2018年08月31日
Canon お前、もう壊れたのかよ(T-T)
A3のプリンターが壊れました。
いつだったでしょうか。まだ1年くらいしか経っていないはずです。
朝プリントをしようと電源を入れると突然エラーです。
修理に出せというB200というメッセージが出ました。
ネットなんかを頼りにエラーを解除することに成功したのですが。
さぁプリントだと印刷を試みますと、突然電源が切れて、
二度と電源すら入らなくなりました。没(T-T)
早急に必要なんです。
でも仕事は無くしたし、付けが回ってきた仕事は有るし、
今月は物凄い出費が重なったし、プリンターを購入するゆとりが
無いんで御座います。提案を印刷し終わった途端ですよ。
印刷できて良かったのか、それとも祟りなのか。
もう泣くしかありません。プリンターをくれとは言いません。
仕事をください(T-T)
いつだったでしょうか。まだ1年くらいしか経っていないはずです。
朝プリントをしようと電源を入れると突然エラーです。
修理に出せというB200というメッセージが出ました。
ネットなんかを頼りにエラーを解除することに成功したのですが。
さぁプリントだと印刷を試みますと、突然電源が切れて、
二度と電源すら入らなくなりました。没(T-T)
早急に必要なんです。
でも仕事は無くしたし、付けが回ってきた仕事は有るし、
今月は物凄い出費が重なったし、プリンターを購入するゆとりが
無いんで御座います。提案を印刷し終わった途端ですよ。
印刷できて良かったのか、それとも祟りなのか。
もう泣くしかありません。プリンターをくれとは言いません。
仕事をください(T-T)
2018年08月27日
孤独
昔よく、いじめられたんですよ。
「かんけり」なんかをやってるとですね。
私が鬼になって目をつぶって数を数えて、
みんなを探しに行くと誰も何処にもいないんですよ。
家に帰っちゃったり、他の空地に遊びに行っちゃったり。
みんなが、居ないって、泣きながら家に帰ると
お袋に、どやされてね。泣き面に蜂っていう。
そういう人生なんでしょうかね...
「かんけり」なんかをやってるとですね。
私が鬼になって目をつぶって数を数えて、
みんなを探しに行くと誰も何処にもいないんですよ。
家に帰っちゃったり、他の空地に遊びに行っちゃったり。
みんなが、居ないって、泣きながら家に帰ると
お袋に、どやされてね。泣き面に蜂っていう。
そういう人生なんでしょうかね...
2018年08月26日
シエスタ
夏休みも終わりですね。
忙しかった子どもと、ず~っと家にいた子ども。
部活ばっかりやっていた子、勉強していた子。
会社で仕事ばかりしていた子、束縛を逃れた子。
もう少し、ゆっくりと色々出来る夏休みが懐かしいです。
いつから、こんな色彩の無い日本の夏休みに
なってしまったんでしょうか。
遠くを見てしまいます。

忙しかった子どもと、ず~っと家にいた子ども。
部活ばっかりやっていた子、勉強していた子。
会社で仕事ばかりしていた子、束縛を逃れた子。
もう少し、ゆっくりと色々出来る夏休みが懐かしいです。
いつから、こんな色彩の無い日本の夏休みに
なってしまったんでしょうか。
遠くを見てしまいます。

2018年08月25日
一日遅れの誕生会
まぁ誕生会ってもんでもないですけどね。
昨日24日。長男が21歳の誕生日を迎えました。
折角なのでバースデーケーキなんかを買ってきて
盛大に祝ってあげたかったんですが。
天気は最悪、倅は学習塾、次男は遊びほうけ、私は、クタクタ、
家内もクタクタ、もうお祝い気分に成れなかったという。
まぁおめでとうくらいはしましたし、プレゼントに
「フットサルシューズ」を贈りました。なんでも来月の頭に
旧友と一緒にフットサルの試合に出るんだそうです。
気分転換には良いでしょう。
次男が、ボールをプレゼントしてくれました。
外に出て、おニューのシューズとボールで楽しそうに
リフティングをしていました。サッカーが好きなんですね。
高校のときにサッカー部に入れてあげなかったのが
未だに悔やまれます。絶対に逆らわない子どもなので。
ただ、スポーツにありがちな「パワハラ」が大嫌いで、趣味で
やる程度が性に有っているなんて言っていましたが。
本当は仲間とやりたかったんでしょうね。
今月は2週連続で模試を受けて、どっちも満足の行く結果には
程遠かったようです。負けましたね。
あと半年です。頑張れよ!!悔いの残らないように!!
PS:夕べは一緒に赤ワインを飲みました。長生き、するもんですね。

昨日24日。長男が21歳の誕生日を迎えました。
折角なのでバースデーケーキなんかを買ってきて
盛大に祝ってあげたかったんですが。
天気は最悪、倅は学習塾、次男は遊びほうけ、私は、クタクタ、
家内もクタクタ、もうお祝い気分に成れなかったという。
まぁおめでとうくらいはしましたし、プレゼントに
「フットサルシューズ」を贈りました。なんでも来月の頭に
旧友と一緒にフットサルの試合に出るんだそうです。
気分転換には良いでしょう。
次男が、ボールをプレゼントしてくれました。
外に出て、おニューのシューズとボールで楽しそうに
リフティングをしていました。サッカーが好きなんですね。
高校のときにサッカー部に入れてあげなかったのが
未だに悔やまれます。絶対に逆らわない子どもなので。
ただ、スポーツにありがちな「パワハラ」が大嫌いで、趣味で
やる程度が性に有っているなんて言っていましたが。
本当は仲間とやりたかったんでしょうね。
今月は2週連続で模試を受けて、どっちも満足の行く結果には
程遠かったようです。負けましたね。
あと半年です。頑張れよ!!悔いの残らないように!!
PS:夕べは一緒に赤ワインを飲みました。長生き、するもんですね。

2018年08月23日
馬鹿親父やりすぎるの巻
我慢できなかったですね。
今日は非常に疲れる日でした。朝一番で次男を出張の為に
駅まで送って、直ぐに戻って20分くらいして再び下山です。
三男を補講へ送る。それから用事を済ませても長女は午後の
2時から部活だったので3時間近くも時間つぶしをしなければ
なりませんでした。いちいち山に帰っていたのでは不経済なので。
丁度12時頃でしたので娘に何か食べるか?と尋ねると「うん」と
寝ぼけ眼で返事をしました。そこで学校の近くのデパートの
フードコートのマックでハンバーガーを食べさせようということに。
物凄い混みようでした。レジまでは長蛇の列。一瞬ひるみましたが、
娘は、ダブルチーズバーガーとフライドポテトが大好物なので、
私が並びました。全く順番が回ってきません。こんなの初めてでした。
外国人の店員が多くなったのも原因の一つでしょうね。
最初だけ娘も隣にいました。その娘が突然
「あれっ!本物の赤ちゃんだ!!」「あっ!本物だ!!」
「ほら、あれ、本物の赤ちゃんだ!!」と言い出したのです。
私は、なんのこっちゃという表情。なにを言っているのか、さっぱり
分かりませんでした。私が「なにが?!、なんのこと?!」と
尋ねると娘は「ほらあそこ」と顎で赤ちゃんがいるという方向を
教えたのです。すると、その先には俄かには信じられない光景が
広がっていました。
長いベンチの前にはテーブルが並べて置いてあり、反対側には
椅子が2脚と「幼児用の椅子」が有りました。ピンクのお揃いの
ワンピースを着た小さな女の子が三人と、もう2人の女の子と、
幼児用の椅子には、立てるのかどうかも一見しただけでは分からない
ほど小さな幼児が座っていました。そして目を疑ったのは、その
テーブルの上には、まだ寝返りも出来ないような赤ん坊が仰向けに
寝かされていたのです。そこには「親」らしき人は居ませんでした。
一瞬で動揺しました。
もう目が釘付けです。
大変な混み具合のオープンスペースには大勢の大人がいます。
みんな、なんとなくは気にしているようですが、立ち上がるものもいません。
私は娘に「おい和声、お前、あそこに行って見ていろ」と言いました。
ですが、娘は直ぐに動こうとしません。車で寝ていたので頭が
回らないのでしょうか、それとも「大げさな」とでも考えているのでしょうか。
私は語気を強めて「早く!!」と言いました。すると娘は仕方なくと
いった様子で赤ちゃんの方へ近づいて行きました。と、その瞬間です。
幼児用の椅子に座っていた小さな子が立ち上がって、バランスを
崩して落ちそうになりました。間一髪、娘が小さな子を抱きかかえました。
私のパニック症候群の発作が出てしまいました。
もう10分近くも経っているのに親が現れません。私の順番が回ってきて、
オーダーをしている時も後ろが気になって仕方が有りませんでした。
番号札を受け取ると、赤ちゃんのいる席の直ぐ横に座った娘の所へ
行きました。「なんで、しっかりくっついて見ていないんだ?!」と
娘を少し責めました。「親は、どこなんだろう?」と私が言うと、娘は
「父ちゃんの二つ前に並んでいた人だよ」とぶっきらぼうに言いました。
「なに?!あの馬鹿女か!!」と私。
私の前で注文をして、いつまでもいつまでも決まらないで更なる渋滞を
作っていた「2人組み」。私の方が後なのに、まだ席に戻ってきません。
一緒にいた姉妹とおぼしき女の子たちも、どうみても2歳3歳4歳程度。
一番大きな子でも5歳くらいだったと思います。小さな子は赤ちゃんの下に
敷いてある「おんぶ紐」を引っ張ったり、お腹を叩いたり、ついには抱き起こして、
まるで「ポポちゃん」を扱うように遊び始めました。
もう私は、居ても立ってもいられなくなって、テーブルに駆け寄り、
幼児用の椅子に小さな子と一緒に座ってしまった、お姉ちゃんを下ろして、
「この子が、たっちしちゃったら、お姉ちゃん、ギュって捕まえてくれる?」と
いうと、その子は小さく頷きました。テーブルの縁まで引っ張られて、
今にも落ちそうになっていた赤ん坊を仕方なく真ん中に引き戻して、
「ママは、いるの?」と目の前の女の子たちに尋ねると「うん」と頷いたときです。
先ほどの女性がやってきて「無表情」で私の前に立ちました。
私は、思わず「あんた無責任だよ!!」と怒鳴ってしまいました。
同じ言葉を2、3度繰り返したかもしれません。
「周りの人も、みんなそうやって見てるよ!!」と怒鳴りました。
「犬や猫の子じゃねーんだぞ!!」とホールに響くほどの大声で女性を
叱責しました。「すいません」と小声で返してきました。もちろん、その声は、
少しも悪びれた様子もなく、逆に「何だよ?このやろう」のような調子でした。
まぁ兎にも角にも親が帰ってきたんだ。これで大丈夫だと安堵して席に戻りました。
娘に私の子どもたちが小さかった時の話をしました。
私たちも「ろくな」親では有りませんでした。家内も膝に子どもを抱えたまま、
自動車を運転していて見知らぬ年配の男性に、どやされたことがあります。
私も同じようにマックのベンチに赤ん坊を寝かせて注文をしたことが一度有ります。
だから許せなかったんです。私たちは幼い命を舐めていました。まるで
犬や猫の子のように「丈夫」だと考え、ペットのように扱っていた時が有ったと
思います。深く深く反省しています。
そんな話を娘にしました。先ほどのピンクのワンピースの三つくらいの子が
私の方を見ましたが、無表情で、す~っと行ってしまいました。
すると娘が「怖いのかね、泣いてたよ、あの子」と。
私が大声で叱ったのを見て驚いて泣いてしまったのだと思います。
参りました。
先ほどのテーブルの方へ目をやると、恐ろしく若いお母さんは、かいがいしく、
幼児席の子にポテトを上げていました。赤ん坊は、しっかりと、おんぶ紐で
抱っこしていました。良い光景でした。
娘が食べ終わって、一呼吸ついて「勇気」を出して、先ほどのテーブルに
近づきました。私は「さっきは大声を出して申し訳ありませんでした」と
深々と頭を下げ、「僕には7人の子どもがいるんです」「本当に小さな頃は大変でした」
「大変ですよね、小さなお子さんを連れて」するとお母さんは「ええ、でも、そんな」と
「無表情」で、謙遜されました。私は腰を落として目の前の女の子たちに
「ママを助けて上げてね!」と笑顔で話しかけました。
私が腹が立ったのは、この母親たちが並んでいたときにスマホで痩身美容の
サイトを「ガン見」していたのを見ていたからです。子どもが何度も椅子から
落ちそうに成っているのに、そんなことは、お構い無しに自分たちの興味に
夢中になっている姿が許せなかったです。女は、いつまでも女で居ます。
なにも捨てろとは言っていません。しかし自分が母親になったという自覚は
最低でも持って欲しいと思うのです。
また、火に油を注いだのは「周りに居た、いい歳をした大人」の態度です。
さっきまで、チラチラ見ていた連中も私が、大声で叱り飛ばした様子を見て、
見て見ぬ振りをしてっていうか、最初から見て見ぬ振りをして、赤ん坊を心配する
素振りすら見せなかったこと。なぜ「私が見ていて上げる」の一言が言えない
のでしょうか。日本もつまらない国になったもんです。
私たちの席の向かいでは30代の半ばくらいの女性が、ひとりで大盛りのうどんを
ずるずると食べながらスマホでLINEあたりのやりとりをしている様子でした。
時々薄笑いを浮かべてコロッケを咥えていました。みっともないです。
飯の最中にTVを見るなどころの騒ぎではありません。家の中でならまだしも、
誰にも迷惑をかけていないんだから、別に良いじゃねーかと言わんばかりです。
娘には絶対にやめてくれと頼みました。もしも私が見たら泣きます。
パニックが出なければ、あそこまで大声は出さなかったと思います。
でも....どうしても言いたかったんです。
先ほどの家族と別れるときに「折角授かった命です。大切に育ててください」と
言い残しました。お願いです。お願いをしたつもりでした。
僭越だったでしょうか...
私は不完全な人間なのです。どうすれば良かったんでしょうか。
娘の賛同は得られなかったようです。恥ずかしいって、気持ちが勝ちますか、やっぱ。
私は、そういう人間です。もう今生では変われないと思います...
