2017年11月30日

時間が無い

もっと早くから見て上げればよかったな...  

Posted by アーバンギア at 18:17Comments(1)子育て

2017年11月29日

痛い

あちこち痛いです。

明後日、伊豆の土地を見に行くことになりました。
城ヶ崎に行くのは3年ぶりか。
あの時、問い合わせを頂いた、お客さんは大変な
事情を抱えておられたが、今は、どうしているだろう。
結構ちょくちょく思い浮かべる。
私は実施にならなかった案件のクライアントでも、
物凄く気になる。
みんな幸せに暮らしているのだろうか...

  

Posted by アーバンギア at 18:27Comments(0)あれこれ

2017年11月28日

志望校選び

調べるだけで半日以上掛かりますね。


息子の大学受験も目の前に迫ってきました。
娘の高校受験も大変なのですが。
何が大変って「落ちる」訳には行かないってことですよね。
当たり前ですが。受かりそうな学校を知る必要が有ります。
自分の実力に関しては模試程度しか判断の材料が無い
ですよね。高校受験の場合の方が厄介かもしれません。

特に静岡は内申点を重視しますしね。
大学の場合、まぁ言っちゃぁなんですが「滑り止め」を
受けることになりますね。今までは受けませんでしたね。
ですが、3浪は無理だと本人も思っているようで。
ただ、ここが難しいんですよ。国立の前期は、センターの結果を
見て、もう諦めると言うか、絞るしか無いんですが。
後期も同じですね。ただ後期は、センターの比率が恐ろしく
高い学校ばかりです。正直、センターで失敗して後期の
個別試験で挽回できるなんて、夢のような話ですかね。

で、私立大学です。
これは参ります。どの大学も沢山の生徒を入学させたいので、
様々な受験方式が有ります。一体何が何で、いつまでに
申し込んで、発表は、いつで、いつまでに金を払えば良いのか、
もうさっぱりです。日大なんか凄いですよ。あれを読んでいるだけで、
やっぱ受けるの止めようとかって気分になりますね。
また大学も良く研究していて、自分のところと併願しそうな他の
私大や国立大学の合格発表や入学金の納入最終日を
見据えて、他に流れても入学金だけは、しっかり貰うぜ!!って
感じで日程を組んでますね。

頭が痛い...

  

Posted by アーバンギア at 15:54Comments(2)子育て

2017年11月24日

次男が靴に興味を持って、うるさくて堪りませんっ!!


私も小さなころ父のはいてくる黒い革靴に興味があったな。
臭いをかいでみた。(笑)
靴を磨くのが好きでしたね。今も靴の手入れは好きです。

ですが、18にもならない倅が「オールデン」を欲しがったり
するのは流石に気に食わないですね(笑)

  

Posted by アーバンギア at 22:22Comments(4)子育て

2017年11月23日

体調不良に悩む

もう1ヶ月以上じゃないかなぁ...


風邪?なんなんですかね。1ヶ月くらい前は一度熱も出たんですが。
寝込んで良くなったと思ったら、快調になる前に別の症状が出てきて。
もうずっと喉が痛いんですよ。で、昨日、少し変だなとか思っていたら。
夕べのうちに酷い吐き気が襲ってきて。今朝は下痢も酷くて。
今は、もう出すものも無く、水すら飲めないので吐き気も落ち着いて。
脱水症状ですね。
手がしびれています。ですが一生懸命に設計をやっております。

祭日ですね。それも「勤労感謝の日」
建築士の鏡じゃないですか?!ご家族は浪人生の長男と三男だけ。
他は、みなさん「お出かけ」。私、威張って言う訳では、ありませんが、
余程のことが無い限り、熱があろうが仕事が、クソ忙しいだろうが、
関係なしに炊事を行い、家事も少々は手伝っております。感謝...
そんな「上等」なものをされたことは「無」に等しいですね。

長男は2階で一生懸命に勉強しております。今日が何曜日で、
何の日かなんて全く知りもしなければ興味も無いでしょうね。頑張れ。
三男は部活が無い日は「ほぼ廃人」のようですね。今日も会話は
全く成立しませんでした。現在お昼寝中です。疲れているのでしょう。
沢山寝て英気を養って欲しいです。頑張れ。

今日は音楽を長時間聴いています。最近は長男に気を使って全く
音楽を聴かなくなりました。ギターも弾きません。つまらないですね。
設計は面白いですが、物凄いストレスになりますね。計画が嫌いです。
予算も死ぬほどあれば、簡単ですけどね。
昨日なんて「800万円」で家が建ちませんか?って東京のディペロッパー
から電話がありました。近隣商業地域。もちろん準防火地域。
当然、準耐火。お前、小さな倉庫だって、そのくらい金が掛かるぞ!!
と、叱ってやりました。だって、予算が4300万円しかない人に土地を
3500万円で売りつけて、家は「多分出来る」からとペテンに掛けたって
言うんですから。呆れました。

雪を自然落下させるって決めたので、建物の形状が最初に考えていた
のと変わってしまうのを受け入れるのに3時間近く悩んだ、真面目な
建築家の勤労感謝の日でした。


  

Posted by アーバンギア at 15:08Comments(1)あれこれ

2017年11月22日

素敵なお誘い

最近まとめて迷惑メールが届くんですよ。

どこかで地雷を踏んだのでしょうね。

Finally I have got a change to write to you.
My name is Kseniya, i'm from Russia and now i'm living in USA :-)
I saw you first time on Facebook or Instagram, I don't remember,
but today seeing you again made me write to you:)
You look so sexy and at the same time very cute and smart,
just like my type.
Maybe we can talk? If you would like to know more about me,
please, email me.

