2013年08月31日

安物を悪く言う

昨日は住宅の「安物」について書きました。
なんですかね。安物という言葉、表現は
残念感に満ち溢れていますね。
悪い意味で書かなかったつもりなんですが。

今日も安物を擁護してみたいと思います。

次男が自分の「おこづかい」でギターを
買いました。チビチビ小銭を貯めたのと、
おばあちゃんなんかから貰ったお年玉のプールで。

でもですよ!中学二年生の「お小遣い」程度で
エレキギターが買えるんですかね?!
っていうか、買ったんですよ。
う~ん唸ってしまいます。

私が始めてエレキギターを手にしたのは16になる年。
以前にもブログに書きましたが、手に入れるのに
相当な苦労がありました。

息子が購入したギターのブランドは「Vintage」と
いう聞きなれない名前でした。
せっせとヤフオクで検索。
テレキャスターのカスタム。キース・リチャードが
使っていたもののコピーです。
Fender Japanなどでは到底手が届かない。

するとそっくりなギターが1万円で即決価格。
安い!!安すぎるっ!!
私は、もちろん「ちょっと待て」と制止。

ネットで検索をかけるもビンテージと言うキーワード
では、それこそ「ごまん」と引っ掛かる。
肝心な安物ギターについては、ほぼゼロ情報。
しかしヘンテコなOKウエブを発見。
他にも安いことを理由に馬鹿にした記事を数件発見。

しかし肝心のヤフオクの出品者の評価は12000件もあるのに
悪い評価は「ゼロ」だった。それどころか落札者からは
感謝や賞賛のコメントが沢山寄せられていた。
まぁ「やっちゃっても1万円だ」と、私は息子に
落札する事を許可した。
とんでもないものであれば、いずれ私の財布にゆとりが
出来た所で買ってあげようかなと内心考えていたのだった。

かくして本日、その超安物ギターが息子の下へ届いた。
私は、どれどれとギターを試奏。
たまげた。

私は本物の50年代のテレキャスターを長年愛用してきた。
今買えば100万円以上するだろう。去年泣く泣く売り払った。
その本物のビンテージギターと比べて遜色が無い音色だった。
複雑な気持ちだった。
はっきり言って「鳴る」ギターだ。

確かに使っている材料は安いものだ。しかしフィニッシュは
とても丁寧だった。ネックの握り心地も大変に良かった。
本物の50年代のネックは、もう少し特徴があり、もっと
握りやすい。弾きやすい。確かに。
でもそんな差なんて微々たるものだ。

塗装の出来は褒められない。が、「たれ」が、ある訳でもないし、
綺麗な艶も出ている。

何を言っても「1万円」なのだ。
凄い時代になったものだ。
1万円で楽器と音楽の魅力に直接触れることが出来る。

ネット上では楽器の音色も分からない、本物の音も聴いた事が無い
馬鹿が「安すぎる」がゆえに、大した楽器ではないと揶揄する。
安いものは、なんでも駄目だと決め付ける。
確かに多い。

しかし住宅と違って楽器は、いずれ買い換えたり、買い足すことも
十分ありえる「趣味嗜好品」なのだ。これで十分だ。
そう、エントリーモデルなのだから。
このVintageのギターこそが「ローコスト」の見本だ。
シンプルな作り。流用できるパーツ。つまりはフェンダータイプのみに
ラインナップを絞る。無理してギブソンタイプを作らない。
そうフェンダータイプの方が「簡単」に出来るのだ。

ここが昨日書いた記事のローコスト住宅と方向性が違う。
本来のローコストから逸脱しないで価値を見出す。
楽器としての価値。
住宅としての価値。


どちらも嗜好を凝らして作ることは可能だ。
ただ、どちらも「それ以上でもそれ以下でもない」ことが大切だ。

確かに美術品にも文化遺産にもなりえるのだが。  

Posted by アーバンギア at 15:36あれこれ

2013年08月30日

ローコスト住宅 建てますか?

さて。
ローコスト住宅について書いてみようと思います。
間違ってはいけないんで、ローコスト住宅ってのを
検索かけて「ちゃんと」調べてみようと試みる。
無い。

ちゃんと定義しているものが無かった。
そもそも「ローコスト」ってなんだ?!
low-cost 形容詞だ。低価格のと出てくる。

本来的には、コストは価格や原価という意味だ。
生産原価を抑えたという意味合いでローコストは
使われ始めたのだが。
今ではローコスト住宅なる名称の用い方としては
「安い家」ってのが、定着したように思うのだが。
どうだろう?

しかし、この「安い」いについても大変に曖昧だ。
定価、売値が安いとは、さて何と比べて安いと
うたっているのだろうか。
5000万円の家と1500万円の家では5000万円の家の方が
高いと、なにも聞かないうちに言っていないだろうか。
200坪の家が5000万円で10坪の家が1500万円だったら、
200坪で5000万円の家の方が断然ローコストなのだが、
それでも「高い家」だと言われやしないだろうか。

ここにローコスト住宅が「安普請住宅」ではなく
単に「安い家」(低価格の家)だと定着した証と
なるような傾向が見て取れると思う。

これは大変な問題だ。
と、私は危惧っていうか、もうビンビンに困っている。

つまり豪華設備やデッカイ間取り、冴えたデザインを
与えられた「ローコスト住宅」なるものを世論は
作り上げてしまったということなんである。
住宅屋が作ったものではない。

住宅屋が作ったローコスト住宅は、あくまで「安普請住宅」。
言葉は悪いが、安く提供する為には「簡単」に出来る
ことが大前提だ。また「大量消費」もお約束である。
大量に売るには薄利多売が大原則だ。
薄利多売を成り立たせるために、あらゆる手を使う。
常に「簡単」が付いて回る手法こそが、ローコスト住宅の
特徴であり、全てだと言っても過言ではない。

新建材を多用し、その殆どが工場で生産され、現場での加工は
最小限にとどめられる。また建築にかかわる設計を含めた
業者は「数」を約束されて、低賃金、過剰労働を強いられて
無意識で、こなさなければ成り立たないシステムだ。

つまりローコスト住宅に「悩み」や「試行錯誤」の入り込める
余地は、殆ど無いのである。
住宅に求められる「ムード」や「センス」については
個性を犠牲にしてデザイナーによって画一化された「商品」
として成り立たせている。

住宅屋は商品が貧相に見えないように過剰な設備を
宣伝文句に商品としての家を売る。
困った。

このリッパに見えるローコスト住宅は素人には「本当に立派」な
ものとして目に映ってしまっているのだ。
立派については、あまり否定しない。商品開発は多くのオーソリティが
真剣に係わって出来上がって行くのであるから。
魅力的でなければ話にならない。

この話は難しい。どうやっても反感を買いそうだ。

つまりこうだ。
昨今では従前のローコスト住宅では顧客は満足しなくなって
きている。そう、画一化された「企画」の浅さに見切りを
付け始めているのだ。しかし年々一般的な所得層の収入が
減ってきている。または増える見通しが付かない。
金は無いのに「良いものが欲しい」
実にストレートなご意見を、あちこちで耳にするようになった。

