2017年10月31日
未来の担い手
先週、中学校の学習発表会に参加した所感です。
「やばい」そう感じました。
子供が子供らしくないんですよ。たまたまのクラスだったかも
しれませんが。2年生の発表を聞いて、とても考えさえられ
ましたね。テーマは「地域の活性化」なんですけどね。
田舎に限らず日本は少子化の問題を抱えていますよね。
ただ子供らしかったのは、少子化と「高齢化社会」が
抱き合わせで語られていなかったことですけどね。(笑)
で、子供たちが「移住者」を募るには?ってことで諸々アイデアを
出して行く訳なんです。もう「移住者」って言葉を使っている辺りで
完璧「大人の受け売り」をして行くんだろうなと察しが付きましたが。
で、全く、そのような流れだったんですけどね。ひとつの班だけ、
とても現実的なのに未来を感じさせる良い提案を出してくれたんですが。
今日は、そっちは置いておいて、「やばい」と感じた発表について、
軽く触れてみたいと思うのです。
とある班が、魅力的な地域になれば、移住者が増えるだろうという
前提で、では「何が」有って、「何を」すれば良いかという考察を
発表した訳ですよ。いくつか有る中で「子育てがしやすい街」と
いう、これまたバリバリ大人の受け売りキーワードですが。
その対策として「子供を預けられる場所が無い」ことが問題だと
発表したのです。いやぁ~もうその思考が問題でしょ~と私は
唸ってしまったのでした。
この地域では若い子育て世代のママさんサークルが、この子供を
預ける施設が欲しいと騒いでいた時期が有りました。きっと、これらの
ソースが元になって、子供たちは発表したに違いありません。
しかし地域には保育園も認定子供園もあります。つまり「一時預かり」の
施設、つまり自分たちが自由な時間を持ちたいから、子供を預かって
くれるような施設や制度が無いものか?と要望していた訳ですね。
決して働きに出たいから子供を預かって欲しいというニーズでは有りません。
分かりますが...
「子育てがしやすい」のと「子供を預けて余暇が持てる」のとは全く
重ならないと思いますね。子供を育てやすいとは、いったいなんでしょう?
もう一度良く考えてみて欲しいです。
男の、お前が何を知った風なことを言ってやがると、お叱りを受けそう
ですが、私には紆余曲折、子育てについては、威張って言うほどの
「諸々」がございます。
子供を「ちょっくら」預けて「何を」されたいのでしょうかという事です。
子供の気持ちは考えたことが有るでしょうか。子供は母親から「片時」
だって離れていたくないと感じているものです。ずっと見つめられていたいと
思いながら生きています。従って、子育てが、しやすいとは、まず「子供」の
ニーズが満たされることが可能かどうかが重要なのです。
子供が伸び伸びと、豊かに成長できる環境こそが、「子育て」の優良な
環境なのです。つまり子供が幸せそうな様子を見て、自分も満たされるような
環境でなければ、子育てが、しやすい良い環境だとは言えないのです。
子供の幸せに興味が薄い、または「無い」親たちが外ですることなんて
「しれて」います。折角「子宝」に恵まれて、子供を育てる喜びを放棄したい
などとは、そもそも「子育て」など語る資格が有りません。もちろんたまには
美容院へ行ったり、友達とランチしたり、お買い物もしたいし、文化的なもの
にも触れてみたいです。だからちゃんと静岡市では、そういったことにも
対応できる「仕組み」を作ってあります。旦那を使ったり、実家を使ったり、
友達を使ったりして「たまに」時間を作れば良いんです。
確かに、そういった施設や組織が地域ごとにあれば良いと思います。
ですが、子育てが、しやすいの上位3位に、全く「子供」を慮ったアイデアが
「子供」の研究発表から出てこないのは、大変な問題だと思いました。
子育てが、しやすい環境とは「安全な遊び場」「防犯」「子供への関心と理解」
それが揃っているという事です。「自然」が沢山あることを田舎は自慢しますが、
自然は有っても「触れる」機会は「ほぼゼロ」です。整備されていない危険な
場所だらけです。そこで工夫して遊んだりするには、やはり地域住民の
「子供への関心と理解」が不可欠なのです。
私が「やばい」と感じたのは「そこ」です。つまり発表をした子供たちは
「どうせ」ここを出てゆくだろうという前提でいます。そのまま、この田舎に
残って暮らす子供たちは極々少数でしょう。都会に出てゆかなくても、
利便性の整った市街地に出て行って暮らすであろう事は容易に想像が付きます。
子育てが、しいやすいとは、子育てをすることが前提です。
早く言えば母親でも父親でも子供が就学するまで保育園にすら預ける必要が
無い環境こそ、最も優れた「育児環境」だと言えるでしょう。北欧みたいです。
働く理由は「金」だけでは有りません。しかし経済的な理由を一時的に逃れる
ことが出来るのなら、人生の「ほんの一時」、子供と四六時中寄り添って生きて
みるのは、人間だけに許された「至福の時」だと私は考えています。
もちろん凄まじいストレスが襲ってきます。ですから、そんなときに、それらを
緩和できる「環境」こそ、子育てが、しやすい地域だと言えると思うのです。
少子化を止めるために金を、ばら撒いています。無駄とは言いません。
ですが効果は無いでしょう。子供を育てるのは、こんなにも楽しい、毎晩、明日の
朝がやってくるのが楽しみで仕方が無い。子供が成長して手が掛からなくなって、
心から寂しいと感じる。そう感じられるような生活環境こそが少子化を改善させる
唯一の手だと思います。それは少子化のみならず、高齢化社会の介護の問題も
同時に解決されることを意味します。
「明日の朝が楽しみで仕方が無い」
これは、人が豊かに生きている証拠でもあるのです。
未来の担い手に、どっかから借りてきたような言葉やアイデアを、ただ単に
「発表」すれば良いからと指導しているような学校では、未来を担う「覇者」を
生み出せる可能性は低いと少々落胆したのでした。