と名前だけ変えて複数の「女性」から送られてきます。
これが本物だったら、痺れますよね。
特にYou look so sexy and at the same time very cute and smart
には痺れます。 just like my type...ああ言われてみたい...

エスキスが、まとまりません(T-T)

  

Posted by アーバンギア at 18:05Comments(0)あれこれ

2017年11月21日

暖かな美しい家

設計をしています。


久しぶりに住宅の計画に入りました。
何ともいえない「けだるさ」を感じますね、設計の初期段階には。
予算が限られていて、敷地が広い場合、これは、もう「同じ」
間取りになりますね。作家の「定番」って感じですかね。
かっこよく言えば「クリシェ」です。私が作った家だって、ひと目で
分かるような。まぁそんなに上手じゃないですけどね。

無理が通れば道理引っ込むと。

手を付け始めたのは秋田県の住宅。誰でも知っているように
寒くて雪が沢山降るところです。夏は自然風を利用して、
心地よく過ごせる様に配慮したいですが、冬は完璧に「工夫」が
必要ですね。基本は抑えたいのですが、昨今の傾向で施主が
「テクノロジー」に頼ろうとしますね。断熱材とか窓とか。
確かに悩みどころなんです。

自由な空間を作ってしまっては、建物の形状が間取りや
高さに支配されてしまいます。雪下ろしをするのか、しないのか。
それも重要な設計のポイントです。自然に落雪させるには屋根の
勾配も大きく必要ですし、配置の計画も重要ですね。

それでも「美しい」家にしたいです。それも施主が希望している
フォルムで実現して上げたいです。
しばらく「うつ」状態が続きますね(笑)



  

Posted by アーバンギア at 16:31Comments(0)建築

2017年11月20日

対岸の君

今朝、時間をつぶすために入ったファミレスで
「The water is wide」が流れていた。

インストだった。涙が止まらなくなってしまった。

最近の子供たちの成長が著しい。親としては
大変に嬉しい限りだ。大いに悩んで、自分で
答えを見つけ出して欲しい。受け売りの真理なんて、
足かせにしかならない。ただ。

あんなに小さかった子供たち。小川とも呼べないほどに
小さな流れを、はしゃぎながら飛び跳ねて渡っていたのに。
私の顔を確かめながら、流れに沿って、二人で笑って
歩いていたのに、いつの間にか流れは大きく、
対岸の君に話しかけるにも大声でも届かないようだ。

子供だけではない。妻も、あんなにも幼い、か弱い
優しい笑顔も、いつのまにか遠くの景色と同じに
なってしまった。私と私の大切な家族を乗せてくれる
大きな船が欲しい。向こう岸を不安に見つめているのは、
私の方だけだろうか。川を渡って行きたい。
愛しい人の傍へ。あのときの家族に会いたい。
もっともっと遠くへ行ってしまった、母にも会いたい。

薬を飲んだせいか、酷く眠くなったので車を止めて休んだ。
あんなに短い間に夢を見た。
向こう岸で大切な人たちが笑っている。次々に薄くなって
消えていってしまうのだ。
私は生きている。もう霞んで、よく見えない対岸の景色を
じっと見つめながら。


The water is wide, I can’t cross over
And Neither have I wings to fly
Give me a boat that can carry two
And both shall row, my love and I

川幅が広くて渡ることができません
私には飛ぶための翼もありません
ボートをください
二人を運んでくれるように
愛する人と二人で漕いでいきます

Oh, love is gentle and love is kind
The sweetest flower when first it's new
But love grows old and waxes cold
And fades away like morning dew

そう、愛は優しさ、そしていたわり
始まりの頃は最も甘美な花のよう
けれど愛にも老いが訪れ
そして冷たくなり
最後には朝露のように消えていくのです

There is a ship and she sails the sea
She's loaded deep as deep can be
But not as deep as the love I'm in
I know not how I sink or swim

船が海を渡っていきます
荷を積んで深く
これ以上にないほどに深く

でも私の愛の深さには及ばない
沈んでしまうのか
それとも泳いでいけるのか
私にはわかりません

The water is wide, I can’t cross over
And Neither have I wings to fly
Give me a boat that can carry two
And both shall row, my love and I
And both shall row, my love and I

川幅が広くて渡ることができません
私には飛ぶための翼もありません
ボートをください
二人を運んでくれるように
愛する人と二人で漕いでいきます

そう二人で...

※一部歌詞が変わっていますね。

※偶然見つけました。こちらの方にメッセージを送りませんか?



  

Posted by アーバンギア at 14:56Comments(2)あれこれ子育て

2017年11月16日

酷い間取り

人の揚げ足を取るのは好かないのだが...


