2014年09月30日

まるみさんに「お説教」

そうです。まるみさんという意気地なしに
ガツンと言ってやるつもりだったのですが、
痺れが酷くて。
動悸が酷くて。
胃が、むかむかして。

どーしよーもないので、明日、改めて
ガツンと言ってやる所存です。

明日は「正座」してブログを読むように!!  

Posted by アーバンギア at 20:42Comments(2)あれこれ

2014年09月29日

子供の自信

昨日は小学校の運動会でした。
末娘は小学校に入学して初めての運動会。

「縄跳び」と「組み体操」を合わせた
「演舞」に挑戦してくれました。

娘の通う小学校は全校児童合わせて「7人」。
その内うちの娘が4人。全部女子。女子校。

常識から懸け離れた小学校は日本に何校か
存在していますが、峰山小学校は、その
常識では考えられない小学校のひとつです。

小学校に入学すると、いきなり先生との
マンツーマン授業が始まります。
全く気の抜けない「一日」が連日やってきます。
大人になると「セミナー」とかっていう、
面倒な講習などに参加する機会があったりしますが、
その退屈たるや半端なく。
私も定期講習などに参加するたびに
「娘は、すげ~なぁ~」と感心するやら不憫に思うやら。

昨日の組体操。
末娘、小学1年生が行うには正直レベルが高すぎる!!
と、初めて観覧して「あたふた」しながらの
緊張の時間でした。

おもわず演技中に校長先生が職員の皆さんに掛けた
「最後まで気を抜くなよ」の掛け声が、どれほど
危険で、どれほど「思い入れのある」指導の
お披露目なのかが痛いほど伝わってきました。

縄跳びの演技の時には満面の笑顔で観覧していた
家内も組み体操が終わった時には撮影そっちのけで
泣いていましたね。まぁ分かりますけど(笑)

さて今日になって家内が末娘に貰ったという手紙を
私に見せてきました。
この手紙は運動会の前、つまり一昨日に家内に
手渡されたものでした。
娘には内緒で全文を載せます。

おはよう、うんどうかい たのしみだね。
がんばるよ。
パパもみたら なおると おもうから だいじょうぶ。
だからね。
さいごがすごいからね だいじょうぶだよね。
ひょうも やるきだすから だいじょうぶ。
たのしみにしててね。

なんりょより


縦書きの手紙でしたが。
実は私は鬱病を患っています。
時々感情のコントロールが出来なくなって酷く
子供を叱ってしまうことがあります。
最近は手を上げなくなっただけ少しはましでしょうか。

この手紙を娘が書いた日。
私は次男の体たらくに我慢が出来ず、相当に息子を
恫喝してしまったのです。自分でも止めたいと
相当に思っていたのですが、その日の家族の
歯車は最悪でした。

私は見ました。
末娘の眼差しを。兄である次男に対して「なんとかしたい」
複雑な気持ちである眼差しでした。
私は、その眼差しを見つけて、自分を止めることが
出来たのです。誰にも言っていませんが。

私が酷く混乱している様子を、家内は上手に受け止める
ことが出来ませんでした。それを見ていた娘は
家内に向けて大丈夫、
みんな「良くなる」と励ましたのです。

私はSSRIという向精神薬に頼っていません。
この薬の恐ろしさを知っているからです。
確かに気持ちが沈むなどという単純な症状だけではない
のが「うつ病」です。手足の痺れや動悸や目眩。
体中の痛みが終日襲ってきます。
考えがまとまらなかったり、物忘れも酷く、いったい
どうしてしまったんだと、自分を責めたり、信じられなかったり。

いつだったか、同じ病で悩んでいるお子さんをお持ちの
親御さんから「どうして本多さんは頑張れるの?」と
何度も何度も、それはしつこく訊ねられたことがあります。
上手く答えることが出来ませんでした。

ただ、ひとつだけ確かなことが在ります。
それは「愛」です。
私は得難い「愛情」に寄り添っている実感があります。
いつも家族が愛してくれていることを感じられます。
そして私は家族が筆舌しがたいほどに「愛しい」です。