昔の日本は、こうじゃなかった。
身の丈にあったとか、分相応などという言葉をよく聞かされた。

良いものを「より安く」という精神は理解できる。
この模索は比較的に早く結論というか、終着点に辿り着く
ような気がする。なぜなら「ものには限界がある」からだ。
最初にも書いたが、200坪で5000万円の家なら坪単価は25万円だ。
相当安普請でもなければ、これは現実的には不可能だ。
通常ローコスト住宅屋は坪単価を「ぜ~んぶ入って」25万から
35万円くらいで宣伝している。が、実際には30万円から45万円位が
相場であろう。200坪もある豪邸ならば単価が10万円も違えば
大そう違いが出るが30坪から50坪程度であれば違って500万円。
500万円は大金だが、ローコスト住宅屋同士では坪単価に
10万円もの差は決して出ないはずだ。

このローコスト屋が出してきた見積りで設計事務所に
「同じ内容で、もっと良い家」を考えてくれと依頼する、
相談をする方が、物凄く増えてきている。
出来ない。

前に書いたように、建築家が本気で手を入れれば、とても
手間が掛かる。必ず破綻する。誰かが泣く事になるのだ。
超安普請住宅なら私は、得意だ!!
掘っ立て小屋みたいな家でも面白いから、そっちの方が良いやっ!!
って、方なら是非建築家に相談すると良い。

私が建築の仕事に就いたばかりのころは、住宅の性能に
ついては、そんなにうるさく言われなかった。
耐震性もだ。それでも私は十分以上に耐震性も考慮して設計したし、
建材の新製品が出れば試してみた。
変わらないと感じた。

ペアガラス。
なんだったんだろう。あれ。ペアサッシではない。
性能は良い。でもみんな窓、開けてちゃ何にもならない。
断熱材。高断熱高気密もいち早く実施した。
分からなかった。
それに合った暮らし方を施主は、しなかったからだ。
窓も建具も締め切って暖房でも冷房でもすれば、そりゃ暖かいし、
涼しい。空気齢って言葉がある。
人がいれば空気は汚れる。
排気ガスだとかってことではない。

二酸化炭素や窒素が増える。
空気が淀む。
入れ替えたい。
でも入れ替えちゃ寒くなるし暑くなる。

同級生の幼馴染が積水ハウスで家を建てた。
高断熱高気密住宅だ。
彼は「意地」で換気扇の前でタバコを吸い続けた。
回しっぱなしの換気扇ではない。
同時吸排の換気扇を着けたり消したり。
奥さんと子供(娘)は窓を開けたがったが、空気が漏れると
言って、決して窓を開けさせなかった。
5年は持った。
頑張った方だ。

いつぞや居酒屋で飲んだときに「あんなもん買うんじゃなかった」と
シミジミと言ったのを昨日の事の様に思い出す。

暑ければ暑いなりの、寒ければ寒いなりの暮らし方がある。
間取り。
もし敷地が1000坪もあって30坪の家に4人で暮らすなら
多様な間取りは必要ないだろう。へたすりゃ1個で良い。
でも敷地も様々、住む人も様々なのだ。
当然間取りも作りも様々なものを要求される。
それが「家」だ。

私の基本は「あったら便利は無くても大丈夫」

車の便利装備もダサくてたまらなく見える。

家。
まずは昔ながらの作り、考え方で計画してみては、どうだろう。
そこで予算にゆとりがあるのなら、少しだけ贅沢な設備を
検討してみては、どうだろう。
欲をかき過ぎて良い事は無いのは、家作りだけに限らない。

私の考えるローコスト住宅は、ローコスト住宅屋の考えるものと
大した差異が無い。基本的な安く上げる手法が同じだからだ。
私は、おススメしない。
ローコスト住宅を作ることを。

自分にとっての心地良さを追求した家を建てて頂きたい。
そう願って止まないのだ。  

Posted by アーバンギア at 20:04Comments(0)建築

2013年08月29日

学校が始まっちゃいました

今日から中学校は学校です。
明日から小学校も。
週明けから高校も。

9月に入ると行事が満載。
今度の日曜日は山で公園作りです。
が、その後は、なかなか行事に
追われて山には入れそうもありません。

10日の締め切りのコンペも上手くまとまりません。
CG作るのに死ぬほど時間が掛かりそうなのに。
現時点でレイアウトすら出来ていない。
店舗の設計は難しいですね。

パンパンなんですよ。
もうちょっと計画に「ゆとり」を持たせられない
ものかと毎回思いますね。
方向性は決めてるんですけどね。

よく「癒し」の空間とかってキーワードを
投げかけられるんですが、本当に癒される
空間なんて簡単に作れないですよ。
癒しについて真剣に考えすぎると、店に
ならなくなっちゃう。

私は適当なのが嫌い。っていうか苦手。
日本人て「なんちゃって文化」が得意ですよね。
そこへいくと私は日本人離れしているのか。
「なんちゃって」は苦痛ですね。

集中できないですね。

過ごしやすい山の空気が救いです。  

Posted by アーバンギア at 14:24Comments(2)あれこれ

2013年08月28日

I Shall Be Released

世の中には名曲、数あれど。
曲を聴かないで歌詞を読んだだけで
泣かせる曲は少ないだろう。

ボブ・ディラン作詞・作曲の
I Shall Be Releasedは、そんな名曲の中の1曲だ。

今日、久々にエレキギターを弾いたのだが、
Eを押えると自然と、この曲を弾き始めた。
十年以上弾いた事が無いと思う。
そもそもレコードしか持っていないので、
かれこれ25年以上聴いた事が無いはずだ。
THE BAND の「Last Walts」

泣ける。
リチャードの搾り出すようなファルセット。
きっと辛かったんだろう。

少しだけ歌ってみた。
きつかった。

生きていると「がんじがらめ」になって行く。
それが生きると言う事なんだろう。
命を終える瞬間、初めて本当に自由になれると
言えるのかもしれない。

大声を出して叫んでいる。
大の大人が子供のように泣いている。

叫んでみたい。
「俺は解放されるぞ!!」と。
自分が作り上げてきた「妄想」から解き放たれる。
本当の愛に包まれた時間を過ごしたい。

any day now
any day now
I shall be releast

※とても良い訳を見つけました。

They say ev'rything can be replaced,
どんなものでも代わりになるものはある、と人は言う。
Yet ev'ry distance is not near.
どんな距離も近くはない。
So I remember ev'ry face
Of ev'ry man who put me here.
私をこの状態に追いやった人の顔は全て覚えているよ。
I see my light come shining
私に光が当たるのが見えるんだ。(*1)
From the west unto the east.
西から東へと。(*2)
Any day now, any day now,
いつでも、どんな日でも、
I shall be released.
私は解放され、自由になるのだ。

They say ev'ry man needs protection,
どんな人でも守られることが必要だ、と人は言う。
They say ev'ry man must fall.
どんな人でも落伍することはあるはずだ、と人は言う。
Yet I swear I see my reflection
でも私ははっきりと言おう、自分の姿がちゃんと見えているということを。(*3)
Some place so high above this wall.
この高くそびえる壁のはるか上に。
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.


