2022年10月05日
有り得ない空間
まるで映画のセットなんですよ。
わざとなんです。レトロな家にしようって持ちかけました。
肌触りが良いとかじゃなくて、ナチュラルとかっていうテイストではなくて。
IKEAとかMUJIじゃないんですよねっていう。
全然、新しい日本人でも日本人ならDNAで分かるような、そういう
「質感」とか「ディテール」集めて物語を作りませんか?って
口説いたんです。即落ちでした(笑)
だってね。
お話を伺っていて、分かっちゃったんですよ。やってること違ってるなって。
間違っているとは言いませんけど、それでは満足しないだろうなって
私は思ったんです。
魚釣りが好きで、毎週のように岸壁に行ったり、防波堤にいったりして、
それどころか、時々、船釣りまでしているのに、釣れるんだけど、
なんか違うんだよっていう。渓流ですね。
魚釣りですよ。両方とも。でも全然違う。
水彩と油彩も全然違う。絵を描くってことだけです同じなのは。
住宅の建築って、モダンだろうが純和風だろうが洋風だろうが、みなさん、
「住む」ってことだけしか考えていないですよね。拘りって言えば
「性能」「設備」「間取り」って感じじゃないですか?せいぜいが「テイスト」
なんですよね。私は最初の3つは当たり前で「それ以外」のデザインテイストを
死ぬほど大切にしてる建築家なんです。
性能って言えば「断熱」に尽きますね。耐震なんかは基準法が
大きなファクターになっているので、「余分」な感じで性能をアップしたけりゃ、
やっぱ断熱性能でしょうかね。そんで、設備なんでしょうが、これも
突き詰めれば、煮炊きが出来て洗い物に困らない、風呂に入れて
便所が使えりゃ、正直十分ですよ。
間取りにしたって、寝て飯が食えれば基本的な暮らしは間に合うし、
収納も言い出せばキリがないので必要にして十分な広さが有ればいい。
むしろ収納はでっかいのを作るより、分散させていくつもあった方が良い。
「箪笥」を上手に使うべきだ。
そもそも箪笥が有った方が部屋らしくなる。
なんでもかんでもクローゼットじゃ寂しい。建具のせいで部屋が狭くなる。
まあ良い。
今やっている袖ケ浦の家は現代の常識からは懸け離れた設計だ。
いや、そうでもないかな。
耐震性能は酷く上げて設計した。
しかしそれ以外の断熱性能なんかは「あきらめ」でやっている。
みんな間違っているが、建物の熱損失は屋根や壁なんかじゃない。
圧倒的に「ガラス」からの出入りで決まる。窓が有れば熱は奪われ、そして
侵入してくる。
私は天気が良くても悪くても、暑かろうが寒かろうが、朝起きて家じゅうの
窓を全開にして家の空気を入れ換えたい口だ。
だから間取りは大切にしている。湿気た空気を入れて溜め込んだのでは
居心地が悪くなる。ある程度は空調に頼るしかない。
しかし風通しが良ければ、とにかく新鮮な空気を家の中に呼びたいじゃないか。
窓は大切な要素だ。
性能だけの問題ではない。「顔」なのだ。
窓は家の表情を作る大切なファクターだ。人によっては断熱性能よりも
表情の方が大切になる。なぜなら窓を「締めるもの」と考える人と「開けるもの」
と考える人とでは思考が真逆になるからだ。
袖ケ浦の住宅は、れっきとした和建具とアメリカンビンテージの建具とが
共存している。各部の納め方もルールを守ったり、そうでなかったり。
それらしいレトロ感があるのに、全然そんなもの歴史上に存在しない
アイテムや納まりだったりする。まさに「夢の中の世界」のようだ。
きっとそれが必要なんだと思ったのだ。
人の夢ってのを一言で表しても適切で無いと私は思う。
「こうだったら良いな」の夢ではなくて、まさに寝ているときに見る夢のことだ。
私は夢をかなえて差し上げる建築家ではないと思っている。
本当の意味で夢の中にいたあなたを現実の世界で再現してあげたいと、
そう思って設計をする変わった建築家なのである。

わざとなんです。レトロな家にしようって持ちかけました。
肌触りが良いとかじゃなくて、ナチュラルとかっていうテイストではなくて。
