2019年09月30日

10年ぶりの歯医者

今日10年以上ぶりに歯医者に掛かりました。


物凄く勇気が要りました。ガチです。
もう半年くらい前から痛かったんです。でも痛みが一時止んだので、
いわゆる「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ってやつですよ。
行かなきゃ行かなきゃとは思っていましたし。歯ってのは勝手に
治るってもんじゃないことは死ぬほど理解していましたから。
でもね。

私は痛いのが嫌いだし、そもそも歯医者ってのがトラウマでね。
最近の麻酔は痛くないってのを知っていても恐怖の塊なんですわ。
でも先週末からの激痛は、もう耐えがたい痛みで。
うがいうをするのも辛い。そもそも水を飲むのも辛い。んで、息を
するのも辛くなってしまって。

この山に越してきてからは歯医者に掛かっていないので10年は
歯医者に行ったことが無かった訳です。で、新しいお医者さんに
掛かることになった訳ですけど。もうネットで「クチコミ」を検索する
時代です。家内が評判の良さそうな歯科医を見つけて予約を取って
くれました。で、評判どおり最高に良いと感じました。
人生で、こんなに気分良く歯医者に掛かることができたのは初めてです。
もう次の予約が少しも苦になりませんでした。

さっさと治療をしてくれて現在「激痛」は無くなりました。
昔治療したところが虫歯になったんだと思っていたのですが、
レントゲンを見ながら先生は大変に良い歯だと仰ってくださいました。
虫歯は無いということでした。確かに治療痕の有る歯でしたが、
割れてしまっているということでした。硬いものが好きな中年男性に
多い症状だと仰っていました。私は「ジャイアントコーン」が大好物
だったりします。なんだこりゃ?!ってくらい硬い煎餅も好きですね。
まぁ割れていたんです。

麻酔が切れて、なんだか歯の中がズキズキしますが、いずれ寛解する
でしょう。結構時間が掛かるんですよね。それにしても医療は
日進月歩ですね。注射の針が刺さったのすら分からないほど痛みが無い。
それでも歯の治療は一般的には恐怖心が掻き立てられるんですよね。
従って、痛みが無いことは元より医者との信頼関係が大切になって
くる訳ですよね。

実は当初、何年か前からFacebookで友達に「いつの間にか」なっていた
歯医者さんが、とても頻繁に「良い」と感じさせる投稿を連発していたので、
もしも次に掛かるなら、この歯医者にしようと決めていたんです。
で、今日になって予約をかねて軽くエゴサをすると。酷いもんでした。
物凄く評判が悪く、とても信頼して掛かる気にはなれなくなりました。
ネットは怖いです。良いクチコミなど、「なりすまし」や「ライター」が書けます。
きっと評判を落としたので起死回生を狙ってFBでも沢山の書き込みを
したんでしょうね。でも一度やってしまった失敗は簡単には帳消しには
出来ないってことですよね。しみじみと考えてしまいました。

でもそれは、その医者の自業自得な訳です。患者を何だと思っているんだろう
というレベルで酷いクチコミが投稿されていました。1件や2件では無いので、
まぁ真実なんだろうと思いました。その逆に今日掛かった医者は評判どおり
でした。私も、そういった良い評判、クチコミを得られるように頑張ろうと
思ったって話でした。



春までは上手く行っていたんです。春までは。なにもかも。  

Posted by アーバンギア at 20:21Comments(0)あれこれ

2019年09月29日

お宮さんのお掃除

今日は氏神様が祀ってある子の神社のお掃除でした。


お掃除って行っても外の落ち葉を片付けるんですけどね。
その前に少し前の大型台風のときに倒木のせいで切れてしまった
電気の線を張り直すために境内の中にある木の枝を切り落とす
作業があったんですよ。

同じ部落に住んでいる若い衆が達者にやってくれて、御蔭で
電線に掛かった太い枝を3本ばかり切り落とすことが出来ました。
大変に有難かったですね。高さ的には7m以上ある枝ですからね。
一つ間違えば命を落としますね。屋根を葺くプロなので高いところは
得意なんでしょうけど、恐ろしく不安定な梯子で「手のこ」で
切るんですから、死にますね。何事も無くてよかったです。

その後に毎年恒例の掃除を行うんですけど、今年は落ち葉が
非常に多かったですね。体調も優れない中、へとへとになって
やりました。今現在もヘトヘトです。
帰ってきてから速攻で夕べ貰った大根の「抜き葉」を料理しました。
物凄い料を貰ったので3回に分けて調理して3軒分作りました。
貰ったお宅と「今日の立役者」に御裾分けしました。

私は倅のバイトのお迎えが済んだら晩酌に少し頂こうと思います。

再来週は、お祭りです。土曜日に「おひまち」が行なわれます。
娘と家内が神楽を舞います。楽しい、おひまちになると良いですね。
今年は長男と次男がいないので寂しいですね。もしかすると、
その日は三男の引越しになってしまうかもしれません。堪えますね。

今日は疲れ果てたので休みたかったのですが、店舗のレイアウトを
完成させなければならないので「渋々」仕事をやっています。
明日は病院なので一日潰れてしまいそうです。歯医者にも行きたいです。
もう虫歯が痛くて痛くて。喉まで腫れてきて。ほっぺたが腫れてます。
こんなの小学生依頼ですね。虫歯って痛いですね。泣きそうです。

10月に入ったら速攻でまとめなければならない仕事があるのですが、
古民家の改修工事も暗礁に乗り上げてしまって、こちらもなんとか
しなきゃならないのですが。来週中にも何かVE案を出さなければ...
ゆっくりしたいです。
ゆっくり出来る頃には山は冬到来ですね。おばけの森のキャビンの
解体工事もあるしな。なんか精神的に滅茶苦茶やばいですね。
休みたいです。



  

Posted by アーバンギア at 16:09Comments(0)あれこれ

2019年09月28日

ついに

ついに。いよいよ、お別れなんだそうです。
つまんねーな(T-T)