Now yonder standing there in this lonely crowd (*4)
寂しそうな群衆の中、あそこに立っているのは、
A man who swears he's not to blame
自分は責められることはない、と断言している男。
All day long I hear him shouting so loud
一日中、その男は大声を上げている。
Just crying out that he was framed
罪をなすりつけられた、と叫んでいるのだ。
I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

こちらです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hotel_zihuatanejo/30437465.html

  

Posted by アーバンギア at 16:01Comments(0)あれこれ

2013年08月27日

8月27日の記事

ちょっと倒れちゃいました。
すいません。また書きます。

今は大丈夫です。  

Posted by アーバンギア at 20:11Comments(2)あれこれ

2013年08月26日

夏休みが終わる

子供達の夏休みが間もなく終わります。
長かったでしょうね。

する事無くて退屈な毎日を送っていたでしょう。
本当なら夏休みだからこそ出来る事が沢山ある
はずなんですけどね。
我が家の場合、子供が休みの方が楽です。
やはり朝早くて、ドタバタしますから。
疲れます。

私は、ここ数日体調が悪くて目が覚めても
布団から出てくるのは8:00近くです。

夜も最近は遅いですかね。といっても2:00くらいか。
学校が始まれば5:30くらいには布団から出ないと。
やはり頑張っても12:00くらいには寝ませんと。
もっとも5時間睡眠は取れませんが。
2時間くらい寝ると目が覚めて、そのまま朝になります。
これが毎日。

建築設計の仕事をしていると「脳」が休んでいる
気がしないですね。廃業したいですよ(笑)

普通の方には理解し難いでしょうね。
色々な建築士、建築家がいますけどね。
真面目にってのは、おこがましい言い方ですが。
真剣に設計に取組んでいる人は、やはり気が休まらない
毎日を送っているんじゃないかと思います。

労務に従事される方は、一杯引掛けて早寝早起き!!
が、大切ですね。体が資本ですから。
まぁなにしても体は資本ですけどね。

脳を休ませたいですね。

これが深刻に休ませたい「度」が深まると永遠に休ませたいと
なってしまうんでしょうね。
今のところ死ぬ訳にも参りません。

ため息しか出ませんね。  

Posted by アーバンギア at 17:31Comments(2)子育て

2013年08月25日

恨めしい雨

今日は地域のゴミ拾いの日。
雨で中止。

大量に買ってあったジュースは買取(泣)
まぁ良いんだけどね。
午後からは公園作りの予定だったのに。
これも中止。

で、イベントの話し合いをやってみた。

10月19日土曜日に予定。
午後から。ちょっとした夜までか。
黄昏時の森の中で「おばけの森」のお披露目会。
まぁ「慰労会」だね。

詳細は近日ご報告。

9月からは行事が連続だ。合間を縫って稲刈りに脱穀。
あっという間に山には冬が下りてくる。
去年の初雪は11月20頃だったか。
10月になればストーブが欲しくなる日もある。

早いものだ。  

Posted by アーバンギア at 18:23Comments(0)あれこれ

2013年08月24日

大人でしょうか

8月24日。
本日、長男が16歳の誕生日を迎えました。

今から68年前の8月15日に日本は終戦を迎えた。
24日は玉音放送が流されてから9日後だ。
いったい日本は、どんな様子であったであろう。

この日に浮島丸事件が起きている。
京都の舞鶴港に仕掛けてあったアメリカ軍の機雷に
当たって、乗組員と朝鮮人合わせて500人以上もの
死者を出した。亡くなられた方は戦死扱いだ。

終戦を迎えても尚、別の戦いが始まったのだ。

徴兵は18歳からだった。
戦況が悪化してくると志願による学徒動員は16歳から
に下げられた。
私の息子と同い年の少年達は戦地に向かった。
想像してみた。

私には14歳になる次男もいる。
沖縄では学徒動員は14歳からだった。
14歳の子供が戦地に行って「何が?」出来るというのだ。

沖縄の方の本土に対する「恨み」が根深かったであろう
ことは容易に察する事ができる。

ただ、これが20歳でも30歳でも昨日まで普通の人だった
ものが、戦地に行って何が出来るというのだろう。

長男の成長過程を振り返ることは、私と家内の結婚
からの人生を同時に振り返ることと等しい。
長男の誕生日には毎年、結婚してからの「今」までを
振り返る。実に未熟だった。夫婦共にだ。
未だに自分の未熟さに苛立ちすら覚える。

自分の16歳も振り返る。
思い出せない。正確に「あの時」の感覚をたどってみる。
何でも出来そうな気もしていた。 かもしれない。
息子は私とは対照的だ。

母の兄弟は戦争に取られなかった。
知っているものは多く戦死しているだろう。
どんな気持ちで母は私の「16歳」を想っていたろう。
やはり私と同じように「自分の16」と比べたろうか。
比べただろう。

息子は大人になったのだろうか。
私には、そうは見えない。
私は大人になったんだろうか。
そうは思えない。
息子は私を大人としてみている。私こそが「大人」の
見本となって目に映るに違いない。

大人になりきれない親が、益々大人などには程遠い
息子が戦地へと向かう姿を見送る。
どれほど「やりきれない」気持ちだったろうか。

平和な現代に息子の誕生日を家族で祝う事ができる
喜びを噛み締める。
未来は...
未来も平和である為には、息子が平和の礎を忘れない事が
大切なんだと心に想う。

誕生日おめでとう 響

  

Posted by アーバンギア at 22:02Comments(0)子育て

2013年08月23日

すみか

私は、ハウスコという建築家と建築主が出会いを求めて
情報を交換するサイトに登録している。
ここでは「建物」を建てる、又はリフォームしたい等の
依頼や相談が多く寄せられる。

建築主は建築家の情報を自由に閲覧して、興味のある
建築家に直接コンタクトを取ることも可能なシステムだ。
また不特定多数の建築家に建築プロイジェクトを公開して、
建築家等のエントリーを募る方法もある。

先だって私は、とある建築主の公募プロジェクトに
名乗りを上げた。すると、その方から私にとっては「意外」な
返信のメールが送られてきた。
どうやら私のエントリーした文章が、お気に召さないようだった。

このブログにも感情もあらわに私を誹謗中傷するコメントを
書き込まれていたので、目にした方も多いかもしれない。
私としても、どこ吹く風と言うほど気楽な心境でもいられなかった。
なぜなら「理解できなかった」からだ。

そう、つまり自分に非があるのであれば、それが故意であれ、
故意でなかれ謝罪しなければならない。
しかし言わば商売のためにエントリーを表明した訳だから、
こちらとしては、わざわざ人を怒らせて楽しむなどと言う
愚かな行為は、するはずもないのである。