今日は非常に疲れる日でした。朝一番で次男を出張の為に
駅まで送って、直ぐに戻って20分くらいして再び下山です。
三男を補講へ送る。それから用事を済ませても長女は午後の
2時から部活だったので3時間近くも時間つぶしをしなければ
なりませんでした。いちいち山に帰っていたのでは不経済なので。
丁度12時頃でしたので娘に何か食べるか?と尋ねると「うん」と
寝ぼけ眼で返事をしました。そこで学校の近くのデパートの
フードコートのマックでハンバーガーを食べさせようということに。
物凄い混みようでした。レジまでは長蛇の列。一瞬ひるみましたが、
娘は、ダブルチーズバーガーとフライドポテトが大好物なので、
私が並びました。全く順番が回ってきません。こんなの初めてでした。
外国人の店員が多くなったのも原因の一つでしょうね。
最初だけ娘も隣にいました。その娘が突然
「あれっ!本物の赤ちゃんだ!!」「あっ!本物だ!!」
「ほら、あれ、本物の赤ちゃんだ!!」と言い出したのです。
私は、なんのこっちゃという表情。なにを言っているのか、さっぱり
分かりませんでした。私が「なにが?!、なんのこと?!」と
尋ねると娘は「ほらあそこ」と顎で赤ちゃんがいるという方向を
教えたのです。すると、その先には俄かには信じられない光景が
広がっていました。
長いベンチの前にはテーブルが並べて置いてあり、反対側には
椅子が2脚と「幼児用の椅子」が有りました。ピンクのお揃いの
ワンピースを着た小さな女の子が三人と、もう2人の女の子と、
幼児用の椅子には、立てるのかどうかも一見しただけでは分からない
ほど小さな幼児が座っていました。そして目を疑ったのは、その
テーブルの上には、まだ寝返りも出来ないような赤ん坊が仰向けに
寝かされていたのです。そこには「親」らしき人は居ませんでした。
一瞬で動揺しました。
もう目が釘付けです。
大変な混み具合のオープンスペースには大勢の大人がいます。
みんな、なんとなくは気にしているようですが、立ち上がるものもいません。
私は娘に「おい和声、お前、あそこに行って見ていろ」と言いました。
ですが、娘は直ぐに動こうとしません。車で寝ていたので頭が
回らないのでしょうか、それとも「大げさな」とでも考えているのでしょうか。
私は語気を強めて「早く!!」と言いました。すると娘は仕方なくと
いった様子で赤ちゃんの方へ近づいて行きました。と、その瞬間です。
幼児用の椅子に座っていた小さな子が立ち上がって、バランスを
崩して落ちそうになりました。間一髪、娘が小さな子を抱きかかえました。
私のパニック症候群の発作が出てしまいました。
もう10分近くも経っているのに親が現れません。私の順番が回ってきて、
オーダーをしている時も後ろが気になって仕方が有りませんでした。
番号札を受け取ると、赤ちゃんのいる席の直ぐ横に座った娘の所へ
行きました。「なんで、しっかりくっついて見ていないんだ?!」と
娘を少し責めました。「親は、どこなんだろう?」と私が言うと、娘は
「父ちゃんの二つ前に並んでいた人だよ」とぶっきらぼうに言いました。
「なに?!あの馬鹿女か!!」と私。
私の前で注文をして、いつまでもいつまでも決まらないで更なる渋滞を
作っていた「2人組み」。私の方が後なのに、まだ席に戻ってきません。
一緒にいた姉妹とおぼしき女の子たちも、どうみても2歳3歳4歳程度。
一番大きな子でも5歳くらいだったと思います。小さな子は赤ちゃんの下に
敷いてある「おんぶ紐」を引っ張ったり、お腹を叩いたり、ついには抱き起こして、
まるで「ポポちゃん」を扱うように遊び始めました。
もう私は、居ても立ってもいられなくなって、テーブルに駆け寄り、
幼児用の椅子に小さな子と一緒に座ってしまった、お姉ちゃんを下ろして、
「この子が、たっちしちゃったら、お姉ちゃん、ギュって捕まえてくれる?」と
いうと、その子は小さく頷きました。テーブルの縁まで引っ張られて、
今にも落ちそうになっていた赤ん坊を仕方なく真ん中に引き戻して、
「ママは、いるの?」と目の前の女の子たちに尋ねると「うん」と頷いたときです。
先ほどの女性がやってきて「無表情」で私の前に立ちました。
私は、思わず「あんた無責任だよ!!」と怒鳴ってしまいました。
同じ言葉を2、3度繰り返したかもしれません。
「周りの人も、みんなそうやって見てるよ!!」と怒鳴りました。
「犬や猫の子じゃねーんだぞ!!」とホールに響くほどの大声で女性を
叱責しました。「すいません」と小声で返してきました。もちろん、その声は、
少しも悪びれた様子もなく、逆に「何だよ?このやろう」のような調子でした。
まぁ兎にも角にも親が帰ってきたんだ。これで大丈夫だと安堵して席に戻りました。
娘に私の子どもたちが小さかった時の話をしました。
私たちも「ろくな」親では有りませんでした。家内も膝に子どもを抱えたまま、
自動車を運転していて見知らぬ年配の男性に、どやされたことがあります。
私も同じようにマックのベンチに赤ん坊を寝かせて注文をしたことが一度有ります。
だから許せなかったんです。私たちは幼い命を舐めていました。まるで
犬や猫の子のように「丈夫」だと考え、ペットのように扱っていた時が有ったと
思います。深く深く反省しています。
そんな話を娘にしました。先ほどのピンクのワンピースの三つくらいの子が
私の方を見ましたが、無表情で、す~っと行ってしまいました。
すると娘が「怖いのかね、泣いてたよ、あの子」と。
私が大声で叱ったのを見て驚いて泣いてしまったのだと思います。
参りました。
先ほどのテーブルの方へ目をやると、恐ろしく若いお母さんは、かいがいしく、
幼児席の子にポテトを上げていました。赤ん坊は、しっかりと、おんぶ紐で
抱っこしていました。良い光景でした。
娘が食べ終わって、一呼吸ついて「勇気」を出して、先ほどのテーブルに
近づきました。私は「さっきは大声を出して申し訳ありませんでした」と
深々と頭を下げ、「僕には7人の子どもがいるんです」「本当に小さな頃は大変でした」
「大変ですよね、小さなお子さんを連れて」するとお母さんは「ええ、でも、そんな」と
「無表情」で、謙遜されました。私は腰を落として目の前の女の子たちに
「ママを助けて上げてね!」と笑顔で話しかけました。
私が腹が立ったのは、この母親たちが並んでいたときにスマホで痩身美容の
サイトを「ガン見」していたのを見ていたからです。子どもが何度も椅子から
落ちそうに成っているのに、そんなことは、お構い無しに自分たちの興味に
夢中になっている姿が許せなかったです。女は、いつまでも女で居ます。
なにも捨てろとは言っていません。しかし自分が母親になったという自覚は
最低でも持って欲しいと思うのです。
また、火に油を注いだのは「周りに居た、いい歳をした大人」の態度です。
さっきまで、チラチラ見ていた連中も私が、大声で叱り飛ばした様子を見て、
見て見ぬ振りをしてっていうか、最初から見て見ぬ振りをして、赤ん坊を心配する
素振りすら見せなかったこと。なぜ「私が見ていて上げる」の一言が言えない
のでしょうか。日本もつまらない国になったもんです。
私たちの席の向かいでは30代の半ばくらいの女性が、ひとりで大盛りのうどんを
ずるずると食べながらスマホでLINEあたりのやりとりをしている様子でした。
時々薄笑いを浮かべてコロッケを咥えていました。みっともないです。
飯の最中にTVを見るなどころの騒ぎではありません。家の中でならまだしも、
誰にも迷惑をかけていないんだから、別に良いじゃねーかと言わんばかりです。
娘には絶対にやめてくれと頼みました。もしも私が見たら泣きます。
パニックが出なければ、あそこまで大声は出さなかったと思います。
でも....どうしても言いたかったんです。
先ほどの家族と別れるときに「折角授かった命です。大切に育ててください」と
言い残しました。お願いです。お願いをしたつもりでした。
僭越だったでしょうか...
私は不完全な人間なのです。どうすれば良かったんでしょうか。
娘の賛同は得られなかったようです。恥ずかしいって、気持ちが勝ちますか、やっぱ。
私は、そういう人間です。もう今生では変われないと思います...
2018年08月22日
猫ってやつは
eしずのブロガーさん「チーママさん」ちの猫が亡くなりました。
20年以上も生きたので相当な長寿です。ですが、それだけ長く
一緒に暮らした「家族の一員」が、いなくなるのは耐え難い
悲しみに支配されているのだと想像いたします。
とてもアットホームで、実に暖かな気持ちにさせてくれるご家族
ならではの、「野良猫との出会い」を記事にされています。
ご紹介しておきます。
おとうさんのブログ
http://r0702.eshizuoka.jp/e1926628.html
チーママさんのブログ
http://r1970.eshizuoka.jp/e1926547.html
実は我が家でも数日前に子猫と悲しい別れが有りました。
次女が家の前の倉庫の中で子猫を4匹見つけてきたのです。
野良猫の子です。我が家の飼い猫が隠れて生んだ場所に
いたそうです。子猫は痩せていましたが元気でした。
大きさからして同じ時期に生まれているはずです。
近所には沢山の野良猫がいます。猫は縄張り意識が強く、
他の猫の縄張りには滅多に入り込みません。それも他の猫の
縄張りで出産などと、絶対に考えられません。
見つかれば簡単に噛み殺されます。それが、なぜ?
娘は家内の携帯に猫の画像を送ってきました。家内は絶対に
家に連れてくるなと結構な権幕で娘に言い聞かせていました。
ですが、私は近くに親はいないのかと娘に尋ねました。
姿は見当たらないと。もしも親猫が隠したのなら、必ず、
100パーセント絶対に子猫を探しに来るはずです。大声で
鳴き続けます。それが母猫です。
ですが、親猫の姿は一向に見当たらないと。雨も強く振って
きていました。体温が落ちれば簡単に死んでしまいます。
私は娘に家に連れて帰るように言いました。
娘の声は弾んでいました。
とても毛艶もよく、フワフワした綺麗な猫でした。これなら簡単に
里親が見つかると思いました。実は、うちの飼い猫の子が
8匹もいる状態でプラス4匹。ゲンナリしましたが、これも命です。
ですが、あれだけ元気だった子猫のうちの1匹が翌日の朝には
硬くなっていました。どうして?!と私は気が動転しました。
確かに痩せていて栄養失調の様子でした。
実は子猫を発見する2日くらい前だったでしょうか。
国道で猫が車にはねられて死んでいるのを見ました。
朝、慌てていたときは、狸かイタチだと思ったのですが、用事を
済ませての帰り道、車を止めて車窓から顔を出してみると、
三毛猫でした。
家に帰って、拾ってきた子猫を見ると、そこではねられて死んでいた
三毛猫と、そっくりな子猫が1匹いました。
間違いない、あれは母猫だ。そう直感しました。
ですが、その日は不思議なことが、まだありました。
考えてみても分かりません。なぜ、あの母猫は、わざわざ違う猫の
縄張りに子猫を連れてきたのでしょう。
私は忙しく、再び息子を迎えに行くために雨が降る中、車に乗って
走り始めました。すると道の真ん中に座って、こちらを見ている
猫に会いました。猫は私が近づくと凄い勢いで車の前を走り
出しました。暫く私の前を走るとガードレールの切れ目から
「谷」側に降りて行きました。その時は、さして気にも留めないで
走り去りました。
帰宅してから考えました。そうです子猫のことです。
どうしても腑に落ちません。
そのときです「まさか!!」ひらめいたのです。
先ほど私の前を走っていった猫は「三毛猫」でした。国道ではねられた
猫と、そっくりです。猫が跳ねられて死んだ日の翌日に子猫は
倉庫で見つかりました。その晩に見かけない三毛猫を再び見たこと、
俄かには信じられないかもしれませんが、私は死んだ母猫が
私のところに子猫を運んできたんだと思いました。
つまり子猫を私に託したのです。
国道ではねられて死んでいる動物を、しげしげと見て行くドライバーは
滅多にいません。死んだ母猫は私の「なにか」を感じたのでしょうか。
この人間ならば子猫を育ててくれると考えたのでしょうか。
私は、それ以外考えられない状態になりました。なぜなら我が家には
「次女」がいるからです。この子は本当に動物好きです。今までにも
懸命に看護して子猫の命を救ったことがあります。
今回保護した子猫が死んでしまったときにも、つい私は、お前が
ちゃんと世話をしないからしんでしまったんだと責めてしまいました。
直ぐに言い過ぎたと誤りましたが、娘は翌日から早朝に起きて、
拾った猫の世話を一所懸命にするようになりました。私の言葉が
響いたようです。
とても弱いものです。子猫は母乳がなければ簡単に脱水症状にもなります。
そもそも野良猫です。病気を持っていれば一旦体調を崩せば簡単に
死んでしまいます。事実、昨日あんなに元気だった1匹が吐血して、
動かなくなり、娘は動揺して泣きながらも懸命に看病しました。
すると少し信じられませんが夜半には、とても元気になって走り回りました。
奇跡だと思います。私は元々病気が有ったんだ、このまま死んでしまっても
仕方が無いと娘を慰めていました。信じられませんでした。
娘たちは代わる代わる哺乳瓶で牛乳を与え、子猫用のフードを食べやすくして、
与え続けました。宿題の最中も食事中も子猫を離さずです。
しかし今度は別の保護した猫が朝になって動かなくなってしまいました。
触ってみると体温が低く、既に冷たくさえ感じました。目をつぶったまま
動きません。当初、娘も下まで付いてくると言って起きたのですが、
子猫の様子を見て、家で留守番をしていると言って子猫を腕に包んで
畳に横になってしまいました。顔には生気が有りませんでした。
しかし私たちが下山して用事をしていると電話が鳴って、子猫が元気に
なったと娘から連絡が入りました。信じられませんでした。今度こそ、
きっと死んでしまうだろうと疑いませんでした。きっと母猫の強い願いと、
娘の守護霊が奇跡を起こしたんだと思います。
実は娘は転校を検討しています。
いじめが、きっかけで学校を休む日が多くなりました。上手い具合に夏休みに
入ったので、娘の心も少しだけ軽くなったように見えました。ですが、新学期が
近づくに連れ、やはり「あの場所へ」戻らなければならないのかという、
プレッシャーで悩んでいる様子が、はっきりと見て取れました。
私も娘が元気になれるように色々と考えて一緒に行動したり話をしたりして
頑張っているつもりです。何が正解なのかは全く分かりません。
しかし子猫が、やってきてからは別人のように顔色も良くなり、生きがいを
見つけたかのように毎日元気に過ごしています。
しばらく弾いていなかったピアノを弾いたり、歌なんかも歌っています。
子猫の存在。
だから私は思ったのです。子猫の命を救って欲しかった母猫の希望と、
娘を守っている御先祖様の希望が合致した瞬間だったのです。
私は娘が自分の子どもであって本当に良かったと思っています。
小さな命を守ろうと決して諦めないで、最後まで寄り添う姿。
諦めない。教わりました。私も小さな頃、捨て猫を拾ってきては母に叱られ
ました。泣きながら元の場所に返しに行った事も何度も有りました。
学校から持って帰ってきた牛乳を、こっそりあげに行ったりしました。
娘に今必要なことは「生きがい」なのです。
生きがいは自分で作るものです。しかし、それは生まれる前から用意された
生まれてくる理由そのものなのです。
娘に、しっかりと前を向いて生きていって欲しいと願わずにいられません。
あの日、私の前を走り去った猫の「想い」は今の私の想いと、
髪の毛1本ほどの違いもないのです。しっかり受け取りました。
20年以上も生きたので相当な長寿です。ですが、それだけ長く
一緒に暮らした「家族の一員」が、いなくなるのは耐え難い
悲しみに支配されているのだと想像いたします。
とてもアットホームで、実に暖かな気持ちにさせてくれるご家族
ならではの、「野良猫との出会い」を記事にされています。
ご紹介しておきます。
おとうさんのブログ
http://r0702.eshizuoka.jp/e1926628.html
チーママさんのブログ
http://r1970.eshizuoka.jp/e1926547.html
実は我が家でも数日前に子猫と悲しい別れが有りました。
次女が家の前の倉庫の中で子猫を4匹見つけてきたのです。
野良猫の子です。我が家の飼い猫が隠れて生んだ場所に
いたそうです。子猫は痩せていましたが元気でした。
大きさからして同じ時期に生まれているはずです。
近所には沢山の野良猫がいます。猫は縄張り意識が強く、
他の猫の縄張りには滅多に入り込みません。それも他の猫の
縄張りで出産などと、絶対に考えられません。
見つかれば簡単に噛み殺されます。それが、なぜ?