娘には確信があったでしょうか。
運動会で最大級の賛辞を得られるであろうことを。
私は無かったと思います。
そして、こうも思います。
「とにかく、ここまでやったんだから大丈夫なはずだ」と
自らを奮い立たせてもいたのであろうと。
自分のイメージ通りに出来れば、自分の考えている
「感動」で人の心を動かせるはずだと。

私には伝わりました。
だから息子にも伝わったんだと思います。


  

Posted by アーバンギア at 17:53Comments(5)子育て

2014年09月28日

スズメバチに刺されました

今日は運動会だったので、その辺を書こうと
思っていたのですが。
先ほどスズメバチに2発刺されてしまって。
キイロスズメバチです。

速攻で47℃のお湯で患部を洗いました。
傷は最小限で留まりましたが、いやぁ~痛い!!

犬も刺されてしまって、ぐったりしています。
ああやばいかも。

散々な一日でした。

PS:とりあえず死にそうも無いので今から
酒を飲んできます。うう痛い...  

Posted by アーバンギア at 16:47Comments(0)あれこれ

2014年09月27日

寝ます

限界です。

死んでしまった友人の夢を最近よく見ます。

なにもしゃべりません。  

Posted by アーバンギア at 21:49Comments(0)あれこれ

2014年09月25日

子供は怖さ知らず

子供は無防備ですよね。

大人と社会が守る責任と義務があります。

秋の日はつるべ落としと言います。

暗くなり始めたら、あっという間に真っ暗に。
さっさと子供は下校させましょうよ。
先生方。
阿呆じゃないの?!

真っ暗な田舎道を自転車で帰ってくる女子高生を
普通に毎日見かけます。
死んだら帰ってきません。

車だって夕方の歩行者を見つけるのは難しい。

子供は何も知りません。
人が簡単に命を落とすことを。  

Posted by アーバンギア at 16:26Comments(2)子育て

2014年09月24日

胃に穴が開いた模様

一日吐き気も止まず。
胃もお腹も痛い。

最悪だ。  

Posted by アーバンギア at 20:54Comments(0)あれこれ

2014年09月23日

彼岸

地元の観音供養がありました。

7世帯しか集まりませんでした。
全部で12世帯あるんですけど。

こういった行事に顔を出さない家が
増えてきました。
過疎に歯止めが利かないんです。

いつか、この山にも人は、いなくなって
しまうのでしょうか。

動物は喜びますね。  

Posted by アーバンギア at 21:42Comments(0)あれこれ

2014年09月21日

ディストーション

何年か振りにエフェクターを繋ぎました。
嫌、エフェクターは繋いでます。
ディストーションも使ってますけど。
おとなしいのを。
アンプで歪ませたものでなくてエフェクターで
歪ませた「物凄い」ディストーションです。
ず~っと昔に買いましたが、うるさいのと
ノイズが凄いので、ほぼ新品で残ってました。

せがれにくれてやったんですが。
使えていないようだったので。
転がっていたので。
ちょっと繋いでみたんです。

実に小気味良くピッキングハーモニクスが決まります。

ヴァン・ヘイレン弾きました。
You really got me でございます。ナイスでした。

息子が運指で悩んでいます。

早いものなんて、やらなきゃいいのに。
ゆっくり弾く事の難しさを、あと15年位したら知る。
私は66歳か。

私もまだまだ「せっかち」だな。  

Posted by アーバンギア at 20:10Comments(0)あれこれ

2014年09月20日

久々の日本平運動公園

カナリ久々に日本平運動公園に行ってきました。
仕事があったので、ついでに。
まぁ今日のメインは「墓参り」でしたけどね。

もうクタクタです。

公園では一番下の子(7歳)から上の17歳まで一緒に
良い笑顔で遊んでいました。
相当に癒されました。
私も犬の散歩を1時間ほどしたので良い運動に
なりましたね。

今日は「本多家」らしかったですよ。
嬉しいですね。
うちの良いところは、やっぱ子どもたち全員で
遊んでいることでしょうかね。
それしかないですね。

もう寝ます。  

Posted by アーバンギア at 21:33Comments(0)子育て

2014年09月19日

平和の礎

私のFB友達が憲法9条に関する投稿をしていたので、
少し、その内容を受けてブログを書いてみたいと思います。

そもそも憲法9条とは。
日本国憲法の第2章に書かれている「戦争の放棄」についての
条文のこと。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