何度も送られてくる脅迫や誹謗中傷の記事は読むに耐えなかった。
もっと耐えがたかったのは「何が気に入らなかった」のかを
お話にならなかったことだった。
ハウスコに直接書き込めば、サイトの体裁を汚す事になる。
じっと我慢するしかないのか?と心底落ち込んだ。
建築主(見込みですね)の方は、このままずっと恣意的な行為を
とめどなく続けて行くつもりなのか?不安に感じました。

するとこのブログに書込みがありましたので、直接の
メールをお持ちしていますと、メッセージを残した事に直ぐに
リアクションして頂けました。
まずは私から、カナリの長文をお送りしました。
自分が、どういった理由で憤慨させてしまったのかを聞かせて欲しいと
送りました。自身で推察して非礼があった部分を最初に謝りましたが。

すると建築主の方は、私の言葉を待っていたかのように、
それまで、ご自身が行ってきた行為について丁寧に謝罪されました。
その方が憤慨された理由も、腹を割ってお話になられました。
私には既に想像が、ついていましたが。

その方が立ち上げられたプロジェクトは、
いわゆる「ローコスト住宅」の建築を設計してくれる建築家の
募集というものでした。
ご要望は大変に盛りだくさんで、正直提示されたご予算では
到底叶いそうも無いという内容でした。
私も昨日今日、建築、それも住宅の設計を始めた訳ではありません。
ですから、その御要望が「むちゃぶり」であることは、
常識と照らし合わせれば無理に「近い」と感じたのです。
ですから、当該プロジェクトは諸々精査して現実的な計画に
もとった資金計画で実行できるよう、お手伝いをさせて下さい、
という気持ちでメッセージを書き込みました。

今思えば私の書き方も乱暴でした。

自分でも経験があります。
自動車のディーラーに相談に行った時です。
ふたつの競合するディーラーのひとつの営業マンは、ヤニ臭く
袖まくりをした腕を机に突きながら、半笑いで
「お客さん、いくらだったらウチの車に乗ってくれるんです?」と
馬鹿にしたように私に言いました。

もう一店の営業マンは、椅子の背もたれに背中をつけることも無く、
私の目をしっかりと見ながら、私の言葉にひとつひとつ相槌を打ち、
厳しい予算にも「まずはやってみる」という姿勢で上司の方と
掛け合っていただき、厳しいローンも組んでくれました。
本当は最初に申し上げたディーラーの車の方が、購入意欲が
高かったのですが、このやり取りだけで、後に話した方から
車を購入するに至りました。
その後の面倒も大変に良く見て頂いた、清々しい記憶があります。

どちらの営業マンも「車を売らなければならない」気持ちは
負けず劣らずあったと思います。人としても居酒屋あたりで
フランクに話せば、人間臭さが際立って面白いかもしれないのは、
前者の営業マンです。
ようは第一印象とかではなくて「こちらの心細い気持ちを察してくれたのか?」
どうかということです。

私の仕事は車を売ることではありません。
ですから図面を書く前に「いくらで出来ると思う」については、
大きく外して答える訳には参りません。
正し、建築は「工事をするもの」が決って、初めて「いくらだ?」と
話が進むものです。私のような建築家は概算でしか答えられません。
設備なら定価で勘定しておいた方が安全でしょう。
概ね「いくら」くらいの値引きが期待できるかぐらいは知ってますが。
でも不確定なものは高め、高めが常識です。

話は戻りますが。
このクレームを訴えていた建築主の方はご自身の立場を「揶揄」
されたと受け取られたんだと思いました。
事実そうであったと回答されました。故意ではなかったにしろ、
社会的にも立場がある身、50にもなる大人が思慮に欠けていたと、
大きく気が沈みました。
投稿した時に、ロックを5杯くらい飲んでいたんです(笑)
タイプが面倒だったってことでなくて、本多節が出てしまったようです。
重ね重ねお詫びをしました。

家。
生きるためには「屋根」と「壁」に囲われた「土地に定着」した空間が必要です。
これを法律では「建築物」と呼んでいます。
我々建築家は、これを建築主に代わって設計する資格を与えられています。
中には資格を持たないで建築のデザインを「ライセンスド」と一緒にされている
建築家もいます。資格の有る無しにかかわらず、建築のプロです。

自分の職責に従って仕事をする。
楽しみながらやっても適当にやっても苦しみながらやってもいいです。
ちゃんと建物が出来上がれば。
私は楽しみたいと思います。しかし楽しいだけのプロセスは有り得ません。
クライアントは、どうでしょう?
住む為の建築行為ですから、竣工してからが良ければ、それで十分です。
しかし皆さん口を揃えて「楽しみたい」とおっしゃいます。
果たして、そのように楽しむだけで、マイホーム作りは完結してくれません。

建築家は、クライアントにとってパートナーです。
しかし我々建築家にとってクライアントはパートナーです。
お互い基本的には「ただの人」です。
専門知識は有していますが、オーバーなクライアントからの要求や
請負先や現場からの反発で不安になることも結構あります。

飯屋に入って、当たり前のように注文して、レジで投げるように
お金を払って行く方を見ることがあります。
金を払ってる。 こっちは客だ。という無言の意思表示に見えます。
もし売ってくれなかったら?
そう考える人は現代には、いないでしょう。
もっと言えば、お前が売らないんなら他で食うからいいよ!!では、
社会は成り立ちません。人間関係も全く同じです。

家の単価は高額ですから、高い買い物だと言われます。
もちろんそうですが、沢山の人手と、時間が掛かっています。
それらを経費で割ると普通のサラリーマンが稼ぐ賃金よりも、
かかわった人々に渡るお金は、ずっと低くなります。
多くを請負い、生産することでバランスは保たれています。

現代では家は完全な「商品」です。
建てる、普請事業というより「家を買う」と言います。
買うことは間違っていませんが、「いくらだ?」と尋ねて
「いくらだよ!」と言われ「よし!買うか!」とは行きません。
一昨日のブログにも書きましたが
服を着る 飯を食う 家を建てる
この行為が、その人の「ひととなり」が最も現れる行為だと思います。

どんなに裕福で着飾った人でも家を建てようと思い立ってから、
竣工するまでの立ち居振る舞いで、その人は本物の品格を持った
セレブリティにも、ただの下衆な成金にもなります。
その全く逆のパターンもあります。
とても質素で物静かな方でも、堅実に資金計画を進め、また
自らの労力を惜しまず、資料を集め見聞を広め、多くの方との
係わりを大切にしてマイホームを手に入れられた方は、声なき声の
「賞賛」をきっと浴びていらっしゃいます。
必ずそれは、いつか御自身の身に帰ってくるでしょう。

ちょっと高飛車な意見だと恥ずかしくなりますが、
家を建てることは自分の生き方を世間に知らしめる行為でもあります。
私は出来上がった家が「その御家族」を象徴するものでなければ
ならないと、毎度毎度心に戒めます。
その「カタチ」の中に住まい手の考える「心地良さ」が、静かに主張しながら
存在している事が私の建築なのです。
主張しないことは、ありません。

私は建築家ですから。  

Posted by アーバンギア at 21:00Comments(0)建築

2013年08月22日

偽計業務妨害

偽計業務妨害 ぎけいぎょうむぼうがい

聴いた事があるでしょうか?