娘は家内の携帯に猫の画像を送ってきました。家内は絶対に
家に連れてくるなと結構な権幕で娘に言い聞かせていました。
ですが、私は近くに親はいないのかと娘に尋ねました。
姿は見当たらないと。もしも親猫が隠したのなら、必ず、
100パーセント絶対に子猫を探しに来るはずです。大声で
鳴き続けます。それが母猫です。
ですが、親猫の姿は一向に見当たらないと。雨も強く振って
きていました。体温が落ちれば簡単に死んでしまいます。
私は娘に家に連れて帰るように言いました。
娘の声は弾んでいました。
とても毛艶もよく、フワフワした綺麗な猫でした。これなら簡単に
里親が見つかると思いました。実は、うちの飼い猫の子が
8匹もいる状態でプラス4匹。ゲンナリしましたが、これも命です。
ですが、あれだけ元気だった子猫のうちの1匹が翌日の朝には
硬くなっていました。どうして?!と私は気が動転しました。
確かに痩せていて栄養失調の様子でした。
実は子猫を発見する2日くらい前だったでしょうか。
国道で猫が車にはねられて死んでいるのを見ました。
朝、慌てていたときは、狸かイタチだと思ったのですが、用事を
済ませての帰り道、車を止めて車窓から顔を出してみると、
三毛猫でした。
家に帰って、拾ってきた子猫を見ると、そこではねられて死んでいた
三毛猫と、そっくりな子猫が1匹いました。
間違いない、あれは母猫だ。そう直感しました。
ですが、その日は不思議なことが、まだありました。
考えてみても分かりません。なぜ、あの母猫は、わざわざ違う猫の
縄張りに子猫を連れてきたのでしょう。
私は忙しく、再び息子を迎えに行くために雨が降る中、車に乗って
走り始めました。すると道の真ん中に座って、こちらを見ている
猫に会いました。猫は私が近づくと凄い勢いで車の前を走り
出しました。暫く私の前を走るとガードレールの切れ目から
「谷」側に降りて行きました。その時は、さして気にも留めないで
走り去りました。
帰宅してから考えました。そうです子猫のことです。
どうしても腑に落ちません。
そのときです「まさか!!」ひらめいたのです。
先ほど私の前を走っていった猫は「三毛猫」でした。国道ではねられた
猫と、そっくりです。猫が跳ねられて死んだ日の翌日に子猫は
倉庫で見つかりました。その晩に見かけない三毛猫を再び見たこと、
俄かには信じられないかもしれませんが、私は死んだ母猫が
私のところに子猫を運んできたんだと思いました。
つまり子猫を私に託したのです。
国道ではねられて死んでいる動物を、しげしげと見て行くドライバーは
滅多にいません。死んだ母猫は私の「なにか」を感じたのでしょうか。
この人間ならば子猫を育ててくれると考えたのでしょうか。
私は、それ以外考えられない状態になりました。なぜなら我が家には
「次女」がいるからです。この子は本当に動物好きです。今までにも
懸命に看護して子猫の命を救ったことがあります。
今回保護した子猫が死んでしまったときにも、つい私は、お前が
ちゃんと世話をしないからしんでしまったんだと責めてしまいました。
直ぐに言い過ぎたと誤りましたが、娘は翌日から早朝に起きて、
拾った猫の世話を一所懸命にするようになりました。私の言葉が
響いたようです。
とても弱いものです。子猫は母乳がなければ簡単に脱水症状にもなります。
そもそも野良猫です。病気を持っていれば一旦体調を崩せば簡単に
死んでしまいます。事実、昨日あんなに元気だった1匹が吐血して、
動かなくなり、娘は動揺して泣きながらも懸命に看病しました。
すると少し信じられませんが夜半には、とても元気になって走り回りました。
奇跡だと思います。私は元々病気が有ったんだ、このまま死んでしまっても
仕方が無いと娘を慰めていました。信じられませんでした。
娘たちは代わる代わる哺乳瓶で牛乳を与え、子猫用のフードを食べやすくして、
与え続けました。宿題の最中も食事中も子猫を離さずです。
しかし今度は別の保護した猫が朝になって動かなくなってしまいました。
触ってみると体温が低く、既に冷たくさえ感じました。目をつぶったまま
動きません。当初、娘も下まで付いてくると言って起きたのですが、
子猫の様子を見て、家で留守番をしていると言って子猫を腕に包んで
畳に横になってしまいました。顔には生気が有りませんでした。
しかし私たちが下山して用事をしていると電話が鳴って、子猫が元気に
なったと娘から連絡が入りました。信じられませんでした。今度こそ、
きっと死んでしまうだろうと疑いませんでした。きっと母猫の強い願いと、
娘の守護霊が奇跡を起こしたんだと思います。
実は娘は転校を検討しています。
いじめが、きっかけで学校を休む日が多くなりました。上手い具合に夏休みに
入ったので、娘の心も少しだけ軽くなったように見えました。ですが、新学期が
近づくに連れ、やはり「あの場所へ」戻らなければならないのかという、
プレッシャーで悩んでいる様子が、はっきりと見て取れました。
私も娘が元気になれるように色々と考えて一緒に行動したり話をしたりして
頑張っているつもりです。何が正解なのかは全く分かりません。
しかし子猫が、やってきてからは別人のように顔色も良くなり、生きがいを
見つけたかのように毎日元気に過ごしています。
しばらく弾いていなかったピアノを弾いたり、歌なんかも歌っています。
子猫の存在。
だから私は思ったのです。子猫の命を救って欲しかった母猫の希望と、
娘を守っている御先祖様の希望が合致した瞬間だったのです。
私は娘が自分の子どもであって本当に良かったと思っています。
小さな命を守ろうと決して諦めないで、最後まで寄り添う姿。
諦めない。教わりました。私も小さな頃、捨て猫を拾ってきては母に叱られ
ました。泣きながら元の場所に返しに行った事も何度も有りました。
学校から持って帰ってきた牛乳を、こっそりあげに行ったりしました。
娘に今必要なことは「生きがい」なのです。
生きがいは自分で作るものです。しかし、それは生まれる前から用意された
生まれてくる理由そのものなのです。
娘に、しっかりと前を向いて生きていって欲しいと願わずにいられません。
あの日、私の前を走り去った猫の「想い」は今の私の想いと、
髪の毛1本ほどの違いもないのです。しっかり受け取りました。
2018年08月20日
夢
この春に就職した息子が仕事をやめたいと言い出して。
想像していた仕事と全く違うと。嫌な先輩がいると。
最初でこそ「金」が目的で就職してみたものの、
やっぱり大学に行けば良かったと言い出す始末。
まぁ予想通りでしたね。
別に良いです。辞めたきゃ辞めれば。
夢を追って欲しいです。人生は思ったよりも短いです。
好きなことに没頭して今生を楽しんで欲しいです。
出来ない人も大勢居ますから。
いつ死んでも悔いの残らないような生き方。
憧れますね。
想像していた仕事と全く違うと。嫌な先輩がいると。
最初でこそ「金」が目的で就職してみたものの、
やっぱり大学に行けば良かったと言い出す始末。
まぁ予想通りでしたね。
別に良いです。辞めたきゃ辞めれば。
夢を追って欲しいです。人生は思ったよりも短いです。
好きなことに没頭して今生を楽しんで欲しいです。
出来ない人も大勢居ますから。
いつ死んでも悔いの残らないような生き方。
憧れますね。
2018年08月18日
大きくなったんですね
娘が生意気になって、しんどいです。
親から見れば昨日の事の様。
娘も思い出をしっかりと覚えているのに。
我が家では、そんなに沢山の「お出かけ」をしていない、
かもしれません。そうでもないのか、よく分かりません。
ですが私は、一つ一つ、しっかりと覚えています。
子どもも覚えているようです。
子どもにとって見れば、随分と昔の思い出なんでしょうね。
違うよ!だって覚えているんだもん!!そんなに前の
ことじゃないんだぜ。急に別の人みたいな素振りを
しないでくれよ。そう、どこの親御さんも思うんでしょうね。
ああ...


親から見れば昨日の事の様。
娘も思い出をしっかりと覚えているのに。
我が家では、そんなに沢山の「お出かけ」をしていない、
かもしれません。そうでもないのか、よく分かりません。
ですが私は、一つ一つ、しっかりと覚えています。
子どもも覚えているようです。
子どもにとって見れば、随分と昔の思い出なんでしょうね。
違うよ!だって覚えているんだもん!!そんなに前の
ことじゃないんだぜ。急に別の人みたいな素振りを
しないでくれよ。そう、どこの親御さんも思うんでしょうね。
ああ...


2018年08月15日
扱い
久々にやばいです。
物凄いストレスで、もう自分でも、どうしようもない状態です。
みんな酷いと思います。あまりにも身勝手というか、
思いやりが無さ過ぎますね。自分だけが苦労していると
思っているようです。こっちも生身の人間なんだよ...
物凄いストレスで、もう自分でも、どうしようもない状態です。
みんな酷いと思います。あまりにも身勝手というか、
思いやりが無さ過ぎますね。自分だけが苦労していると
思っているようです。こっちも生身の人間なんだよ...
2018年08月14日
忙しい盆休み
なんにも休み気分を味わえないですよ。何にもね。
驚いたことに14日の今日は中学の部活が有りました。
気は確かか?と思いましたね。18日に大会が有るんだそうです。
長女も部活が休みになった途端、毎日のように遊びに出掛けて
行きます。長男と三男は受験勉強を頑張っていますが、
三男は徹夜で「ゲーム」をやっています。馬鹿ですね。
次男の会社には夏休みが有りません。長期休暇が取れない
会社なんです。馬鹿みたいな会社です。順番に休めば良いのに。
昨日は友人が二人、泊まりに来ました。飲みすぎて今日は
台無しです。軽く設計をやりましたが集中出来ないです。
なんだか、最近は駄目ですね。実施にならない負け戦ばかり
続いているので乗らないです。
長男と三男と私は留守番ですが、他の皆さんは「田舎の祭り」に
出掛けて行きました。何が楽しいんでしょうか。まぁ娯楽もないし、
どこにも連れて行けませんしね。お金の問題じゃなくて、
こう「学校」が強制的に予定を入れてきては、家族が、ばらばらに
なってしまいます。高校は、アルバイトも禁止です。馬鹿みたい。
高校生は夏休みに「一所懸命」に働いて、自分で遊ぶ金くらい
自分で稼いで、お金の有り難味を知って、社会を学ぶってのは、
大切なことです。そういった考えで高校生に積極的にバイトを
させている学校も有るようですが、娘の学校は駄目ですね。
了見が狭いです。
同じ部活の女の子が先日、退部したそうです。一式道具を揃えた
ばかりなのに。10万円くらい掛かっているでしょう。
ご両親は随分前に他界してしまって、祖父母に養育してもらっている
らしいです。年金暮らしの、おじいちゃんと、おばあちゃんに少しでも
報いるように夏休みにバイトをしたいと先生に申し出たところ、
部活をやっているなら許可出来ないと言われたようです。鬼ですね。
うちの次男の時も私が顧問に直接交渉しましたが、まるで融通が
利かない、役人とでも話しているかのような、高圧的で一方的な
物言いにブチ切れた事がありました。暫くして息子も部活を辞めました。
本当に教員で学校の良し悪しは変わります。
さて明日は終戦記念日です。平和の有り難さを子どもたちに教える
義務が家長には有りますね。学校の先生方も、せめて15日くらい
視野を広く持って過ごしていただきたいものです。
驚いたことに14日の今日は中学の部活が有りました。
気は確かか?と思いましたね。18日に大会が有るんだそうです。
長女も部活が休みになった途端、毎日のように遊びに出掛けて
行きます。長男と三男は受験勉強を頑張っていますが、
三男は徹夜で「ゲーム」をやっています。馬鹿ですね。
次男の会社には夏休みが有りません。長期休暇が取れない
会社なんです。馬鹿みたいな会社です。順番に休めば良いのに。
昨日は友人が二人、泊まりに来ました。飲みすぎて今日は
台無しです。軽く設計をやりましたが集中出来ないです。
なんだか、最近は駄目ですね。実施にならない負け戦ばかり
続いているので乗らないです。
長男と三男と私は留守番ですが、他の皆さんは「田舎の祭り」に
出掛けて行きました。何が楽しいんでしょうか。まぁ娯楽もないし、
どこにも連れて行けませんしね。お金の問題じゃなくて、
こう「学校」が強制的に予定を入れてきては、家族が、ばらばらに
なってしまいます。高校は、アルバイトも禁止です。馬鹿みたい。
高校生は夏休みに「一所懸命」に働いて、自分で遊ぶ金くらい
自分で稼いで、お金の有り難味を知って、社会を学ぶってのは、
大切なことです。そういった考えで高校生に積極的にバイトを
させている学校も有るようですが、娘の学校は駄目ですね。
了見が狭いです。
同じ部活の女の子が先日、退部したそうです。一式道具を揃えた
ばかりなのに。10万円くらい掛かっているでしょう。
ご両親は随分前に他界してしまって、祖父母に養育してもらっている
らしいです。年金暮らしの、おじいちゃんと、おばあちゃんに少しでも
報いるように夏休みにバイトをしたいと先生に申し出たところ、
部活をやっているなら許可出来ないと言われたようです。鬼ですね。
うちの次男の時も私が顧問に直接交渉しましたが、まるで融通が
利かない、役人とでも話しているかのような、高圧的で一方的な
物言いにブチ切れた事がありました。暫くして息子も部活を辞めました。
本当に教員で学校の良し悪しは変わります。
さて明日は終戦記念日です。平和の有り難さを子どもたちに教える
義務が家長には有りますね。学校の先生方も、せめて15日くらい
視野を広く持って過ごしていただきたいものです。
2018年08月11日
街の再生 行政では無理
ひとつのプロジェクトが動き出しました。
今年になってから、お問い合わせを頂いた「アパート」の案件。
自力施工を駆使して安価に建築を行い、ユニークな物件に
して行きたいという内容でした。不動産経営に関しては全くの素人。
私も不動産経営を真剣に考えたことは有りません。素人。
そんな素人同士が意気投合したプロジェクト。
クライアントは同い年で非常に共通した部分を多く持っている方でした。
妙に運命を感じる人でしたね。
さて、でも計画の予算が低いのと、想定するシチュエーションが
難しくて、これは妥協が無ければ死ぬまでに出来るのかな?って
くらい現実味からは遠い計画でした。
更地を購入して、そこにアパートを新築して、それで家賃収入で
十分「経営」が成り立つようにするには「たなこ」のことなんて真剣には
考えて上げることは出来ません。
しかし、存在意義があって、「ここに住みたい」と真剣に思わせるような
存在をデザインしてしまったので。私は中古の住宅やアパート、倉庫
などを購入して、それをコンバージョンしたらどうかと提案しました。
するとクライアントも、それも視野に入れていますという答えでした。
且つ「共同住宅」に固執しなくとも「シェアハウス」なんて、どうでしょうと
尋ねると、それも良いですね!!という回答でした。
