2011年12月14日
クリスマス
もうじきクリスマスですね。
うんざりします。
私は日本人のクリスマス騒ぎが大っきらいですね。
年末の馬鹿騒ぎが大嫌いなんですよ。
そもそも馬鹿騒ぎが好きじゃないんですが。
昔は好きでしたよ。嫌、違うな。
馬鹿騒ぎをしたことがあるって感じですかね。
いつも「虚しさ」を感じるんです。
とくにクリスマスに関しては(騒ぎですね)「アホか?!」
と憤りさえ感じます。
何故か? 最近子供に話しました。
私がクリスマスが嫌いな理由。 「人が死ぬ」からです。
年の瀬になって「自殺」する人、一家で「心中」する人が
沢山出ます。この日を一つの「区切り」や「きっかけ」に
して死ぬ人が大勢います。必ず死にます。絶対に出ます。
これが嫌だからです。
馬鹿騒ぎの影に悲しみすら感じることが出来なくなって
死を選んでゆく人がいるのに、どうやって楽しく
過ごせっていうんでしょう。出来ません。憂鬱です。
この日ほど「人の明暗」が分かれる日もありません。
クリスチャンでもないものが「キリストの誕生日」を
祝ってどうするんでしょうか。まぁ祝いやしませんが。
「ミッション」って映画をご存知でしょうか。
クリスマスまでに家族で鑑賞したいと思いました。
我家ではプチオペラブームでして。
ジャッキー・エヴァンコのアルバムに収められている
「Nella Fantasia」って曲が秀逸な出来なんですが。
三女の瑶歌が「一番好きな曲」と言いましてね。
この曲は映画「ミッション」の中のインストルメンタルナンバー。
それはそれは感動する場面で使われる曲なのです。
未開の奥地に伝道のために訪れた宣教師が、笛で演奏して
言葉も通じない原住民と心を通じ合えるという奇跡を起こすのですが。
この元々インストだった曲に「詩」が付いたのには経緯があります。
あのサラ・ブライトマンが作曲者に「頼むから歌わせてくれ」と
使用許可を何度も手紙に綴って出したそうであります。
サラ自身は「あんまりしつこいんで呆れられて何も言わなくなった」から
歌うことが出来たと語っていますが。
まぁあれだけの歌手に「駄目」を出し続けたエンリオ・モリコーネも
余程の「理由」があってのことなのでしょうが。
オリジナルのサラの出来は完璧なものですが、先のジャッキーの
バージョンは「まさに天使の歌声」であります。
歌詞の内容も(イタリア語なので私には訳せませんが)天国の
事を歌っているので、正式に教会などでも歌われるように
なっているようです。素晴らしい内容の曲であります。
折角子供達がオペラや賛美歌に興味を持ったので、イエスの行いや
世界の実情を話して「クリスマスを祝える幸せ」を感じて欲しいと
思います。と同時に「豊かさ」の「本質」についても少しで良い、
本当に少しでも良いから理解して欲しいと考えています。
先だって次男の誕生日の日にダヴィンチ展へ行った帰りです。
本屋によってルーベンスの画集を見せてあげました。
フランダースの犬で有名になった絵も載っていました。
天上から沢山の天使がイエスを迎えに来ている絵ですね。
この絵を見ながらNella Fantasiaが聞こえてきたら、うっかり
死んでしまいそうです。想像しただけで涙が止まりません。
私は、まだ若かりし頃「神の千年王国」的な話で友達と
掴み合いの喧嘩をしたことがあります。
私が「戦争」も「争いごと」も「貧富の差」も無い世界が
力を合わせれば、人が理想の追求を止めない限り「この世」で
実現できるはずだと言い切ると「兄貴、本気でそんなこと思ってんの?!」
「出来る訳ないじゃん!!」「この世から戦争なんてなくならないよ」
「戦争で商売してるんだから」「仮想敵国がなきゃ平和なんて無いよ」と
連発されて(もっと多かったな)罵られたので、完全に切れましたね。
もうその時点で争っちゃってるんで、今思えば馬鹿みたいです。
でも私は嫌ですね。普通に飯食ってる時でも「餓死した子がいるな」
とか、酒を飲んでいる時でも「ワクチンが買えるな」とか考えて、
一日を台無しな気分にしています。
みんなで幸せに暮らしたい。そう思って「何が」いけないんでしょうか。
真水と塩水は「どの辺りから」混ざるのでしょうか。
人と人は「白か黒」でなくてもやってゆけると思うのですが。
ただ、いつも思うのは「信頼」出来る、「尊敬」出来る存在が
「偶像」ではなくて「人間」であって欲しいと思うのです。
Nella fantasia esiste un vento caldo,
Che soffia sulle città, come amico.