憲法の1条から8条は天皇のことについて書かれており、
その直ぐ後の憲法が「戦争の放棄」についてというのは、
日本という国を如実に表していると私は思う。
確かに昭和22年に制定された現在の日本国憲法はアメリカが
作ったものだと言っていい。

強制的に作られ、またそれを飲まざるを得なかった背景もある。
しかし、この憲法は、ただの一度も改正されずに今に至る。
日本人は積極的に戦争を放棄したいのだ。
だって散々な目にあったから。

もうじき日本は大変な岐路に立つ。
昨日はスコットランドがイギリスから独立する国民投票が
行われた。これも大変重要な岐路だ。
憲法改正は国会で行われる。国民投票など在り得ない。
しかし、この永久に戦争を放棄したがっているはずの国民に
対して集団的自衛権の解釈を変更しようと政府は、躍起になっている。
理由は至極簡単なのだが、今日は、これについての記述は
やめておく。他に書き留めておきたいことがあるのだ。

今、こうした憲法解釈の問題や戦争を知らない世代の
増加と国際関係の摩擦で「また戦争が始まるのか?!」と
いうような心配や論争が頻繁に起こっている。
また憲法9条を「世界遺産」にして戦争放棄を啓蒙しようとする
働きもあったりする。

私は、ナンセンスだと考えている。

太平洋戦争は、なぜ起きたのか。
民意も賛成していたかのような記録もある。
嘘だ。
昭和12年当時は今のような開かれた情報(まだまだだが)は
国民には届かなかった。逆に国民の声は黙殺、抹殺された。
政府と報道によって操作された民意と呼ばれるものは、
事実だと認定するには今となっては、あまりに稚拙な
戦争動機だ。

昭和12年といえば江戸幕府が終わりを迎えてから70年後だ。
その間に日清戦争と日露戦争があるが、戦争を面白がって
やっていた国ではなかった。
なぜ戦うのか?

なぜ戦ったのか?

得るものがあったからに違いない。
何を得たかったのか?
それを明確にしなければ戦争は防げない。
そうだ研究と教育だ。

憲法9条があっても平和は守られない。
憲法を改正してしまったら、それでお終いだ。
憲法9条を必死に守ろうとする働きは無駄だとは言わないが、
もっと懸命になってやらなければならないことがある。

戦争を放棄した立派な国だと褒められることは戦争を
防ぐ礎にはなりえない。
戦争が愚かで何も、「何一つ得るものは無い」ことを
永遠に教育し続けることが大切だ。
永遠に戦争を放棄するには、これを永遠に繰り返さなければ
ならないのである。日本国憲法が制定されて67年になる。

67年前に「もうしません」と誓ったら、それは永遠に
保障されるのだろうか。馬鹿馬鹿しい妄想だ。
戦争は「争い」であり「殺人」だ。
人は「争い」も「殺人」も好まない。それらを好むものは
極々一部の狂人だけだ。
まともな人間ならば「争い」も「殺人」も「略奪」も
やってはいけないことだと知っている。

それでも日常的に紛争や殺人、略奪は起きている。
争議や犯罪は日常的だ。どんなに社会が熟成しても完全なゼロには
程遠い。これが「人間社会」だ。
人は愚かだ。
美しい心を持つ人間を育てるのは至難の業ではない。
正直、憲法9条を保持する事などよりも数段難しいと思うが。

安定した平和な社会、平和な国を作る。
それは「平和を愛し、平和を追求する人間」を作ることだ。
平和を追求する。
そう、決して安穏と暮らすことを平和などと言ってはいけない。
平和は戦いだ。辛抱であり忍耐そのものだ。
自我を慎重に見つめ、己の自我が他人にとっても有益な
座となっているかどうかを見極める。