私は、そっちを中心に物件探しを行いました。実は今日は良い出会いが
有って、その物件の購入を決めて頂きました。私の仕事は無くなったと
思いましたが、それでも「街づくり」というか、街の再生、活性化に
繋がるのであればという思いで、物件を紹介しました。
有り難いことに、その後の計画にも付き合って欲しいというオファーが
有りましたので、私のアイデアを沢山提案させていただいて、
部分的にでも役に立てて頂ければと思っています。
物件の場所は静岡大学の近くです。昔は学生街というか、現在よりも
活気のあった街です。青春の一時を人生の中の1ページとして大切な
思い出に出来るようなシェアハウスにして下さいと頼みました。
現在の静岡市長は、コンパクトシティを前面に打ち出して市街地の、
より一層の市街化を目指しています。昔、流行った「箱物行政」にしか
見えません。若者の若者のと連呼しますが、本当の若者の要求や、
若者に与えるべき環境を理解していないように感じます。
資金力の乏しい「アイデアマン達」は開発の得意な不動産屋と上手に
出会うことが出来ません。やってみたいことが有っても、金が無ければ
出来ないことばかりです。確かに工夫をすれば多少の事は出来るのですが、
街の再生や活性化は一人の力では叶いませんし、やはり痩せ我慢にも
限界はあります。少々スタートに金は掛かりますが、そこを利用する
人たちが新しい需要を創出してくれるようなシステムを作ることによって、
核分裂のような作用が働いて街は生まれ変わることが出来ると思うのです。
こういったことには建築は大きく寄与できるので、私も役に立ちたいと
心から考えています。
行政は、やはりというか「どこか人事」である空気を感じます。
またマクロについては、そもそも感心すらないと感じます。実際には
決めの細かいアイデアや積み重ねによって、時間を掛けて「成って行く」
ものこそ「街」なのです。ブルドーザーで、ガーっとやって来て、
バカバカ建物や公園を作れば「ハイ出来上がり」とは行かないのです。
やはり、物好きが物好きを集めるような「種」を蒔くことが面倒でも、
時間が掛かっても、それが一番確かな方法だと思うのです。
誰にも出来ないことに拘る必要は無いと思います。ですが、みんなが
やっているからと拘ることは耕さずして、雑草の荒地に大切な種をばら撒く
のと全く同じ行為だと知っておいた方が良いです。
いずれ進捗状況をお知らせいたします。
今年になってから、お問い合わせを頂いた「アパート」の案件。
自力施工を駆使して安価に建築を行い、ユニークな物件に
して行きたいという内容でした。不動産経営に関しては全くの素人。
私も不動産経営を真剣に考えたことは有りません。素人。
そんな素人同士が意気投合したプロジェクト。
クライアントは同い年で非常に共通した部分を多く持っている方でした。
妙に運命を感じる人でしたね。
さて、でも計画の予算が低いのと、想定するシチュエーションが
難しくて、これは妥協が無ければ死ぬまでに出来るのかな?って
くらい現実味からは遠い計画でした。
更地を購入して、そこにアパートを新築して、それで家賃収入で
十分「経営」が成り立つようにするには「たなこ」のことなんて真剣には
考えて上げることは出来ません。
しかし、存在意義があって、「ここに住みたい」と真剣に思わせるような
存在をデザインしてしまったので。私は中古の住宅やアパート、倉庫
などを購入して、それをコンバージョンしたらどうかと提案しました。
するとクライアントも、それも視野に入れていますという答えでした。
且つ「共同住宅」に固執しなくとも「シェアハウス」なんて、どうでしょうと
尋ねると、それも良いですね!!という回答でした。
私は、そっちを中心に物件探しを行いました。実は今日は良い出会いが
有って、その物件の購入を決めて頂きました。私の仕事は無くなったと
思いましたが、それでも「街づくり」というか、街の再生、活性化に
繋がるのであればという思いで、物件を紹介しました。
有り難いことに、その後の計画にも付き合って欲しいというオファーが
有りましたので、私のアイデアを沢山提案させていただいて、
部分的にでも役に立てて頂ければと思っています。
物件の場所は静岡大学の近くです。昔は学生街というか、現在よりも
活気のあった街です。青春の一時を人生の中の1ページとして大切な
思い出に出来るようなシェアハウスにして下さいと頼みました。
現在の静岡市長は、コンパクトシティを前面に打ち出して市街地の、
より一層の市街化を目指しています。昔、流行った「箱物行政」にしか
見えません。若者の若者のと連呼しますが、本当の若者の要求や、
若者に与えるべき環境を理解していないように感じます。
資金力の乏しい「アイデアマン達」は開発の得意な不動産屋と上手に
出会うことが出来ません。やってみたいことが有っても、金が無ければ
出来ないことばかりです。確かに工夫をすれば多少の事は出来るのですが、
街の再生や活性化は一人の力では叶いませんし、やはり痩せ我慢にも
限界はあります。少々スタートに金は掛かりますが、そこを利用する
人たちが新しい需要を創出してくれるようなシステムを作ることによって、
核分裂のような作用が働いて街は生まれ変わることが出来ると思うのです。
こういったことには建築は大きく寄与できるので、私も役に立ちたいと
心から考えています。
行政は、やはりというか「どこか人事」である空気を感じます。
またマクロについては、そもそも感心すらないと感じます。実際には
決めの細かいアイデアや積み重ねによって、時間を掛けて「成って行く」
ものこそ「街」なのです。ブルドーザーで、ガーっとやって来て、
バカバカ建物や公園を作れば「ハイ出来上がり」とは行かないのです。
やはり、物好きが物好きを集めるような「種」を蒔くことが面倒でも、
時間が掛かっても、それが一番確かな方法だと思うのです。
誰にも出来ないことに拘る必要は無いと思います。ですが、みんなが
やっているからと拘ることは耕さずして、雑草の荒地に大切な種をばら撒く
のと全く同じ行為だと知っておいた方が良いです。
いずれ進捗状況をお知らせいたします。
2018年08月10日
最近、声を聞くんですよ!!
ふつ~に声が聞こえたりするんです。マジで。
4,5日前でしたかね。昼間、台所で次女と二人でいるときに
直ぐ傍で「聞き取れない」内容でしたが、物凄く鮮明に普通に
「男の子」の声を聞いたんです。あれっ?!って思って振り返り
ましたが、もちろん声の主もいませんし、外のカラスが鳴いたのかな
とかとも思って表を見ましたがいません。
そもそも表からの声じゃないです。本当に目の前で聞こえました。
娘に「今、聞こえたよな?」と尋ねると「はっ?」って表情です。
「いやいや、今、男の子の声がしたろ~よ?!」
娘は全く聞こえなかったと言います。私が、あまりに、そんなはず無い、
小さな子ではないけれど中学生くらいの声変わりする途中みたいな
声で「ギェロ~タ」とかなんとか聞こえたろ?!と譲らないので、
娘は走って逃げていってしまいました。私も何だったんだろうと
不思議な気持ちで一杯でした。鳥肌が立っていました。
その2日後です。長男を学習塾へ送っていくために二人で山道を
車で走っていたときです。もうじき民家のある登り口に近づくという
時に長男が突然「あれ?!今、なんか声が聞こえた」と言うのです。
私は「あっ?外か?」というと息子は「いや、ここんとこで」と自分の
耳元と車のドアのガラスの間を指差しました。
私は「外でカラスが鳴いたんじゃないのか?」というと息子は
「ああ、そうか」と言いました。私は先日台所で起きた不思議な体験を
話しました。「なんていうのかなぁ、そんなに小さな子じゃないけど、
少年のような声だった」というと息子は「ああ、そんな感じ。そんな感じ」と
たった今、聞こえた声を、あれはカラスの鳴き声なんかじゃ無かったと
主張したのです。息子は寡黙なやつで滅多に何かを主張しません。
きっと本当に何かを聞いたんです。私が「どう聞こえた?」と尋ねると
「あ~」って言ってたと。
そして昨日です。私は台所で再び同じ声を聞きました。同じく何と言って
いるかまでは聞き取れませんでしたが、確実に同じ声で聞こえました。
完全に「いかれた」と思いました(笑)
もしも息子も聞いていなかったら自分が、ストレスのせいで発狂したと
受け取ったと思います。でも、そんなこと有り得るでしょうか?
音、それも声がするのですから「声帯」が振動して、それが空気に伝わって、
私の耳の鼓膜を振動させて脳が声だと判断しなければ物理的には
声は聞こえません。どうしましょう。
量子論では「仕方が無い」という思考が有ります。つまり実験結果で
説明が出来ない事象が有っても、それは事実として存在するのだと。
我々の思考が「浅い」せいで理解が出来ないと言います。また一元化された
論理だけで事象を説明したり数式化することが出来ないことがあると言います。
まぁ早く言えば「おばけ」ってことになりますかね。それも家に取り憑くって
霊ではなくて、人に取り憑いているってことですよね。参りましたね。
この家に引っ越してきて沢山不思議なことが起きました。
完全な超常現象です。勝手に楽器が鳴ったり、ドアが開いたり閉まったり。
灯りが着いたり消えたり、音が聞こえたり。凡そ考えられるポルターガイスト
現象が起きました。贅沢なエンターテイメントですね(笑)
ああいったものは、あまりにも突拍子が無くて、お化けを信じているとか、
いないとかって問題ではなくて「ん?」ってなります。そんな馬鹿な!!と
感じますから、絶対に自分の「間違い」だと思います。っていうか「思い込む」
ように行動します。必ず、もう100%「他のせい」にします。
いつだったか長女が突然「今、勝手に障子が開いた!!」と目の前で
めん玉をひん剥いて飛び上がったときが有りました。
娘は私の仕事部屋で畳に寝転がって宿題をやっていました。私はデスクで
仕事をしていました。障子が開いたのが分かりました。物凄い勢いで
開いたのをハッキリと覚えています。す~っと静かに開いたのなら、まだ
なんとなく気味も悪いのですが、余りにも、スターンっと開いたので、
あっけに取られました。私は娘に「お前が脚で蹴ったからだろ?!」というと
娘は「ああ、そうか」と無理やりに納得していました。嫌、していませんでした。
そうなんです。娘も信じたくなかったってことです。意識しないで自分の足で
蹴ったせいで障子が開いたんだと思い込みたかったんでしょう。
暫くして、そのときの話をすると「全然、脚なんか伸ばしてなかったから」と。
ちょっと話は変わりますが「唯物論者」ってのがいますよね。
非常に説明がしづらいのですが、もう大雑把に言ってしまうと唯物論ってのは
「物しか信じない」ってことですよ。目の前に有ることだけが事実で真実。
証拠が無きゃ話にならない。と頑固者のことを唯物論者だと揶揄したりします。
心までも物質だと言い切る辺り、どうしても「硬い」イメージのある哲学です。
心は物質だってのは早く言えば心は「脳」にある。つまり「思考」は電子の
伝達によって作られるということになります。
ですが人間は信仰心が無くても神の存在や死後の世界を空想したりします。
そのときに自分の思考、つまり心が脳によって作られている、いわば
数式に置き換えられる「形式的な衝動」だと思うことの方が困難です。
そうなんです。大概の人たちは「おばけ」や「天国」、それに「生まれ変わり」
などを否定したり懐疑的に見るのに、対して心は電子の操作で脳の生理
現象だということの方が遥かに受入れ難い。観念的な思考を距離を保ちながら
持っている場合が多いはずです。
自分の大切な人が死んで悲嘆にくれている人に向かって、その感情は
脳が司っているので、別の情報を入れることで伝達を停止させ楽になることが
可能であると言い、また化学物質の摂取によって電子の伝達を早急に
停止させることが出来ると言う人がいたら、みなさんは、どう思いますか?
吐き気がするというか、隣人に、ぶん殴られるでしょうね。
ですが精神科医がやっていることは似たようなことです。
他にも、この世には自分の考えが正しいというよりも、自分の考えだけが
正しいという体裁を成立させようと「聞かない」人が非常に多くいます。
確かに聞こえました。
もうじき終戦記念日です。お盆です。ご先祖様は帰ってきますか?
どんな気持ちで「迎え火」を焚きますか?どんな心境で「送り火」を焚きますか?
馬鹿馬鹿しいと思っても、声に出して話しかけてみたらいかがでしょう。
黙って炎を見つめるんじゃなくて、どこか1点を見つめて、誰かを想定して
話しかけてみたらどうでしょう。俄かに信じられない不思議な出来事が
起きるかもしれません。もしもそんなことが有ったら、是非コメントでお知らせ
頂きたいと思います。非常に楽しみです!
4,5日前でしたかね。昼間、台所で次女と二人でいるときに
直ぐ傍で「聞き取れない」内容でしたが、物凄く鮮明に普通に
「男の子」の声を聞いたんです。あれっ?!って思って振り返り
ましたが、もちろん声の主もいませんし、外のカラスが鳴いたのかな
とかとも思って表を見ましたがいません。
そもそも表からの声じゃないです。本当に目の前で聞こえました。
娘に「今、聞こえたよな?」と尋ねると「はっ?」って表情です。
「いやいや、今、男の子の声がしたろ~よ?!」
娘は全く聞こえなかったと言います。私が、あまりに、そんなはず無い、
小さな子ではないけれど中学生くらいの声変わりする途中みたいな
声で「ギェロ~タ」とかなんとか聞こえたろ?!と譲らないので、
娘は走って逃げていってしまいました。私も何だったんだろうと
不思議な気持ちで一杯でした。鳥肌が立っていました。
その2日後です。長男を学習塾へ送っていくために二人で山道を
車で走っていたときです。もうじき民家のある登り口に近づくという
時に長男が突然「あれ?!今、なんか声が聞こえた」と言うのです。
私は「あっ?外か?」というと息子は「いや、ここんとこで」と自分の
耳元と車のドアのガラスの間を指差しました。
私は「外でカラスが鳴いたんじゃないのか?」というと息子は
「ああ、そうか」と言いました。私は先日台所で起きた不思議な体験を
話しました。「なんていうのかなぁ、そんなに小さな子じゃないけど、
少年のような声だった」というと息子は「ああ、そんな感じ。そんな感じ」と
たった今、聞こえた声を、あれはカラスの鳴き声なんかじゃ無かったと
主張したのです。息子は寡黙なやつで滅多に何かを主張しません。
きっと本当に何かを聞いたんです。私が「どう聞こえた?」と尋ねると
「あ~」って言ってたと。
そして昨日です。私は台所で再び同じ声を聞きました。同じく何と言って
いるかまでは聞き取れませんでしたが、確実に同じ声で聞こえました。
完全に「いかれた」と思いました(笑)
もしも息子も聞いていなかったら自分が、ストレスのせいで発狂したと
受け取ったと思います。でも、そんなこと有り得るでしょうか?