Io sogno d'anime che sono sempre libere,
Come le nuvole che volano,
Pien' d'umanità in fondo all'anima.
ネッラ・ファンタジア
空想の中で、私は正しい世界を見る
そこでは、すべてが平和で正直に生きている
空想の中で、澄んだ世界を見る
その世界では、夜もまた暗闇ではない
空想の中の町には
友達のような暖かい風が優しく吹いている
魂の夢は、空に浮かぶ雲のように、いつも自由で
心の底には人間味があふれている

娘が書いたジャッキー・エヴァンコちゃん。
年長さんが書いた絵ですよ?!親ばかですみません。
うんざりします。
私は日本人のクリスマス騒ぎが大っきらいですね。
年末の馬鹿騒ぎが大嫌いなんですよ。
そもそも馬鹿騒ぎが好きじゃないんですが。
昔は好きでしたよ。嫌、違うな。
馬鹿騒ぎをしたことがあるって感じですかね。
いつも「虚しさ」を感じるんです。
とくにクリスマスに関しては(騒ぎですね)「アホか?!」
と憤りさえ感じます。
何故か? 最近子供に話しました。
私がクリスマスが嫌いな理由。 「人が死ぬ」からです。
年の瀬になって「自殺」する人、一家で「心中」する人が
沢山出ます。この日を一つの「区切り」や「きっかけ」に
して死ぬ人が大勢います。必ず死にます。絶対に出ます。
これが嫌だからです。
馬鹿騒ぎの影に悲しみすら感じることが出来なくなって
死を選んでゆく人がいるのに、どうやって楽しく
過ごせっていうんでしょう。出来ません。憂鬱です。
この日ほど「人の明暗」が分かれる日もありません。
クリスチャンでもないものが「キリストの誕生日」を
祝ってどうするんでしょうか。まぁ祝いやしませんが。
「ミッション」って映画をご存知でしょうか。
クリスマスまでに家族で鑑賞したいと思いました。
我家ではプチオペラブームでして。
ジャッキー・エヴァンコのアルバムに収められている
「Nella Fantasia」って曲が秀逸な出来なんですが。
三女の瑶歌が「一番好きな曲」と言いましてね。
この曲は映画「ミッション」の中のインストルメンタルナンバー。
それはそれは感動する場面で使われる曲なのです。
未開の奥地に伝道のために訪れた宣教師が、笛で演奏して
言葉も通じない原住民と心を通じ合えるという奇跡を起こすのですが。
この元々インストだった曲に「詩」が付いたのには経緯があります。
あのサラ・ブライトマンが作曲者に「頼むから歌わせてくれ」と
使用許可を何度も手紙に綴って出したそうであります。
サラ自身は「あんまりしつこいんで呆れられて何も言わなくなった」から
歌うことが出来たと語っていますが。
まぁあれだけの歌手に「駄目」を出し続けたエンリオ・モリコーネも
余程の「理由」があってのことなのでしょうが。
オリジナルのサラの出来は完璧なものですが、先のジャッキーの
バージョンは「まさに天使の歌声」であります。
歌詞の内容も(イタリア語なので私には訳せませんが)天国の
事を歌っているので、正式に教会などでも歌われるように
なっているようです。素晴らしい内容の曲であります。
折角子供達がオペラや賛美歌に興味を持ったので、イエスの行いや
世界の実情を話して「クリスマスを祝える幸せ」を感じて欲しいと
思います。と同時に「豊かさ」の「本質」についても少しで良い、
本当に少しでも良いから理解して欲しいと考えています。
先だって次男の誕生日の日にダヴィンチ展へ行った帰りです。
本屋によってルーベンスの画集を見せてあげました。
フランダースの犬で有名になった絵も載っていました。