「やばい」そう感じました。
子供が子供らしくないんですよ。たまたまのクラスだったかも
しれませんが。2年生の発表を聞いて、とても考えさえられ
ましたね。テーマは「地域の活性化」なんですけどね。
田舎に限らず日本は少子化の問題を抱えていますよね。
ただ子供らしかったのは、少子化と「高齢化社会」が
抱き合わせで語られていなかったことですけどね。(笑)
で、子供たちが「移住者」を募るには?ってことで諸々アイデアを
出して行く訳なんです。もう「移住者」って言葉を使っている辺りで
完璧「大人の受け売り」をして行くんだろうなと察しが付きましたが。
で、全く、そのような流れだったんですけどね。ひとつの班だけ、
とても現実的なのに未来を感じさせる良い提案を出してくれたんですが。
今日は、そっちは置いておいて、「やばい」と感じた発表について、
軽く触れてみたいと思うのです。
とある班が、魅力的な地域になれば、移住者が増えるだろうという
前提で、では「何が」有って、「何を」すれば良いかという考察を
発表した訳ですよ。いくつか有る中で「子育てがしやすい街」と
いう、これまたバリバリ大人の受け売りキーワードですが。
その対策として「子供を預けられる場所が無い」ことが問題だと
発表したのです。いやぁ~もうその思考が問題でしょ~と私は
唸ってしまったのでした。
この地域では若い子育て世代のママさんサークルが、この子供を
預ける施設が欲しいと騒いでいた時期が有りました。きっと、これらの
ソースが元になって、子供たちは発表したに違いありません。
しかし地域には保育園も認定子供園もあります。つまり「一時預かり」の
施設、つまり自分たちが自由な時間を持ちたいから、子供を預かって
くれるような施設や制度が無いものか?と要望していた訳ですね。
決して働きに出たいから子供を預かって欲しいというニーズでは有りません。
分かりますが...
「子育てがしやすい」のと「子供を預けて余暇が持てる」のとは全く
重ならないと思いますね。子供を育てやすいとは、いったいなんでしょう?
もう一度良く考えてみて欲しいです。
男の、お前が何を知った風なことを言ってやがると、お叱りを受けそう
ですが、私には紆余曲折、子育てについては、威張って言うほどの
「諸々」がございます。
子供を「ちょっくら」預けて「何を」されたいのでしょうかという事です。
子供の気持ちは考えたことが有るでしょうか。子供は母親から「片時」
だって離れていたくないと感じているものです。ずっと見つめられていたいと
思いながら生きています。従って、子育てが、しやすいとは、まず「子供」の
ニーズが満たされることが可能かどうかが重要なのです。
子供が伸び伸びと、豊かに成長できる環境こそが、「子育て」の優良な
環境なのです。つまり子供が幸せそうな様子を見て、自分も満たされるような
環境でなければ、子育てが、しやすい良い環境だとは言えないのです。
子供の幸せに興味が薄い、または「無い」親たちが外ですることなんて
「しれて」います。折角「子宝」に恵まれて、子供を育てる喜びを放棄したい
などとは、そもそも「子育て」など語る資格が有りません。もちろんたまには
美容院へ行ったり、友達とランチしたり、お買い物もしたいし、文化的なもの
にも触れてみたいです。だからちゃんと静岡市では、そういったことにも
対応できる「仕組み」を作ってあります。旦那を使ったり、実家を使ったり、
友達を使ったりして「たまに」時間を作れば良いんです。
確かに、そういった施設や組織が地域ごとにあれば良いと思います。
ですが、子育てが、しやすいの上位3位に、全く「子供」を慮ったアイデアが
「子供」の研究発表から出てこないのは、大変な問題だと思いました。
子育てが、しやすい環境とは「安全な遊び場」「防犯」「子供への関心と理解」
それが揃っているという事です。「自然」が沢山あることを田舎は自慢しますが、
自然は有っても「触れる」機会は「ほぼゼロ」です。整備されていない危険な
場所だらけです。そこで工夫して遊んだりするには、やはり地域住民の
「子供への関心と理解」が不可欠なのです。
私が「やばい」と感じたのは「そこ」です。つまり発表をした子供たちは
「どうせ」ここを出てゆくだろうという前提でいます。そのまま、この田舎に
残って暮らす子供たちは極々少数でしょう。都会に出てゆかなくても、
利便性の整った市街地に出て行って暮らすであろう事は容易に想像が付きます。
子育てが、しいやすいとは、子育てをすることが前提です。
早く言えば母親でも父親でも子供が就学するまで保育園にすら預ける必要が
無い環境こそ、最も優れた「育児環境」だと言えるでしょう。北欧みたいです。
働く理由は「金」だけでは有りません。しかし経済的な理由を一時的に逃れる
ことが出来るのなら、人生の「ほんの一時」、子供と四六時中寄り添って生きて
みるのは、人間だけに許された「至福の時」だと私は考えています。
もちろん凄まじいストレスが襲ってきます。ですから、そんなときに、それらを
緩和できる「環境」こそ、子育てが、しやすい地域だと言えると思うのです。
少子化を止めるために金を、ばら撒いています。無駄とは言いません。
ですが効果は無いでしょう。子供を育てるのは、こんなにも楽しい、毎晩、明日の
朝がやってくるのが楽しみで仕方が無い。子供が成長して手が掛からなくなって、
心から寂しいと感じる。そう感じられるような生活環境こそが少子化を改善させる
唯一の手だと思います。それは少子化のみならず、高齢化社会の介護の問題も
同時に解決されることを意味します。
「明日の朝が楽しみで仕方が無い」
これは、人が豊かに生きている証拠でもあるのです。
未来の担い手に、どっかから借りてきたような言葉やアイデアを、ただ単に
「発表」すれば良いからと指導しているような学校では、未来を担う「覇者」を
生み出せる可能性は低いと少々落胆したのでした。

2017年10月30日
2017年10月29日
馬鹿みたい
なんか、ものすごく忙しなく、出来るだけ何かを
詰め込んでいる様にしか見えないんだよ。
余りにも多すぎて、質が口にするのも嫌になるほど
低いんだってば。やってる意味が無い。
減らそうって言ってる傍から、その会議をやったり(笑)
馬鹿は変えられないね。勝手にやってろ。
天候だって考えて企画するなんて常識だと思うけどね。
中止に出来ないなら屋内開催だとか。
そもそも天候によって開催が困難だったり、開催意義が
著しく低下するような企画は「民間」だとか、ボランティアが、
やるべきじゃないんだよ。無理が有り過ぎる。
学校行事や地域の行事は「従前に」なものが多いのは
仕方が無いことだけど。毎年のように関わる人間が
変わってしまうんだしね。
だから「違う人でも」「容易に」行うことが出来る範囲で
企画を運営することが企画の価値を維持する秘訣なんだよ。
やれば良いってもんじゃないんだって。
もうそんな時代じゃないんだってさ。分からないかね。
もう誰も、ちょんまげを結ってないし、扇子持って、
ボディコン着て歩いている人も居ないんだよ。ニーズに
よって、企画を考えるのはPTAや地域がやることじゃ
ないんだよ。「仲良し団体」だったり「有志」だったり「行政」が
やることなんだって。学校も、そのPTAも「お役所仕事」
みたいに色々やるのは考えた方が良いよ。
支えが無いんだもん。
実施意義を「どこかに」忘れてきちゃってる。
なんでやるの?って、考えたら他の事やった方が良いって
見つかるはずだよ。減らすって言うより、置き換えるんだよ。
なんで人数も少ないのに、地域ごとに分担して「バラバラ」の
ことをするんだろう...
全員で一つのことをすれば良いのに...
なんでも「お金」を簡単に作り出そうってのが「下衆」に
感じちゃうんだよね。どうせやるなら連帯感が生まれるとか、
子育てのヒントになるとか無けりゃ意味が無いと思うんだけどね。
従前ってのは怖いんですよ。
もしも会議をするんだったら、これを年頭にやらなきゃ駄目。
「反省」ってのは直後も駄目、ただの飲み会なんて、
もっての外。年度が替わって、今年も行事を継続するとなった
ときに、必ず前年で「得られた収穫」を精査しなきゃ駄目。
無ければ、もう「消滅」で構わない。だってボランティアだもの。
利潤の追求じゃないんだから、もう「意義」の1点だけで
十分ってくらいだ。赤字だって良い。儲けちゃ駄目なんだって。
金が必要だったら「集金」すりゃ良い。そもそも、そんなに金が
必要なんてこと有るか?!
もしそうなら行政が悪い。議員に働きかければ良い事だ。
行事を作りたがる人は思慮が浅い人が多い。
物を見て、その「影」まで観察する能力が無い。
言い方は悪いが「単純」な人だ。「良い」ことだけを想像して、
思い付きを積み上げてゆく。これが好結果に繋がることもある。
だが「大勢」を巻き込んで行う場合には「人の意見」も
聞かなければならない。やはりどう考えても「単純」なことだけに
しておいた方が無難だ。
プロ顔負けの道具を揃えて、衛生的にも管理されていない、
防災も考慮していない状態で、簡単に金を集めるのは良くない。
私は毒物混入カレー事件を思い浮かべる。
兎にも角にも、「目的」からではなく「意義」が大切だ。
大儀が有って、そのための「目的」、そして「手段」とならなければ。
昨日、観覧した中学校の学習発表で2年生のなかの2番目に
発表をしたチームには見るものがあった。突き詰めてゆくと、
実に有益な効果を発揮できるアイデアと考察を持っていたと感じた。
大人は「ふ~ん」すら感じないで聞き流していたものも多くいた。
おばさん連中は「おしゃべり」に夢中になっているものもいた。
折角の「ナイス」なのに、レシーバーが居なくては、発展も
しなければ、子供たちの士気も上がらない。
つまり、こういった「下らない行事」を「やればいいんでしょ」と
流してゆく大人に育てるということに繋がって行くのだ。
いつだったか息子が言っていた。
「じゃあダイヤモンドって沢山見つかれば価値が下がっちゃうのか」
私は「ああ、そうだよ」と言った。
「だからダイヤモンドを掘りに行くより今あるダイヤを燃やしちゃえば
少なくなったダイヤの価値は死ぬほど上がるよ」と答えた。
早い話が、そういうことなのである。
詰め込んでいる様にしか見えないんだよ。
余りにも多すぎて、質が口にするのも嫌になるほど
低いんだってば。やってる意味が無い。
減らそうって言ってる傍から、その会議をやったり(笑)
馬鹿は変えられないね。勝手にやってろ。
天候だって考えて企画するなんて常識だと思うけどね。
中止に出来ないなら屋内開催だとか。
そもそも天候によって開催が困難だったり、開催意義が
著しく低下するような企画は「民間」だとか、ボランティアが、
やるべきじゃないんだよ。無理が有り過ぎる。
学校行事や地域の行事は「従前に」なものが多いのは
仕方が無いことだけど。毎年のように関わる人間が
変わってしまうんだしね。
だから「違う人でも」「容易に」行うことが出来る範囲で
企画を運営することが企画の価値を維持する秘訣なんだよ。
やれば良いってもんじゃないんだって。
もうそんな時代じゃないんだってさ。分からないかね。
もう誰も、ちょんまげを結ってないし、扇子持って、
ボディコン着て歩いている人も居ないんだよ。ニーズに
よって、企画を考えるのはPTAや地域がやることじゃ
ないんだよ。「仲良し団体」だったり「有志」だったり「行政」が
やることなんだって。学校も、そのPTAも「お役所仕事」
みたいに色々やるのは考えた方が良いよ。
支えが無いんだもん。
実施意義を「どこかに」忘れてきちゃってる。
なんでやるの?って、考えたら他の事やった方が良いって
見つかるはずだよ。減らすって言うより、置き換えるんだよ。
なんで人数も少ないのに、地域ごとに分担して「バラバラ」の
ことをするんだろう...
全員で一つのことをすれば良いのに...
なんでも「お金」を簡単に作り出そうってのが「下衆」に
感じちゃうんだよね。どうせやるなら連帯感が生まれるとか、
子育てのヒントになるとか無けりゃ意味が無いと思うんだけどね。
従前ってのは怖いんですよ。
もしも会議をするんだったら、これを年頭にやらなきゃ駄目。
「反省」ってのは直後も駄目、ただの飲み会なんて、
もっての外。年度が替わって、今年も行事を継続するとなった
ときに、必ず前年で「得られた収穫」を精査しなきゃ駄目。
無ければ、もう「消滅」で構わない。だってボランティアだもの。
利潤の追求じゃないんだから、もう「意義」の1点だけで
十分ってくらいだ。赤字だって良い。儲けちゃ駄目なんだって。
金が必要だったら「集金」すりゃ良い。そもそも、そんなに金が
必要なんてこと有るか?!
もしそうなら行政が悪い。議員に働きかければ良い事だ。
行事を作りたがる人は思慮が浅い人が多い。
物を見て、その「影」まで観察する能力が無い。
言い方は悪いが「単純」な人だ。「良い」ことだけを想像して、
思い付きを積み上げてゆく。これが好結果に繋がることもある。
だが「大勢」を巻き込んで行う場合には「人の意見」も
聞かなければならない。やはりどう考えても「単純」なことだけに
しておいた方が無難だ。
プロ顔負けの道具を揃えて、衛生的にも管理されていない、
防災も考慮していない状態で、簡単に金を集めるのは良くない。
私は毒物混入カレー事件を思い浮かべる。
兎にも角にも、「目的」からではなく「意義」が大切だ。
大儀が有って、そのための「目的」、そして「手段」とならなければ。
昨日、観覧した中学校の学習発表で2年生のなかの2番目に
発表をしたチームには見るものがあった。突き詰めてゆくと、
実に有益な効果を発揮できるアイデアと考察を持っていたと感じた。
大人は「ふ~ん」すら感じないで聞き流していたものも多くいた。
おばさん連中は「おしゃべり」に夢中になっているものもいた。
折角の「ナイス」なのに、レシーバーが居なくては、発展も
しなければ、子供たちの士気も上がらない。
つまり、こういった「下らない行事」を「やればいいんでしょ」と
流してゆく大人に育てるということに繋がって行くのだ。
いつだったか息子が言っていた。
「じゃあダイヤモンドって沢山見つかれば価値が下がっちゃうのか」
私は「ああ、そうだよ」と言った。
「だからダイヤモンドを掘りに行くより今あるダイヤを燃やしちゃえば
少なくなったダイヤの価値は死ぬほど上がるよ」と答えた。
早い話が、そういうことなのである。
2017年10月28日
娘の夢
今日は長女と次女が通う中学校の学習発表会でした。
ここ数年、行ってなかったんですが。
長男を模試に送らなくては、いけなかったし、まぁ娘二人が
頑張っているようだしという訳で参加してきました。
合唱を聞かせてくれたり、子供たちが考えた地域の活性化
プランなどを発表してくれました。楽しかったです。
三年生たちは将来の「夢」を一人ずつ語ってゆくのです。
知りませんでした。
娘の番が来ました。何を言うんだろ...
「私は、デザインを考えるのが好きなので、将来は建築家になり
お父さんと一緒に仕事がしたいです」と言い放ちました。
うう、お前もか...
やめた方が良いのに...
でも「お父さんと一緒に仕事したい」には平常心でいられないほど
嬉しかったよ。(T-T)
こちらは次女が作った「寿司の食品サンプル」。
マグロらしきものを横にして「浜田の唇」とかって遊んでいたら、
ガチで睨まれてしまいました。ごめんなさい。

