2021年08月05日

あなたが欲しいもの

それは「私」が欲しいものじゃない。


ってことを良く分かっておくべきだ。
住宅の場合は実に悩ましい。予算ってものがある。
1500万円程度で家が建たないかとか、1億5千万円でRC造の
家が欲しいなどのお問い合わせを頂く。
1500万円と1億5000万円では随分と開きがあって、1億5000万円の
予算なんて凄いね!!もう楽勝じゃん!!いーなー羨ましいなと
言う、あなた!!全然違いますよ!!

共通しているのは「予算不足」「低予算」ってことです。
また言い方は微妙かもしれませんが双方とも「自由になる金」が
「予算」になっているんです。
早く言えば「身の丈を知っている」のに「わがまま」を言っているんです。
どっちもね。
疲れます。
滅茶苦茶、疲れます。勘弁して欲しいです。
どっから生まれ出るんでしょうかね、その「欲しいもの」ってのは。

1500万円の予算の方は大概が所得が低いです。銀行で借りられる
ローンも、そんな感じだし、支払いを考えると他にも諸々有るんだから
ってことになりますよ。
で。1億5000万円を払える人は「一時金持ち」か「成り上がり」です。
本当のお金持ちは予算は「青空天井」です。もっと掛かるといえば
二つ返事でお金を出しますから。本当です。

しかし、投資かなんかで一時儲かった、持ち金がボチボチ有るなんて
人は「欲」を掻きます。投資物件との抱き合わせだったり、金に
群がる人脈で知り合った人の家を見て「あんなの欲しいな」的な
「根拠」に乏しい贅沢を思い描いてしまうんですよ。
沢山知り合いました。

1500万円で家を設計しろと言われれば、そりゃ正直「滅茶苦茶」
しんどいですよ。出来ないですよ、普通は。
でも1億5000万出すって言われても、あんたそりゃ3億掛かるよ!!
って内容なら、よっぽどしんどいって話ですよ。
私は肩書きはしれているのに、なぜか、そういった貧乏人と金持ち?
な人たちから多く問い合わせを頂きます。
出来ないよって、この調子で言うのに、中々諦めてくれません。
もうストーカーです(笑)

私は建築設計に携わって30年近くになる。自分の家は持っていない。
でも家は欲しい。
でもその家は耐震等級だとか断熱等級だとか気密性能だとかってのは
1ミリも考えていない。台風が来れば早く過ぎ去ってくれないかと
内心怯え、大地震が来れば慌てて外に飛び出そうと日頃から
シミュレーションをしておく、実に粗末な「おんぼろ」の家で十分なのだ。
命を守ってくれるよりも、家内と二人、美しい朝を迎え、質素でも
手を掛けた食事を楽しみ、光と風を享受し、時に子供たちや孫たちが
訪問してくれて、この家を意識せずとも無くてはならない存在だと
いつの日にか理解してくれるような、そういう家を普請したいと、
未だに夢を諦めてはいない。

私は常識を理解している大人だと思い込んでいる。
もしかしたら大分違っているのかもしれない。それでも。
あなたに問いたい。「あなたは何を欲しいんだ」と。



  

Posted by アーバンギア at 19:55Comments(0)建築

2021年08月04日

乾麺の茹で方

暑いですね。 死ぬ。


夏になると麺類は売れます。特に「素麺」は季節の風物詩ですよね。
ご飯のように噛んでから飲み込むものは面倒になるんでしょうか。
まぁ麺類だって多少は噛みますけど。
やはり「喉越し」なんだと思います。日本ならではの表現ですね。
「喉越し」

麺類を日常的に食べる習慣の無い国の人にとって、この「喉越し」
という一種のテイストは理解し難いでしょうね。
私は、QuoraというSNSを利用していますが、以前に「蕎麦」を
すすって食うのことの是非について回答したことが有ります。
興味があったらどうぞ!

https://jp.quora.com/%E9%BA%BA%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A0-%E3%81%99%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%84%E3%82%93%E3%81%A0/answers/235011232?comment_id=214197073&comment_type=2&__filter__=all&__nsrc__=notif_page&__sncid__=17509232359&__snid3__=24545154757

https://jp.quora.com/men-wo-susu-tte-tabe-ru-no-ha-nihonjin-dake-nanode-suka/answers/235118397

まぁ話は全く関係ないのですが。
最近、TVで、どっかの御婆ちゃんが上手に素麺を茹でるって話題の
Youtube動画が、バズってるってのを見たんですよ。参考になりました。
以前から、その方法は試したいと思っていたのです。俺も頭良い。
その方法とは、お湯を沸かしたら素麺を入れて、再び沸騰したら
火を止めて「蒸らす」って方法です。この方法で麺は、くっつかないで、
べたつかない状態で食べられるし、保存しておいても水に入れれば
直ぐに元に戻るってんですよ。なりました。

素麺にしろ、うどんにしろ、二八蕎麦にしろ、パスタにしろ「小麦粉」を
練って作られた製品です。二種類のたんぱく質の結びつきで「グルテン」
という物質が出来上がります。体に良くないという説も有りますが、
兎に角この物質のお陰で、いわゆる「麺のコシ」というものが生まれます。
そして、このグルテンは加熱することで「ゲル化」するのです。
そうです、あのベタベタが生まれるのです。
ですから麺にコシを出して、べたつかないように調理する、つまり
加熱するには「見極め」が大切になるのです。これは「茹で時間」で
あったり「加熱温度」だったりします。