音、それも声がするのですから「声帯」が振動して、それが空気に伝わって、
私の耳の鼓膜を振動させて脳が声だと判断しなければ物理的には
声は聞こえません。どうしましょう。
量子論では「仕方が無い」という思考が有ります。つまり実験結果で
説明が出来ない事象が有っても、それは事実として存在するのだと。
我々の思考が「浅い」せいで理解が出来ないと言います。また一元化された
論理だけで事象を説明したり数式化することが出来ないことがあると言います。
まぁ早く言えば「おばけ」ってことになりますかね。それも家に取り憑くって
霊ではなくて、人に取り憑いているってことですよね。参りましたね。
この家に引っ越してきて沢山不思議なことが起きました。
完全な超常現象です。勝手に楽器が鳴ったり、ドアが開いたり閉まったり。
灯りが着いたり消えたり、音が聞こえたり。凡そ考えられるポルターガイスト
現象が起きました。贅沢なエンターテイメントですね(笑)
ああいったものは、あまりにも突拍子が無くて、お化けを信じているとか、
いないとかって問題ではなくて「ん?」ってなります。そんな馬鹿な!!と
感じますから、絶対に自分の「間違い」だと思います。っていうか「思い込む」
ように行動します。必ず、もう100%「他のせい」にします。
いつだったか長女が突然「今、勝手に障子が開いた!!」と目の前で
めん玉をひん剥いて飛び上がったときが有りました。
娘は私の仕事部屋で畳に寝転がって宿題をやっていました。私はデスクで
仕事をしていました。障子が開いたのが分かりました。物凄い勢いで
開いたのをハッキリと覚えています。す~っと静かに開いたのなら、まだ
なんとなく気味も悪いのですが、余りにも、スターンっと開いたので、
あっけに取られました。私は娘に「お前が脚で蹴ったからだろ?!」というと
娘は「ああ、そうか」と無理やりに納得していました。嫌、していませんでした。
そうなんです。娘も信じたくなかったってことです。意識しないで自分の足で
蹴ったせいで障子が開いたんだと思い込みたかったんでしょう。
暫くして、そのときの話をすると「全然、脚なんか伸ばしてなかったから」と。
ちょっと話は変わりますが「唯物論者」ってのがいますよね。
非常に説明がしづらいのですが、もう大雑把に言ってしまうと唯物論ってのは
「物しか信じない」ってことですよ。目の前に有ることだけが事実で真実。
証拠が無きゃ話にならない。と頑固者のことを唯物論者だと揶揄したりします。
心までも物質だと言い切る辺り、どうしても「硬い」イメージのある哲学です。
心は物質だってのは早く言えば心は「脳」にある。つまり「思考」は電子の
伝達によって作られるということになります。
ですが人間は信仰心が無くても神の存在や死後の世界を空想したりします。
そのときに自分の思考、つまり心が脳によって作られている、いわば
数式に置き換えられる「形式的な衝動」だと思うことの方が困難です。
そうなんです。大概の人たちは「おばけ」や「天国」、それに「生まれ変わり」
などを否定したり懐疑的に見るのに、対して心は電子の操作で脳の生理
現象だということの方が遥かに受入れ難い。観念的な思考を距離を保ちながら
持っている場合が多いはずです。
自分の大切な人が死んで悲嘆にくれている人に向かって、その感情は
脳が司っているので、別の情報を入れることで伝達を停止させ楽になることが
可能であると言い、また化学物質の摂取によって電子の伝達を早急に
停止させることが出来ると言う人がいたら、みなさんは、どう思いますか?
吐き気がするというか、隣人に、ぶん殴られるでしょうね。
ですが精神科医がやっていることは似たようなことです。
他にも、この世には自分の考えが正しいというよりも、自分の考えだけが
正しいという体裁を成立させようと「聞かない」人が非常に多くいます。
確かに聞こえました。
もうじき終戦記念日です。お盆です。ご先祖様は帰ってきますか?
どんな気持ちで「迎え火」を焚きますか?どんな心境で「送り火」を焚きますか?
馬鹿馬鹿しいと思っても、声に出して話しかけてみたらいかがでしょう。
黙って炎を見つめるんじゃなくて、どこか1点を見つめて、誰かを想定して
話しかけてみたらどうでしょう。俄かに信じられない不思議な出来事が
起きるかもしれません。もしもそんなことが有ったら、是非コメントでお知らせ
頂きたいと思います。非常に楽しみです!
2018年08月09日
矛盾、解消できるのか?
さあ久しぶりに一緒に考えて見ましょう!!
「矛盾」についてです。「ほこ」と「たて」と言う意味ですよね。
大概の人が知っているように中国の古いことわざです。
どんな剣も通さない「盾」だと言って売っている商人が、
どんな盾も突き通す剣だと言って、剣も売っているという
笑い話のような「教え」な訳ですね。
「どんな~」と言ってしまっていることが問題なのです。
そして最低でも、いずれかは叶わないのですから「嘘」を
言って商売をしているところが非難されるべき部分ですね。
事実と違うことを「捏造」して正当化することが問題なのです。
そして正当化して自分に利益をもたらす行為そのものが
非難されるべき行いだと、そういった行為をするものを諭すときに
使われる言葉であり教えだと言えますね。
しかし実際に我々が「矛盾」を使ったり、考えたりするときには、
「個人」の中で自問自答することもありますが、複数の人間が
主張することが「噛み合わない」場合に矛盾していると使うことが
多いと思います。数学や物理学や化学などを考察するときにも
多くの矛盾を解決するときに使います。
また紛争について問題を解決するために争点を見出し、それを
「一元化」することで矛盾を解決して行くなどという場合に使います。
例えば「明らかに白だった」というものと「明らかに黒」だったと
いうものがいた場合は「色の識別」に矛盾が生じます。
明確な違いを解決するには証拠が根拠になることが多いはずです。
しかし「温かかった」や「薄暗かった」など、感覚の主張は
個人差があり、食い違いが生じます。主張からすれば確かに
矛盾が生まれますが、それらの「違い」を明確にしなければ、
双方の言い分が間違っているとは言い切れないのです。
裁判のような場合であれば「客観性」が、それらの判断しづらい
主張について、解決の大きなファクターと成り得ます。
では客観性とは、どういったものでしょう?基本的には「誰もが」
なるほどと納得の行くものだということです。では「誰もが」とは
「何人」くらいの人を指して言うのでしょうか。
それこそ、客観的な判断が必要になります。
また誰もが一様に納得の行く「判断」とは、どれくらいの経験値や
統計値を言うのでしょうか。
実は、そんなもの全く明確にはなっていません。
先ほど裁判では客観性が重要になると言いましたが、つまりは
裁判は客観的な判断で判決がされるということになるのでしょうか?
違います。
多くの人は間違った解釈をしています。弁護士もそうです。
というか、弁護士は都合よく客観的にという言葉を使って「逃げて」
いるに過ぎません。客観的にとは「他人の」意見ということですから、
自分に自信が無いものは客観的という言葉を頻繁に使います。
主観を放棄していると言っても良いでしょう。
自分の意見に自信が無い、だから空想や想像で
「きっと賛同を得られるだろう」という「マジョリティ」を偶像化するのです。
どんな人間でも完璧ということは有り得ません。
とても大切なことですが「大勢のものが言っているから正しい」と
判断することは大変なパラドックスを引き当てることに繋がります。
少数の意見が間違っているとは絶対に扱っては、いけません。
だから矛盾を「解決」することは非常に困難だと言いたいのです。
鍵になることがあります。「利益」です。利とは元よりも増えた得。
余剰のという意味です。益は、もうけです。本来というか、水平だった
「自分」の状態を持ち上げようという心が無ければ、矛盾を解決する
ことは平易になります。盾と矛を売っていた商人も「欲」が有ったからこそ、
笑われるはめになったのです。
暑かったから、嫌、寒かったからと言い争っても仕方がありません。
「思いやり」さえ有れば、そんな些細なことで争いになどなりません。
相手に尋ねれば済むことです。互いに譲り合えば争いにはなりません。
矛盾は存在からして「主張」しなければ起きません。
少し論点が外れるかもしれませんが、この世で絶対なのは「光」だけです。
宇宙で基準に成るのは光だけです。時間ですら場所や場合によって
流れる時間が違います。人が平等なのは、そう感じた瞬間だけです。
そのように「扱われている」「扱っている」と意識した瞬間だけ成立する
事象です。実は、この世の中で「当たり前」だと思っている「客観性」は
「意識した瞬間」だけ成立する。
どうですか、皆さんの周りにも面倒な矛盾が沢山ころがっていませんか?
「矛盾」についてです。「ほこ」と「たて」と言う意味ですよね。
大概の人が知っているように中国の古いことわざです。
どんな剣も通さない「盾」だと言って売っている商人が、
どんな盾も突き通す剣だと言って、剣も売っているという
笑い話のような「教え」な訳ですね。
「どんな~」と言ってしまっていることが問題なのです。
そして最低でも、いずれかは叶わないのですから「嘘」を
言って商売をしているところが非難されるべき部分ですね。
事実と違うことを「捏造」して正当化することが問題なのです。
そして正当化して自分に利益をもたらす行為そのものが
非難されるべき行いだと、そういった行為をするものを諭すときに
使われる言葉であり教えだと言えますね。
しかし実際に我々が「矛盾」を使ったり、考えたりするときには、
「個人」の中で自問自答することもありますが、複数の人間が
主張することが「噛み合わない」場合に矛盾していると使うことが
多いと思います。数学や物理学や化学などを考察するときにも
多くの矛盾を解決するときに使います。
また紛争について問題を解決するために争点を見出し、それを
「一元化」することで矛盾を解決して行くなどという場合に使います。
例えば「明らかに白だった」というものと「明らかに黒」だったと
いうものがいた場合は「色の識別」に矛盾が生じます。
明確な違いを解決するには証拠が根拠になることが多いはずです。
しかし「温かかった」や「薄暗かった」など、感覚の主張は
個人差があり、食い違いが生じます。主張からすれば確かに
矛盾が生まれますが、それらの「違い」を明確にしなければ、
双方の言い分が間違っているとは言い切れないのです。
裁判のような場合であれば「客観性」が、それらの判断しづらい
主張について、解決の大きなファクターと成り得ます。
では客観性とは、どういったものでしょう?基本的には「誰もが」
なるほどと納得の行くものだということです。では「誰もが」とは
「何人」くらいの人を指して言うのでしょうか。
それこそ、客観的な判断が必要になります。
また誰もが一様に納得の行く「判断」とは、どれくらいの経験値や
統計値を言うのでしょうか。
実は、そんなもの全く明確にはなっていません。
先ほど裁判では客観性が重要になると言いましたが、つまりは
裁判は客観的な判断で判決がされるということになるのでしょうか?
違います。
多くの人は間違った解釈をしています。弁護士もそうです。
というか、弁護士は都合よく客観的にという言葉を使って「逃げて」
いるに過ぎません。客観的にとは「他人の」意見ということですから、
自分に自信が無いものは客観的という言葉を頻繁に使います。
主観を放棄していると言っても良いでしょう。
自分の意見に自信が無い、だから空想や想像で
「きっと賛同を得られるだろう」という「マジョリティ」を偶像化するのです。
どんな人間でも完璧ということは有り得ません。
とても大切なことですが「大勢のものが言っているから正しい」と
判断することは大変なパラドックスを引き当てることに繋がります。
少数の意見が間違っているとは絶対に扱っては、いけません。
だから矛盾を「解決」することは非常に困難だと言いたいのです。
鍵になることがあります。「利益」です。利とは元よりも増えた得。
余剰のという意味です。益は、もうけです。本来というか、水平だった
「自分」の状態を持ち上げようという心が無ければ、矛盾を解決する
ことは平易になります。盾と矛を売っていた商人も「欲」が有ったからこそ、
笑われるはめになったのです。
暑かったから、嫌、寒かったからと言い争っても仕方がありません。
「思いやり」さえ有れば、そんな些細なことで争いになどなりません。
相手に尋ねれば済むことです。互いに譲り合えば争いにはなりません。
矛盾は存在からして「主張」しなければ起きません。
少し論点が外れるかもしれませんが、この世で絶対なのは「光」だけです。
宇宙で基準に成るのは光だけです。時間ですら場所や場合によって
流れる時間が違います。人が平等なのは、そう感じた瞬間だけです。
そのように「扱われている」「扱っている」と意識した瞬間だけ成立する
事象です。実は、この世の中で「当たり前」だと思っている「客観性」は
「意識した瞬間」だけ成立する。
どうですか、皆さんの周りにも面倒な矛盾が沢山ころがっていませんか?
2018年08月08日
ドッキリ?愚劣なだけ
憤っています。
もう毎日「平常心」でいられませんね。引きこもりたいです。
長女が通う学校の部活で「どっきり」をやったって言うんです。
二年生が一年生を担ぐために仕掛けたって言うんです。
二年生同士が諍いを演じて、一年生に「因縁」を付けるという
「どっきり」だというんです。うちの娘と、もう一人の子が
冗談だと告げられた途端に「泣いた」そうです。
きっと怖かったと思います。うちの娘は「ヤマメ」のように
育ちました。ほぼほぼ人を疑ったり、人を蔑んだり、人を悪く言う
ということは有りません。そして多くの「良心」に守られて
育ちました。
どっきりってなんですかね?なにが面白いんですかね?