  

Posted by アーバンギア at 21:22Comments(2)子育て

2019年09月27日

大局のルーティン

時々というか、定期的に思い出すことがある。


思い出すというか「考える」のか。「こと」というより「人」がいる。
ここ数日は忙殺の余り平静を保てないほどに神経が苛立っていた。
昨日など「これが現実か?」というくらいに忙しかった。
私はパニック障害が出るようになってしまって、基本的には
追い込まれることが駄目で、自身でも平常心でいられるよう努めて
無理の無いように仕事をしたり生活のサイクルを守るようにしている。

昨日、思い出したことは「Minnie Reparton」のことだ。
ここのところ音楽を聴いていない。音楽を聴きながら仕事をしなくなる
のは私にとっては「危険信号」なのだ。精神的に安定していない。
ゆとりを完全に失っている状態だ。そんな時、私は音楽に「救い」を
求める。アーティストに癒して欲しいと考える。
「誰か、俺に優しい言葉を掛けてくれ」相当に強い欲求があったのだろう。

頭に浮かんだのは、ミニー・リパートンの声だった。
無性にミニーのHere we goが聴きたくなった。
どうにも私は、ミニーのことを定期的に思い出してはアルバムを再生し
ているように思う。ミニーが死んでしまって40年が経つ。しかし
Here we goが収められたアルバムは、ミニーが、この世を去ってから
1年後に発表された。完成していなかったトラックを友人達が集まって
まとめ上げたのだ。完璧な演奏、完璧なトラックというものが、この世には
幾つか存在する。このHere we goには1ミリも無駄なところが無い。
欠けていると感じさせることも無い。完璧なトラックだ。

曲の冒頭から、ミニー本人が二重に歌っている。随所で二重のボーカルを
聴かせる。エコーではない。別のトラックを同時に再生しているのだ。
レコーディングの過程で何度か歌は録音される。ミニーのボーカルの
完成度は高く、同時に再生していても一人で歌っているように聴こえる
程の正確さだ。所々感情の入れ方が違っていて、それが微妙なズレを
生み出し、実に趣のあるミックスとなっている。
しかし、このミックスは本人としては恐らく不本意であったと思う。
このレコーディングが完成しなかったのは、ミニー本人が、ボーカリゼイションに
納得が行っていなかったことに起因すると思う。

このレコーディングが行なわれたときには、ミニーは末期がん状態だった。
体力的には相当に辛かったと思う。しかし我々には、そういったネガティブな
要素を微塵も感じさせない歌唱だ。本当の辛さは本人にしか分からない
ということなのだろう。ミニーは、ポジティヴの人だ。「な」ではなくて「の」だ。
形容詞としてではなく名詞のポジティブ。存在そのものが太陽のようだった。

私が、ミニーの歌を聴きたくなるのは、ミニーの声を聴きたくなるからに他ならない。
彼女に話しかけられることで欲をかかず、もう少し自分の身の回りを見渡して、
そんなに悪い状態じゃないってことを確認させてもらいたいからなのだろう。
人は、ゆっくりと死に向かって生きている。人生が長い人もいれば短い人もいる。
終わりを迎えなければ良かったか悪かったかが分からないのが人生ならば、
そんなものは不安でしかない。

ミニーは半分しか持っていない。だから全部持っていると言った。
片手にワイングラスを持ちながら。

人生は良いことも悪いことも、ほぼほぼ半分かもしれない。いつまで生きても、
その相対関係は変わらない。それが人生だと言ったのだろう。
ワイングラスには6分目まで赤ワインで満たされている。完璧な比率だ。
これ以上ワインを注ぐことは出来るが、バランスが悪い。つまり注ぐことは可能
であるが、やってはいけない行為だということだ。欲はかかない。
そもそも無理だ。美しくも無い。
それは、いつ何時でも同じことだ。何年後でも何年前のことでも。

このブログを書くに当たって、Here we goのロングバージョンについて調べてから
書こうと考え「Minnie Reparton Here we go バージョン違い」と検索をかけると
なんと私のブログ記事が13300件中の7番目にヒットしました。私の記事の上は
Wikipediaですから責任重大ですね(笑)
つい自分の記事をクリックして読んでしまいました。自分で言うのもなんですが、
良い記事だったので張っておきます。

何気に、さていつ書いた記事だったかなと記事の最初にスクロールすると、
2016年9月28日とある。鳥肌が立った。
毎年ほぼ同じときに思い出し、ミニーを聴いているんだと知ることになった。
日記をつけていて良かったと思うことが時々有る。人は日々の暮らしに流され、
忙殺され色々な事を忘れ去って行く。だが思ったほどには先には進んでいない。
失ったものも忘れているだけで近くに有ったりする。

昨日、あまりに時間が無くて街中を走って移動した。だが、もう間に合わないと
諦めたときに、何気に後ろを振り返り、そのまま後ろ向きで走った。
そして立ち止まった。置き去りになって行く景色が直ぐに迫ってくるように感じた。
「俺は何をそんなに焦っているんだ」「俺は一体何を守ろうとしているんだ」
そう思うと走るのを止めた。
待ち合わせ場所に着くと、話は付いていた様子だった。無駄足の現場打合せだった。
行く必要すら無かったのだ。下らない。いや、ことの顛末のことではない。
ワイングラスに注がれるワインが溢れそうになって慌てていた自分のことだ。

ワインボトルを持っているのは自分の右手だ。注ぐのを止めれば良い。
ただそれだけのことだった。先程Here we goを含む何曲かを聴いた。
ミニーの声は相変わらず優しかった。

以前のブログ記事
https://urbangeardesign.eshizuoka.jp/e1706691.html



※ロングバージョンの演奏もカナリ良いのですが、このバージョンの方が緊張感のある
編集で絶対に正解のミックスダウンです。  


Posted by アーバンギア at 13:03Comments(0)あれこれ

2019年09月25日

バジュランギおじさんと、小さな迷子を見た後の小林多喜二の死について考える

死にます。本気で死にそうに忙しいです。(T-T)