では沸騰している状態、つまり100℃もなければ乾麺は柔らかくならない
のか?ということなのです。特に素麺のように細い麺であれば、
加熱時間は短くて済みます。沸点に達した水は5分程度では冷めて
手で触れるような温度にはなりません。むしろ高温で加熱し続けることで
表面のグルテンは、どんどん粘りを出して麺そのものの構成を変えて
いってしまいます。私は蕎麦でもうどんでもパスタでも試しましたが、
どれも火を掛け続けるよりも美味しく茹で上がりました。

パスタの場合は9分と表示があれば私は元々7分しか茹でませんでした。
それを麺を投入して再度沸騰してから箸で掻き混ぜながら3分加熱して
火を止めて4分蒸したところ素晴らしいアルデンテに仕上がりました。
実は、このパスタの茹で方については以前にも何度もやっていました。
トッピングの調理のタイミングによっては、ジャストのタイミングでパスタを
鍋から揚げることが出来ないからです。これが功を奏していたので、
素麺やうどんなどでも行けるだろうと思っていたのです。

素麺は、もう絶対に茹で続けてはいけません。あれは間違った
調理方法です。生のうどんや生そばでは、また違った結果になると
思います。で。
今日書き残しておきたかった最もは「こんなの、母さん昔からやってたな」
です。亡き母が私が小学生の夏休みのときに「毎日必ず」昼食には
素麺を出してくれたのですが、そういえば大きなアルマイトの鍋に
パラパラと素麺を入れて蓋をして火を止めたっけなと俄かに思い出したのです。
結婚をして「生まれて初めて」自分で素麺を茹でた時に箸で掻き回さずに
大量に素麺を投入して、全部鍋に張り付き、麺同士もベタベタに張り付いて
しまったのを怒りと悲しみで「なんだこりゃー!!」と台所でやっていたとき、
「お前、素麺は、こんな風に茹でるんじゃないんだがね」と言ったのを
先ほど鮮明に思い出したんです。
ただ、その時「母の話を聞かなかった」んです(T-T)

家内の前で得意な料理で失敗を曝したくなかったんでしょうかね。
素麺を茹でるくらい誰だって出来ると高をくくっていたんでしょう。
愚かですね。今となっては、くすぐったい思い出です。
先日、子供たちに素麺を出しました。美味しい美味しいと言いながら
随分と沢山食べてくれました。薬味は「みょうが」が一番人気でしたね。
子供たちには茹で方を伝授しました。さて覚えていてくれるでしょうか。
遠くに行ってしまった父親が過ぎし日の夏に素麺を食わせてくれたことを。

https://youtu.be/UdPq8kfqRtI
  

Posted by アーバンギア at 18:55Comments(2)あれこれ

2021年08月01日

プラスチックラブ

夏は諸々思い出に耽る季節でもある。


終戦記念日が代表的だ。人間とは面白いもので
単一的な事象の記憶の想起であっても、そこから
生まれ出でる「感情」で、新たに現在と未来を
想像できてしまう。楽しい思い出ばかりなら、尚
良いのだろうが。
ただ。この楽しいはずの思い出も「感傷的」に
客観視することも出来てしまうのが実に不思議だ。
総じて思い出は「憂い」を帯びているように感じる。

やはり「時間を戻す」ことは不可能だからだろう。
これだけは永遠に普遍であるだろうと確信のような
ものを感じる。理由は、わざわざ書かなくても、
万人みな共通の考えが有るように思う。

可逆性とは、別の状態にしたものを「元の」状態に
戻すことが出来る性質を言う。例えば水を凍らせて
出来た氷は再び水に戻すことが出来る。
この反対語もある。
不可逆性に似ている言葉に「可塑性(かそせい)」と
いうものがある。似ているだけでニュアンスは大分
違う。

可塑性は「柔軟性」を帯びている。実際、物質だけ
ではなく、人間に対しても使うことがある。
例えば、小さな子供は素直で伸びやかだ。
大人になると考えに固執してしまって個人を変える
ことは困難になる。可塑性とは変形して尚且つ、
元には戻らない性質を言うのです。

可塑性は英語で「Plastic」と言います。
あのプラスチックです。プラスチックは簡単に成形できて
一度成形してしまえば、もう二度と元には戻りません。

竹内まりやの曲に「Plastic Love」というものが有ります。
この曲のファンにタイトルを深読みする方は少ないでしょう。
歌詞の内容からドライな女性の恋愛スタイルを歌っている
と受け取れます。それが正解だと思います。
プラスチックの持つ「無機質」な印象と恋愛感情を
くっ付けたタイトルなんでしょう。
図らずも恋愛には可塑性が有ることを示唆してしまった
ように私は感じています。

ただ、残念なことというか真理というか。
愛の最初は「粘土」のような未知の可能性の塊であっても、
やがて成形されて皿になり、日常的に存在を疑う余地は
無くなっても、床に落ちて割れてしまえば「割れた皿」
であり、その名前は残っても形態は皿では無くなって
しまうのです。もう二度と皿になることはありません。
欠けた程度なら直せるのでしょうけど。

春よりも盛夏には昇華した愛の記憶が多く有る様に
私は感じます。



竣工すれば最初からノスタルジックな佇まいになる予定です。
  

Posted by アーバンギア at 16:01Comments(0)あれこれ