1.誹謗・中傷等がなされた場合について
インターネット上の掲示板等に誰もが自由に書き込みができる今、
謂われのない誹謗・中傷等がなされることも少なくなく、
その相手に対して何らかの請求をしようにもその相手が誰だか
分からないことがあります。


会社が扱っている商品、サービスや、会社自体についてこれらの
中傷がなされた場合、その相手が誰だかわからないからといって
そのままにしておくと、取り返しの付かない損害が発生することとなります。


そのため、早急にそれらの書き込みを行った者を特定して、
責任追及をする必要があります。





2.刑事責任の追及
インターネットの掲示板等に誹謗・中傷や虚偽の情報を書き込まれた
場合、その書き込んだ者には名誉毀損罪(刑法230条)、
信用毀損罪(刑法234条前段)が成立する可能性があり、またそれに
よって書き込みの対象者の業務を妨害すれば偽計業務妨害罪
(刑法234条後段)が成立する可能性があります。


そのため、これらの場合には、書き込みのページを保存するなどして
資料をそろえた上で、警察へ被害届を提出し、警察の捜査を促す必要があります。


被害届が受理され、捜査が進んだ場合、捜査の過程で判明した事実は、
民事責任の追及において、請求の相手先が判明したり、重要な証拠と
なったりするなど大変有用となることがあります。





3.民事責任の追及
インターネット上に名誉や信用を毀損するような書き込み(情報の発信)
がなされた場合、その行為が不法行為に該当するとして、その書き込みが
なされたことによって生じた損害の賠償を請求出来る場合があります(民法709条)。


しかし、インターネット上の匿名掲示板などにおいて誹謗中傷のような
書き込みがなされた場合、その相手がどこの誰だかも分からない場合が多く、
損害賠償請求をしようにもしようがないということがあります。


そのような場合、プロバイダや掲示板の管理者に対して、発信者情報の
開示請求をしうることが法律によって定められています。
それが「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」
通称「プロバイダ責任制限法」です。





4.プロバイダ責任制限法について

①発信者情報の開示請求


プロバイダ責任制限法では、①侵害情報の流通によって権利が侵害された
ことが明らかであること、②発信者情報が開示請求者の損害賠償請求権の
行使のために必要であるか、発信者情報の開示を受けるべき正当な理由が
あることの双方の要件を充たす場合に、当該書き込み(発信)によって
自己の権利が侵害されたとする者が、プロバイダや掲示板等の管理者に対して、
発信者の情報の開示を請求することが出来る旨定められています(同法4条)。


そのため、インターネット上で誹謗・中傷などの被害を受けた場合、
直ちにこの発信者情報の開示請求を検討する必要があるでしょう。



②プロバイダ等の責任の制限


なお、プロバイダ責任制限法では、自己の権利を侵害された者に発生した
損害について、①プロバイダ等自身が侵害情報の発信者ではなく、
②情報の送信を防止する措置を講ずることが技術的に可能であり、
③権利を侵害する情報が流通していたと知らなかったか、もしくは情報の
流通を知ってはいたものの、他人の権利が侵害されたと認めるに足りる
相当の理由がなかった場合には賠償の責任を負わないとされています(同法3条1項)。


また、情報の送信を停止したことによって発信者に生じた損害については、
①情報の送信を停止する措置が必要限度内であり、②その情報が他人の権利を
侵害していると認めるに足りる相当の理由があったか、もしくは権利を
侵害する者からその理由を示して送信を停止するよう要求があり、
情報発信者に送信停止の同意を求めた場合において7日間以内に返答が
なかったときには、その賠償の責任を負わないとされています(同法3条2項)。


これらは逆にいえば、権利の侵害事実について、明らかな根拠とともに
プロバイダや掲示板の管理者等に通知すれば、その上で何も書き込みの
削除等の対処がなされなかった場合に、これらの者が賠償の責任を負う
こととなり、他方でその権利の侵害があると判断できる相当の理由がある
場合には当該書き込み等を削除してもその責任を負わないことになりますので、
プロバイダ等による自発的な書き込みの削除等を促すことができます。


なお、権利を侵害されたとする者からの要求にもかかわらず、
プロバイダ、刑事番頭の管理者等が発信者情報の開示を行わなかった場合に
ついて、当該開示をしなかったことによって、開示を請求した者に生じた
損害については、①プロバイダ等自身が情報の発信者ではなく、
②また開示しなかったことについて故意または重大な過失がなかった場合には、
そのプロバイダ等は責任を負わないとされています(同法4条4項)。


と弁護士は誹謗中傷を受けた場合には、このように対応をすることを
勧めています。

私は、いくつかの建築関係のポータルサイトに登録しています。
当然商売のために個人の情報や設計事務所登録の情報をオープンにしています。
しかし、これらのサイトを利用する逆の立場の方、つまり
建築を依頼したい、または設計事務所を探している「施主」のことですが。
彼らは完全な「匿名」で且つ「個人情報」は全く明かされていません。

暴言で中傷したり誹謗したりするメールを送りつけてきたり、この
ブログにもずっと以前から酷い書き込みをする方もいます。
同業者の中にも「やつあたり」や「イメージを故意に悪くするような書き込み」を
されるかたまでいます。残念です。

固有名詞を出さなければ何を言っても良いんでしょうか。
違います。よくイニシャルなどで書き込みをされる方もいます。
大概そのような方は、イニシャルを使っても相手が誰か容易に分かるような
トラップを仕掛けて中傷記事を書きます。非常に稚拙だと感じます。

人を誹謗したり中傷したりする方は自分に自信の無い方が多いです。
簡単に言えば「弱いものいじめ」ですね。
堂々と胸を張って自分の主張があるのならば、直接言えば良いんです。
大切な事は「ケンカごし」にならない事です。
大人ですから。

中傷や誹謗にならないように「相手にも気を使って」自身の思いや
考えを伝えれば良い事です。話さなければ問題の解決にはなりません。

よく、こういったネットで誹謗中傷、又は威力業務妨害で逮捕される人は、
実生活では本当に静かで、おとなしい人が多いです。
小さな頃に気の毒な経験をされて、それがトラウマになっていることも
原因になっている場合が多いです。

言葉は難しいです。
人の口から発されて、その声のトーンやスピードで、文章は
思いもよらない表現に変わります。
キツイ言い方でも人が喋れば、随分と印象が変わります。
反対に優しい言葉でも冷ややかに喋られれば、誹謗に変わります。

ネットでのやり取りは、これからも発展し続けて行くでしょう。
情報化時代です。
様々なやりとりが「テキスト」だけで行われて行きます。
言葉に心を盛り込める技術が望まれます。
言葉から心を読み取る技術も要求されます。