何が起きているんでしょうか。全く流れが変わってしまっています。
ただ現時点で自分に有益な流れには成っていないと感じています。
ただ単に自分の能力の低さとか、優柔不断さが自分で自分を
苦しめている状態だと思います。仕事は責任持って完遂させたいと
思っているので尚更、息苦しいです。

随分とブログも放置していましたが、書きたいことが無い訳では
ありませんでした。しっかりとした記事には出来ないかもしれませんが、
少し前に思ったことを今日は書きとめておこうと思います。

レンタルDVDを借りてきたんです。「バジュランギおじさんと、小さな迷子」
っていう「インド映画」なんです。ドラマのコーナーに新作で置いてありました。
もう全然「売る気」無しのタイトルですよね。こういうタイトルには良い作品が
多いんですよ。カバーの小さな女の子が可愛かったし、オッサンの
素っ頓狂な表情も「感じさせる」ものが有ったので迷わず借りました。

内容は下記を参照してください。

https://eiga.com/movie/82542/

http://bajrangi.jp/

主人公は信仰心が強く、馬鹿が付く程の正直者。そしてお人よし。
純粋で無垢な大人。嘘がつけない。
信仰心とは何だろうと改めて考えてみた。信仰によっては人道的に問題が
あることだってある。人として間違った行いや考えだって、真摯に信仰する
ものにとっては大切な教えであり誓いなのだ。これを論じることは、どこまでも
平行線を辿ることになる。歩み寄ることで、お互いを理解することも出来るが、
歩み寄ったのでは敬虔な信者とは言えないのである。

主人公のパワンは少しもぶれない。ヒンズー教のお手本のような信者だ。
しかし保護した娘は、イスラム教が支配しているパキスタンの子供だ。
パワンは信仰に対して少しもぶれないが、異教徒でも「子供」を守る、子供は
親の元で暮らすことが最も大切なことだということを最優先の真理として
命がけで行動して行く。

多くの「普通の人」が、その実直な行いに心を動かされて行く。
私たちは「嘘」をつく。嘘をついたことがある人が殆どだろう。嘘は「方便」だと
上手に使うものも多くいるだろう。違う。やはり「嘘」は事実とは違う。
だが嘘がなくて世の中は回っていくだろうか。それも深く考えさせられた。
多くの人は恥じることだろう。当たり前だと考えている「歪み」を誰もが
共有しているのだから。

パキスタンとインドは恐ろしいほどに仲が悪い。日本と韓国よりも深刻だ。
この映画は知識が深いものが見ることによって、様々な角度から様々な
社会問題について問いかけている内容だと感じることが出来る構成だ。
宗教問題や国家間の問題だけではない。じつは実直で純粋な主人公は、
恐らく発達障害、もしくはアスペルガー症候群であることも感じさせる。
この映画の内容だけで数日、語れそうなのだが、この映画を見終わってから
気になるニュースを見たことで記事にしようと思ったのだ。

小林多喜二の名前をご存知の方は多いだろう。私は中学生のとき、国語の
授業だったと思うが「蟹工船」の作者として知った。蟹工船については、
抜粋された文章だけで当時、何の印象も残らなかった。
まぁ蟹工船は子供が読む本じゃない。プロレタリア文学に分類される。
蟹工船については下記を参照されたい。

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6540

この本を出した御蔭で小林多喜二は警察に捕まって「拷問」されて殺されて
しまいます。酷い話です。現代では全く通用しない「官憲」による迫害です。
蟹工船の話は実話を元にしています。昔の貧乏人の労働環境なんて
地獄のようでした。実は今も変わっていないと私は考えています。
正直に生きることは容易くありません。生きることに知恵を働かせることは
イエスもお許しになっています。しかし、事実を描写しただけで「執筆意図」
について、どのように話そうとも命を奪われるなどとは絶対に許される行為では
ないのです。ですが多喜二は死にました。実に理不尽な死です。

正義を貫くとは、どれだけ意味、意義があるのでしょうか。
生まれて初めて考えてみました。答えが見つかりませんでした。私は嘘を
つくのが苦手なタイプです。先日、グレタ・トゥーンベリさんという16歳の少女が
国連の温暖化サミットで演説をしました。非常にドラスティックな言葉で、
一部の人が言いすぎだなどと批判的な意見を言っています。
彼女は、アスペルガー症候群です。アスペルガー症候群の特徴として、
コミュニケーションが苦手だというものがあります。言ってはいけないことを
言ってしまう、ということなのですが、これは「シーン」によると思います。

言わない方が良い状態を作ることが出来る場合に、言ってしまう、所謂
「余計な一言」というやつを言ってしまう。私ですね。
しかし発言に気を使って本来言うべき意見を飲み込んでしまうという、誰でも
意気地が無くて言えなかったという経験が少なからずあると思いますが、
ことアスペルガー症候群の人は空気が重ければ重いほど、ここで言わねばという
心境になってしまうのです。融通が利かないところも「真実を歪めない」という
確固たる信念が根幹にあるからです。頑固者ですね。

嘘がつけないということは真実だけが全てだと受け取っているからです。
従って恫喝されることにも動じませんし、理不尽だと感じる要求には執拗に
抵抗します。もしも躊躇い無く嘘や上手が言えたなら小林多喜二は獄中で
無念の死を遂げることは無かったかもしれません。グレタさんは、自分が
アスペルガー症候群であることを公言し、また自分の個性として大変に誇りに
思っていると言っています。アスペルガー症候群の人は、参ったことに
自分が悪いとは感じにくいのです。

更に私が苦悩するニュースが入ってきました。
韓国で30年前に起きた連続殺人事件の犯人が特定されたというニュースです。
日本ではバブル景気に浮かれていた頃の出来事です。