新規のクライアントの「聞き取り」を行った。既に数社の住宅メーカーに
プランニングの依頼を出したようだった。毎度、感心するが「単線」
打ち合わせ用の「平面図」と「立面図」と「パース」だけの「設計図」と、
たったの一枚ほどに、まとめられた見積書で契約の話が出来るとは、
羨ましいと言うか、おみごと!!としか言い様がないのである。
本当に、この部分については感心する。
これが可能ということは、建物の「仕様」が完璧に出来ている証拠で
あるのだから。商品としての住宅なのだと改めて思うのだった。

実は、クライアントからHMが提案してきた間取りを送っていただいた。
酷いものだった。建築士なのか、資格というより最低でも間取りを
学んだことのある営業マンが書いたようには見えなかった。
このような図面と計画で家が、どんどん建っていくのが「当たり前」に
なってしまったのなら、確かに設計事務所に設計を依頼するのは
「もったいない」と捉えられても仕方がないと落胆した。

威張って言うわけではないが、威張って聞こえるだろう。でも私たち、
建築家が考える「間取り」や「ディテール」は、そこらへんの素人考えの
アイデアで作られたものとは「全く異なる」ものである。また、その必要が
あるのだ。じゃなきゃ我々の存在意義など全くなくなってしまう。
設計。とりわけ「間取り」は、本当に「センス」が問われる。
沢山の建築士が一斉に設計を始めても、似ている物が有っても、
全く同じものが出来上がる確立は非常に低い。実に面白い。

ここが大切なのだが。
実は間取りなどを考えるときに「施主の要望」に寄り添い過ぎることは
決して良い、優秀な建築を生み出す結果には繋がらないということだ。
相手は基本的には素人。二度も三度も普請したことが有ると言っても、
建築屋に勤めている人間の「場数」には遠く及ばないはずである。
自分が学んできたこと、経験してきたことを使い、総合的に判断して、
プランニングを、まとめることが「プロ」に与えられた使命である。

一点だけに拘っては優れたプランは出来上がらない。
様々な方向から検討して、「最も有効」なプランを、まとめなければならない。
それでも最終結果は「何通りか」存在するのだ。
だが、クライアントから送られてきたHMのプランは、それに遠く及ばない。
また今日は別のHMのプランを見る機会があった。
建築のポータルサイトでQ&Aが投稿された。そこには施主が主導して、
HMが書き上げた平面図が有った。酷かった。

HMは大変だ。そこに勤める営業マンは凌ぎを削っている。大変だ。
基本は「イエスマン」だ。私は、これについても、どうかと思う。
嫌、営業マンの方でなくて「施主」の方だ。確かに自分が金を出して、
自分のために作るのだから、自分が主導して何が悪いという意見は一見
まっとうに映る。だが今、言ったように「専門家」だから作ることが出来る
「計画」ってものが歴然と存在する。

いつも私が言っていることだが、間取り、つまりフロアプランは、エレベーションと
一緒にイメージしなければ絶対に駄目なのだ。HMのように「方眼紙」に
所要室を書き入れて、それを柱の位置も考えずにCADに入力し、PCに
自動設計させたような設計では、ろくな建築が出来上がらない。
人間が考えるのは、せいぜいが窓の位置や建材の種類と色だけでは、
いずれ「A.I」が人に取って代わって設計をするようになるだろう。

高断熱・高気密で設計をする前に「自然な風の流れ」を検討し、敷地と
環境を考慮した採光を得られるような「居室の配置」を考えなければ駄目だ。
人間は、シェルターで暮らしている訳ではないのだ。リビングも、でっかいTVを
中心にしてプランニングし、家具の配置も考えたようなものは、決して
豊かな空間を作り出しは、しないのである。
建築士は強くあれ!!!と私は思う。
施主を納得させるだけの力強い提案を出す努力を怠ってはならない。
これは、毎度毎度、私自身が自分に言い聞かせる「呪文」のようなものである。

※アパートの収益だけを考えた「出鱈目」な間取りを見ても、人の幸せを
守る一助になるのは「金」よりも「心」だなと毎度思う。



また豪雪地帯の設計依頼が、やってきた(T-T)  

Posted by アーバンギア at 16:12Comments(2)建築

2017年11月15日

働き始めました

一応、寝てばかりいられないので。

ああ...

あああ...  

Posted by アーバンギア at 14:35Comments(0)あれこれ

2017年11月14日

大分良いんですけどね。

良いんですかね、なんかボーっと終わりそうです。
ここは、じっと我慢ですな(T-T)

  

Posted by アーバンギア at 15:23Comments(0)あれこれ

2017年11月13日

またも寝込んでいます

きょうもダウンです。
いつになったら快調になるだろう...  

Posted by アーバンギア at 15:43Comments(0)あれこれ

2017年11月12日

多忙

今日は完全にアウトです。  

Posted by アーバンギア at 00:53Comments(0)あれこれ

2017年11月10日

森谷明子 日本画展 終わりますよ!!

友達の、あっ子ちゃんの展覧会に行ってきました。


やっと行けました。もうギリでしたね。
凄く良かったので、皆さんにも、お勧めしておきます。
12日の日曜までです。浜岡カントリークラブの
ホテル3Fです。バイパスを使えば早いです。近いです。
で、御前崎の美しい景色を見て、なんか美味いもんでも
食って帰ってきてください。感想、お待ちしておりまぁ~す!!