IKEAとかMUJIじゃないんですよねっていう。
全然、新しい日本人でも日本人ならDNAで分かるような、そういう
「質感」とか「ディテール」集めて物語を作りませんか?って
口説いたんです。即落ちでした(笑)
だってね。
お話を伺っていて、分かっちゃったんですよ。やってること違ってるなって。
間違っているとは言いませんけど、それでは満足しないだろうなって
私は思ったんです。
魚釣りが好きで、毎週のように岸壁に行ったり、防波堤にいったりして、
それどころか、時々、船釣りまでしているのに、釣れるんだけど、
なんか違うんだよっていう。渓流ですね。
魚釣りですよ。両方とも。でも全然違う。
水彩と油彩も全然違う。絵を描くってことだけです同じなのは。
住宅の建築って、モダンだろうが純和風だろうが洋風だろうが、みなさん、
「住む」ってことだけしか考えていないですよね。拘りって言えば
「性能」「設備」「間取り」って感じじゃないですか?せいぜいが「テイスト」
なんですよね。私は最初の3つは当たり前で「それ以外」のデザインテイストを
死ぬほど大切にしてる建築家なんです。
性能って言えば「断熱」に尽きますね。耐震なんかは基準法が
大きなファクターになっているので、「余分」な感じで性能をアップしたけりゃ、
やっぱ断熱性能でしょうかね。そんで、設備なんでしょうが、これも
突き詰めれば、煮炊きが出来て洗い物に困らない、風呂に入れて
便所が使えりゃ、正直十分ですよ。
間取りにしたって、寝て飯が食えれば基本的な暮らしは間に合うし、
収納も言い出せばキリがないので必要にして十分な広さが有ればいい。
むしろ収納はでっかいのを作るより、分散させていくつもあった方が良い。
「箪笥」を上手に使うべきだ。
そもそも箪笥が有った方が部屋らしくなる。
なんでもかんでもクローゼットじゃ寂しい。建具のせいで部屋が狭くなる。
まあ良い。
今やっている袖ケ浦の家は現代の常識からは懸け離れた設計だ。
いや、そうでもないかな。
耐震性能は酷く上げて設計した。
しかしそれ以外の断熱性能なんかは「あきらめ」でやっている。
みんな間違っているが、建物の熱損失は屋根や壁なんかじゃない。
圧倒的に「ガラス」からの出入りで決まる。窓が有れば熱は奪われ、そして
侵入してくる。
私は天気が良くても悪くても、暑かろうが寒かろうが、朝起きて家じゅうの
窓を全開にして家の空気を入れ換えたい口だ。
だから間取りは大切にしている。湿気た空気を入れて溜め込んだのでは
居心地が悪くなる。ある程度は空調に頼るしかない。
しかし風通しが良ければ、とにかく新鮮な空気を家の中に呼びたいじゃないか。
窓は大切な要素だ。
性能だけの問題ではない。「顔」なのだ。
窓は家の表情を作る大切なファクターだ。人によっては断熱性能よりも
表情の方が大切になる。なぜなら窓を「締めるもの」と考える人と「開けるもの」
と考える人とでは思考が真逆になるからだ。
袖ケ浦の住宅は、れっきとした和建具とアメリカンビンテージの建具とが
共存している。各部の納め方もルールを守ったり、そうでなかったり。
それらしいレトロ感があるのに、全然そんなもの歴史上に存在しない
アイテムや納まりだったりする。まさに「夢の中の世界」のようだ。
きっとそれが必要なんだと思ったのだ。
人の夢ってのを一言で表しても適切で無いと私は思う。
「こうだったら良いな」の夢ではなくて、まさに寝ているときに見る夢のことだ。
私は夢をかなえて差し上げる建築家ではないと思っている。
本当の意味で夢の中にいたあなたを現実の世界で再現してあげたいと、
そう思って設計をする変わった建築家なのである。

Posted by アーバンギア at 19:29│Comments(1)
│建築
この記事へのコメント
夢の世界が現れたらとんでもないです
産みの苦しみもありましょうが、避けては通れないですね
完成を祈念しております
産みの苦しみもありましょうが、避けては通れないですね
完成を祈念しております
Posted by ゆうや at 2022年10月08日 17:51