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/34443.html

恐ろしいことに何の罪も無い9人もの女性が惨殺されました。
しかし私が一番憤ったのは「韓国警察」です。警察は、中々犯人を特定できず、
世間からの批判を逃れるために、ろくに捜査もしないで容疑者を捕まえまくり
ました。冤罪で釈放された人のなかの「4人」もが自殺を図っています。
どれだけ過酷な取調べだったか。どれだけ自尊心を傷つけられたかということが
想像できます。多喜二の拷問と重なりました。バジュランギおじさんと、小さな迷子
の中でも主人公がパキスタン警察に拷問されるシーンがあります。
どうして、こうも弱いものというよりも正直者は虐待を受けるのでしょうか。

やはり正直に生きることは生き辛いことなのでしょうか。そう思えてなりません。
弁護士だって弱いものに付く訳ではありません。「報酬」を払ってくれる側に
付くってだけの話です。正しいを証明する訳ではありません。基本的には
利益と不利益が白と黒を決めます。政治も同じでしょう。世の中は全て、そうなの
でしょうか。大変に空しいです。

映画を見終わって、ただただ涙が流れていました。良かった。本当に良かった。
女の子が、お母さんのところに帰れて。それは女の子の気持ちというより、
パワンの気持ちだったと今は理解しています。そして自分が帰れた事で使命を
果たすことが出来たパワンを「良かった」と感じている女の子の気持ちが
十分に伝わってくる最後でした。
幸せ。今感じていることは幸せは利益ではなく、気持ち、そのものだということ。
正直なものを苛めるものは、この世で罪を逃れることが出来ても、必ず、あの世で
凄惨な裁きを受けるでしょう。それは計りに掛けて完璧な平等を示すかのように。



  

Posted by アーバンギア at 22:17Comments(0)あれこれ

2019年09月17日

思いがけない富士急

今日は富士吉田で打合せでした。


打合せって言うか、まぁ現地視察ですかね。
っていうか、正直もう仕事にならねーなと諦めました(笑)
もう全然リアリティというか真剣みが無いというか。
詐欺じゃないかってくらい、落胆しちゃいました。本音です。
まぁでもどういうんでしょうかね、私は諸々、色々見えちゃったり、
分かっちゃったりする能力が有るんですけど、断れないんですよ。
頼む!って言われると分かったっていう。体が反応しちゃうんです。

だから深く考えないようになりました。20年くらい前からです。
丁度、建築にだけ専念するようになってからですね。
考えてとか、作ってって言われたら無償でもなんでも兎に角、
心血注いで提出しようと考えました。
ちょっと書けないですけど「禊」です。
それが逃げだとかってことも分かってるんですけど、でも
小心者としては、これを続けて、あの世で「閻魔様」に決めてもらおうと
考えています。マジです。

先週の土曜日。娘達の通う中学校で体育祭がありました。
で、その代休が本日の月曜日だったんです。で、娘たちに
「パパ、明日、富士急のそばで仕事があるんだけど、着いてくれば
下ろしてやろうか?」とさりげなく言いましたところ。
「えっ?!マジ?」と次女のリアクション。珍しく、そこそこ高めの
トーンで会話というか「返事」が返ってきました。三女は、ほぼ所謂
「蚊が鳴く声」で「どっちでも」と帰ってきましたが、まぁ連れて行きました。
家内と娘達を富士急に下ろして私はクライアントの下へ。

二時間少々の打合せを終えて、富士急に向かいますと、空恐ろしい
程の「激混み」でございます。馬鹿学生と中国、韓国の旅行客が
大半を占めておりました。連休を避けても混雑は避けられなかった
「策士」でごった返していた訳でありますね。

時々小雨がぱらつく空が非常に有り難かったですね。
四時頃には冷たい風が吹いていました。もうすぐ本格的な秋がやってきます。
富士急の「三大絶叫マシーン」には乗ることが出来ませんでしたが、
ほぼほぼ「生まれて初めて」の遊園地に次女は楽しそうにしていました。
私の前では絶対に見せてくれない解き放たれた「笑顔」を空中で
弾ませていました。嬉しかったです。
出口のゲートを出て車に乗り込むと三女が「ありがとう」と小さな声で
言ってくれました。嬉しかったです。次女が乗り込んで一呼吸空けると
三女が次女に向かって「おいっ!」と顎で合図をしました。
すると次女は「ありがとう」と、これまた「どんだけ?!」ってくらい
搾り出すように聞こえるレベルで私たちに(私にでしょう)礼を言いました。
で、嬉しかったです。

どこで話し合ったのかは分かりませんが、三女から「ちゃんと礼を言おう」
「人として当たり前だから」と、きっと次女に言ったのでしょう。いいです。
それで、いいです。
青木ヶ原の樹海を走り始めた頃、娘達は何やら学校の事を二人で話し
始めました。私はラジオの音で話は聞き取れませんでした。
それでも、中学生なりの悩みは有るのだろうと黙っていました。私も有りました。
誰だって一番悩みの多い年頃だと思います。まさか自分が「話の分からない大人」
扱いされるとは夢にも思いませんでした。中学生当時は、この世で一番駄目な
人間だと思い込んでいましたからね。何から何まで上手くいかない中学生。
っていうか、今でも、その時のまま、何十年も経ったなどと全く思えないまま。

私は昔、富士急にあった「ジャイアントコースター」に小、中学生のときに
怖くてのれませんでした。子供会なんかで行った時に、皆は乗っていましたが、
私は乗りませんでした。ずっと心の中でトラウマになっていました。
二十歳のときだったと思います。友達と一緒に富士急に行った時に、
ここで乗らなかったら一生後悔する、一生負け犬だと思い、乗ったんです。
物凄く怖かったです。「壊れそうで」。
ええ、物凄く壊れそうな音で、やばそうな音で、Gが、どうしたっていうことでなく、
これホントにヤバイんじゃないかってことで心底怖かったのを昨日のことのように
思い出せます。乗り終えたときの爽快感は言葉に出来ないほどでした。