冷静に考えて誹謗中傷の書き込みをしている方は、「声なき声」に
嘲笑されていることを知ってほしいと思います。
自分を傷つけることになりますし、最悪の場合、逮捕や民事賠償を
背負わなければなりません。
弁護士の費用は大概20パーセント。もし損害を1000万円要求した場合、
1200万円ものお金を支払う義務が生じてしまうのです。

私は設計事務所を営んでいます。
一件当たりの設計・監理料は10パーセント前後です。
2000万円程度の案件を5件失ったと主張すれば1億円です。
設計・監理料は1000万円になります。
法人ではありませんが、商売で行っているものに偽計業務妨害を
行えば、想像できないくらいの「負」を背負わなければなりません。

最近になって誹謗中傷、完全な業務妨害を受けています。
この方にも冷静に考えて、そのような行為はご自信のためにならないと
返事をしましたが、ただ単に「威圧的」だとしか言われませんでした。
他に、どのような言い回しがあったんでしょうか...
私は丁寧に進言したつもりだったのですが。
このように受け取り方で全く言葉は意味を変えてしまいます。

友人からは、誹謗中傷記事なんて放って置けば良いと
言われましたが、やはり気持ちの良いものではありません。
もっとも多くの支持者が得られるようになってくると、その反対も
少しずつ増えてくるものですけどね。

繰り返しますが、偽計業務妨害は「言い方が気に入らない」という
次元のものではなく、「その行い、そのものが犯罪」だというものです。

直接メールをいただければ、私の「あのときの思い」を
丁寧に返信したいと考えています。

言い訳にしか受け取られないかもしれませんけど...
それでも聞いて欲しいですし、お気持ちを楽にさせてあげたいですね。  

Posted by アーバンギア at 15:23Comments(2)あれこれ

2013年08月21日

足る事を知る

夕べ友人と、ひょうんなことから原発の話題になった。

実は私は原発に「顔を赤らめて歯を剥き出すほどには」
反対ではない。もちろん原発がなくなれば、どんなに
良いだろうと腹の底から思っている。

しかし冷静に考えて今の人類に「電気なしの生活」は
絶対に送ることは出来ないだろうと思うのだ。
明日から原発を止めてしまって十分な代替エネルギーを
供給する事は不可能なのだ。

大地震があって原発は取り返しのつかない重大な
事故を起してしまった。人為的なミスも重なった。
大変に悲惨な結果を生んでしまった。
当然世論は一気に原発を止めろ!!とシュプレヒコールを
あげることは納得できるムーブメントだ。

しかし私は、それが出来ない。
原発を作っている人たちにも家族がいる。
彼らは決して悪魔の手先でもなんでもない。日本の
未来の為だと信じて日夜労働に身を捧げてきたものも
多くいるだろう。しかし、その反対に大手の電気会社を
原発に係わる事に違和感を覚え、退職していった方も
一人や二人ではないはずだ。

皆苦しんでいる。

正直時代や大勢を大きく変えるには「妥協」や「優しさ」が
足かせになることぐらいは十分理解している。
私の使う方法は違うのだ。

ここに100円玉と500円玉がある。どちらでも好きな方を
もって行きなさいと言えば、例外を除いて普通は500円玉を
もって行くだろう。
そう、つまりは簡単なことなのだ。
原発を反対するものは代替発電案をしっかりと持っている方が
多い。停止を強く勧めるものに限って結構な電力への造詣の
深さがある。で、あればだ。

代替案を積極的にアピールすれば良い。
簡単なことだ。体に良いだの地球に優しいだのではなく、
「こっちの方が儲かりますよ」って言えば、暫くして
原発は廃れて行くだろう。

で、実は原発の話をしたかったんではなくて、この代替発電案なのだが。
スマートグリッド。
まだ聞きなれない方も多いかもしれない。
この未来型の都市計画を進めないことには人類の未来は無いと
いっても過言ではないのかもしれない。
正直「全て捨てる」覚悟が必要だ。

豊かに生きるを考え直す。

これを人類は突きつけられているのだ。
幼稚園に通っているような幼い子供が「あれも欲しいこれも欲しい」と
無いものねだりを言って親を困らせる。
地球を駄目にしたのは「わがまま」なのだ。人類の「あくなき欲望」の
塊が現在を作り出している。欲は未来を作る原動力になる。
しかし弧を画いて上ってゆく発展は必ず終わりを迎える。
欲が私欲であればあるほど「破綻」の形をもって終わりを迎える。

金も資源も限りがある。
誰だって楽して安全に暮らしたい。暑くも無く寒くも無く、
静かに、面倒な係わりを持たないで自分勝手な価値観で
生きてゆければ何の苦労も無い。

そんなことは神が許してはくれない。

いい年をした大人が、みつごと同じような事を言って
人を困らせる。情けない。 力が入らない。

人間が人間らしく暮らす。
簡単な言葉だが、さてその「人間らしく」とは?
中々即答できる方は少ないのではないだろうか。
服を着る 飯を食う 家を建てる

人となりが一番表れる行為ではないだろうか。  

Posted by アーバンギア at 19:35Comments(1)あれこれ

2013年08月20日

ノーコメント

私の友人に「キッチリ」毎日ブログを更新している
女性がいます。本当に純粋な人です。
コメントは滅多な事ではありません。
鏡に向かって話しているようです。本人は、どうでしょう...

架空の人物、または「不特定多数」に向かって
話しているんでしょう。多分そうです。

かく言う私もそうです。

誰かに「何か」言って欲しいです。

このブログは大変に「人気」なブログです。
アクセスランキングが物語っています。
他のブログで、大したアクセスも無いのにコメントが
凄い数で寄せられている方も多く見受けられます。

へ~とかふ~んとか思ってるんでしょうね。

へ~とかふ~んって思ったよって、コメントするだけです。
大した労力ではないです。

ネットでブログを閲覧する人の「挨拶」程度のものです。




私、寂しがりなんです。  

Posted by アーバンギア at 23:05Comments(4)あれこれ

2013年08月19日

チチワ 電車結び

釣り糸ってのは色々な結び方があります。

渓流、それも極小の魚相手なので針も糸も極小。
老眼には堪えます。
電車結びは超しんどい!!!

次男と渓流に行ってみました。

楽しかった。子供と二人なんて最高です。
子供たちは「ふたりきり」になると、途端に
心を開きます。よく喋るし、よく笑う。

ハヤが入れ食いでした。
イクラなんかより「ぶどうむし」の方が良く食います。
川虫なら、もっと食うでしょうね。

やっぱ釣れないよりは釣れた方が良いです。
ナイスなポイント見つけました。
楽しみです。

だって、あの次男と、また話が「普通に」出来るんですから。  

Posted by アーバンギア at 21:02Comments(0)子育て

2013年08月18日

公園作り

盛り上がって参りました!!