全く理解できませんね。人を担いで驚かせたり怯えさせて、
楽しいのは「仕掛けた側」だけですね。聞いていても、全く
愉快ではないですね。驚いたことに部活の顧問の教諭も
知っていて、とぼけていたっていうんです。また驚いたことに、
この、どっきりは慣例になっていて毎年、二年生が一年生に
仕掛けているそうです。低脳の高校は、こんな下らない事を
少しも疑問に感じずに伝統にまで出来るんですね。
酷く落胆しました。
TVの影響でしょうね。素人がやっても仕方が無いのに、
下卑たものは、そういった、つまらないことは直ぐに真似るんですね。
もっと高校生らしい、清清しい行いや団結ってのが有ると
思うのですが。つくずく通わせなければ良かったと感じています。
娘は一気に弓道部が嫌いに成ったようでした。そりゃそうですよね。
今日は素晴らしい高校生たちを紹介したいと思います。
京都橘高校のマーチングバンド部のみなさんです。
物凄いパフォーマンスで、あちこちから賞賛の嵐です。
いくつもの動画がYoutubeにアップされていますが、敢えて
画面は、うるさいですが、海外の方々が寄せたメッセージが
コピーしてある動画を紹介します。
娘の、ドッキリのネタは「髪型について」脅しを掛けたそうです。
長いから矢が的に当たらないんだそうです。笑います。
橘高校の生徒の皆さんのパフォーマンスの凄さは楽器を知っている
人なら「お口あんぐり」くらい凄いことなんです。
ダンスをしたことのある人でも分かります。あれだけ激しくダンスを
やりながら「管楽器」を吹くなんて、とんでもない肺活量です。
またチューバやホルン、それにトロンボーンなど、よく歯を折らない
なとか、どうやってやってるんだ?!くらい驚かされます。
また「あの人数」。そうです、マーチングをやりたくて全国から京都橘高校へ
集まってくるのです。あの人数が、素晴らしいシンクロで陽気に笑顔を
振りまきながら観客を魅了するのは「根性」だけでは成し得ないはずです。
楽しい。素晴らしい仲間。信頼関係。想像できます。
下卑た遊びを計画する暇が有ったら、ボランティアや募金でも計画して
欲しいです。人を怯えさせるのを楽しむような人間は所詮知れた
顛末しか待っていません。悲しいです。なんでこんなに違うんでしょうか。
私は「指導者」の責任だと思っています。
恫喝して、序列をつくり、マインドコントロールして悦に入っている
変態教師が多すぎます。
本当に力が抜けました...
もう毎日「平常心」でいられませんね。引きこもりたいです。
長女が通う学校の部活で「どっきり」をやったって言うんです。
二年生が一年生を担ぐために仕掛けたって言うんです。
二年生同士が諍いを演じて、一年生に「因縁」を付けるという
「どっきり」だというんです。うちの娘と、もう一人の子が
冗談だと告げられた途端に「泣いた」そうです。
きっと怖かったと思います。うちの娘は「ヤマメ」のように
育ちました。ほぼほぼ人を疑ったり、人を蔑んだり、人を悪く言う
ということは有りません。そして多くの「良心」に守られて
育ちました。
どっきりってなんですかね?なにが面白いんですかね?
全く理解できませんね。人を担いで驚かせたり怯えさせて、
楽しいのは「仕掛けた側」だけですね。聞いていても、全く
愉快ではないですね。驚いたことに部活の顧問の教諭も
知っていて、とぼけていたっていうんです。また驚いたことに、
この、どっきりは慣例になっていて毎年、二年生が一年生に
仕掛けているそうです。低脳の高校は、こんな下らない事を
少しも疑問に感じずに伝統にまで出来るんですね。
酷く落胆しました。
TVの影響でしょうね。素人がやっても仕方が無いのに、
下卑たものは、そういった、つまらないことは直ぐに真似るんですね。
もっと高校生らしい、清清しい行いや団結ってのが有ると
思うのですが。つくずく通わせなければ良かったと感じています。
娘は一気に弓道部が嫌いに成ったようでした。そりゃそうですよね。
今日は素晴らしい高校生たちを紹介したいと思います。
京都橘高校のマーチングバンド部のみなさんです。
物凄いパフォーマンスで、あちこちから賞賛の嵐です。
いくつもの動画がYoutubeにアップされていますが、敢えて
画面は、うるさいですが、海外の方々が寄せたメッセージが
コピーしてある動画を紹介します。
娘の、ドッキリのネタは「髪型について」脅しを掛けたそうです。
長いから矢が的に当たらないんだそうです。笑います。
橘高校の生徒の皆さんのパフォーマンスの凄さは楽器を知っている
人なら「お口あんぐり」くらい凄いことなんです。
ダンスをしたことのある人でも分かります。あれだけ激しくダンスを
やりながら「管楽器」を吹くなんて、とんでもない肺活量です。
またチューバやホルン、それにトロンボーンなど、よく歯を折らない
なとか、どうやってやってるんだ?!くらい驚かされます。
また「あの人数」。そうです、マーチングをやりたくて全国から京都橘高校へ
集まってくるのです。あの人数が、素晴らしいシンクロで陽気に笑顔を
振りまきながら観客を魅了するのは「根性」だけでは成し得ないはずです。
楽しい。素晴らしい仲間。信頼関係。想像できます。
下卑た遊びを計画する暇が有ったら、ボランティアや募金でも計画して
欲しいです。人を怯えさせるのを楽しむような人間は所詮知れた
顛末しか待っていません。悲しいです。なんでこんなに違うんでしょうか。
私は「指導者」の責任だと思っています。
恫喝して、序列をつくり、マインドコントロールして悦に入っている
変態教師が多すぎます。
本当に力が抜けました...
2018年08月07日
色を選ぶ
カラーコーディネーターって職業が有るくらいなんですが。
先日、時間つぶしの為にデパートで娘とウインドウショッピングを
しました。久しぶりですかね。そうでもないか。腰痛が酷いので
短時間のことでも随分と長く感じられるし、その痛みったらないですね。
で、悪いことに、この時期は、セールですよね。昔と違って80%オフに
更にタイムセールで2点以上は、もう10%オフなんてやってますよね。
もう。ただにしちゃえばって思います。
そんな訳で、ついつい買ってしまったと。一人にだけ買ってあげるのは、
やはり問題をわざわざ作り出すことになるので、娘たち全員分を
「おみやげ」にすることになるのですが。
これが難しいんですよね。長女は親の私が言うのもなんですが、
そこそこ長身で、スタイルは抜群ですね。小顔で端正な顔立ちです。
何を着せても似合いますね。十分モデルのバイトで稼ぐでしょうねって。
それを下の娘たちも十二分に分かっております。まぁこれも親馬鹿かも
しれませんが、他の娘たちも人並み以上に容姿は整っていると思う
のですが、まぁ女のジェラシーってのは際限が無いですからね。
そこで各々が被らないようなものを与えて、各々が、カッコよく見える
ようなコーディネートを「私」がする訳ですよ。決して「押し付け」なんか
では、納得していただけないところが難度を増していますね。
家内の助けも借りますが、子どもたちは「私の」選んだものでなければ
納得しないんです。有り難い事に子どもたちは私の「センス」は最上だと
受け取っていてくれるようです。家内などは一生懸命になって選んで
くれているのですが、子どもの反応が悪いので「私じゃ納得しないもん」
とかって、ふてくされてしまう始末です。
で、話は今日のタイトルになりますが。様々なブランド、あちこちの
お店の店頭には「マネキン」や「トルソー」が人目を引くように洋服を
着せられていますよね。最近、非常に感じるのですが「センスの悪さ」が
気になって仕方が無いんです。もう「良いな!」って感じる店が
圧倒的に少ない。それも「若者」向けのブランドや「デパート全体」に特に
感じるんです。最近まで、これを「自分」が正しくて、最近の店員の
センスが滅茶苦茶だと信じて疑っていませんでした。
それがです。
どうにも、これは、やばいんじゃないか?と思うようになってきたんです。
私が、コーディネートしたような格好をしている人に出会わない。
有る意味、目立つけどねっていう。散々昔、馬鹿にしてきた「キワモノ」
に、こっちが成っているんじゃないかと。
高級ブランドや「老舗デパート」なんかに出向くと、お~お~これこれと
安心するコーディネートに出会うんですよ。
ってことはさ。俺は、古い人間になってしまったってことなんだな?!と
鳥肌が立ってしまったんでございます。
静岡の現場「桂島の家」の「色決め」が決まりません。
まぁ昔なら私が決めた色で、そのまま施工されて行くってのが
普通だったんですが、最近では「施主」に預けて私は「主観」を述べるに
留めています。なんか自分の家の「色」くらい自分で決めたいんじゃ
ないかなぁとかって思ってですね。間取りも最近では「カナリ」聞きますね。
あんまりこねくり回してしまう方の仕事は、途中でお断りしてます。
やっぱ建築家としての責任が取れなくなるので。
そういった方は、やはりハウスメーカーなんかが、フィットすると思うんです。
桂島の家は私は「白」が基調となったコーディネートを想定して設計を
していました。ですが、基本設計を終えたところで打合わせをしますと、
ご主人は「濃い色」それも「黒」を基調とした、相当にシックな方向が
好みだと仰ったんです。聞いてなかったですね~(笑)
建物の形状が色を呼ぶことは間違いがありません。これは服を選ぶのに
似ています。細身で身長が高ければ制約は少なくなりますが、
身長が低くて、ぽっちゃりな体型であれば、進んで膨張色を選ぶことは
「意図」が無い限り避けた方が無難です。
あえて、どの様な色の組み合わせかは書きませんが、私の想定していた
コーディネートとは全く違う「側」にある選択をされたクライアントに、当初は
戸惑いましたが最近、自分に自信を無くしているので、もしかしたら、
そういったセンスは「整っている」のかもしれないなと理解を示す必要が
あると受け取りました。
今日は相対性理論と量子論の比較をした本を読みました。
今日は仕事にはなりませんでしたね(笑)娘の病院もあったので。
アインシュタインは量子論(量子力学)を認めませんでした。意地でも(笑)
古い話ではありますが、この物理学者たちのやりとりを見ていると、
何が合っているというよりも「否定」することが出来ない状態は歴然と
存在するものだなと感じたのです。
主観とは言いますが、色の組み合わせは、あらゆる感情や性格を現した
ものなのです。寒色、暖色と言いますが、それは感覚について表現した
色合いをグループ化した体系です。青が好き、赤が好きと単純に答えた
先には、どういった「心」が隠れているのだろうと私は考えます。
画一化された町並みを形成するには「形状」よりも「色彩」を統一した方が
手っ取り早いです。それくらい色の組み合わせは人を「強制」します。
制服は形よりも色で人を支配しているのです。恐ろしいことですよね、
考えてみれば。私のように自由を尊ぶ人間にとって、色彩のコーディネートに
「セオリー」を設けることは自身を否定してしまうことと同じになってしまうのです。
自由に色を組み合わせて欲しいと伝えました。
PS:子どもたちの、お土産は大絶賛で受け取ってもらえました。

8.5頭身くらいは有りますかね。早産の未熟児だったんですけどね。羨ましいです。
先日、時間つぶしの為にデパートで娘とウインドウショッピングを
しました。久しぶりですかね。そうでもないか。腰痛が酷いので
短時間のことでも随分と長く感じられるし、その痛みったらないですね。
で、悪いことに、この時期は、セールですよね。昔と違って80%オフに
更にタイムセールで2点以上は、もう10%オフなんてやってますよね。
もう。ただにしちゃえばって思います。
そんな訳で、ついつい買ってしまったと。一人にだけ買ってあげるのは、
やはり問題をわざわざ作り出すことになるので、娘たち全員分を
「おみやげ」にすることになるのですが。
これが難しいんですよね。長女は親の私が言うのもなんですが、
そこそこ長身で、スタイルは抜群ですね。小顔で端正な顔立ちです。
何を着せても似合いますね。十分モデルのバイトで稼ぐでしょうねって。
それを下の娘たちも十二分に分かっております。まぁこれも親馬鹿かも
しれませんが、他の娘たちも人並み以上に容姿は整っていると思う
のですが、まぁ女のジェラシーってのは際限が無いですからね。
そこで各々が被らないようなものを与えて、各々が、カッコよく見える
ようなコーディネートを「私」がする訳ですよ。決して「押し付け」なんか
では、納得していただけないところが難度を増していますね。
家内の助けも借りますが、子どもたちは「私の」選んだものでなければ
納得しないんです。有り難い事に子どもたちは私の「センス」は最上だと
受け取っていてくれるようです。家内などは一生懸命になって選んで
くれているのですが、子どもの反応が悪いので「私じゃ納得しないもん」
とかって、ふてくされてしまう始末です。
で、話は今日のタイトルになりますが。様々なブランド、あちこちの
お店の店頭には「マネキン」や「トルソー」が人目を引くように洋服を
着せられていますよね。最近、非常に感じるのですが「センスの悪さ」が
気になって仕方が無いんです。もう「良いな!」って感じる店が
圧倒的に少ない。それも「若者」向けのブランドや「デパート全体」に特に
感じるんです。最近まで、これを「自分」が正しくて、最近の店員の
センスが滅茶苦茶だと信じて疑っていませんでした。
それがです。
どうにも、これは、やばいんじゃないか?と思うようになってきたんです。
私が、コーディネートしたような格好をしている人に出会わない。
有る意味、目立つけどねっていう。散々昔、馬鹿にしてきた「キワモノ」
に、こっちが成っているんじゃないかと。
高級ブランドや「老舗デパート」なんかに出向くと、お~お~これこれと
安心するコーディネートに出会うんですよ。
ってことはさ。俺は、古い人間になってしまったってことなんだな?!と
鳥肌が立ってしまったんでございます。
静岡の現場「桂島の家」の「色決め」が決まりません。
まぁ昔なら私が決めた色で、そのまま施工されて行くってのが
普通だったんですが、最近では「施主」に預けて私は「主観」を述べるに
留めています。なんか自分の家の「色」くらい自分で決めたいんじゃ
ないかなぁとかって思ってですね。間取りも最近では「カナリ」聞きますね。
あんまりこねくり回してしまう方の仕事は、途中でお断りしてます。
やっぱ建築家としての責任が取れなくなるので。
そういった方は、やはりハウスメーカーなんかが、フィットすると思うんです。
桂島の家は私は「白」が基調となったコーディネートを想定して設計を
していました。ですが、基本設計を終えたところで打合わせをしますと、
ご主人は「濃い色」それも「黒」を基調とした、相当にシックな方向が
好みだと仰ったんです。聞いてなかったですね~(笑)
建物の形状が色を呼ぶことは間違いがありません。これは服を選ぶのに
似ています。細身で身長が高ければ制約は少なくなりますが、
身長が低くて、ぽっちゃりな体型であれば、進んで膨張色を選ぶことは
「意図」が無い限り避けた方が無難です。
あえて、どの様な色の組み合わせかは書きませんが、私の想定していた
コーディネートとは全く違う「側」にある選択をされたクライアントに、当初は
戸惑いましたが最近、自分に自信を無くしているので、もしかしたら、
そういったセンスは「整っている」のかもしれないなと理解を示す必要が
あると受け取りました。
今日は相対性理論と量子論の比較をした本を読みました。
今日は仕事にはなりませんでしたね(笑)娘の病院もあったので。
アインシュタインは量子論(量子力学)を認めませんでした。意地でも(笑)
古い話ではありますが、この物理学者たちのやりとりを見ていると、
何が合っているというよりも「否定」することが出来ない状態は歴然と
存在するものだなと感じたのです。
主観とは言いますが、色の組み合わせは、あらゆる感情や性格を現した
ものなのです。寒色、暖色と言いますが、それは感覚について表現した
色合いをグループ化した体系です。青が好き、赤が好きと単純に答えた
先には、どういった「心」が隠れているのだろうと私は考えます。
画一化された町並みを形成するには「形状」よりも「色彩」を統一した方が
手っ取り早いです。それくらい色の組み合わせは人を「強制」します。
制服は形よりも色で人を支配しているのです。恐ろしいことですよね、
考えてみれば。私のように自由を尊ぶ人間にとって、色彩のコーディネートに
「セオリー」を設けることは自身を否定してしまうことと同じになってしまうのです。
自由に色を組み合わせて欲しいと伝えました。
PS:子どもたちの、お土産は大絶賛で受け取ってもらえました。

8.5頭身くらいは有りますかね。早産の未熟児だったんですけどね。羨ましいです。
2018年08月06日
お盆が近づいたので量子力学を考える
怒涛の草刈2連ちゃんを凌ぎました。
まぁ大した量を刈った訳では有りません。ですが、やったことのある
人ならば、誰でも分かると思いますが、この茹だる様な暑さの中、
正直、器具に燃料を入れるだけで、既に「もういいよ」くらい疲れます。
町内会で行う市道の草刈は、ちゃんと「慰労会」が有るので、少々は
疲れも癒されます。我が「杉尾町内会」は、まぁなんともギクシャクと
しながらも「仲の良い」町内です。非常にキャラの強い、丸で1人1人が
漫画のキャラクターというか映画の登場人物のように個性的です。
私も、ここで暮らしていて、丸で「映画の中」で生きているような
錯覚を覚えます。みんな愛すべき「隣人」であります。
今年の春で町内会を脱会してしまった「お隣さん」。90歳になろうという
高齢のご夫婦の単世帯でしたが、3年前くらいに、おじいちゃんが、
介護が必要になり、里に有る介護施設に単身で移り住みました。
おばあちゃんは、長年住み慣れた家が良いと、そのまま暮らしていましたが、
怪我をしたり、風邪をこじらせて長患いを強いられたりしての生活を
息子さんが心配して、おじいちゃんがいる施設に転居をすることを
英断されました。ええ、英断です。
完全な空き家となりましたから、町内会からは「抜ける」ことになる
訳ですが、里で暮らす息子さんも決して故郷を捨ててしまうという
心境では無いんだと思います。町内会費は払わなくても「家」は、
そこに在る訳ですから。実際、昨日の草刈にも片道1時間掛けて、
やってきてくれました。慰労会にも参加していただいて、楽しい時間を
分かち合うことが出来ました。非常に繊細な方で、私のような「よそもの」が、
やり手の先輩方に翻弄されている様子を案じて、しっかりと気を使って
くれているのを私は分かっています。
さて量子力学ですが。もう全く「なんじゃそりゃ?」って方の方が多いと
思います。切り口を変えて語ってみましょうかね。
「お化け」を信じるとか、見たことが有るだとか、無いとか。諸々意見は
有ると思いますが、お化けが「怖い」「気味が悪い」と感じる方は、
ここから先に読み進んでいただくと面白いと思いますよ。
我々が「当たり前」のように感じている「存在」と「時間」がありますよね。
まぁ時間も「存在」に入りますけど。では「存在」とは、どんな「ニュアンス」
で感じていますか?上手に説明が出来る方は、ほぼほぼゼロじゃないでしょうか。
UFOにしろ、お化けにしろ「見えにくい」し証明出来ないから、いるだの
いないだの言われるんですよね。で、正体が掴めないものは何だか
気味が悪い、怖いとなるんだと思います。
さて。
じゃあ、目の前に有る物体が実は有るんだけど、思っているような状態で
存在していないとしたら、あなた、それを受け入れられますか?って話です。
時間ってのは、例えば、さっきから1時間たったよなとか、もう1年経ったから
15歳だとかって言ってますけど、全然時間なんて経っていなかったら、どうよ?