ここ数年、行ってなかったんですが。
長男を模試に送らなくては、いけなかったし、まぁ娘二人が
頑張っているようだしという訳で参加してきました。
合唱を聞かせてくれたり、子供たちが考えた地域の活性化
プランなどを発表してくれました。楽しかったです。
三年生たちは将来の「夢」を一人ずつ語ってゆくのです。
知りませんでした。
娘の番が来ました。何を言うんだろ...
「私は、デザインを考えるのが好きなので、将来は建築家になり
お父さんと一緒に仕事がしたいです」と言い放ちました。
うう、お前もか...
やめた方が良いのに...
でも「お父さんと一緒に仕事したい」には平常心でいられないほど
嬉しかったよ。(T-T)
こちらは次女が作った「寿司の食品サンプル」。
マグロらしきものを横にして「浜田の唇」とかって遊んでいたら、
ガチで睨まれてしまいました。ごめんなさい。

2017年10月27日
脱力中
さすがに気が抜けたな。諸々あって。
でも細かい仕事をやったな。
でもさっぱり収拾がつかないな。
なんか数年ぶりに業者さんに電話したら、
全く違うところに繋がった。
倒産して久しいって事だろうな。
やるせない。
適正価格ってなんだろう。
価格競争で、あんなに一杯仕事してたのに。
働いて潰れてしまうなんて。
私も明日は我が身だ。
設計屋なんて、みんな食えない。
食える方が不思議だ。
っていうか、施工屋さんも大変だ。
こんなに雨ばかりじゃ仕事にならない。
きっと今年は借金が増えただろうな。
勤め人は、声高に選挙に行こう!!とか、
やってたけど、国金、行こう!!って感じの
人が毎日増えているよね。大変だ。
政治なんて、正直、誰がやっても変わらない。
官僚支配の国だもの。
なんか、毎日必死で仕事を取ってこようと
頑張っている人は、そう仕事している人じゃなくて、
仕事を取ってこようって、躍起になっている人は
綺麗ごとに付き合っている余裕なんて無いよね。
分かる。責められないよ。
電話一本で金を稼ぐ人は良いよね。
頭も良いんだろうね。
1万円使うのは簡単だけど、1万円稼いでくるのは
本当に大変だ。
みんな別に豪遊したいわけじゃない。
安心して「働きたい」だけなんだ。
みんな働くことが好きで、楽しんでる。
健康で、働くって本当に気分が良い。
みんなで笑って暮らしたいだけだよね。
政治家は知っているのかな...
戦争も御免だし、環境も良くなった方が良い。
だけど、働いた給料で普通に生活して笑えるのかな。
毎日一生懸命に働いて、明日も同じ仕事が有るのかな。
本当は、みんな自分さえ良ければ、それで良いと
思ってやしないだろうか。
だって人事じゃないんだろう?
でも細かい仕事をやったな。
でもさっぱり収拾がつかないな。
なんか数年ぶりに業者さんに電話したら、
全く違うところに繋がった。
倒産して久しいって事だろうな。
やるせない。
適正価格ってなんだろう。
価格競争で、あんなに一杯仕事してたのに。
働いて潰れてしまうなんて。
私も明日は我が身だ。
設計屋なんて、みんな食えない。
食える方が不思議だ。
っていうか、施工屋さんも大変だ。
こんなに雨ばかりじゃ仕事にならない。
きっと今年は借金が増えただろうな。
勤め人は、声高に選挙に行こう!!とか、
やってたけど、国金、行こう!!って感じの
人が毎日増えているよね。大変だ。
政治なんて、正直、誰がやっても変わらない。
官僚支配の国だもの。
なんか、毎日必死で仕事を取ってこようと
頑張っている人は、そう仕事している人じゃなくて、
仕事を取ってこようって、躍起になっている人は
綺麗ごとに付き合っている余裕なんて無いよね。
分かる。責められないよ。
電話一本で金を稼ぐ人は良いよね。
頭も良いんだろうね。
1万円使うのは簡単だけど、1万円稼いでくるのは
本当に大変だ。
みんな別に豪遊したいわけじゃない。
安心して「働きたい」だけなんだ。
みんな働くことが好きで、楽しんでる。
健康で、働くって本当に気分が良い。
みんなで笑って暮らしたいだけだよね。
政治家は知っているのかな...
戦争も御免だし、環境も良くなった方が良い。
だけど、働いた給料で普通に生活して笑えるのかな。
毎日一生懸命に働いて、明日も同じ仕事が有るのかな。
本当は、みんな自分さえ良ければ、それで良いと
思ってやしないだろうか。
だって人事じゃないんだろう?
2017年10月26日
唱和、救急車で運ばれる。
昨日なんですけどね。
何ともなかったんですけどね。
やっぱ平常心ではいられませんね。
愛してるって心底思いますね。
まぁ今日は、うるせーほど元気です。
やっぱ健康が一番ですね。
なんとかコンペも間に合いました。