  

Posted by アーバンギア at 21:59Comments(0)あれこれ

2017年11月09日

頭髪検査

「頭髪検査」。
もう、その文字列からして「なんだそれっ?!」って感じですが。


日本人で「頭髪検査」と聞いて「しらみ」の検査や「傷み具合」を
検査することだと思い浮かべる人は皆無でしょう。
誰でも「髪の長さ」「髪型」「毛色」について「調べられる」と
思い浮かべるはずです。それくらい、日本では中学校、高等学校
時代に「まんべんなく」全ての国民が頭髪について「強制」させら
れるという経験を持っているのです。
考えてみれば、寒気がするほど「理不尽」だと思えてきます。

小学校では問題になりません。様々な髪形をした子供を見かけます。
髪を派手な色に染めている子供もいます。余りに長かったりすれば、
体育の授業に限らず、学校生活で危険を伴いますから、先生から、
「お子さんの髪を、もう少し何とかしてください」程度の意見は、
聞かれるだろうと思います。それが中学生になった途端に、
それまでの自由は一切無くなり、「基準」から外れた頭髪の状態を
「厳しく」指導し、制限します。これは概ね高等学校卒業まで続きます。
なぜでしょう。

小学校で頭髪検査を行わないのは「通達」が無いからです。
教育委員会からの通達が無ければ「校則」に定められません。
中学校では通達があるので定めている訳ですね。大きな枠で言えば
文科省がトップです。ですが、文科省が決めて通達はしません。
基本的には国公立は学校が立案して教育委員会が認めるといった
形だと思います。総轄するのが文科省ですね。
では「学校が決める」とは、何なんでしょう?

人が決めているに決まっています。学校で一番偉いのは「校長」に
決まっています。ですから校長が「やる」と言ったものが校則になり、
止めると言ったものは廃案になります。でも校長は、ある程度勤めれば
転勤になります。だから今現在、使用されている校則は「物凄く昔」に
作られたものであるということが殆どです。新しい学校でも、従前に
習って校則は作られます。つまり「どっかの」学校の校則です。
学校の校則に有りがちな「無難」な内容で作られるでしょう。
時々「勘違いした」校長や組織が「ドラスティック」な校則を作って、
完全な「ひとりよがり」をするようです。狂っていますね。

中学校や高校での頭髪検査は異常ですし「執拗」です。担当している
生活指導の教員は、どういった心境で検査を行っているのでしょう。
大変に興味をそそられます。あれくらいの執拗さがあってこそ、日本の
工業製品の高い品質は守られているということなのでしょうか。
国民性でしょうか...

今日は長くなりますよ。怒っているので(笑)
たった今「国民性」と書きましたが、本当を言うと「それも有る」と私は
考えています。日本人は「規律」を守ることが好きです。「規範」を作る
ことが好きです。そういった「ガイド」が無いと生きてゆけない、実に
「没個性」な国民性を持っています。「誰かが言ったから」ってのが
大好きな国民です。情けない...
ですが、この頭髪検査については「守らせたい側」と「受入れ難い派」が
「ハッキリ」と存在します。面白いです。

つまり校則そのものが時代に全く合っていないってことが問題なのでしょう。
第二次世界大戦終結直後に作られた「軍隊教育色」が強く残った校則を、
これまた「軍人」のような「イデオロギー」など全く気にしない、ただ
「上からの命令」を硬く守り抜くことが第一命題だと信じて勤めている
イカレタ教員が、下手をすれば人権蹂躙(じんけんじゅうりん)に値するような
指導という名の行為を日常的に行っているのです。

今書いた「人権蹂躙・人権侵害」について、きちんと向き合うことが
学校、校則、教員ともに必要なのです。今すぐにです。
もちろん生徒も保護者も、もっと言えば社会全体も「校則」について、
おざなりにしては、いけないのです。たったの6年間だから「我慢」すれば
良いと思っていては駄目なんです。それでは、世界に通用する人間は
育ちません。
文科省の告示にも「しっかりと」書いてあります。校則について精査することを。

近年、中学校及び高等学校における校則等の内容ならびに校則等にかかわる
指導の在り方をめぐって、学校の姿勢が、ともすると人間味ある指導に欠けたり、
社会の常識とずれ、生徒の自発性や自主性を尊重していないとの指摘がなされ、
校則等の見直しと指導の改善が求められてきた。


これは抜粋です。まさに人権侵害になっている状況が有ると文科省は
言っているのです。こちらを参照されたい↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19910410001/t19910410001.html

校則には法的な根拠が無ければ、ただの人権蹂躙になってしまう。
校則に関係する法的証拠を主張する学校側の論理には以下の三つが有る。

※特別権力関係論

※在学契約論

※部分社会論


この中で在学契約論とは高校や私立の学校で「盾」になるものであろう。
確かに金を払って行っている訳だが、「こっちの要求に従えないなら入るな」と
突き放されれば、はい御終いってことである。
今日は、特に考えてもらいたいのが「部分社会論」である。これは恐ろしい論理だ。

こいつは、学校ってのは「ひとつの社会」だから、法律や人権が犯されない限り
干渉するべきではないという論理だ。恐ろしい。これが最も学校という環境を
腐らせている論理なのである。頭髪検査は人権を侵しているに決まっている。
憲法13条「自己決定権」だ。
と言ったが、私は、こういった「解釈」によって意見が分かれるような法立論での
言い争いは求めていない。違うだろ?と素直に言いたい。

夕べ、目の前で勉強している娘に「アパルトヘイト」って何だっけ?と聞かれた。
う~ん、そんなことも知らないのかと少々落胆もしたが、もうアパルトヘイトも
昔の話になったのかなとも感じた。アパルトヘイトは誰もが知っているように
一つの人種差別の象徴であった。南アフリカ共和国で行われた政策だ。
白人と「それ以外の人種」とを明確に分けて、それ以外の人種に様々な「制限」を
課した。根拠は有る。だが、そんな根拠「人権侵害」以外の何ものでもない。
それを教える学校が平然と人権侵害を行うとは、全く受入れ難い矛盾では、
ないだろうか。

