか」と言いました。

家内は一瞬驚いた様子でしたが子供のように「うん!!」と元気良く
返事をしてくれました。実は先ほど言った子供たちへの願いは家内と
接するうちに思い描くようになった「願い」なのです。

腐ったベンチは谷にでも投げ捨ててしまえば終わりです。
御幣もゴミの日に出してしまえば、それまでです。貰ったサツマ芋は
蒸篭で蒸かして食べれば簡単です。TVを着けておけば静かな
休日で終わります。
それで良い親が7人も子供を作ったりしません。冷ややかな目で見る人が
いることも知っています。別に人のために大家族を作った訳ではありませんから、
気にもなりません。

家内に約束をしましたから。
「楽しい」「幸せ」「面白い」家庭にすると。
簡単には行きませんな。大分勉強させられました(笑)
命も時間も永遠では無いことを知っています。
だから願うのです。もう少し、みんなで一緒に居る時間を与えて欲しいと。
他の誰でも適わない。世界中に「たったひとり」の存在になって欲しいと
子供たちには願うのです。


夢のチョコレート工場

Come with me and you’ll be
In a world of pure imagination
Take a look and you’ll see
Into your imagination
ついておいで
連れていってあげよう
無垢な空想の世界へ
見てごらん
目の前に広がる
空想の世界を

We’ll begin with a spin
Traveling in the world of my creation
What we’ll see will defy explanation
まずはくるりと一周
僕の創造の世界を見て回ろう
これから目にするものはどれも
説明がつかないものばかり

If you wanna view the paradise
Simply look around and view it
Anything you want to do it
Want to change the world?
There’s nothing to it
楽園を見てみたいと思うなら
あたりを見渡してごらんよ
気の向くままに
なんでもできる
世界を変えてみたい?
そんなの簡単

There is no life I know
To compare with pure imagination
Living there you’ll be free
If you truly wish to be
この無垢な空想の世界に適うような人生を
僕は他に知らない
本気でそう願うのなら
その世界に住んでみるといい
君はいつまでも自由なまま





  

Posted by アーバンギア at 19:24Comments(1)子育て