何ともなかったんですけどね。
やっぱ平常心ではいられませんね。
愛してるって心底思いますね。
まぁ今日は、うるせーほど元気です。
やっぱ健康が一番ですね。
なんとかコンペも間に合いました。

2017年10月24日
2017年10月23日
死刑台のエレベーター
私にとっての50’Sを象徴するのが、この映画だ。
50年代ってのは、一言で言うと「カッコいい」時代だと思う。
つまり「クール」なのだ。
セクシーでもあり、とにかく「気取った」年代だったと思う。
粋で、いなせな。
今の時代の、カッコいいとは全く違っていると思う。
死刑台のエレベーターは、フランス映画だ。
のっけからマイルスの音色とジャンヌ・モローの容姿で、
尋常じゃないムードが漂う。1958年の作品。
公開から5年して私は生まれた。
母は憧れの存在でもあった。父のスーツ姿とスクーターにも
強烈に憧れた。大人になってからも「ああなりたい」と思った。
流行のファッションには大して興味がなく、ジャイビーアイビーと
呼ばれる、黒人ジャズミュージシャンが好んで着ていた、
いじり倒したアイビーファッションか、もう少し前のブリティッシュ
アイビーのような格好をしていた。
モナコの休日のような?そんな気取った格好も好きだった。
どれも古い映画の影響が強い。
話は変わるが安藤忠雄は、すこぶるカッコいい。
何もかもカッコいい。
安藤の建築が一際輝いたのは、80年代だと思う。確かに
カッコいい建築だ。だが私のカッコいいは、もっと古くて、
「脇役」なのだ。ものすごい主張があっても、建築は背景だ。
教会の設計をしていた。
何人かの著名な建築家の作品が頭に浮かぶ。
私は、モダンなデザイナーだと認めている。だが。
今必要な、今の時代に必要な「背景」は、決してモダンでは
ないのだ。と、思えてならない。
今を生きる人々に必要な空間を考えるのも立派な建築家の
仕事だと思えてならない。
新しいものを生み出すのではなく、今、自分が、やらなければ
ならない仕事というものを、ずっと気にしている。
死刑台のエレベーターが、この世に生み出される条件があった。
それは「金」だ。
脚本も手がけた監督のルイ・マルが、この映画を製作したときは
若干25歳。マイルスやモローのようなビッグネームを使うことが
出来たのは、実家が裕福だったからに他ならない。
この世に才能を花開かせるには、やはり金は必要だと思う。
パトロンだ。
引き合いに出すようだが、安藤忠雄自身は裕福ではなかった。
だが、パトロンを得た。
仕事を得たというよりも確実に「チャンス」を捕まえたのだ。
私は、ルイ・マルや安藤のようにチャンスを捕まえることが
出来るだろうか。そのことに躍起には、なれない。
ただ、手を休めることなく、とにかく設計をしていたいと
思わないでは、いられない。まだ止められない。

タバコの似合う女だった。この口の形が一番セクシーだと思う。
50年代ってのは、一言で言うと「カッコいい」時代だと思う。
つまり「クール」なのだ。
セクシーでもあり、とにかく「気取った」年代だったと思う。
粋で、いなせな。
今の時代の、カッコいいとは全く違っていると思う。
死刑台のエレベーターは、フランス映画だ。
のっけからマイルスの音色とジャンヌ・モローの容姿で、
尋常じゃないムードが漂う。1958年の作品。
公開から5年して私は生まれた。
母は憧れの存在でもあった。父のスーツ姿とスクーターにも
強烈に憧れた。大人になってからも「ああなりたい」と思った。
流行のファッションには大して興味がなく、ジャイビーアイビーと
呼ばれる、黒人ジャズミュージシャンが好んで着ていた、
いじり倒したアイビーファッションか、もう少し前のブリティッシュ
アイビーのような格好をしていた。
モナコの休日のような?そんな気取った格好も好きだった。
どれも古い映画の影響が強い。
話は変わるが安藤忠雄は、すこぶるカッコいい。
何もかもカッコいい。
安藤の建築が一際輝いたのは、80年代だと思う。確かに
カッコいい建築だ。だが私のカッコいいは、もっと古くて、
「脇役」なのだ。ものすごい主張があっても、建築は背景だ。
教会の設計をしていた。
何人かの著名な建築家の作品が頭に浮かぶ。
私は、モダンなデザイナーだと認めている。だが。
今必要な、今の時代に必要な「背景」は、決してモダンでは
ないのだ。と、思えてならない。
今を生きる人々に必要な空間を考えるのも立派な建築家の
仕事だと思えてならない。
新しいものを生み出すのではなく、今、自分が、やらなければ
ならない仕事というものを、ずっと気にしている。
死刑台のエレベーターが、この世に生み出される条件があった。
それは「金」だ。
脚本も手がけた監督のルイ・マルが、この映画を製作したときは
若干25歳。マイルスやモローのようなビッグネームを使うことが
出来たのは、実家が裕福だったからに他ならない。
この世に才能を花開かせるには、やはり金は必要だと思う。
パトロンだ。
引き合いに出すようだが、安藤忠雄自身は裕福ではなかった。
だが、パトロンを得た。
仕事を得たというよりも確実に「チャンス」を捕まえたのだ。
私は、ルイ・マルや安藤のようにチャンスを捕まえることが
出来るだろうか。そのことに躍起には、なれない。
ただ、手を休めることなく、とにかく設計をしていたいと
思わないでは、いられない。まだ止められない。

タバコの似合う女だった。この口の形が一番セクシーだと思う。
2017年10月22日
諦めない
今日は寝坊しました。
何度も目は覚めていましたが、布団から出ないでいると、
せがれをバイト先へ送る時間ギリギリに目が覚める。
慌てて支度をして送りました。時折強く雨が振る中、
買い物を済ませて帰宅。
CGで作ったモデルのトレースを始めたのですが、
案の定ランプが切れてしまいました。
12V20Wまでの仕様でしたが、売ってなかったので
12V50Wを付けたのです。アダプターの故障でしょう。
当然です。
実は最近買ったばかりの、セミビンテージの卓上ランプも
故障していたんです。煙を上げて着かなくなりました。
こちらに関しては仕様を守って電球を取り付けたのですが、
そもそも電球が切れた訳ではなく、何かしらの故障が
在ったものを購入してしまったようです。
新品の電球が付いていましたが、売った方も、故障していた
のを知っていて、たまたま電球を入れ替えたら明かりが
着いたので早いうちに売ってしまおうとなったのでしょう。
オークションに有りがちな事です。
なぜ分かったかというと、一念発起、分解して修理を
試みると、一度ばらした後がありました。本体部分を
ばらしましたが、そもそも変圧部分はブラックボックスで
解体できませんでした。ソケット部分をバラしてみると、
接点がさびていました。古くなったせいばかりでなく、
恐らく湿気か水が掛かって、ショートを起こしたり、熱を持った
コネクタが絶縁部分を溶かしてしまって在ったようです。
そこから煙を上げたんでしょうね。
可動部分が、ユニークな接点になっているのですが、そこに
接点復活材を掛けて、それから端子の錆を軽く取って、
絶縁をテープで、やり直して通電させると明かりが着きました。
良かったです。ですが、付属してきた電球では煙が出ました。
仕様の定格電圧は守られているものでしたが、私が購入した
ものに付け替えると煙も出なく安定しました。
購入当初よりも明るくなりました。そもそも、あまり電気の流れも
良くなかったのですね。根気が大事ですが、買ったばかりで、
大枚はたいていますから、おいそれとは諦め切れませんと。
なんとか、トレースも最後までやり終えて、これで、おねえちゃんの
勉強も出来るようになった訳ですが。
おねえちゃん、もう諦めてしまったのでしょうか。全く勉強しません。
性格は、すこぶる付きに良い子なのですが。
まぁこの適当な性格は家内とそっくりで、ある意味「財産」でしょうし、
勉強は、仕方が無いのかなとも思います。
来週は長男の模試です。これの結果で受けるかどうか決めると
思います。せがれは、まだまだ諦めていないようですが。
そんな一日でした。