今日は大人が7人と我が子7人。
まぁうちの子は賑やかしですが。

大人が一生懸命に働いている姿を
見せておきたかったんです。

今日は猛者が参戦していたので進捗度合いも
中々良い感じに進みましたよ。
二つ目のデッキ完成!!
空中デッキ。でも不安が...

先ほど発電機を「かっちゃん」ちに返しに行くと。
「あの板の上に床を貼っちゃったのぉ~」と。
やっぱ?!やっぱなのね!
腐る。 腐っちゃうよ~って、かっちゃんが。
俺もそー思ったんだけど、
白髭さんが良いって言うからさぁ~。

まぁもう完全に「後の祭り」でございます。
腐ったら、また作るしかないよね!って。

今日は腕がパンパンに張ってしんどいです。
普段マウス持つだけだから、いーけどね。

来週は、3つ目のデッキ、通称「山のステージ」が
完成する予定です。
10月上旬に「イベント」開催しますっ!!

もう来週くらいにネット上にフライヤー、アップします!!

PS:皆さんお疲れさんでしたぁ~。

  

Posted by アーバンギア at 18:07Comments(0)あれこれ

2013年08月17日

「はだしのゲン」と教育委員会の馬鹿

漫画「はだしのゲン」を実質、小中学生に見せないように
島根県松江市の教育委員会が学校に対して指示を出したと。

アホか?!

ゲンナリするほど呆れた。

ご存知のように「はだしのゲン」は被爆した少年を
取り巻く「戦争」と「戦後の生き方」を綴ったマンガだ。

教育委員会いわく「敵国(当時ですね)」に対する
虐殺や性的な描写が、子供たちが読むには相応しくないと
判断したからだそうだ。 アホだ。
なんでも「一部の市民から指摘」があったそうだが。
笑う。

嘘つくんじゃねーよ!!!

一部の市民?一部ってどれくらいだ?団体で抗議があったのか?
市教委もまぁ市民だよね。
もうしらねー!!

一部の市民から問題視する発言や問合せがあったとして、
なぜ「公聴会」を開かなかったのか?
疑問にもならない。行政や教育委員会は、いつだってそうだ。
だから人間の「くず」呼ばわりされるんだ。
仮に、そのような措置を取らなければ、ならなかったとして、
その措置を最低でも「市民の半数以上」が納得して肯定しなければ、
これはもう「民主国家」の崩壊である。

ジャーナリストの中には、この問題を「原発事故」を盛んに
引き合いに出して、問題を提議しているものがいるが、こいつも
何も分かっちゃいない。
確かに原子力の力というか、脅威について重なる所があるが、
「はだしのゲン」は完全な戦争ストーリーなのだ。事故じゃない。

「人間の愚かさ」「人間の脅威」「人間のあさましさ」を
画いた「重要な遺産」なんである。
日本兵は中国人の喉笛を羽交い絞めにして掻き切った。
これは事実なんである。誰でも聞きたくなんか無い。
目を背ける。吐き気をもよおす。信じたくない。

だから中沢先生は漫画にまで画いたのだ。

信じたくないような事が、実際に我等日本人の手で行われた。
信じられないような兵器で大量殺戮の被害にもあった。
戦争は、ある部分でイーブンなんである。愚かだった。
抗戦だけで終わる戦争は存在しない。憎悪は事態を拡大させる。

子供にケンカをするなといってもケンカをする。
飲酒運転をするなといって悲惨なビデオを見せても、
まさか自分の身には起きないと言って飲酒運転を繰り返す。
子供のケンカでも命を落とす。と言っても、やはりケンカをする。

それは「自分の感情を抑えられないから」なのだ。
殴りたい。蹴りたい。罵りたい。酒を飲みたい。

相手の「気持ち」結果の「悲惨さ」を「強力に」説いて
聞かせなければ、未来は変わらないんである。
これしか方法は無いんである。

先人がぶれて、いったいどうやって平和な未来を
築くことが出来るというのだ。

愚か者が教育委員会を作っている。愚かな国民が
住みにくい国を作っている。自分の首が絞まる。

中沢先生は、なぜ漫画を描いたんだろう。
随筆でもなく、カルト映画でもない。お涙頂戴でもない。
感動なんて全く必要ない。商業目的では無かったから。
そうだ。
映画なら興行収入が必要だ。金も掛かる。
書籍なら面白くなくては書店に並べてもらえない。
活字は慣れた人で無いと読めない。
そうだ。

子供でも簡単に、とっついてくれる漫画だからこそ意味があったのだ。

誰でも知ってる。
松江の教育委員会は、小中学生になにを教えるつもりなのだろう。  

Posted by アーバンギア at 15:40Comments(0)子育て

2013年08月16日

坊主

息子と川に釣に行ってみた。
全く釣れず。
魚影わずか。

あんなに小さな魚じゃ釣れっこない。

う~んどこに行ったら、いつになったら
出会えるのだヤマメ。

ヤマメよー!!  

Posted by アーバンギア at 18:02Comments(0)子育て

2013年08月15日

子供と泳ぐ

ふさぎこむ毎日。
すっかり子供たちと遊ぶ機会が減った。
気が思い。気が進まない。

どんどん子供との距離が離れて行く。
そんな風に感じている。

「俺も行ってみようかな」

家内が子供たちをプールに連れてゆくと言う。

とにかく泳ぐ。っていうか、まぁ「流れる」。
流れてみる。水も冷たくなかったので、
プールに入る事ができた。で、流れてみる。

子供達のはしゃぐ声が聞こえる。
ずっと聞いてみる。
潜ってみる、とにかく何度も潜ってみる。
子供も一緒に潜る。笑っている。
とにかく笑っている。みんな笑っていた。

私は笑えなかったが、嬉しかった。
気分が良い。

子供と遊ぶと良い物が見れる。
そうだ、子供と遊ぶと救われる。
多少わがままが出る。気が滅入る。
でも結局、子供に救われる。

足を踏み出すことは嫌な事ばかりではないのだ。  

Posted by アーバンギア at 20:03Comments(0)子育て

2013年08月14日

両極

今日
60歳過ぎの「おばさん」二人に会った。
全く正反対の人柄を持った。

一人は自分の「我」を通そうと多くの
人に迷惑をかけているのに全く譲らない。
後も先も考えていない。
視野の狭さだけが目立つ人だった。

もう一人は多くの人が行き交うのに
人のことは殆ど目に入っていないようだ。
風を感じている。
空気の匂いをはっきりと感じながら、
決して「なににも」逆らう様子は無い。

人間は、たんぱく質の塊だ。
生物だ。

魂について否定する人は自分を「たんぱく質」と
言っているのと同じだ。

Yahooの知恵袋で「本当の霊能力者を知っている人」と
質問があったの見つけた。
ベストアンサーには「霊が見える人は精神病か
脳に異常がある人です」と書いてあった。
またその方は霊能力者に「なぜ」会いたいんですか?
自分もそのような時期があったけれど、まともな人に
相談に乗ってもらって「辛い」時期を逃れたと。