この世の中に、いったいどれくらい「戦争を起こさない子」
「平和を愛する子」になれと、それを第一命題に掲げ子育てをしている
親がいるというのだろうか。
この平和ボケの日本に、戦争にリアリティを感じている
国民が、どれほどいるというのだろうか。
戦争は嫌だ。苦しみたくない。死にたくない。と嘆くよりも
力強く言葉を発するのだ。

まずは子供に。
争っていれば、そんなものはつまらない今すぐ止めろと言い、
道徳的にも褒められない様子があれば、直ぐに手本を見せる。
自分が先導して引っ張って行くことこそ平和の礎になる。
平和の礎は「戦勝国」が作った押し付けの文章などでは意味が無い
のである。敗戦国の我々が身をもって知った「悲しみ」を
日々の暮らしの中で伝え続けるしか方法は無いのである。

平和は形骸化された古い文章などでは守られない。
血のにじむような努力。不屈の精神からしか生まれない。
拳を上げられたら目を見開いて、こう言うのだ。
「お前が、どれだけ殴っても私は決してお前を殴らない」と。
歯が折れそうなほどに歯を食いしばって。
胸をこれ以上張れないほどに張って叫ぶのだ。

忘れてはいけない。
平和は暴力では手に入らなかったことを。


  

Posted by アーバンギア at 16:46Comments(4)子育て

2014年09月18日

恐怖の感じ方

恐怖の感じ方ってのは人それぞれですね。
なんで、そんなに怯えているんだ?!って
感じで全く、こちらの気持ちが理解できない
人ってのがいます。
実は、よくよく考えてみると、その人とは
結構「友好」な関係を築けたりします。

と、長々書き出すつもりでしたが、ちょっと
今日は疲労困憊で。
明日、昼間から更新するかもしれません。
ご訪問、お待ちしております。  

Posted by アーバンギア at 20:39Comments(0)あれこれ

2014年09月17日

生命の停止

山は寒い。
山桜は既に紅葉し、落葉も始まっている。
山の秋は短い。秋を感じた頃には冬が
直ぐそこまで来ている。

虫が鳴いている。
これとて大変に短い饗宴だ。

蜂も蟻も虻も随分少なくなった。
この季節になると蜘蛛の巣が目立つ。
蜘蛛の巣には産卵された小さな玉が
幾つもぶら下がっている。

「ああ、またか」と蜘蛛の巣をいぶかしげに見る。
お世辞にも綺麗な景色ではない。
人が日常的に通るようなところにも
一晩で蜘蛛は立派な巣を作ってしまう。
手で払うのだが。

べたべたと張り付いて始末が悪い。
アトリエの窓の前にも蜘蛛の巣が出来ていた。
蜘蛛の巣を取ろうと窓を開ける。
さて、どんなやつが、この忌々しい芸術性の
かけらも無い面倒なものを作ったのかと、
その中央あたりを見てみる。

小さい。
小さいので顔を近づけてみる。
老眼鏡の度が合わなくなったので見辛い。
眼鏡を前後させて良く見えるように繰り返す。
小さい。
分かったのは、それだけだった。

その小さいやつは、じっとして動かない。
私は黙ってガラガラと窓を閉めた。
外では蟋蟀と松虫が鳴いている。
蜘蛛は鳴かない。

蜘蛛は何も言わなかった。
だから私は蜘蛛の巣を払わなかったのだと感じる。
何のやり取りも、何の感情も無かったが、
蜘蛛の巣を壊そうという気持ちは失せた。
たまたまだ。
きっと明日は蜘蛛の巣を払うのではないだろうか。
別の場所に出来た蜘蛛の巣も綺麗に取ってしまう
だろう。

人でも動物でも「気が向かない」ってことがある。
生命によってコミュニケーションの採り方は
様々だが、人類特有の「ことば」は時々酷く
面倒である。煩わしく感ずるときがある。

美しく、感動的なシーンに出会うことがある。
何とかして、それを言葉で表現しようとするのだが、
如何様な表現、持てる限りの語彙を駆使しても
目の前の感動に勝る「言葉の表現」は結実しない。