なぜ、ここまで憤っているのか、もうお察しの通り最近あった大阪府立懐風館高校に
通う女子生徒が髪を「黒く染める」ように強制され、うつ病にまでなって、登校する
ことが出来なくなった問題を受けてのことだ。実は、私の息子の通う高校での
頭髪指導も、恐ろしく「偏執的」だ。担当する教員によって、その度合いが変わる
ようなのだが、それも大問題だ。つまり法律のように「ガイド」となるものが、存在する
のだが、扱う教員によって「さじ加減」が有るということだ。これは大阪の高校の
女子生徒の問題と同じだ。もともと髪の色が茶色い人は物凄く大勢いる。
もう普通だ。

うちの子供も生まれたときは比較的みんな茶色だった。特に長女は赤い髪で
小学生の高学年ころから濃い栗色になった。末娘は、物凄く明るい茶髪だ。
もしも末娘が、このまま成長して「キチガイじみた校則」を持っている学校に通う
ことになれば、件の女子高生のように髪を黒く染めなければならないだろう。
恐ろしい。くせ毛の子供は「ストレートパーマ」を掛けさせる学校も少なくない。
馬鹿じゃねーのか?!
それじゃパーマを禁止した意味が無い、本末転倒だ。黒く染めるのも「染める」という
行為を禁止したことが無意味になる。教師の資質に「大きな」問題が有るのだ。

整理したい。
つまり大きな意味で言えば「自然な姿の維持」が校則を生んだ要因かどうかを
検証する必要が有るということだ
。無知で理解力の乏しい教員は、そんなこと考えも
しないであろう。もし教育学部に通ったものであれば、教育基本法に触れたときに
校則と法的根拠の関係について学んだはずであろうに。馬鹿が代弁と出席さえ
すれば単位が取れる学校を出て、免許だけは貰ったなんてものが、運よく職に
就いているっていう現実が露見した瞬間であるな。

結論から言えば、「自然な姿の維持」は目的ではない。
先ほども書いたように戦後すぐに、まとめられた教育基本法は軍隊教育色が
残っている。つまりは男子なら「丸刈り」こそ「潔い姿」で女子は「おかっぱ刈り」が
清潔だという固定観念で、それを堅持させるために校則に「髪型を定義」し、
それが守られるように「検査」を実施するという人権を無視した校則が出来上がった
という訳である。日本人は「気が小さい」。変革を求めないのではなく、「恐れ」る
国民性を持っている。髪型くらいで、教師たちは一体何を怖がっているのだろう。

私は一度だけ高校の生活指導の担当教員と口論したことが有る。
彼は、恐ろしく教養の無い人間だった。私の問いかけには「唯の一つも」的確な
回答をすることは無かった。似たような感覚になるときが有る。
それは役所の役人、警察官などと話したときだ。それらの人たちの「ロジック」は
漏れなく「法律」なのである。条例や法律など誰の目にも明確で明瞭なものでなければ
ならないものは、短文がゆえに、「解釈」が重要になる。裁判などの判例や告示など、
「積み上げ」て初めて、はっきりするものが大半なのである。


正直、この法律などを、やたらめった振りかざす人たちは「教養が浅い」人の
方が多い。つまり1例を挙げれば、その反対の例が存在するのが「事例」の
特徴であるのに、話している相手が「無知」であることを利用して、法律の
一面だけを突きつけて、相手を、ぐうの音も出せない状態に追い込むのである。
教員という「ひとつのくくり」で大勢の教職についている方を愚弄するようで、
本当は忍びないのだが、私の怒りはMAXなんである。以下に記事の抜粋を
載せる。参考記事は改めて参照されたい。

担任の先生に、「どこの血が入っていようが、なに人であろうが関係ない。」
「これは市の決まり。」「普通は黒髪で生まれてくる。」
「髪を染めてもらわなければ学校に来ては困る」と言われたんです。


https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/kurozome-kyoyo?utm_term=.ckmDmK6aG#.ueKNL7GPY

この方は、クォーターだそうです。

「普通は黒髪で生まれてくる」。ちょっと信じられない発言ですよね。
これを聞いたら普通の人は固まりますよね。完璧な「差別」ですよね。
同じ日本人。それも高等学校の教師... 駄目すぎでしょ。でもこんな輩な教員が、
あっちこっちにいるんです。なんで、こんなに駄目人間が学校には沢山居るんでしょう。
それは「相応しい」「適任」だからです。小学校を頂点に、中学校などの義務教育の
学校での勤めは「激務」です。ここまで書いてきましたが、学校という特別な「職場」は
正直「楽」な職場でもなければ、簡単な職業でもないです。私の友人にも
沢山、教員をしているものが居ます。教師の離職率は高いです。
軽い気持ちで入ってくるのでしょう。もしくは高い理想を持って入ってくるのでしょう。
ですが学校は「伏魔殿」です。生徒も保護者も同僚の教員も、もう普通の会社では
考えられないほど「面倒くさい」連中ばっかりでしょう。
そうなると、仕事を続けられるのは余程「神経が太い」人か「鈍感」な人ということに
なります。もうひとつ「従順」な人ってのが挙げられますね。