イタリアのPAF MILANO社製です。デザインは、Mario Barbagliaと
Marco Clomboです。
何度も目は覚めていましたが、布団から出ないでいると、
せがれをバイト先へ送る時間ギリギリに目が覚める。
慌てて支度をして送りました。時折強く雨が振る中、
買い物を済ませて帰宅。
CGで作ったモデルのトレースを始めたのですが、
案の定ランプが切れてしまいました。
12V20Wまでの仕様でしたが、売ってなかったので
12V50Wを付けたのです。アダプターの故障でしょう。
当然です。
実は最近買ったばかりの、セミビンテージの卓上ランプも
故障していたんです。煙を上げて着かなくなりました。
こちらに関しては仕様を守って電球を取り付けたのですが、
そもそも電球が切れた訳ではなく、何かしらの故障が
在ったものを購入してしまったようです。
新品の電球が付いていましたが、売った方も、故障していた
のを知っていて、たまたま電球を入れ替えたら明かりが
着いたので早いうちに売ってしまおうとなったのでしょう。
オークションに有りがちな事です。
なぜ分かったかというと、一念発起、分解して修理を
試みると、一度ばらした後がありました。本体部分を
ばらしましたが、そもそも変圧部分はブラックボックスで
解体できませんでした。ソケット部分をバラしてみると、
接点がさびていました。古くなったせいばかりでなく、
恐らく湿気か水が掛かって、ショートを起こしたり、熱を持った
コネクタが絶縁部分を溶かしてしまって在ったようです。
そこから煙を上げたんでしょうね。
可動部分が、ユニークな接点になっているのですが、そこに
接点復活材を掛けて、それから端子の錆を軽く取って、
絶縁をテープで、やり直して通電させると明かりが着きました。
良かったです。ですが、付属してきた電球では煙が出ました。
仕様の定格電圧は守られているものでしたが、私が購入した
ものに付け替えると煙も出なく安定しました。
購入当初よりも明るくなりました。そもそも、あまり電気の流れも
良くなかったのですね。根気が大事ですが、買ったばかりで、
大枚はたいていますから、おいそれとは諦め切れませんと。
なんとか、トレースも最後までやり終えて、これで、おねえちゃんの
勉強も出来るようになった訳ですが。
おねえちゃん、もう諦めてしまったのでしょうか。全く勉強しません。
性格は、すこぶる付きに良い子なのですが。
まぁこの適当な性格は家内とそっくりで、ある意味「財産」でしょうし、
勉強は、仕方が無いのかなとも思います。
来週は長男の模試です。これの結果で受けるかどうか決めると
思います。せがれは、まだまだ諦めていないようですが。
そんな一日でした。

イタリアのPAF MILANO社製です。デザインは、Mario Barbagliaと
Marco Clomboです。
2017年10月21日
2017年10月20日
蒼氓
石川達三という小説家を知っているだろうか。
私も知らなかった。この作家を知った切っ掛けは山下達郎の
「僕の中の少年」というアルバムに納められている「蒼氓」とう
曲にまつわるエピソードを知ったときだった。
達郎は石川達三の小説「蒼氓」からヒントを得て自分の曲の
詞を書き上げたと語っていた。
小説「蒼氓」は、ブラジルに移民する日本人達の様子を書いた
ものだった。余談だが日本で初めて芥川賞に選ばれた本だ。
処女作。大した才能である。
さて蒼氓とPCでタイプしてみて欲しい。きっと「蒼茫」と出るはずだ。
蒼氓の「氓(ぼう)」という文字は見慣れないだろう。蒼は、そのまま
「あおい」という意味なのだが、蒼氓と書くと、これは、また違った
意味になってくる。蒼氓が出版されたのは1935年だ。昭和10年。
実は、この小説は映画化されていて、先ほど私は知らなかったと
書いたが、この映画には記憶が有って「ああ、あの映画のか」と
なったのを覚えている。今日は長くなりますよ(笑)
さて話を少し戻そう。
「蒼茫」の「茫」は「果てしない」という意味を持っている。つまり、
どこまでも青い景色を指して言う言葉なのである。今日、この記事を
書こうと思った理由の一つ。それは今日の外の景色が、何処までも
蒼かったからだ。だがタイトルに書いた「蒼氓」の方は全く違う意味を
持っている。最初に言ってしまうが「人々」って意味だ。
だが「氓」という字の意味を知ると、その「人々」について一気に
想像が働く。氓は「庶民」だとか「のっぱら」なんて意味だと在る。
そして漢和辞典には「他より帰化せし民」と書いてある。
そうだ移民と繋がるのだ。
石川の蒼氓は、日本から移民した何でもない人々の話ということを
タイトルに付けたものだ。達郎の歌は、もっと遡って、日本人は、
今の国土に流れ着いた、もっと言えば人類は長い旅を終え、生きる
土地を見つけた。だが我々の生命は長くて80年少々を生きて終える。
人の一生は一箇所に止まって最初から最後まで暮らすことの方が稀だ。
そこに暮らす一人の人間の思いを歌ったものだ。
「氓」には「ススキ」という意味も在る。
表に出て見渡すと秋の雑草たちが生い茂り、一斉に花を咲かせている。
雑草のようなものでも、どこからともなく飛んできて、この地に根を張り
寄り添って暮らしていると見て取れる。
我々も、名も知れぬものたちが集まって、地域だとか社会だとかを
作っている。なんとなく力を合わせて、一つになっている様子を伺わせる。
選挙がある。これも書こうと思った理由のひとつだ。
「氓」は国を亡くした民と書く。
戦前の貧しい日本人は夢を抱いてブラジルに渡った。だが、そこには
思い描いたような夢は一切存在しなかった。
私は25歳のときに町工場に半年ほどアルバイトに通った。
その工場の従業員は99パーセントが「ブラジル日系人」だった。70歳を
過ぎた高齢の夫婦と仲良くなった。彼らは大変な重労働を課せられていた。
毎日が辛そうだった。私は、それほどまでして出稼ぎに来なければなら
ない程、ブラジルでの暮らしは悲惨なものなのかと尋ねた。
すると老人は「いいえ、それは大した理由では有りません」と言った。
「お父さんと、お母さんの生まれた国に来てみたかった」
「本物の日本人が暮らす日本を見てみたかった」と言いました。
彼らは純粋な日本人であるにも関わらず、外国で生まれて、外国でも
外国人扱いをされ、差別され、日本に来ても外国人扱いをされていました。
非常に胸が痛んだのを良く覚えています。
そして老人は、こうも言いました。「思ったような国じゃなかった」と。
戦前の日本人と現代の日本に住む日本人では、正直「よその国」の人だと
思えるほど、思想も生活も「生き方」も変わってしまっていたのでしょう。
老人の御両親は所謂「古い日本人」です。その古風で頑固で頑張り屋の
両親に「日本人」として、外国で、しっかりと育てられたのです。
そう感じても、おかしくは無いと私は思いました。
私は約8年前に今の住まいに越してきました。私としては単純に「引越し」を
同じ市内でしただけだと思っていましたが、会う人と会う人に「移住」して
きた人だねと言われました。非常に違和感を覚えましたし、今でも自分を
「移住者」だとは思っていません。
越してきたばかりの頃、家内に「あと1年は我慢する」
「でもそうしたら、ここを出て行く」「約束して」と泣きながら迫られました。
こんな何も無いところ、友達もいなくなってしまったと毎日のように泣いて
いたのを思い出します。
あれから8年。泣くことは無くなりましたが、色々考えることも有ります。
私達家族は、なんとか「この地」に根を張ろうと頑張ってきました。
最初でこそ色々な人たちが笑顔で集まってきましたが、今思えば、それも
「物珍しさ」だけだったように感じます。私達に何か出来やしないかと無理も
したことが有りました。ですが、全て空回りに終わったように思います。
子供達も巣立って行きます。この地に根を張る意味が有るのかと、考えることも
多くなりました。ブラジルに移民した人たちは、もう「後戻り」出来なかっただけ
だったとも言えます。小説「蒼氓」では、男女の心の葛藤が時代背景とともに
描かれています。当時の女性には「権利」というものが与えられていなかったと
いう事もありますが、なにより「日本女性」の生き方が、女性達の一生を
左右していたように思います。
小説の主人公の女性は思いを寄せていた男性とは別の男性のプロポーズを
受けて結婚します。時のいたずらというものは昔も今も変わりません。
家内は、話し合いの元で決めた転居でしたが、実際には私の「想い」に
寄り添って、転居に賛成して着いて来てくれたのだと思いました。
俄かに「蒼氓」を思い出したのです。
達郎の蒼氓が発表された年は1988年です。今から29年前。私が町工場に
働きに行っていた年と同じです。蒼氓を聴いて蒼氓を知り、リアルに日系人から
蒼氓の舞台となった入植地の話を聞くことが出来た。
実は、この記事を書こうと思いついた、もう一つの理由があります。
今日は教会の設計をやっていました。よくある結婚式場に併設された
「いかにも」な教会では有りません。街中の空き地に新たに建てられる教会です。
すぐに「ボーリズ」の建築が頭に浮かびました。新築ですが明治の初期に
建てられたような「小屋」のような教会にしようと思いました。
野尻湖の仕事が大変に役に立ちます。
明治、大正時代に外国から日本にやってくる事は言葉に出来ないほど大変な
ことだったでしょう。彼ら宣教師が国を捨てて、気候も厳しい湖のほとりに、
間に合わせの材料で質素な住まいを作り、礼拝堂を作り、人々のためにと
信じて一生懸命に生きたのです。その心を伝える教会を作りたいと考えました。
私は移住者では有りません。言うなら「根無し草」でしょう。
結局ここにも根を張ることが出来ませんでした。いずれ、どこかへ出て行く
運命なのだと覚悟しています。時々山の中に廃墟を見つけます。
すっかり雑草や蔓に覆われて、真っ直ぐに建っていません。
それらを見るにつけ、「生きた証」だと感じます。一生懸命に根を張ろうと生きた。
人はいずれ死にます。形は無くなります。思いも残りません。
そうです。根を張る事は「一時」の事なのです。
私と家内と、そして子供達は生きることに思いつめていません。
まぁ私に関しては、思いつめている節がありますけどね(笑)
ただ私から家族に言いたいのは、どうか思いつめないで欲しいという事です。
まじめに一途に生きれば、ちゃんと繋がります。生きて行けます。
時々思う欲を早くに捨てることさえ出来れば、人生は意外に生きやすいです。
自分の明日を考えるのは辛くなりますが、人の幸せを願って教会の空気を
考えるのは言葉に出来ない程、幸せで優しい気持ちになれます。
基本設計は終わりました。また何か設計をします。
※石川達三の蒼氓をまとめた記事がありました。↓
https://ameblo.jp/seven7-eight8/entry-11365486621.html