子供たちの成長は既に「目で見る」期間を終えています。
心の成長を知る機会は少なくなります。親が鈍感では益々少なくなるでしょう。
気にかけるとハンパ無いストレスも味わいます。ですが、それこそが子育てだと
今は思えるようになりました。いずれ全てが解決して、秋の高い空のように
晴れ晴れとした気持ちを味わえるのでしょう。
その時がやってくるまで、もう少し辛抱してみようと、遠くから見る娘達の笑顔を
ほくそ笑んで楽しんだのでした。



  

Posted by アーバンギア at 22:23Comments(0)子育て

2019年09月16日

引越し

昨日、次男の引越しに行ってきました。


正確には既に引っ越して住んでいたので、家具家電の
購入、運搬。生活雑貨の購入ってことです。
なぁ~んにも分からないんでね。「生きるため」に必要な
「もの」「こと」。遠慮をしていたのか「拘り」が強すぎてなのか、
さっぱり分かりませんが、買ってあげるといっても清々した
返事をしないんですよ。

で、昨日、新居に行きますと起き抜けみたいな感じで
やってきて、面倒そうに持って行った洋服なんかや
私が勝手に買った折りたたみベッドに食器棚を運び込みました。
その後、居候させてもらっていた友達の家に更に洋服だの
教科書だのを取りに行きました。長女も連れていったので、
軽~く志望校を「眺めに」目白の方まで足を伸ばしました。

最初は自分でアマゾンや価格comで探して新品を買った方が
安いからと言っていたのですが、私が分かった金は出すから
好きにしろと言うと、それならば聞いた事もない信用出来ない
ような中国製の電化製品より国産の中古美品が高価でも
今日中に買ってもらって搬入してもらった方が良いなと、
やっとこ理解したようで。あっち行ったり、こっちいったりで、
結局なんとか買い揃えて帰ろうかという時間は21時を回って
しまったという。

まぁ途中の「回転寿司」で1時間も待たされたのが、でかかった
んですけどね。安くて美味かったですね。特に「秋刀魚」が。
生の秋刀魚は滅多に食えないので。満足でした。

一番最後に「踏ん切り」が付いて購入したのが冷蔵庫。
丁度いい大きさ。中古ですが2019年製です。使ってないようでした。
シャープです。2万円。実は数日前に私も「小型の冷蔵庫」を
オークションで購入したんです。今日、受け取りに行ってきました。
同じ静岡市内の方が出品されていたんです。一発で痺れ倒した
ウルトラカッコいいビンテージの冷蔵庫。50年以上前の三菱の
冷蔵庫です。現役だということ、そして2万円を切っていた価格。
自分で引き取りに行くことが出来るという好条件で手に入れることが
出来ると考え、更に2千円の値切りにも成功して大満足で
購入することが出来ました。

もう家に持ってきて5時間以上経ちましたから、そろそろ電気を入れて
みようかと思います。この冷蔵庫からキンキンに冷えたキリンの
ラガーを「瓶」で取り出して、飲んだら、さぞ美味いだろうなぁ~と
楽しみにしております。で、この冷蔵庫、高さは1mも無く、幅も
55㎝あるかないかという小ささなのに重さは多分80kgは超えていると
感じました。昨日、息子に買ってあげた冷蔵庫は1.2m程度。
一人で持ち上げられます。2階まで運び込むのに、さぞ苦労するだろう
と想像していたのですが、比較的簡単に運び込むことが出来ました。
私の買ったビンテージでは、とても2階まで崩れそうな外階段で
運び込むことは出来なかったと思います。そもそも床が抜ける。

50年で電化製品の進歩は物凄い成長を遂げました。ただ。
私たちが結婚したときに弟が結婚祝いで買ってくれた「三菱」の
冷蔵庫は10年で完璧に壊れてしまいましたが、同じメーカーでも
50年以上前の製品は動いています。全部に当てはまるケースでは
無いのでしょうけれど。それでも考えてしまいます。機能は素晴らしいです。
省エネですし。ビンテージの冷蔵庫は死ぬほど電気を食います(笑)
正直どうしたものかと思っていますが。でも、このデザインは日本で
「再現」される可能性は、限りなくゼロに近いと思うんです。

昨日、息子が言いました。「引っ越してもっと大きなのが必要になったら」
それはベッド、冷蔵庫、TV、全ての「一人暮らし用」のグッズに向けて
言った言葉でした。きっと近いうちに彼女と同棲したり結婚したりしたら、
今、買った、「つぎ込んだ投資」が無駄になるから、長い目で見て
色々買いたいと考えていたと言いました。でも続けて
「でも、そんなこと言っていたら何も買えないか」と言いました。
そんな先の事を考えていたら何も出来ないと言ったのです。私は、
「その通りだ」と言いました。確かに先のリスクを考えたり、未来のビジョンを
想い描く事は大切なことです。しかし、謀が全て上手くいくとは限りません。
時には大胆に「始めてみる」ことが大切なのです。

今日は昼頃になって「色々片付いたよ」とLINEが送られてきました。
夕べ息子と別れて近くのコンビニに寄ったときに送られてきたLINEには
「家族とバイバイするのは、やっぱり寂しいけど」
「頑張ろうって気が引き締まるよ」と書いて有りました。
ビニール袋に入った買ってきたものが散らかった部屋。長男のときと一緒でした。
その部屋を慌しく出てくるのは、やはり寂しいです。
ただ次男の場合は、ちょっと違っていて、前の日から泊まっていた彼女も
一緒に夕飯食うために最寄の駅まで送って下ろしました。

今日は家内と一緒に重たい冷蔵庫を運びながら、息子と彼女が頼りなくても、
なんとなく助け合ってやっている様子を一人静かに思い浮かべていました。




  