天上から沢山の天使がイエスを迎えに来ている絵ですね。
この絵を見ながらNella Fantasiaが聞こえてきたら、うっかり
死んでしまいそうです。想像しただけで涙が止まりません。
私は、まだ若かりし頃「神の千年王国」的な話で友達と
掴み合いの喧嘩をしたことがあります。
私が「戦争」も「争いごと」も「貧富の差」も無い世界が
力を合わせれば、人が理想の追求を止めない限り「この世」で
実現できるはずだと言い切ると「兄貴、本気でそんなこと思ってんの?!」
「出来る訳ないじゃん!!」「この世から戦争なんてなくならないよ」
「戦争で商売してるんだから」「仮想敵国がなきゃ平和なんて無いよ」と
連発されて(もっと多かったな)罵られたので、完全に切れましたね。
もうその時点で争っちゃってるんで、今思えば馬鹿みたいです。
でも私は嫌ですね。普通に飯食ってる時でも「餓死した子がいるな」
とか、酒を飲んでいる時でも「ワクチンが買えるな」とか考えて、
一日を台無しな気分にしています。
みんなで幸せに暮らしたい。そう思って「何が」いけないんでしょうか。
真水と塩水は「どの辺りから」混ざるのでしょうか。
人と人は「白か黒」でなくてもやってゆけると思うのですが。
ただ、いつも思うのは「信頼」出来る、「尊敬」出来る存在が
「偶像」ではなくて「人間」であって欲しいと思うのです。
Nella fantasia esiste un vento caldo,
Che soffia sulle città, come amico.
Io sogno d'anime che sono sempre libere,
Come le nuvole che volano,
Pien' d'umanità in fondo all'anima.
ネッラ・ファンタジア
空想の中で、私は正しい世界を見る
そこでは、すべてが平和で正直に生きている
空想の中で、澄んだ世界を見る
その世界では、夜もまた暗闇ではない
空想の中の町には
友達のような暖かい風が優しく吹いている
魂の夢は、空に浮かぶ雲のように、いつも自由で
心の底には人間味があふれている

娘が書いたジャッキー・エヴァンコちゃん。
年長さんが書いた絵ですよ?!親ばかですみません。
Posted by アーバンギア at 13:54│Comments(2)
│あれこれ
この記事へのコメント
私もクリスマスだと騒いでる人や番組をみてると、『馬鹿じゃない?!』と思います。
ただの妬みなのかもしれないけど…よくも浮かれていられるなぁ〜って、結構、冷めた目でみてます。
先日、『血が騒ぐ感じ』というタイトルでサラブライトマンの歌の事を書いたばかりだったので、名前をみた時、はっとしました。
ただそれだけです…

ただの妬みなのかもしれないけど…よくも浮かれていられるなぁ〜って、結構、冷めた目でみてます。
先日、『血が騒ぐ感じ』というタイトルでサラブライトマンの歌の事を書いたばかりだったので、名前をみた時、はっとしました。
ただそれだけです…


Posted by ゆみ at 2011年12月21日 01:48
ゆみさん:女性からのコメントは嬉しいですね。大変に。
携帯から長文でのコメント、重ねて嬉しいです。
きっと携帯メールの達人なんでしょうね。色つき文字で
コメント入れられるんですか?!コードもご存知?!凄いです。
携帯から長文でのコメント、重ねて嬉しいです。
きっと携帯メールの達人なんでしょうね。色つき文字で
コメント入れられるんですか?!コードもご存知?!凄いです。
Posted by アーバンギア
at 2011年12月21日 19:24