私も知らなかった。この作家を知った切っ掛けは山下達郎の
「僕の中の少年」というアルバムに納められている「蒼氓」とう
曲にまつわるエピソードを知ったときだった。
達郎は石川達三の小説「蒼氓」からヒントを得て自分の曲の
詞を書き上げたと語っていた。
小説「蒼氓」は、ブラジルに移民する日本人達の様子を書いた
ものだった。余談だが日本で初めて芥川賞に選ばれた本だ。
処女作。大した才能である。
さて蒼氓とPCでタイプしてみて欲しい。きっと「蒼茫」と出るはずだ。
蒼氓の「氓(ぼう)」という文字は見慣れないだろう。蒼は、そのまま
「あおい」という意味なのだが、蒼氓と書くと、これは、また違った
意味になってくる。蒼氓が出版されたのは1935年だ。昭和10年。
実は、この小説は映画化されていて、先ほど私は知らなかったと
書いたが、この映画には記憶が有って「ああ、あの映画のか」と
なったのを覚えている。今日は長くなりますよ(笑)
さて話を少し戻そう。
「蒼茫」の「茫」は「果てしない」という意味を持っている。つまり、
どこまでも青い景色を指して言う言葉なのである。今日、この記事を
書こうと思った理由の一つ。それは今日の外の景色が、何処までも
蒼かったからだ。だがタイトルに書いた「蒼氓」の方は全く違う意味を
持っている。最初に言ってしまうが「人々」って意味だ。
だが「氓」という字の意味を知ると、その「人々」について一気に
想像が働く。氓は「庶民」だとか「のっぱら」なんて意味だと在る。
そして漢和辞典には「他より帰化せし民」と書いてある。
そうだ移民と繋がるのだ。
石川の蒼氓は、日本から移民した何でもない人々の話ということを
タイトルに付けたものだ。達郎の歌は、もっと遡って、日本人は、
今の国土に流れ着いた、もっと言えば人類は長い旅を終え、生きる
土地を見つけた。だが我々の生命は長くて80年少々を生きて終える。
人の一生は一箇所に止まって最初から最後まで暮らすことの方が稀だ。
そこに暮らす一人の人間の思いを歌ったものだ。
「氓」には「ススキ」という意味も在る。
表に出て見渡すと秋の雑草たちが生い茂り、一斉に花を咲かせている。
雑草のようなものでも、どこからともなく飛んできて、この地に根を張り
寄り添って暮らしていると見て取れる。
我々も、名も知れぬものたちが集まって、地域だとか社会だとかを
作っている。なんとなく力を合わせて、一つになっている様子を伺わせる。
選挙がある。これも書こうと思った理由のひとつだ。
「氓」は国を亡くした民と書く。
戦前の貧しい日本人は夢を抱いてブラジルに渡った。だが、そこには
思い描いたような夢は一切存在しなかった。
私は25歳のときに町工場に半年ほどアルバイトに通った。
その工場の従業員は99パーセントが「ブラジル日系人」だった。70歳を
過ぎた高齢の夫婦と仲良くなった。彼らは大変な重労働を課せられていた。
毎日が辛そうだった。私は、それほどまでして出稼ぎに来なければなら
ない程、ブラジルでの暮らしは悲惨なものなのかと尋ねた。
すると老人は「いいえ、それは大した理由では有りません」と言った。
「お父さんと、お母さんの生まれた国に来てみたかった」
「本物の日本人が暮らす日本を見てみたかった」と言いました。
彼らは純粋な日本人であるにも関わらず、外国で生まれて、外国でも
外国人扱いをされ、差別され、日本に来ても外国人扱いをされていました。
非常に胸が痛んだのを良く覚えています。
そして老人は、こうも言いました。「思ったような国じゃなかった」と。
戦前の日本人と現代の日本に住む日本人では、正直「よその国」の人だと
思えるほど、思想も生活も「生き方」も変わってしまっていたのでしょう。
老人の御両親は所謂「古い日本人」です。その古風で頑固で頑張り屋の
両親に「日本人」として、外国で、しっかりと育てられたのです。
そう感じても、おかしくは無いと私は思いました。
私は約8年前に今の住まいに越してきました。私としては単純に「引越し」を
同じ市内でしただけだと思っていましたが、会う人と会う人に「移住」して
きた人だねと言われました。非常に違和感を覚えましたし、今でも自分を
「移住者」だとは思っていません。
越してきたばかりの頃、家内に「あと1年は我慢する」
「でもそうしたら、ここを出て行く」「約束して」と泣きながら迫られました。
こんな何も無いところ、友達もいなくなってしまったと毎日のように泣いて
いたのを思い出します。
あれから8年。泣くことは無くなりましたが、色々考えることも有ります。
私達家族は、なんとか「この地」に根を張ろうと頑張ってきました。
最初でこそ色々な人たちが笑顔で集まってきましたが、今思えば、それも
「物珍しさ」だけだったように感じます。私達に何か出来やしないかと無理も
したことが有りました。ですが、全て空回りに終わったように思います。
子供達も巣立って行きます。この地に根を張る意味が有るのかと、考えることも
多くなりました。ブラジルに移民した人たちは、もう「後戻り」出来なかっただけ
だったとも言えます。小説「蒼氓」では、男女の心の葛藤が時代背景とともに
描かれています。当時の女性には「権利」というものが与えられていなかったと
いう事もありますが、なにより「日本女性」の生き方が、女性達の一生を
左右していたように思います。
小説の主人公の女性は思いを寄せていた男性とは別の男性のプロポーズを
受けて結婚します。時のいたずらというものは昔も今も変わりません。
家内は、話し合いの元で決めた転居でしたが、実際には私の「想い」に
寄り添って、転居に賛成して着いて来てくれたのだと思いました。
俄かに「蒼氓」を思い出したのです。
達郎の蒼氓が発表された年は1988年です。今から29年前。私が町工場に
働きに行っていた年と同じです。蒼氓を聴いて蒼氓を知り、リアルに日系人から
蒼氓の舞台となった入植地の話を聞くことが出来た。
実は、この記事を書こうと思いついた、もう一つの理由があります。
今日は教会の設計をやっていました。よくある結婚式場に併設された
「いかにも」な教会では有りません。街中の空き地に新たに建てられる教会です。
すぐに「ボーリズ」の建築が頭に浮かびました。新築ですが明治の初期に
建てられたような「小屋」のような教会にしようと思いました。
野尻湖の仕事が大変に役に立ちます。
明治、大正時代に外国から日本にやってくる事は言葉に出来ないほど大変な
ことだったでしょう。彼ら宣教師が国を捨てて、気候も厳しい湖のほとりに、
間に合わせの材料で質素な住まいを作り、礼拝堂を作り、人々のためにと
信じて一生懸命に生きたのです。その心を伝える教会を作りたいと考えました。
私は移住者では有りません。言うなら「根無し草」でしょう。
結局ここにも根を張ることが出来ませんでした。いずれ、どこかへ出て行く
運命なのだと覚悟しています。時々山の中に廃墟を見つけます。
すっかり雑草や蔓に覆われて、真っ直ぐに建っていません。
それらを見るにつけ、「生きた証」だと感じます。一生懸命に根を張ろうと生きた。
人はいずれ死にます。形は無くなります。思いも残りません。
そうです。根を張る事は「一時」の事なのです。
私と家内と、そして子供達は生きることに思いつめていません。
まぁ私に関しては、思いつめている節がありますけどね(笑)
ただ私から家族に言いたいのは、どうか思いつめないで欲しいという事です。
まじめに一途に生きれば、ちゃんと繋がります。生きて行けます。
時々思う欲を早くに捨てることさえ出来れば、人生は意外に生きやすいです。
自分の明日を考えるのは辛くなりますが、人の幸せを願って教会の空気を
考えるのは言葉に出来ない程、幸せで優しい気持ちになれます。
基本設計は終わりました。また何か設計をします。
※石川達三の蒼氓をまとめた記事がありました。↓
https://ameblo.jp/seven7-eight8/entry-11365486621.html