この従順な人ってのが最初の方で書いた、執拗に校則に拘るノンポリ教員だと言えます。
もっと大阪の高校の教諭や教頭の非難をしたいと思います。
彼らが、行った指導も鳥肌が立つほど問題ですが、最も非難されるべきは、
「発言が二転三転する」ことです。そして、裁判にまでなっているというよりも、
結審しなければ「謝罪はしない」という非人道的な態度です。
女子生徒は他校の生徒では有りません。自分の所の生徒です。それも教え子です。
知らない子供では無いのです。その教え子が心を病んでしまって、学校に
通うことすら出来なくなってしまった。あんたのせいで泣いている。
普通の人間だったら「ごめんね」と誤ります。どんな理屈があろうとも人を追い込んで
しまったら、自分の非を疑うべきです。裁判に影響するから言えないんですか?
それとも弁護士に止められていますか?でしょうね。
で、それに「従っちゃう」んですね。つまり、そういう事なんです。
先ほど書いた「従順」な人間が学校に残れるっていうことは。

疑問に思っても行動に移せない「弱い」人間が学校には多く勤めているんです。
大問題です。最近では、コンプライアンスの徹底というよりも「保身」のために、
「どうでも良い」文書をやたらに家庭や役員に送ってきます。「了解を得た」という
「形」を取っておく手法ですね。まぁこれの是非については線を引く場所が難しい
ので触れませんが、教師というよりは役人のようです。お役所仕事。

頭髪の問題に戻します。世界的に学校に校則が有るのは珍しいことでは有りません。
ですが、その殆どは「制服」であったり「喫煙」や「薬物の使用」「運転」など、社会的に
問題となることを多く網羅しています。一部の国では、カトリック系の学校では
髪形についても言及している国も有るようですが、「髪の色」について校則で
限定している国は、恐らく「日本」だけでしょう。他国の人に「髪の色を黒く染めろ」と
日本の学校では指導するんだというと「ギョッ」とされます。信じられないという事です。
だって、「色」は個性です。あからさまに「ちょんまげ」を結っているだとか、
パンクだとか、女子のスキンヘッドなどは、制限されている国もあります。
私も学校という限定的な社会で集団生活をするのなら一定の規則がなければ
運営が困難になると思っています。常識は理解できます。

しかし、髪の色は個人のアイデンティティーです。髪を染めては、いけないという
校則については理解を示すことが出来ますが、もともと持って生まれた色が
規則と違うから、色を染めろというのは完全な「人種差別」であり「暴力」です。
先ほど校則の成り立ちについて書きましたが、現代においては校則は
「自然な姿の維持」に努める趣旨に置き換えるべきだと思います。

パーマを掛けたり色を染めたり、奇抜な髪型にすることさえも自由にした方が
良いとも思います。個人的には好きじゃ有りませんが。でも校則が、どれほど人権蹂躙
かを表立って考えたとき、個人の選択権を侵害することが世界から、どれだけ遅れを
取っているかという根拠を付加してしまうと思うのです。頭髪について規範を設けない
ことの弊害を心配される意見が出ると思いますが、そんなもの全く根拠に乏しいです。
なぜなら中学に入るまでは「自由」で、大学に入れば、社会に出れば「自由」なのですから。
中学と高校の6年間だけを無理やり拘束しても、「日本社会」から冷たい目で見られては、
受け入れられないと困るからと指導しても、そんなもの「まやかし」でしかない事は、
誰の目にも明白なのです。それを無理やりに「教員の嗜好」に当てはめ、従わなければ
排除するなどとは、ファッショそのものじゃないですか?!

学校で働く人たちに、もっと常識的な人間であって欲しいと願うのです。
裁判官も同じく「法の番人」であると同時に「未来に向かって生きる人間」だと、
忘れないで居て欲しいと思うのです。たったの三つの「時代遅れの論理」に振り回されて、
「自己決定権」を、ないがしろにしないで貰いたいと願うのである。

この前、本屋で立ち読みをしたときに「縄文人と渡来人」についての記事を見つけた。
パラパラと捲っただけであったが、タイミングが良かった。
我々日本人の純粋な祖先は「縄文人」だと学校で教わった。そして弥生時代には
大勢の中国人や朝鮮人が日本にやってきたのだ。その時代のことを詳細に記した資料など
有って無いようなものだ。なぜなら日本は、自国に都合の良いように、なんでも書き換えて
しまう国だからだ。改めて学術的に検証する必要が有るだろう。
私たちが教わって、現在に至る学校教育の場では、渡来人が日本を席巻して、縄文人を
追いやり、日本を支配したとなっている。

だが、この説は少々懐疑的に見た方が良さそうだ。実際に殺戮があったかどうか、
それについては想像するしかないが、渡来人がもたらした「農耕」については、徐々に
広がりを見せている。つまりは先住民であった縄文人と大陸から渡って来た弥生人とは、
徐々に共存をする形を取っていったと考える方が自然だ。そのような痕跡を見せる遺跡が
発見されたことでも裏付けられる。だが、あたかも渡来人によって「侵略」され、先住民が
絶滅させられたかのような教育が行われている。それは、もしかして「中国」や「朝鮮」に
対して敵国感情を植え付けたいからでは、ないだろうかと勘ぐってしまう。