Posted by アーバンギア at 21:14Comments(2)子育て

2019年09月11日

子供の一人暮らし

先日やっと次男がアパートに越しました。


4月から東京の専門学校に通い始めたのですが。
入学金を払うのが精一杯で「家」を借りてあげることが出来ませんでした。
倅は友達の家に「居候」していたんです。床に布団を敷いて、自炊など
全くせず。まぁ風呂とトイレだけを借りて狭いワンルームで友達と
共同生活的なものをやっていたんです。友達も寂しかったのか、倅と
余程、馬が合ったらしく、倅が、アパートを借りて出て行く事になって、
寂しがったそうです。そういうこともあるかもしれません。

私も20歳くらいのときに親友の「チュウ」を居候させていました。
一緒に仕事まで行ってました。楽しかったです。

さて、倅の「引越し」なんですが、親のこっちは、色々と生活に必要な
家電や寝具、雑貨などを買い揃えなければ、住み始めることも出来ない
だろうと心配に心配をし、兎に角、一人暮らしを始められるようにと、
リサイクルショップを梯子したり、ジモティーなんかで「もらえる」レベルの
家電なんかを物色していたのですが。

遠慮をしてって感じではなく。倅の「性分」で、自分で納得して、自分で
買わないことには、どうにも親切ってのは「大きなお世話」だと感じている
ように、こっちも感じて。フライングで購入してしまった折りたたみベッドが
現在、玄関を占拠していて狭苦しいです(笑)

一昨日「ひとり」で布団を買いに行き、ノジマでシーリングライトを買ってきて
自分で付けて「布団しかない部屋」で一人暮らしをスタートさせたようです。
布団を買って、それを抱えて電車に乗って、駅から20分近く歩いて2階の
部屋に運び込んだようです。深夜近くに。
照明器具が、一つも付いていない部屋なので、携帯電話の明かりを
点けて、キャリーバッグに乗ってシーリングライトを手探りで点けたようです。

ガスと電気の開通も済ませ、何処を歩き回ったのか知りませんが、
一番安い店で「シャンプーとリンス」を買って、寝るよとLINEが届いたのが
午前2:55分でした。馬鹿め...
翌日、不慣れな駅から、なんとかちゃんと学校に行ったようでした。
心配ばかり掛けやがる。
折角こっちは日曜日に引越しに行ってやると言ったのに。結局、冷蔵庫や
洗濯機を買って運び込むなんてことが出来ないと諦めたようです。
新品をamazonあたりで購入して運び込んでもらえば、待っていなきゃ
ならないし、金が掛かるってもんです。

今度の日曜辺りに引越しの手伝いに行くつもりです。
カーテンは、どんなサイズを吊るして、いくらぐらいのものが妥当なんだとか、
冷蔵庫の大きさはとか、どうやって家具を置けばいいとか、ずっとLINEを
送ってきます。だから行くって言ったのにと。

実は先週と今週は住宅の「間取り」を作っていました。三つ出してくれと
クライアントに言われていたので、頑張ってやっていました。
そして、おなじみのSuMiKaの質問コーナーで建売りを買ったのだけれど、
家具が満足に配置出来ないような作りで、どうしていいか途方にくれている
という質問にも答えたばかりでした。

間取りを作るときに「家具の配置」を考えないで作ると、ろくでもない家に
なってしまいます。賃貸では、およそ家具の配置など考えないで、いくつ
部屋が作れるかっていう「収益」についてだけしかオーナーは考えない
傾向が強いです。これは「建売住宅」にも言えます。酷いです。
ディペロッパーの下請けで建築確認を通したりしますが、よくこんなんで
売れるよなと、脱力します。余りにも目に余る場合に、
元受に「これで良いのか?」と意見を言ったり、自分で考えたプランを無償で
提供したりしますが、大抵の場合は「あちらさんの考え」で却下されます。

以前にも書きましたが、建売りは「3LDK」じゃなきゃとか、WICがなきゃ
売れないとかって「暮らし方」以外の部分に固執してしまっている傾向が
兎に角強いです。倅のアパートも「機転」を利かせるか、余程インテリアの
コーディネートに長けているか、「開き直る」しか暮らしようが無いって感じです。
まぁでも「ただの四角い部屋」なので、いわゆる普通の1Rです。
部屋の隅っこにキッチンが有るタイプです。

倅には「せめて長さ」を教えろと叱りました。窓の高さも分からなきゃ6尺の
カーテンなのか2mのカーテンを吊るせば良いのか伝えようがありません。
SuMiKaの質問者さんも寸法線が入っていない図面を添付して、かつ
本当にそのサイズなの?って家具のCADデータを配置してありましたが、
もうそんな曖昧なもんじゃ「ど狭小住宅」ではインテリアの計画なんて
立てられないんですよね。既に持っている家具に固執してしまったり、
対面キッチンやダイニングテーブルでの食事、ソファでTVを見るなど、
どうしても捨てられない「拘り」があるのならば、それが出来る「空間」に
なっているか、どうか十分に検討してから建売りは購入しないと駄目です。
それか、やはり「注文住宅」を建てることですよ。

敷地が狭かったり、建て替えで敷地で諸々解決出来ない要件が多い場合には
絶対に設計事務所に設計を頼んだ方が良いです。

灯りがともった部屋の床は、バーチカラーの合板のフローリングでした。
この固い床に直に布団を敷いて寝たのかとLINEの小さな画像を静かに
眺めました。直ぐに画面が滲んで見えなくなってしまいました。
子供たちの中で一番の寂しがりです。眠れたのだろうか。疲れきって、
眠るしかなかったのかもしれない。そう思いました。
小学校に上がるまで私と添い寝をしていました。母親とは寝ませんでしたね。
毎晩、布団に入って枕もとのラジカセで静かにジャズを流しながら、色々な
話をしながら寝ました。私を挟んで反対側には長女が寝ていました。
おしゃべりな息子の返事が無くなって、顔を覗き込むと何事も無かったように
静かに寝ています。幸せな毎日でした。