2017年10月18日
誕生日
末娘の南呂が10歳になりました。
いつも子供が10歳になると書いているような気がしますが。
私は10歳になる年の春に父と永遠の別れをしました。
「最近、パパ来ないよね?」って母に言ったのを、はっきりと
覚えています。何度も言いました。
「ねえ、パパ全然、来ないね!!」と調子も強く言いました。
母の表情が強張りました。
「パパは死んじゃったんだよ」
吐き捨てるように言いました。
優しさや配慮など微塵も感じませんでした。私と弟は嘘だと
言いました。ですが母が泣き出したのです。
「パパは、死んじゃったんだよ」
その様子を見て私と弟も一緒に泣きました。
「なんでだ!!なんでだ!!」と何度も叫びました。
「嘘だ嘘だ!!」」と叫び続けました。
母は泣き崩れてしまいました。
私と弟も「コタツ布団」に顔を鎮めて頭が痛くなるほど泣き
続けました。昨日のことのように覚えています。
コタツ布団の匂いも忘れていません。
母は私達を抱きしめました。祖母は黙っていました。
私は私生児です。父は歳を取ってから出来た私と弟を本当に
大切に可愛がってくれました。ですが認知すらされていません。
私と弟にとって、そんなことは、どうでも良い事です。
今まで一度だって、自分を不憫に感じた事は有りません。
それくらい両親には大切にして頂きました。特に母の苦労は
筆舌しがたいものであったろうと、この歳になって、やっと「想像」が
出来るようになりました。
父とは、もっと色々話をしたかったです。
子供達が10歳になるまでに私の全てを教えたいと、全部の
子供達に思います。だから、私は時に「子供相手」としては
相応しくない、難しいかもしれない話題や思想を話します。
丁寧に「しつこく」話します。
当たり前というのは、また、なんと「ありがたい」ものでしょうか。
そもそも当たり前なんてものは存在しません。自分が勝手に
「そうであるだろう」と思いこんでいるに過ぎません。
これを知るだけで、認めるだけで随分と生き方が変わると思います。
南呂は陽気な子供です。
末っ子ってのは、みんな、こんなんでしょうか。
この子を授かったとき「ああ、出来ちゃったのか」と思いました。
もう子供が増えるのが怖く無かったです。この俺を親に選んで、
また子供が「やってくる」そう思いました。里親になるのと心境が
似ているかもしれません。構えませんでした。
南呂が生まれて家の中は明るくなりました。
長かった、辛い生活が快方に向かうように感じました。
実際そうでした。
ありがたい。子供とは?と尋ねられたら、まず「ありがたい存在」だと
私は答えるでしょう。もうそれだけで全てを表していると思います。
子供達の存在が有るから「自分とは」と定義することが出来ます。
ベンチマークのような存在です。
今朝は先日のお祭りで頂いた新しい神宮大麻と戸祭りを換えました。
お供え物も新しくして、先ほど仏壇にもアンティークレースの薔薇を
お供えしました。ピンクです。
今朝は久しぶりに太陽が射した明るい景色が広がりました。
朝日に向って祈りました。十字を切ったのも久しぶりでした。
どうか子供達が毎日幸せだと「ひとつ」でも感じられますように。
幸せだということを伝えられる人が傍にいてくれますようにと願いました。
誕生日おめでとう南呂。

いつも子供が10歳になると書いているような気がしますが。
私は10歳になる年の春に父と永遠の別れをしました。
「最近、パパ来ないよね?」って母に言ったのを、はっきりと
覚えています。何度も言いました。
「ねえ、パパ全然、来ないね!!」と調子も強く言いました。
母の表情が強張りました。
「パパは死んじゃったんだよ」
吐き捨てるように言いました。
優しさや配慮など微塵も感じませんでした。私と弟は嘘だと
言いました。ですが母が泣き出したのです。
「パパは、死んじゃったんだよ」
その様子を見て私と弟も一緒に泣きました。
「なんでだ!!なんでだ!!」と何度も叫びました。
「嘘だ嘘だ!!」」と叫び続けました。
母は泣き崩れてしまいました。
私と弟も「コタツ布団」に顔を鎮めて頭が痛くなるほど泣き
続けました。昨日のことのように覚えています。
コタツ布団の匂いも忘れていません。
母は私達を抱きしめました。祖母は黙っていました。
私は私生児です。父は歳を取ってから出来た私と弟を本当に
大切に可愛がってくれました。ですが認知すらされていません。
私と弟にとって、そんなことは、どうでも良い事です。
今まで一度だって、自分を不憫に感じた事は有りません。
それくらい両親には大切にして頂きました。特に母の苦労は
筆舌しがたいものであったろうと、この歳になって、やっと「想像」が
出来るようになりました。
父とは、もっと色々話をしたかったです。
子供達が10歳になるまでに私の全てを教えたいと、全部の
子供達に思います。だから、私は時に「子供相手」としては
相応しくない、難しいかもしれない話題や思想を話します。
丁寧に「しつこく」話します。
当たり前というのは、また、なんと「ありがたい」ものでしょうか。
そもそも当たり前なんてものは存在しません。自分が勝手に
「そうであるだろう」と思いこんでいるに過ぎません。
これを知るだけで、認めるだけで随分と生き方が変わると思います。
南呂は陽気な子供です。
末っ子ってのは、みんな、こんなんでしょうか。
この子を授かったとき「ああ、出来ちゃったのか」と思いました。
もう子供が増えるのが怖く無かったです。この俺を親に選んで、
また子供が「やってくる」そう思いました。里親になるのと心境が
似ているかもしれません。構えませんでした。
南呂が生まれて家の中は明るくなりました。
長かった、辛い生活が快方に向かうように感じました。
実際そうでした。
ありがたい。子供とは?と尋ねられたら、まず「ありがたい存在」だと
私は答えるでしょう。もうそれだけで全てを表していると思います。
子供達の存在が有るから「自分とは」と定義することが出来ます。
ベンチマークのような存在です。
今朝は先日のお祭りで頂いた新しい神宮大麻と戸祭りを換えました。
お供え物も新しくして、先ほど仏壇にもアンティークレースの薔薇を
お供えしました。ピンクです。
今朝は久しぶりに太陽が射した明るい景色が広がりました。
朝日に向って祈りました。十字を切ったのも久しぶりでした。
どうか子供達が毎日幸せだと「ひとつ」でも感じられますように。
幸せだということを伝えられる人が傍にいてくれますようにと願いました。
誕生日おめでとう南呂。