みたいな話です。浦島太郎は、さっき竜宮城に行って来て、そこそこ遊んだけど
まさか100年近くも遊んでいたとは思いもよらなかったっていう、あれですよ。
時間は存在です。
でも量子力学では物質は思いも寄らない変化や「表現」をするのです。
さっきまで「A」という表情、反応をしていた物質が、こちらが気にして観察を
すると「B」という反応や表情に「化ける」のです。まるで心が有るかのように。
特に光には「惑わされ」ます。理論ではなくて単純な実験装置でも光に心が
有ることを見ることが出来ます。
最近、古い記事ですが、「天国は本当に有る」という映画を取り上げて書いた
ブログ記事にコメントを頂きました。文面から御主人に先立たれた奥様からの
メッセージのようでした。非常に切ない気持ちになりました。これだけは大切な人を
亡くした人にしか分からない感情です。コメントの主は、ご主人が鳥になって
自分に会いに来てくれていると思うと仰っていました。そうだと思います。
人は死んで火葬してしまえば、その「形」を失います。ですが、物理学的な
視点から言っても、人が「完全に消滅」することは絶対に有り得ないのです。
質量的にも、そうですが、我々の「意識」は時間のように質量を伴わないのに
明らかに「存在」しているものです。ですが、先ほども言いましたが、時間は
有って無いようなもの。どれだけ距離が離れていても「ふたつの物質」は、
瞬時に「呼応」することが量子力学では証明されています。つまり死んでしまった
人は、しっかりと存在していて、生きている我々と、これっぽっちのタイムラグも
無くして、しっかりとコミュニケーションを図ることが可能だということです。
理科が嫌いだとか、物理が苦手だとかっていう人がいます。子どもは大抵、
理科の「~学」が嫌いです。ですが、生活の中の「不思議」を証明して見せると、
きっと「~学」に興味を持てると思います。うちの長男は、そうでしたね。
私も長男も数学は苦手でしたが物理には関心がありますね。
今日の息子への御土産は「量子力学の本」です。凄く面白そうだったので、
買ってしまいました。
私は子どもが中学に上がると必ず通る「方程式」のところで、家で教えるときに
非常に躊躇が有ります。道のり=速さ×時間
まぁ人間は、そうやって「便宜上」片付けているのさと。本当は、ここから
一気に宇宙とご先祖様の存在を話したい衝動に駆られるんだよ。
頭が悪いとは言わない、でも教養のない人間は気の毒だ。自分の大切な人が
死んでしまって、悲嘆にくれるか、安堵するかは知らないが、真実を
追い求めようとしないものが、自分の存在をどうやって維持するのだろうかと。
維持、つまり永遠の生命だ。
今は良い時代になった。もしも量子力学に興味を持たれたなら、キーワード検索で
掘り下げてみて頂きたい。私は、魂が永遠だと人類が知れば、争いも利己的な
プレゼンスも無くなると強く信じているのだ。
まぁ大した量を刈った訳では有りません。ですが、やったことのある
人ならば、誰でも分かると思いますが、この茹だる様な暑さの中、
正直、器具に燃料を入れるだけで、既に「もういいよ」くらい疲れます。
町内会で行う市道の草刈は、ちゃんと「慰労会」が有るので、少々は
疲れも癒されます。我が「杉尾町内会」は、まぁなんともギクシャクと
しながらも「仲の良い」町内です。非常にキャラの強い、丸で1人1人が
漫画のキャラクターというか映画の登場人物のように個性的です。
私も、ここで暮らしていて、丸で「映画の中」で生きているような
錯覚を覚えます。みんな愛すべき「隣人」であります。
今年の春で町内会を脱会してしまった「お隣さん」。90歳になろうという
高齢のご夫婦の単世帯でしたが、3年前くらいに、おじいちゃんが、
介護が必要になり、里に有る介護施設に単身で移り住みました。
おばあちゃんは、長年住み慣れた家が良いと、そのまま暮らしていましたが、
怪我をしたり、風邪をこじらせて長患いを強いられたりしての生活を
息子さんが心配して、おじいちゃんがいる施設に転居をすることを
英断されました。ええ、英断です。
完全な空き家となりましたから、町内会からは「抜ける」ことになる
訳ですが、里で暮らす息子さんも決して故郷を捨ててしまうという
心境では無いんだと思います。町内会費は払わなくても「家」は、
そこに在る訳ですから。実際、昨日の草刈にも片道1時間掛けて、
やってきてくれました。慰労会にも参加していただいて、楽しい時間を
分かち合うことが出来ました。非常に繊細な方で、私のような「よそもの」が、
やり手の先輩方に翻弄されている様子を案じて、しっかりと気を使って
くれているのを私は分かっています。
さて量子力学ですが。もう全く「なんじゃそりゃ?」って方の方が多いと
思います。切り口を変えて語ってみましょうかね。
「お化け」を信じるとか、見たことが有るだとか、無いとか。諸々意見は
有ると思いますが、お化けが「怖い」「気味が悪い」と感じる方は、
ここから先に読み進んでいただくと面白いと思いますよ。
我々が「当たり前」のように感じている「存在」と「時間」がありますよね。
まぁ時間も「存在」に入りますけど。では「存在」とは、どんな「ニュアンス」
で感じていますか?上手に説明が出来る方は、ほぼほぼゼロじゃないでしょうか。
UFOにしろ、お化けにしろ「見えにくい」し証明出来ないから、いるだの
いないだの言われるんですよね。で、正体が掴めないものは何だか
気味が悪い、怖いとなるんだと思います。
さて。
じゃあ、目の前に有る物体が実は有るんだけど、思っているような状態で
存在していないとしたら、あなた、それを受け入れられますか?って話です。
時間ってのは、例えば、さっきから1時間たったよなとか、もう1年経ったから
15歳だとかって言ってますけど、全然時間なんて経っていなかったら、どうよ?
みたいな話です。浦島太郎は、さっき竜宮城に行って来て、そこそこ遊んだけど
まさか100年近くも遊んでいたとは思いもよらなかったっていう、あれですよ。
時間は存在です。
でも量子力学では物質は思いも寄らない変化や「表現」をするのです。
さっきまで「A」という表情、反応をしていた物質が、こちらが気にして観察を
すると「B」という反応や表情に「化ける」のです。まるで心が有るかのように。
特に光には「惑わされ」ます。理論ではなくて単純な実験装置でも光に心が
有ることを見ることが出来ます。
最近、古い記事ですが、「天国は本当に有る」という映画を取り上げて書いた
ブログ記事にコメントを頂きました。文面から御主人に先立たれた奥様からの
メッセージのようでした。非常に切ない気持ちになりました。これだけは大切な人を
亡くした人にしか分からない感情です。コメントの主は、ご主人が鳥になって
自分に会いに来てくれていると思うと仰っていました。そうだと思います。
人は死んで火葬してしまえば、その「形」を失います。ですが、物理学的な
視点から言っても、人が「完全に消滅」することは絶対に有り得ないのです。
質量的にも、そうですが、我々の「意識」は時間のように質量を伴わないのに
明らかに「存在」しているものです。ですが、先ほども言いましたが、時間は
有って無いようなもの。どれだけ距離が離れていても「ふたつの物質」は、
瞬時に「呼応」することが量子力学では証明されています。つまり死んでしまった
人は、しっかりと存在していて、生きている我々と、これっぽっちのタイムラグも
無くして、しっかりとコミュニケーションを図ることが可能だということです。
理科が嫌いだとか、物理が苦手だとかっていう人がいます。子どもは大抵、
理科の「~学」が嫌いです。ですが、生活の中の「不思議」を証明して見せると、
きっと「~学」に興味を持てると思います。うちの長男は、そうでしたね。
私も長男も数学は苦手でしたが物理には関心がありますね。
今日の息子への御土産は「量子力学の本」です。凄く面白そうだったので、
買ってしまいました。
私は子どもが中学に上がると必ず通る「方程式」のところで、家で教えるときに
非常に躊躇が有ります。道のり=速さ×時間
まぁ人間は、そうやって「便宜上」片付けているのさと。本当は、ここから
一気に宇宙とご先祖様の存在を話したい衝動に駆られるんだよ。
頭が悪いとは言わない、でも教養のない人間は気の毒だ。自分の大切な人が
死んでしまって、悲嘆にくれるか、安堵するかは知らないが、真実を
追い求めようとしないものが、自分の存在をどうやって維持するのだろうかと。
維持、つまり永遠の生命だ。
今は良い時代になった。もしも量子力学に興味を持たれたなら、キーワード検索で
掘り下げてみて頂きたい。私は、魂が永遠だと人類が知れば、争いも利己的な
プレゼンスも無くなると強く信じているのだ。
2018年08月04日
親孝行
まぁ~忙しい一日でしたよ(T-T)
目が回るほど、それも睡魔が襲ってくるほど
寝る暇が無いほど忙しい日々です。
ですが、そんな毎日ですが、次女とのギターレッスンは
至福の時です。今日も草を刈りまくり、会合に出た訳ですが。
寸暇を惜しんで娘とギターを練習しましたよ。
正直私はテストで良い点を取ってきても大してテンションは
上がりません。どうせ大した教養もないクズ教員が作った
「意図」の浅いテストで良い点をとっても世界で通用する
人間になれる訳でもなければ、人生を担保できる程の
結果を残せた訳でもありません。
ふ~んそうか、頑張ったね!!なんて、モロに適当なことを
言ってやがるなと、子どもにも見透かされるのが落ちです。
ですが、ギターに関しては全く別です。
自分が辿ってきた「リアル」な道です。いちいち「感嘆」して
しまいます。凄い!!と発する言葉にリアリティがあります。
私は、とんでもなく能力が低い人間です。ギターも「さほど」
上手ではありません。ですが、捨てられないどころか、
音楽というか、ギターは「母親」と全く同じ存在です。
自分が、この世に存在している根源が母親とギターだって事です。
父には申し訳ないのですが、母が一番で「次」がギターで、
その後に父が来ます。
ゴメンネ、パパ。でも大好きだよ!!
イエスが「人はパンのみにて生きるにあらず」と仰ったように、
私も人からは眉をひそめるようなことに拘り、また救われながら
生きています。実に不思議です。
娘が私が手本を見せる「逆向き」の演奏を、デスクの向こうに
いながら、瞬時に真似て演奏できる「間」を私は楽しんでいる。
いや、癒されている。
使い。
この娘も偶然やってきた魂だとは全く思えないと、
久遠の父と母に感謝しているという話でした。超うれしい!!
目が回るほど、それも睡魔が襲ってくるほど
寝る暇が無いほど忙しい日々です。
ですが、そんな毎日ですが、次女とのギターレッスンは
至福の時です。今日も草を刈りまくり、会合に出た訳ですが。
寸暇を惜しんで娘とギターを練習しましたよ。
正直私はテストで良い点を取ってきても大してテンションは
上がりません。どうせ大した教養もないクズ教員が作った
「意図」の浅いテストで良い点をとっても世界で通用する
人間になれる訳でもなければ、人生を担保できる程の
結果を残せた訳でもありません。
ふ~んそうか、頑張ったね!!なんて、モロに適当なことを
言ってやがるなと、子どもにも見透かされるのが落ちです。
ですが、ギターに関しては全く別です。
自分が辿ってきた「リアル」な道です。いちいち「感嘆」して
しまいます。凄い!!と発する言葉にリアリティがあります。
私は、とんでもなく能力が低い人間です。ギターも「さほど」
上手ではありません。ですが、捨てられないどころか、
音楽というか、ギターは「母親」と全く同じ存在です。
自分が、この世に存在している根源が母親とギターだって事です。
父には申し訳ないのですが、母が一番で「次」がギターで、
その後に父が来ます。
ゴメンネ、パパ。でも大好きだよ!!