とうとう帰る場所を手に入れてしまいました。親としては喜んで上げるべき
なんでしょうけれど。今は、とてもそんな心境にはなれません。
引越しが済んで帰路に着くときのことを考えると憂鬱でしかないのが本音です。


  

Posted by アーバンギア at 13:39Comments(8)子育て

2019年09月06日

噛み合わない

なんか、あっちでも、こっちでも。
どいつも、こいつも。
あれも、これも。
全く思うような、期待したようなリアクションが有りません。
なんか、みんな開き直っているような。
気疲れしました。  

Posted by アーバンギア at 21:56Comments(0)あれこれ

2019年09月05日

酒井のイチジク

今年もまた農家の友人からイチジクが届いた。


毎年「ほぼ」同じ日に届く。美しく芳しいイチジク。
友人は一緒にバンドをやった仲間だった。
学生時代から関わるようになった。音楽だけでなく、
学生ならではの悩みや実家のこと、将来の希望や
不安といった話を散々したものだった。

私よりも10ほども歳が下なのだが、私も随分と
助けられた恩も有る。非常に楽しいやつだ。
妙に頑固で意固地なところが有るのだが、きっと
それも役に立つことも多いのだろう。

一度、結婚をしてヨーロッパに移り住んだりもした
のだが、欲を掻き過ぎたのか、それとも自然体には
程遠い情熱が歯車を狂わせてしまったのか、
儚い結婚生活だった。暫く音沙汰が無かったのだが、
突然「農家」になったと便りと共に「イチジク」が
送られてきた。驚いた。

そして良き伴侶にも出会い、ついに待望の「子供」が
誕生したとも知ることになった。嬉しかった。とても。
いつだったか友人に「生き甲斐の創造」という本を
紹介したことがあった。人の運命というものについて
触れている本である。とても気に入ってくれたようだった。

人には運命が有る。私たちは、あたかも毎日を偶然の
連続で生きているかのように受け取っている。
だが、それは大きな間違いだ。全ては図られた出来事。
悲しみも苦しみも、そして喜びも全て望んでやってくる。

今年のイチジクに添えられた手紙には
「今までで一番の出来に思う」と書いてあった。嬉しかった。
たわわに実ったイチジクをもいで、しげしげと眺めて、
その実にかぶりついたときの舌に伝わる味が、友人の
表情をこの上なく幸せにしたのだろうと私も、ほくそ笑む。

手紙には小学校の1年生になった息子と、習いそめた
ピアノで連弾したりして楽しんでいるとも書いてありました。
私も、また友人と一緒にビバップを演奏したいです。
それよりもなによりも、あいつの笑顔を、また見たいです。
一曲セッションし終わったときの、あの爽快な笑顔。

セザンヌの絵のような、深い輝きのあるイチジク。
しばし眺めてから食しました。美味かった。
お袋にも食べてもらったよ。 ありがとう酒井。



酒井農園では数種類のイチジクと果物をオンラインでも
販売しています。是非、覗いてみてください。

http://www.sakainoen.com/  

Posted by アーバンギア at 16:31Comments(0)あれこれ

2019年09月02日

CGパース 初歩の初歩

死ぬかと思いました。


仕事の重なりっぷりが尋常ではなくて。ブログも書けませんでした。
1秒も無駄に出来ない感じで仕事をしたり移動したり。
家事もありますし、本気でヤバイ精神状態まで追い込まれました。
久しぶりです。
一昨日、古民家改修のプロジェクトのパースをクライアントに納めて、
新しい仕事に取り掛かりました。でも、また新しい依頼が有って、
そんなもの、どうやってこなすんだ?!と自分でも呆れています。
しかも現時点で「1円」にもなっていませんし、結局、金にならないという
可能性も、ほぼほぼ100%に近いという。恩が有るので仕方が
ありません(T-T)

さて、一昨日クライアントに納品したパースを使って、学生さんや
これからCGで建築パースを作ろうとか、既にやっているけれど、
もうちょっとレベルを上げたいという方に「ヒント」になれば良いと考え、
私が作画するときに気をつけていることを御紹介したいと思います。

私の使っているCADは建築CADではありません。「汎用CAD」と
言って、線を使って図面を引いたり、平面形状から立体物をモデリング
して、尚且つ、それに画像をペーストして写真のように仕上げることが
出来るソフトです。建築CADとの大きな違いは建築に特化していない
ので「融通」が利くというところです。
もしも設計内容が複雑でなくて、施主との初期段階から打ち合わせに
使ったり、見積りや構造計算なども同時に行ないたいのならば、
建築に特化したCADを使う方が断然良いです。物凄く高いです(笑)

私の使っているCADは「Vector works」というものです。それもvr12
ですから、もう大分古くなりました。建築に特化していませんが、
建築設計が容易に出来るような支援ツールも多く、ターゲットを建築家や
インテリアデザイナーに絞った構成内容になっています。
物凄く高いです(笑)まぁCADは、みんな高いです。

さて、建築物をモデル化するところまでは割愛します。Auto CAD
なんかとは設定の仕方やライティングも違うので、ベクターワークスを
使ってパースを作る詳細な設定などは記述しません。質問が有ったら、
コメントからどうぞ!!