2017年10月17日
2017年10月16日
2017年10月15日
2017年10月13日
濃霧
深い霧が立ち込めております。
明日は杉尾町内の秋祭りの前夜祭。「おひまち」です。
田舎ですから、大した娯楽も無かったんです。
だから一年に「2度」の、お祭りの「おひまち」が、
みんな楽しみだったんでしょうね。春の例祭の時には
「おひまち」をしなくなりました。でもまぁ礼拝が終われば
飲む訳ですが。
明日は夕方の6時から神楽の奉納です。
我が家の子供達や家内も舞を披露します。
明日も忙しいです。朝の9時から神社の掃除パート2と、
飾りを作ったりと。子供も部活だのって有るんでしょうよ。
タイヤの交換もしなきゃだし。
で、雨ですよね。
雨...
寒いですね。今も電気ストーブに当っています。
明日は杉尾町内の秋祭りの前夜祭。「おひまち」です。
田舎ですから、大した娯楽も無かったんです。
だから一年に「2度」の、お祭りの「おひまち」が、
みんな楽しみだったんでしょうね。春の例祭の時には
「おひまち」をしなくなりました。でもまぁ礼拝が終われば
飲む訳ですが。
明日は夕方の6時から神楽の奉納です。
我が家の子供達や家内も舞を披露します。
明日も忙しいです。朝の9時から神社の掃除パート2と、
飾りを作ったりと。子供も部活だのって有るんでしょうよ。
タイヤの交換もしなきゃだし。
で、雨ですよね。
雨...
寒いですね。今も電気ストーブに当っています。
2017年10月12日
大人のADHD
たっくさんいますよ!!
痴呆とか更年期障害とか、身近なところで他人に迷惑を
掛けてしまうなんてことも多いです。でもそういった年齢に
伴う障害でなくて、元々持っていた障害が寛解しないで、
いつまでも自分と、その周りに悪い影響を与えてしまうっていう
ことが有るんです。
悪いことに基本的にADHDは自覚が有りません。
だから「嫌われている」「迷惑を掛けている」っていう自覚が
有りません。それって幸せですよね?
そうなんです。大人のADHDは本人にとっては悩む要素じゃ
ないんですよ。よく自分を責めている方を見かけますが、
止めた方が良いです。周りは、相当に憤慨して、苛立ってます。
でも、それを感じても受け入れることが出来ないのが障害ですから。
みんなで、健康って言うか、気楽に行きましょう!!!
痴呆とか更年期障害とか、身近なところで他人に迷惑を
掛けてしまうなんてことも多いです。でもそういった年齢に
伴う障害でなくて、元々持っていた障害が寛解しないで、
いつまでも自分と、その周りに悪い影響を与えてしまうっていう
ことが有るんです。
悪いことに基本的にADHDは自覚が有りません。
だから「嫌われている」「迷惑を掛けている」っていう自覚が
有りません。それって幸せですよね?
そうなんです。大人のADHDは本人にとっては悩む要素じゃ
ないんですよ。よく自分を責めている方を見かけますが、
止めた方が良いです。周りは、相当に憤慨して、苛立ってます。
でも、それを感じても受け入れることが出来ないのが障害ですから。
みんなで、健康って言うか、気楽に行きましょう!!!
2017年10月11日
受験生
我が家には二人受験生がいます。
本当は三人だったんですけどね。次男は就職が決まりまして。
なんだか夜間主に通うようなことも言っていましたが、
まぁ兎に角「働いて」みると。静岡の企業ですが、一流企業並
なところに内定を頂きました。全くスキルが無い状態ですから、
一体何の仕事をさせて頂けるのだろうと親としては心配になります。
もっと心配なのが長男でしたが、ここへ来て長女の高校受験も
暗雲が立ち込めてきて。ああ、どいつもこいつも不甲斐ないと。
長男の場合、大学受験ですから、余程どうでも良い学校でもない
限り「絶対受かる」ってことは無いですからね。
まぁせいぜいが「センター利用」ってとこでしょうかね。余程センターが
出来れば、それも有りなんでしょうけど。面倒くさいので、一般の
受験だけにします。受かってしまったら入学金も払わなきゃならないし。
どうせセンター、出来ないでしょうしね。毎度毎度駄目ですから。
長女も、この間やった定期テストの結果が悪くて、結局通信簿も
たったの1点も上がらずで。ここで少し上がっていれば志望校も
変更しないで行けたかもしれませんが、変更も視野に入れて
残りの機会で力を発揮できるようにしてあげなければなりませんな。
もっとも、今、子供達と同じ境遇の子達は全く同じような心境で
いるってのが圧倒的に多いでしょうからね。ここで気持ちで負けては
勝負にならないですよね。一生懸命に取り組んでいる姿は、やはり
見ていて清清しいですよ。命を大切に使っていると思います。
何を決めるのにも自分で決めていって欲しいですね。
努力の先には神が示された道しるべが立っているはずですから。

本当は三人だったんですけどね。次男は就職が決まりまして。
なんだか夜間主に通うようなことも言っていましたが、
まぁ兎に角「働いて」みると。静岡の企業ですが、一流企業並
なところに内定を頂きました。全くスキルが無い状態ですから、
一体何の仕事をさせて頂けるのだろうと親としては心配になります。
もっと心配なのが長男でしたが、ここへ来て長女の高校受験も
暗雲が立ち込めてきて。ああ、どいつもこいつも不甲斐ないと。
長男の場合、大学受験ですから、余程どうでも良い学校でもない
限り「絶対受かる」ってことは無いですからね。
まぁせいぜいが「センター利用」ってとこでしょうかね。余程センターが
出来れば、それも有りなんでしょうけど。面倒くさいので、一般の
受験だけにします。受かってしまったら入学金も払わなきゃならないし。
どうせセンター、出来ないでしょうしね。毎度毎度駄目ですから。
長女も、この間やった定期テストの結果が悪くて、結局通信簿も
たったの1点も上がらずで。ここで少し上がっていれば志望校も
変更しないで行けたかもしれませんが、変更も視野に入れて
残りの機会で力を発揮できるようにしてあげなければなりませんな。
もっとも、今、子供達と同じ境遇の子達は全く同じような心境で
いるってのが圧倒的に多いでしょうからね。ここで気持ちで負けては
勝負にならないですよね。一生懸命に取り組んでいる姿は、やはり
見ていて清清しいですよ。命を大切に使っていると思います。
何を決めるのにも自分で決めていって欲しいですね。
努力の先には神が示された道しるべが立っているはずですから。

2017年10月09日
疲労困憊
今日は、今度の土日に行われる部落のお祭りの準備でした。
村にとっても久しぶり、私のとっては初めての「観覧席」作りでした。
今度の「おひまち」では神楽が本格的に舞われるので、狭い社に
人が入れなくなるということで、外に単管パイプを組んで、座敷を
作ったのです。朝一番から男衆が集まって、夕方まで目一杯かかって、
なんとか作り終えました。壊すのが、もったいないくらい良くできたし、
大変な作業でしたね。
ここ数日は久々のインテリアデザインの仕事に追われています。
今日は夕方から3時間ほど疲れて寝てしまいました。なんとか
明日には、クライアントの下へCGパースを送りたいのですが。
先ほどモデリングは終了しましたが、これからライティングの設定を
しなければなりません。こいつが大変で、当りを付けるにもレンダリングの
速度が激しく遅いせいで、設定のやり直し、再起動の繰り返しの
連続になるのです。ああ終わるのか...
偏頭痛も止まないで、鎮痛剤の飲みすぎで胃も変になっているという。
野尻湖の現場も気になるし、富山の住宅の見積りも上がってこないし、
益々胃が痛くなるという。
今度の神楽では家内も舞を奉納するそうな。ああ、胃が痛い...

この線の塊を何時間も見ているんですから、まぁ頭も痛くなります(T-T)
村にとっても久しぶり、私のとっては初めての「観覧席」作りでした。
今度の「おひまち」では神楽が本格的に舞われるので、狭い社に
人が入れなくなるということで、外に単管パイプを組んで、座敷を
作ったのです。朝一番から男衆が集まって、夕方まで目一杯かかって、
なんとか作り終えました。壊すのが、もったいないくらい良くできたし、
大変な作業でしたね。
ここ数日は久々のインテリアデザインの仕事に追われています。
今日は夕方から3時間ほど疲れて寝てしまいました。なんとか
明日には、クライアントの下へCGパースを送りたいのですが。
先ほどモデリングは終了しましたが、これからライティングの設定を
しなければなりません。こいつが大変で、当りを付けるにもレンダリングの
速度が激しく遅いせいで、設定のやり直し、再起動の繰り返しの
連続になるのです。ああ終わるのか...
偏頭痛も止まないで、鎮痛剤の飲みすぎで胃も変になっているという。
野尻湖の現場も気になるし、富山の住宅の見積りも上がってこないし、
益々胃が痛くなるという。
今度の神楽では家内も舞を奉納するそうな。ああ、胃が痛い...

この線の塊を何時間も見ているんですから、まぁ頭も痛くなります(T-T)