だが、実際に我々には弥生人の血と縄文人の血が受け継がれている。日本人において、
純潔の縄文人は、ゼロだ。先ほど大挙して押し寄せた中国人、朝鮮人と書いたが、
正式には、ロシアに有るバイカル湖の下位に暮らしていた今のモンゴル人が漢に
迫害されて日本に逃げてきたのだ。だが、この当時「国」というものは、まだ無かったに
等しい。民族という単位で存在していた。だから我々は、そもそもが混血人種であるのだ。
もっと言えば縄文人も混血だ。諸説有るが、人種は大別して「4つ」に分けられる。
日本人以外でも「人間」は大概「混血」なのである。だから、その容姿や肌や髪の色について、
限定的に「好ましい」とか「好ましくない」などと、教養の頂点に立っているような教員が、
恥ずかしげも無く断言するなどとは言語道断なのである。恥を知れ。

学校で教えているか、どうかは知らないが、渡来人の席巻は日本と「日本人」を
大きく変えていった。それは農耕という生き方だけでは無い。
それまで「狩猟」を中心とした生活は、家族と部落という単位で営まれ、長を中心とした
「静か」で「束縛されない」のどかな暮らしであった。だが、渡来人がもたらしたものは
高い生産性のための技術だけでなく、「国」という「人が人を支配する」というシステムを
日本に定着させたのである。

今から2万年以上も前から縄文人は日本で静かに暮らしていた。そこへ現れた渡来人は
わずか数百年で1万年以上も続いた日本を、すっかり変えてしまったのである。
「人が人を管理するというシステム」を使って。

国は必要だったのだろうか。私は考える。国の目的が「相互扶助」であるなら、
どうして髪を黒く染めろなどという校則や指導が行われるのが常識だというのだろうか。
最近では、感情のコントロールが付かずに、暴力行為や殺人にまで至る事件が
頻発している。社会問題だ。ルールを強制しても逸脱した行為をする者が後を絶たない。
なぜだろう。様々な要因が有るだろうが、共通するのは「理解不能」、つまり「不条理」だと
一方的に受け取っているからというものが挙げられると思う。

不条理だと感じるものがいたら、それは、やはり皆で検討する必要が有るだろう。
殺人はいけない。暴力はいけない。これは誰にでも簡単に理解できるだろうと妄信的に
なってはいけないのである。それらが明確明瞭に説明できなければ、ルールを行使しては
いけない。日本が崩壊しない限り校則という規則は無くならないであろう。
従わないものを従わせるときに強制的であった場合、これは暴力行為と同等なのだ。
無理強いは暴力なのだ。

想像してみて欲しい。縄文人の「そのときの気持ち」を。
林を分け入って大勢の人が集落にやってきた。手には何を持っているのだろう。
自分たちとは違う格好。肌の色、顔立ち、髪型。そのどれもが違っていて、
奇異に見えたはずだ。どんな気持ちがしたろう。怯えただろうか。言葉は通じたのだろうか。
どうやってコミュニケーションを図ったのだろうか。いきなり暴力で制圧したのだろうか。
力だけで席巻したのなら、どうやって交配出来たのだろうか。やはり武力だけで
統治して行ったとは考えにくい。で、あれば「自分と違った人」を受け入れていったのだ。
決して、その時代には「スタンダード」という発想は無かったのである。
だが、渡来人は持っていた。

我々が安定した豊かな国を持つことが出来たのは縄文人が持っていた「寛容さ」が
有ったからこそではないだろうか。そのDNAは、しっかりと受け継いでいるのだ。
縄文人は徐々に「支配的」になってゆく渡来人を見て、どんな感情を持っただろうか。
とても興味が有る。
だが、その御先祖様は弥生人と交わって、ひとつになった。今の我々だ。
所詮受け売りのスタンダード論ではないだろうか。何に固執しているというのだろう。
豊かに暮らすためには受け入れなければならなかったのだろうか。考えが止まない。
親としても子供を叱る時に自分の発言や行動が正しいのかと疑問に思う。
そもそも思想は正しいのかと感じるときも有る。
そんな時、やはり一つの「ガイド」となるのが「思いやり」である。子供にとって、有益である
と感じればこそ、様々な方法を模索して、しっかりと考えを伝えたいと思う。

大阪府立懐風館高校の指導教員と教頭に全く欠けていたのは、この「思いやり」
だったと言っていいだろう。生徒のためにすべきことが「丸っきり」抜けてしまっていた。
校則は刑務所の規則ではないのだ。囚人を管理するための規則ではないのだ。
子供に必要な規則は決して「管理しやすい」が目的であってはならない。
子供たちが健康で健やかに育ち、未来を牽引して行ってくれる、頼れる人になってもらう
為のものでなければならない。だらだらと学校に通っている教員には、真剣に
考えてもらいたいと切に願う。

怒りがこみ上げてくる記事はこちら↓
http://news.livedoor.com/article/detail/13858563/

※家内には恐らくユダヤ人の血が混じっていると思いますが、この馬鹿には
人間以外のものの血が混じっていると思います。



  

Posted by アーバンギア at 17:04Comments(2)あれこれ子育て

2017年11月08日

お休み

今朝起きたんです。
ちゃんと弁当も「1個」だけ作りました。
珍しく三男が頭が痛いといって学校を休みました。
三女も休み続けています。

机に座りましたが、もう目を開けていられないくらい
痛くて、座ったまま2時間以上寝てしまいました。
その後、ちゃんと布団に入って寝ました。
また頭痛が酷いです。胸が苦しいです。
息がし辛いです。喉が、半端なく痛いです。
もうちょっと横になります。そんな訳で仕事の連絡が
一切出来ませんでした。すみません。

声が出せないので、明日電話連絡します。
申し訳ありません。  

Posted by アーバンギア at 16:54Comments(0)あれこれ

2017年11月07日

別れ

最後の最後に慕ってくれて、別れが辛くなった。
頼りにしてもらえるって事が守って上げたいって
気持ちに火をつけて、心が通い合うんですよね。
さようなら。そしてありがとう。  

Posted by アーバンギア at 22:00Comments(0)あれこれ

2017年11月06日

情報の精査

いやぁ~イヴァンカさん、綺麗ですよね~!!!