まず最終的に「絵」を仕上げるにはCADだけでは辛いです。
AdobeのPhoto shopは必須です。私のは物凄く古いのですが、まぁ
十分とは、とても言えませんが死ぬ気で頑張れば立派なパースが
作れますよ。大丈夫です。

今回の建築物は「日本建築」です。バリバリの古民家。日本建築の
モデリングはキツイです。っていうか、「古い」建築物をモデリングするのは
和洋問わず難しいです。ゴチャゴチャしているからです。日本建築の
何が大変って、そりゃもう「屋根」です。特に「瓦葺」が大変なんです。
一枚一枚、瓦をモデリングして、それを何百枚も葺いてレンダリングしても
構いませんが、それを計算してくれるPCは、まぁ無いでしょう。在っても
貧乏設計事務所が買えるような代物では御座いません。

従って、なんとか瓦で葺いてあるように見せなければならないのですが、
今時は大変に有難くてですね。ネットで簡単に瓦の画像も手に入りますし、
そもそも瓦メーカーから画像データが提供されています。ですから、
その画像をCADに取り込んで、モデル化した屋根に上手にペーストすれば
良いんです。これで簡単にレンダリング処理が可能になります。
その他にもCADに元々用意されているチープな画像を使わないで、
自分で作った高解像度のテクスチャを使えば相当にリアルなパースを
作ることが出来ます。



一応、瓦をモデリングして綺麗に並べてみました。流石に曲線は
簡素化して直線的な形状にしてあります。曲線を忠実に3D化しても絶対に
レンダリング出来ませんから、無駄なことはしないように(笑)



一応プレビュー出来ました。軒先のギザギザを見ると、にんまりしてしまい
ますが、実際に600dpi程度でレンダリングすれば完璧にフリーズすると
思い、簡略化しました。それでも袖瓦は、ちゃんと凸凹のままです。



近づくというか拡大して見ると残念なレンダリングですが、これに軒樋を掛けて
しまえば全く問題ないでしょう。今回は樋を掛けていませんが、A3に出力した
パースなら、まぁ残念な絵にはならないと判断しました。現実的なスピードで
レンダリング処理してくれます。



屋根の形状をモデル化するのも一苦労です。切妻ならば簡単ですが、
寄棟や「入母屋」なんかですと地獄です。真上から見ても45°で、
前から見ても屋根の勾配で傾いています。まず真上から見て、底辺を測って、
それから頂点までの距離を測ります。それを数学で解いて斜辺を求めます。
角度をCOSで求めないで、作図で斜辺を入れた方がモデリングしたパーツが
ピッタリと納まります。ってなんのこっちゃですね(笑)



CAD上でのパースが完成しました。影のコントラストを強く付けています。
本当は、もっと沢山光源を設けて柔らかな影を付けた方が自然になりますが、
レンダリングの速度が格段に遅くなってしまうので、今回は省略です。
Photo shopで合成したときに大して影が影響しないだろうと踏んだからです。



背景になるパーツを並べて行きます。樹木を配置するときに気をつけなきゃ
ならなにのが「ボケ」です。私は写真をかじっていたので、レンズの効果を
知っていましたから、絵を整えるのに苦労しませんでした。一眼レフで絞りを
変えて写真を撮ってみれば分かると思いますが、ピントを合わせた部分は、
クッキリと写り、それ以外は、ボケるのが当たり前です。人間の目は脳が
最終的に画像を作って見せているので、何処でもピントが合っている様に
見えています。ですが、実際には凝視した部分しかピントは合っていません。
写真のように見せるには、手前に大きなボケを持ってきて、建物よりも後ろは、
ちょっとだけピンボケにすることが、コツです。被写界深度と言って、実際には
ピントを合わせた位置よりも、ほんの少し手前から、そして後方は大体ピントが
合っていると人の目には映るのです。そこを意識してボケを調整しましょう。



写真と違ってCGの便利なところは人間の見た感じと写真で表現しきれない
シャドウや明るすぎて飛んでしまうような露出の差を簡単に解決することが
出来るところです。まぁそこが、どうしても本物に見えないところでもあるのですが、
これは「完成予想図」なので、本物に見えすぎるのでは若干目的から外れて
しまうといういことも念頭においておきましょう。



前ボケを入れて窓に背景の映りこみを入れて1点出来上がりです。

少し分かりづらいのですが、この建物は杉の板を黒く塗った壁とトタンで
外壁が仕上げられています。



これを再現するのには自分でテクスチャを作っておくと便利です。



こんな画像を材木屋のサイトから頂いて、



こういう一枚板を作り、



仕上げた感じのものも作り、



木目の種類を変えて8パターンくらい作っておきます。それらの画像がペースト
される位置を少しずつずらしながら壁を並べていきます。拡大すれば感動もの
なんですが、残念ながら、こんなに小さなパースでは分かりませんね(笑)



夜のシーンを作るのは更に大変です。兎に角ライティングを繰り返して、
自然で「感動的な」絵面になるまでやります。照明器具を直接作画するのが大変です。
照明器具の周りにできる影を表現するには経験を積まないと中々上手く行かない
と思いますが、潰れてしまわないよう、明るすぎないよう、照明効果が実感できるよう、
調整してみてください。



この画像と先程の画像の違いが分かるでしょうか?人工照明の設定の
難しさは「環境光」も考慮しなければならないということです。
つまり光が物体に当たって反射した光が、再び他の物体に当たるという、
テクスチャを設定したときの反射光の設定で絵面が中々整っていかないという
地獄のスパイラルに陥るんです。これは「東障子」のガラスと障子紙の設定を
変えてあります。昼間のときのままでは「擦りガラス」や「和紙」の質感が
表現されません。ガラスに拘ってしまうと思ったような質感になりません。
ガラスは半透明のプラスチックに変えてあります。
また、広縁にダウンライトの明かりを足して、梁の質感を上げました。
それに足湯の水をデフォルトから自分で作った水色のものに変えてあります。
光の反射率も変えて、夜の空間に水が浮かび上がるように工夫しています。



背景の「暗さ」をイメージしながら白い背景で夜景を作るのは馬鹿みたいに
抜けた作業ですが、まぁ思い込みも大切だって話です。



クールジャパンアワード2019を受賞した大井川鉄道「湖上駅」の近くの
秘境に佇む古民家ホテル。来春にオープンの予定です!  

Posted by アーバンギア at 21:05Comments(3)建築