言葉は空想や胸の内、思い出など、現実から離れて
又は時を経た状態で、それらを表現する時に最も
有効な表現手段なのではないだろうか。

谷を渡ってくる風は湿気を帯びて冷たい。
針葉樹以外の植物は全て葉を落とし、虫の声は聞こえなくなる。
森の奥から鹿の鳴く声と冬鳥が鳴く声だけになる。
然りとて、他の生き物が死んでしまったという訳ではない。
では眠っているのだろうか。
それも違う。

静かなうちにも生命は生きている。
躍動しなくとも、言葉を発することが無くとも。
我々は今日も生きている。  

Posted by アーバンギア at 15:51Comments(0)あれこれ

2014年09月16日

チョコグラ

水槽を一度リセットしました。
どうにも汚い。

拾ってきた朽木がいけなかったようです。
鉄バクテリアの繁殖も収まりませんでしたし。
水草も思うように生育してくれません。

アカヒレをプラケに一時退避。
一時が、そろそろ1ヶ月になろうとして。
息子が溜まった宿題をやるまでは手をつけないと
宣言しましてね。

先だって、やっとこ拾ってきた石を水槽に
並べたんです。水は張りませんでした。
まぁでも数日のうちに水草が死んでしまいそう
だったので水を張ってアクアテラリウムは
完成させました。次女に魚の世話をさせるためです。

ウサギが死んでしまって心にポッカリと穴が
開いているだろうと。
もともと世話好きな子ですから。
自分で気に入った魚を入れてみるか?と
訪ねると「うん」と言って笑いました。

1匹だけ買うと言いました。
可愛い。
1匹では可哀想なので2匹、小さな魚を買ってあげました。
「チョコグラ・バイランティ」

これで娘の「朝の日課」が出来ました。
細かい餌をパラパラとまくだけなのですが、愛らしい
熱帯魚のしぐさに癒されてから、学校に元気良く
登校してくれればいいと願っています。

チョコグラ。
娘らしいチョイスに心の中で私も満面の笑顔でした。  

Posted by アーバンギア at 21:39Comments(0)あれこれ

2014年09月15日

疲れてる

痛いです。
全身痛いです。
だからもう寝ます。
寝てみます。出来るだけ。  

Posted by アーバンギア at 22:51Comments(0)

2014年09月14日

さようならふわめ

今朝、次女が可愛がっていた兎が死にました。
今年の誕生日のプレゼントにねだられた兎です。
名前を「ふわめ」といいました。
フワフワしていて目が超可愛いから「ふわめ」
だそうです。私は上手に付けたと思いました。
次女はネーミングのセンスがあります。

昨日、留守をしている間に野良猫に食われそうに
なったのですが。留守居をしていた長男と犬の
ポンタのおかげで難を逃れたのですが。
出血が無かったので無傷だと思っていましたが、
やはり小さく噛まれていた場所があったのでした。
猫の菌は物凄い猛毒で私も何度か噛まれた経験が
ありますが抗生物質を注射しても1週間は痺れと
痛みと戦わなければなりません。

兎では簡単に死に追いやることが出来るほどの
毒だったと想像ができます。
実は野良猫も、元々我が家で飼っていた猫です。
家を出て行ってしまって、いよいよ食うに困ると
たまに帰って来るのです。
えさを十分に与えておいたのですが、目の前の
「ごちそう」に我慢が出来なかったのでしょう。
悔しいです。

次女の悲しみようは、ちょっと見ていられないほどでした。
息を引き取った兎を、いつまでも、いつもでも
抱いていました。
今日は敬老会に参加しなければならない予定で。
娘には「行かなくてもいいよ」と言ったのですが、
娘は「いくよ」と気丈にも答えて出かけて行きました。

昼過ぎに帰ってくると再び兎を抱きかかえ、
いつまでも啜り泣きをしていました。
見ていられません。

ところが直ぐ下の9歳の娘と7歳の娘は、兎の
亡骸を見ても、大した動揺は見せません。
もちろん涙の一滴も。
思い入れの違いもあるとは思いますが、私には分かります。
「死」を理解していないことが。