ちょっと前にFacebookの投稿で「安倍首相がイヴァンカ基金に57億円支出」
なんて見出しに大炎上しました。私は、すぐさま「馬鹿じゃないの?!」的な
投稿をしました。もちろん、わめいている投稿者たちに対してです。

投稿で文句を言っている連中は「57億円もの税金を勝手に使うな」とか
「機嫌取りだ」とか「血税だぞ」とか「そんな金が有ったら復興に使え」とか、
まぁ大体が「無駄な金を外国のために使うな」という趣旨の投稿ばかりでしたね。
情けないと物凄く落胆しました。

まず57億円は個人から見れば途方も無い金額ですが、国家予算からすれば
かなりの少額です。小額とは言いません。57億円あれば出来そうなことが
沢山有りそうです。ですが、それも「個人レベル」で言えばです。
国家のプロジェクトであれば、57億円では、何も出来ないに等しいです。
それでも、無駄を省いて、少しでも予算を上げるだとか、国債の返済に使えれば
良いのですが。まず私が情けないと思ったのは、こういった「外国」に対しての
支出に、すぐに「自分たちが払った税金は自国のために使え」と喚く連中の
「あざとさ」が、さもしいと思えるのです。

「何に使われるのか」について全く「関心」を示しません。非常に残念です。
自国自国と喚きますが、国内においても福祉、それも「生活保護」などへの
支出にあっては、到底理解が有るとは思えません。まぁ血税だと喚く連中に
限って、ずいぶんと多額の所得税を納めているのだろうと想像は致しますがね。
今日は、そこに憤っている訳ではなく、今書きました「何に使われているのか」を
「自分で調べない」ことに怒りを感じ、また「危機感」を覚えている次第であります。

まず今回騒ぎになった「イヴァンカ基金」ですが、そんなものは「どこにも」
存在いたしません。毎日新聞の「偏向報道」のせいです。
「女性企業家資金イニシヤティブ」ってのなら有ります。言いだしっぺでは有りません。
確かに基金の立ち上げには関わりましたが、設立所である世界銀行の
プレスリリースには運営管理や資金調達には関与しないと、はっきりと書いてあります。
つまり立場上、外交をしながら集金するようなことは好ましくないと自身も周りも
ちゃんと分かっているという事です。
そもそも、この話は2、3日前に決まったことでは有りません。G20の開催中の
7月には日本は参加表明しており、5000万ドルの支援もアナウンスしております。
馬鹿か?!

税金税金と喚くが、歳出は、毎年「国会」で話し合って振り分けて予算をつける。
つまり降って湧いた「安倍のポケットマネー感覚」で出されたものではないのだ。
「自分で確認する」それから「発信する」ことが重要だ。
今日たまたま「ホリエモン」の大学を卒業する学生たちに向けて講演しているVを
FBで見ることが出来た。まっとうなことを言っていた。感動というより、まさに
「その通り」と思った。今や日本は完全な「インターネット社会」だ。誰もが「スマホ」を
持っており、いつでも、どこでも「情報」を知ることが出来る。そして肝心なことは、
その情報が「正しいのか」または「間違っているのか」ということを、更に自分の手で
調べることが出来るということだ。

様々な情報の中で「どれが正しい」のか「どれが間違っているのか」を判断する
分析能力が無ければ、これからの社会では生きてゆけない。
「当たり前」とはなんだろう?そもそも「当たり前」など存在していないのかもしれない。
自分が正しいと思って行動している、その殆どが「間違い」だとしたら、どうだろう?
恐ろしいことだ。真面目にとか、一生懸命にとか、「自分を疑わないで」生きていれば、
誰もが幸せに生活が出来るなどとは、全く根拠の無い世の中になってしまったと
いう事なんだと知って欲しい。

一方的な感情で、ネット上に投稿をしてしまったら、それが大きな波紋を呼んで、
もしかしたら、とんでもない世論の動きを作り出してしまうかもしれない。
言葉尻だけを捕らえて、感情的に物を言ってはいけない。冷静沈着で有って欲しい。
時々、私が言っている「形而上学の重要性」とは違う。情報は解析できる。
誰かが言ったことを、自分の目で確かめるのは限界がある。それを補うことが
出来るのが「ネットワーク」の利点だ。どうか、今から生きていく人たちは、情報を
確かめる習慣を身につけて欲しい。子供たちにも強く教えたいと思った次第です。




  

Posted by アーバンギア at 17:23Comments(0)あれこれ

2017年11月01日

セロトニン

先ほど帰宅しました。


夕飯も作り終えました。
偏頭痛が酷いです。
頭痛ってのは脳の血管が太くなって起きます。
あとセロトニンって物質が沢山出るせいで起きます。
で、なんで沢山出たり、太くなったりするんでしょうか。
もうなにもかも頭痛の種だからです(T-T)  

Posted by アーバンギア at 21:13Comments(0)あれこれ