ふ~んである。

その方が「魂の存在」まで言及していなかったので、
断言できないが、気の毒な人だと思った。
確かに霊能力者だと称して詐欺行為を働く輩もいる。
しかし霊などまやかしだといって、心が弱っている人を
騙して富を得るものもいる。

回答者の方は結局自分の力で、その「辛い時期」と
やらを逃れた訳ではないのだ。よってそれが正しい
選択だったかどうかなんて、他を選ばない限り証明の
しようが無いのである。
そもそも質問の回答になっていないし。

魂が駄目なら「愛」がどうだ?
愛も形になっているものではない。どんな手を使って
気持ちを表そうとしても、それを目に見えるように
する事ができないのが「心」だ。

両極端な年配の御婦人に会って、彼女達は
「どこから来て」「どこへ行く」のだろうと心で思った。
どうして人は、こんなにも「違う」のだろうと思った。

自分のことだけを見て生きている人は「人」では無いと
ことだろう。生き物ではあるが、人間ではあるが、それは
「人を成していない」ということだ。

私たちは見られている。
いつもそっと。 誰かに。  

Posted by アーバンギア at 20:10Comments(0)あれこれ

2013年08月13日

家を建てたい 設計を頼む

家を建てたいと考えますよね。

家を建てるくらいの甲斐性を持った頃、
多くの人が家を持ちたいと考えるのではないでしょうか。
子供も増え、荷物も増え。

さて「どんな家にしようか?」これは、もう絶対に
誰だって考えますよ、家を持とうと思ったら。

最初は「間取り」でしょうか。それとも「外観デザイン」。
最近では「性能」を一番に考える方も増えています。
これが主流になる日も近いでしょうね。
まずは性能が満たされて、で、間取りで最後がデザイン。

う~ん我々建築デザイナーが生きてゆくには
厳しい環境が整いつつあります。(笑)
もう建築家は「イワナ」のようでございます。

まぁなんにしても、家を作ろうとする方は一般的には「素人」。
正直我々建築家だって「じぶんち」を設計するときには
誰かに聞いてみたくなると思いますよ。「自分の計画」の
出来栄えをね。建築士に聞かなくたって、最低でも
同居する家族には「どう?」なんて聞くはずです。

で、話は戻りますが、家を建てよう!と一念発起した人は、
それまで以上に情報収集に「やっき」になるでしょうね。
本を買います。読まなくたって、結構買い漁るとか。
住宅展示場にも行くでしょう。
ネットで検索しまくる!!!

住宅営業マンの持ってくる提案図面を見ても、これで
良いのか?大丈夫なのか?益々不安になるんでしょうね。
なぜか?

答えは沢山ありますが、その答えの中のひとつに「ただ」だから
ってのが入ると思います。私は、これが最大の「迷い」を
生んでいると思っているんです。
そう、ただで作ってくれた図面なんて「適当」に考えてとか、
「あんまり真剣に考えてない」んじゃないか?とかね。

恐らく「軽い」んでしょうね。
専門家、つまり設計のプロだったら「どんな計画」立てるんだろ?って。
ネット社会になって、それまでちょっと暗い?怖い?感じだった
設計事務所だとか敷居の高かった建築家のことが、
結構「気さくな人」「面白い人」と受け取られるようになったと。
で、最近では「簡単な人」「利用しやすい」「仕事が無い」
「貧乏」と受け取られていませんかね?
リアルです。 ホント、その通りですから。

大学の建築学部を出ても就職先が無い。
ゼネコンでは過酷な業務を強いられる。
設計事務所では一切クリエイティブな仕事はさせてもらえず、
確認とトレースばっかし。まぁ昔から大して変わりませんが、
今の若者は「頑張り」が効かないようですね。
早々と独立と称して会社を辞めて早々と「独り立ち」。
仕事も無いですし、どうかすりゃ親と同居で飯を食わせてもらってるとか、
亭主のサラリーで食って、自分は趣味感覚でアトリエをやってる、
なんて建築家は「ごまん」といます。

なので「無料」で提案出します!!を餌にクライアントを
吊り上げて、あとは請負業者に責任丸投げなんて、しゃれにならない
ことを平気でやってのけているんです。現実です。
久しぶりに「それ言っちゃってい~んですかっ?!」です(笑)

私も無料で提案出します!!で、随分と商売をしてきました。
でも、もう止めました。
軽く見られすぎです。
私の時代には現場の見学会で相談を受けた見込み客のみなさんに、
後日個別に面談して、何度かのやり取りの後に提案を出していました。
ネットのコンペでは幾つか出しましたが、10件にも満たないです。

ただですよ!!と建築家が(自称ですね)大きな声で言えば、
世論は「タダで良いんだよね?!」って覚えます。
クライアント予備軍は悪くないですよ。悪いのは自分の首を絞めた
設計屋です。
せめて「名を名乗らない」ものに提案出しますなんて言わない事です。
名も名乗らないものに「出してはいけません」。廃業に追い込まれます。

クライアント予備軍の皆さんにも強力にお伝えしたいです。
「ただで出します」なんて建築家の書く図面は大したことないです。
綺麗に書いてあっても「建たない」です。
そう、予算にはまりません。ホントです。
設計って、そんなに簡単なものじゃありません。ほんとーにホントです。

どっかの建築家じゃありませんけど、この手の「タブー」を
書いてしまうと強烈に反感買うんでしょうけど。
そのうち建築家が一斉に「そっぽ」向いちゃうと、結局は
クライアント予備軍の皆さんのためにならないと思ったんです。

書いていて気持ちが沈みます...

参考になるやりとり↓

http://okwave.jp/qa/q4372004_2.html#answer  

Posted by アーバンギア at 13:36Comments(0)建築

2013年08月12日

愚か者 また人を殺す

熱中症で高校生が死にました。
部活をやっていたそうです。
顧問は犯罪者ですよ。

熱中症で人が死んだのは初めてではありません。

顧問は飲酒運転で人を殺したのと同じです。

「まさか自分が」「まさかうちにかぎって」など
愚かな、とても低次元な「過失」で人は結構死にます。

草刈機で自分の子供の首を切った。
気がつかなかった...
自分が子持ちだってことも気がつかなかったんでしょうか。
家に子供がいるという前提なら「始業点検」は
徹底すべきですね。完璧に「過失致死」です。

部活だって、このまま逃げ切るつもりなんでしょうか。

学校や先生は子供の命は守ってくれませんし、将来だって
約束してくれる訳は無いんです。
ただのサラリーマンですから。職業意識がどれくらい
あるかは分かりませんが、彼らは無償奉仕で働いている
訳ではありません。お金のために働いていますから。

命は自分で守りましょう。
40℃もあるような日に屋外で運動をするような
馬鹿な真似は絶対に止めましょう。
涼しくなったらやれば良いだけです。なにも問題ありません。

元気に部活に出て行った我が子が、変わり果てた姿で
家に帰ってくる。ちょっとご両親の心境になれません。  

Posted by アーバンギア at 15:31Comments(0)あれこれ