イエスが「人はパンのみにて生きるにあらず」と仰ったように、
私も人からは眉をひそめるようなことに拘り、また救われながら
生きています。実に不思議です。
娘が私が手本を見せる「逆向き」の演奏を、デスクの向こうに
いながら、瞬時に真似て演奏できる「間」を私は楽しんでいる。
いや、癒されている。
使い。
この娘も偶然やってきた魂だとは全く思えないと、
久遠の父と母に感謝しているという話でした。超うれしい!!
2018年08月03日
基礎を考える
基礎、本当に基礎的なことですが。
基礎は重要ですよね。物凄く考えます。
耐火や防火の構造や音や湿度など建築では沢山の問題を
解決して設計しなければならないのですが。
正直言いますとね。私は、そいつらは暮らし方で何とか
出来るし、気の持ちようで割りと解決できるように思ってます。
火事については。そうですね。明言するのは厳しいですかね。
火を出さないようにすれば良いし、貰い火をする前に逃げるとかね。
最高クラスの耐火構造だって、基本的には建物が倒壊するまでの
時間を定めていて、家が絶対に燃えないって話では無いですからね。
でも地震や「不動沈下」については、住んでる人間が何とかできる
って問題じゃないですからね。そんで、困るのは金が掛かるって
ことなんですよ。基礎工事には結構な金が掛かります。
堅牢にすれば、するほど金は掛かります。みんなも分かっていて、
基礎には十分お金を掛けて丈夫な家にしたいと考えています。
で、平らな土地ならば比較的コストを抑えても丈夫な基礎は出来ます。
でも、これが「傾斜地」となると参りますな。もう参って参ってと。
もう何年も前から安上がりで有効な基礎の構造は無いものかと
考える毎日ですね(笑)
ちょっと計画をやっているんですが。今回は「杭基礎」で行こうと
決めました。高床式です。最近では凄く安く出来る支持杭工法が
あるんですよ!!もうカナリ昔に考えましたが「混構造」で、
確認を通せなくて諦めていたんですが。なんとか、やってくれそうな
会社も見つけましてね。断崖絶壁に浮かぶような、そうですよ、
コーニッグのCSHみたいなの、やってみたいじゃありませんか?!
まだまだ建築少年です。今日はFLライトのTシャツ着てますからね(笑)
※耐火建築物、耐火構造ってのは正確には火事が止むまで構造が
持ちこたえる性能を持っているってことです。

基礎は重要ですよね。物凄く考えます。
耐火や防火の構造や音や湿度など建築では沢山の問題を
解決して設計しなければならないのですが。
正直言いますとね。私は、そいつらは暮らし方で何とか
出来るし、気の持ちようで割りと解決できるように思ってます。
火事については。そうですね。明言するのは厳しいですかね。
火を出さないようにすれば良いし、貰い火をする前に逃げるとかね。
最高クラスの耐火構造だって、基本的には建物が倒壊するまでの
時間を定めていて、家が絶対に燃えないって話では無いですからね。
でも地震や「不動沈下」については、住んでる人間が何とかできる
って問題じゃないですからね。そんで、困るのは金が掛かるって
ことなんですよ。基礎工事には結構な金が掛かります。
堅牢にすれば、するほど金は掛かります。みんなも分かっていて、
基礎には十分お金を掛けて丈夫な家にしたいと考えています。
で、平らな土地ならば比較的コストを抑えても丈夫な基礎は出来ます。
でも、これが「傾斜地」となると参りますな。もう参って参ってと。
もう何年も前から安上がりで有効な基礎の構造は無いものかと
考える毎日ですね(笑)
ちょっと計画をやっているんですが。今回は「杭基礎」で行こうと
決めました。高床式です。最近では凄く安く出来る支持杭工法が
あるんですよ!!もうカナリ昔に考えましたが「混構造」で、
確認を通せなくて諦めていたんですが。なんとか、やってくれそうな
会社も見つけましてね。断崖絶壁に浮かぶような、そうですよ、
コーニッグのCSHみたいなの、やってみたいじゃありませんか?!
まだまだ建築少年です。今日はFLライトのTシャツ着てますからね(笑)
※耐火建築物、耐火構造ってのは正確には火事が止むまで構造が
持ちこたえる性能を持っているってことです。

2018年08月02日
娘とプリテンダーズ
また仕事を失いました。(笑)
まぁ良いですよ。面倒なんで勝手にやります。
私は「人の為に」設計やってる「ふり」をして「自分の為に」
設計をやってるんです、きっと。
人に尽くしている、徹底的に「思いやる」自分が好きっていうか、
憧れているというか、目指してますね。だからまぁ良いです。
娘にギターを教えました。教える程のもんじゃありません。
次女は物凄い才能を持っているので、ちょちょちょとやって
見せれば、直ぐに真似て出来てしまいます。非常に羨ましいです。
私も長男も嫉妬しています。
私の指先は既に火傷をしたような状態ですが、娘も同じだけ
弾いていました。つくずく凄いなと。
プリテンダーズの曲をやりました。長女に歌って欲しかった
のですが、入ってきませんでした。やきもちでしょうか。
女は面倒ですね(笑)
5時間くらいやったか?そんなにやってないか...
でも幸せだったな。明日も仕事なんて放り出して娘とギターを
弾いていたいな。
誰かが設計の依頼を出してくれれば話は別ですが。
明日死ぬならギターを弾いていたいです。ずっとね。
まぁ良いですよ。面倒なんで勝手にやります。
私は「人の為に」設計やってる「ふり」をして「自分の為に」
設計をやってるんです、きっと。
人に尽くしている、徹底的に「思いやる」自分が好きっていうか、
憧れているというか、目指してますね。だからまぁ良いです。
娘にギターを教えました。教える程のもんじゃありません。
次女は物凄い才能を持っているので、ちょちょちょとやって
見せれば、直ぐに真似て出来てしまいます。非常に羨ましいです。
私も長男も嫉妬しています。
私の指先は既に火傷をしたような状態ですが、娘も同じだけ
弾いていました。つくずく凄いなと。
プリテンダーズの曲をやりました。長女に歌って欲しかった
のですが、入ってきませんでした。やきもちでしょうか。
女は面倒ですね(笑)
5時間くらいやったか?そんなにやってないか...
でも幸せだったな。明日も仕事なんて放り出して娘とギターを
弾いていたいな。
誰かが設計の依頼を出してくれれば話は別ですが。
明日死ぬならギターを弾いていたいです。ずっとね。
2018年08月01日
盗まれたスマホ粉々に
書きにくいですが。
犯人は大きく分けて「二通り」で、ほぼほぼ察しは付いています。
今朝ですね、息子の不注意で学校の駐車場に家内のスマホを
落としてしまったんですよ。気が付いたのは、学校を後にしてから
10分後くらい。車内に落ちていると思って電話を掛けるも
「電波の届かない~」というアナウンスが流れるだけで。
充電は残っていました。私は、直ぐに「誰か」が意図的に電源を
切ったんだと感じました。
朝食をガストで済ませ、私は建築確認申請を出してきました。
一旦、帰宅して再び市街地まで戻り、家内を拾って今朝の経路を
辿ってみました。もちろん学校にも連絡をして警察にも問合せをしました。
スマホを一時停止させて置きました。免許証を一緒にケースに入れて
いたので、もしも誰かが拾ってくれれば、流石に「どこかに」届けて
くれたと思います。ですが無い。
これは意図的に隠していると感じました。直感です。
ガストから学校に戻る途中です。
私は、いつも通っている交差点に「見覚えのある色」を感じました。
あれは家内のスマホのケースだ。直感しました。
直ぐにUターンして右折レーンに入って、無理やりに車から降りて
「その落下物」に近づきました。そうでした。
家内のスマホのケースでした。ありえない場所に有りました。
誰かが故意に交差点に捨てていったのです。踏まれればいいと思って。
私は交差点の四方をくまなく見て回りました。するとスマホの
ボロボロになった本体と娘の病院の診察券を見つけることが出来ました。
肝心な免許証が無い。きっとこの状態なら、どこかに落ちている可能性が
高いと思い、道路に目を凝らしました。
なんとなく「紙くず」が落ちていたので、激しく車が行き交う道でしたが、
車道まで出て拾い上げました。免許証でした。
悪用するつもりは無かったってことです。きっと免許証も有る。
それを感じたのは「交差点の真ん中」「わざわざ引き出した診察券」そして
「破壊されたスマホ」を見て感じました。
もしもLINEなどのアカウントを悪用したり免許証で借金でもしようと
試みるならば、スマホは捨てないでしょう。
わざわざ交差点のど真ん中に捨てて行って、スマホが車に踏まれて行く
様子を直に見る、または想像して一人「悦」に入っていたのですから、
簡単に言えば「変態」です。
策士の「怒り」を感じました。
これです。今朝方「思い当たる」出来事というか、シーンが有ったんです。
粉々に成った様子。ですが、朝の8時から発見までの17時ころまで、紙が
交差点に残っているということは有り得ません。
そこを私は複数回、通りましたが異変も感じませんでした。
娘も同じように言っていました。つまり比較的発見時に近い時間に捨てた
訳です。教員でしょうか。落とした場所は教員駐車場です。
しかし子どもを送ってきた保護者の可能性も有ります。まぁ良いです。
正直「どっちか」です。
しかしながら、これも人間万事塞翁が馬。家内からスマホを取り上げる
良い機会だと思いました。家内も同調していました。
スマホ、必要ですかね?私のような「自由」を奪われたビジネスマンは仕方が
無いとしても、子どもや一般の主婦が、そんなもん持っていなくたって
困りはしないでしょう?逆に「ろくなこと」なくありませんか?
現代人は便利に「毒されて」いますよ。便利だと勘違いしています。
ペテン師は、そういった「すき」を狙ってやってくるのです。
ろくな語彙も表現力も文章力も持っていない、教養のないものが、
LINEなんてもので会話を成立させているかのように勘違いしていますが、
それが元で喧嘩や諍いが頻繁に勃発しているのに。
まぁいずれにしても悪用されなかったことが幸いです。
先ほど粉々のスマホからSIMを抜いて私のスマホに挿入しますと、
驚いたことにSIMは生きていました。家内には黙っています。一応、代替機は
買います。ヤフオクで。でも持たせるタイミングを計ります。
なんだか「しつこい」知人からのメールや電話に辟易しているようです。
家内は「自由」を手に入れたというよりも「束縛」から解放されたという感じです。
そう思いませんか?束縛。私は相当に納得しています。

犯人は大きく分けて「二通り」で、ほぼほぼ察しは付いています。
今朝ですね、息子の不注意で学校の駐車場に家内のスマホを
落としてしまったんですよ。気が付いたのは、学校を後にしてから
10分後くらい。車内に落ちていると思って電話を掛けるも
「電波の届かない~」というアナウンスが流れるだけで。
充電は残っていました。私は、直ぐに「誰か」が意図的に電源を
切ったんだと感じました。
朝食をガストで済ませ、私は建築確認申請を出してきました。
一旦、帰宅して再び市街地まで戻り、家内を拾って今朝の経路を
辿ってみました。もちろん学校にも連絡をして警察にも問合せをしました。
スマホを一時停止させて置きました。免許証を一緒にケースに入れて
いたので、もしも誰かが拾ってくれれば、流石に「どこかに」届けて
くれたと思います。ですが無い。
これは意図的に隠していると感じました。直感です。
ガストから学校に戻る途中です。
私は、いつも通っている交差点に「見覚えのある色」を感じました。
あれは家内のスマホのケースだ。直感しました。
直ぐにUターンして右折レーンに入って、無理やりに車から降りて
「その落下物」に近づきました。そうでした。
家内のスマホのケースでした。ありえない場所に有りました。
誰かが故意に交差点に捨てていったのです。踏まれればいいと思って。
私は交差点の四方をくまなく見て回りました。するとスマホの
ボロボロになった本体と娘の病院の診察券を見つけることが出来ました。
肝心な免許証が無い。きっとこの状態なら、どこかに落ちている可能性が
高いと思い、道路に目を凝らしました。
なんとなく「紙くず」が落ちていたので、激しく車が行き交う道でしたが、
車道まで出て拾い上げました。免許証でした。
悪用するつもりは無かったってことです。きっと免許証も有る。
それを感じたのは「交差点の真ん中」「わざわざ引き出した診察券」そして
「破壊されたスマホ」を見て感じました。
もしもLINEなどのアカウントを悪用したり免許証で借金でもしようと
試みるならば、スマホは捨てないでしょう。
わざわざ交差点のど真ん中に捨てて行って、スマホが車に踏まれて行く
様子を直に見る、または想像して一人「悦」に入っていたのですから、
簡単に言えば「変態」です。
策士の「怒り」を感じました。
これです。今朝方「思い当たる」出来事というか、シーンが有ったんです。
粉々に成った様子。ですが、朝の8時から発見までの17時ころまで、紙が
交差点に残っているということは有り得ません。
そこを私は複数回、通りましたが異変も感じませんでした。
娘も同じように言っていました。つまり比較的発見時に近い時間に捨てた
訳です。教員でしょうか。落とした場所は教員駐車場です。
しかし子どもを送ってきた保護者の可能性も有ります。まぁ良いです。
正直「どっちか」です。
しかしながら、これも人間万事塞翁が馬。家内からスマホを取り上げる
良い機会だと思いました。家内も同調していました。
スマホ、必要ですかね?私のような「自由」を奪われたビジネスマンは仕方が
無いとしても、子どもや一般の主婦が、そんなもん持っていなくたって
困りはしないでしょう?逆に「ろくなこと」なくありませんか?
現代人は便利に「毒されて」いますよ。便利だと勘違いしています。
ペテン師は、そういった「すき」を狙ってやってくるのです。
ろくな語彙も表現力も文章力も持っていない、教養のないものが、
LINEなんてもので会話を成立させているかのように勘違いしていますが、
それが元で喧嘩や諍いが頻繁に勃発しているのに。
まぁいずれにしても悪用されなかったことが幸いです。
先ほど粉々のスマホからSIMを抜いて私のスマホに挿入しますと、
驚いたことにSIMは生きていました。家内には黙っています。一応、代替機は
買います。ヤフオクで。でも持たせるタイミングを計ります。
なんだか「しつこい」知人からのメールや電話に辟易しているようです。
家内は「自由」を手に入れたというよりも「束縛」から解放されたという感じです。
そう思いませんか?束縛。私は相当に納得しています。