私にも記憶があります。
小学校の4年生、つまり10歳の時に父と永遠の
別れをしたのですが、その時の悲しみは50を過ぎた
今でも癒えることはありません。
しかし1年生の時に祖父との今生の別れの時には
少しも涙も出なければ、悲しくさえもなかったのです。
あんなに大好きだった「おじいちゃん」だったのに。

そうです。分からなかったんです。
死んだってことは「もう会えない」ってことを。
そして「会えない」ことの辛さを。

生きていても、この先中々会う機会は無いだろうと
思うと、その別れは辛いものです。惜別。
「毎日のように」「当たり前のように」会うことが出来た仲。
意識をしないでも「そこにいることが当たり前」
関係が否応無しに「強い力」で崩される辛さ。

死別に限らず「卒業」「転居」「離婚」など、他にも
辛い別れを上げれば暇がありません。
しかし、いずれの場合も時を経ると、その時の感情は
薄れて行きます。思い出せば悲しみは蘇りますが、
決して直面した時の悲しみの深さには勝りません。
ただ娘には知っていて欲しいと願います。

死をもって関係を分かつことは避けようが無くとも
生きている間の惜別は努力によって回避できることを。

大切な人
大切な友

娘は確実に成長する。
成長は避けられない。
娘が自分の子供で良かったと心から思う。
同じように「ふわめ」が娘の友達で良かったと思う。

私からは「さようなら」ではなく「ありがとう」を
送りたい。
ありがとう ふわめ。
また会おうね。


  

Posted by アーバンギア at 18:15Comments(2)子育て

2014年09月13日

運動会at中学校

今日は息子(中学生)の運動会。
長男を除く全員で参観に。

まぁそこそこ頑張っていました。
今年は涼しかったので応援も楽でしたね。

毎年この運動会に参加して思うこと。

家内と私は全く違う人種だなぁ~ということ。  

Posted by アーバンギア at 19:13Comments(2)子育て

2014年09月12日

無意識

何も考えずに行動し、一日が終わる。
思考が、ゼロということはないのだが、
考えがまとまらないどころか、理解が出来ない。

それでも人は生きていられる。
生きながらえてしまう。  

Posted by アーバンギア at 20:43Comments(0)あれこれ

2014年09月09日

休養

休みが必要ですよね。人間には。

学校でも何でも休みのときに何か入れるの
止めましょうよ。いつ休むんですか?

何も無いから何かしようってのは間違ってます。
何も無い日が少しくらい続かないと死にます。  

Posted by アーバンギア at 16:13Comments(0)あれこれ

2014年09月08日

無思考

考えられないんです。  

Posted by アーバンギア at 21:08Comments(3)あれこれ

2014年09月07日

ジャッキー・エヴァンコ

ジャッキーは新譜を出さないのかなぁ。
なんて考えてまして。
やっぱ声変わりの時期だからかなぁとか
思ったりしてたんですが。

サックと検索をかけると。
出るっていうじゃありませんかっ?!
しかも9月に。
まぁアメリカの発売時期ですから、日本は未定。
まぁでもAmazonで、ちょちょっと買えます。

1曲丸まるプロモーションVがあったんです。
それは影絵だったのでご本人のシルエットだけ。
でもFacebooknoの最新画像を見ると!!!
大人です。

あの可愛かった、愛らしいジャッキーの面影が。
そうまさに「面影」程度しか残ってません。
まぁメイクのせいもあるんですが。

にしても。人のうちの子は大きくなるのが早い。
と。言います。
うちの子もTVに出たりしてるので、1年、2年前の
映像を見ると「ひょえ~可愛かったなぁ」と
しみじみ、っていうか、もう驚嘆です。

自分で持っている写真やビデオでは、なぜか、
ギャップが小さいんです。不思議。

子供と別れて暮らして、何年かして再会したら
どんな気分を味わうんでしょう。
正直ずっと会えないなら会いたくないです。

成長できないのは子供でなくて親の方ですね。  

Posted by アーバンギア at 20:54Comments(0)子育て