2016年01月29日
しらけ世代
私は1963年生まれ。 俗に言う「しらけ世代」だそうな。
ただ、この「しらけ世代」、大変に幅の広い年代を
総称して言っているようだ。
簡単に言ってしまえば、「団塊の世代」以降で60年代生まれ、
よく言った「新人類」という世代までを言うらしい。
団塊の世代は昭和の22年から24年(説によっては26年)
くらいまでの「ベビーブーム」という間に生まれた
人たちのことを言う。
驚くことに24年の法改正まで堕胎は刑法で禁止されていた。
従って敗戦後、想像に易い理由で子供は沢山生まれることになる。
それは恐ろしい数の子供だ。
非常に「雑に」扱われた世代である。
政府の方針も滅茶苦茶だった。
「金の卵」なる言葉も誕生した。この団塊の世代の大学
進学率は、せいぜい20%程度だったらしい。
のちに経済的な理由も手伝って出生率は激減したと言われているが、
私は決定的な理由は違うところにあると思っている。
団塊の世代の「雑さ」加減に疑問を持った人が多く
いたのではないかと想像している。
団塊の世代の親の多くは大正世代だろう。
1950年代の前中期に生まれた世代は学生運動に参加したという
人は相当に少なくなっているだろう。また共通一次試験を
経験していないという人たちでもある。
「争う」必要が無い世代だったとも言って良い。
もちろん広義の意味で争う必要が無かったと言っているのだが。
自由で「ノンポリ」だなんて言われた世代だ。
ベビーブームの煽りで「一人っ子」なんて人も多かったはずだ。
一人っ子は家庭内で争う必要が無い。兄弟がいない分、
「勝ち取る」という習性が希薄だ。またよく言われる「短気」で
「わがまま」な一面を持っている子供が多いように感ずる。
親が相当に厳しく躾けても、やはり「摩擦」の少なさでは
団塊の世代に比べれば、頭抜けている。
したがってコミュニケーション能力が低い人が多い。
基本的に世論が「まぁいいじゃん」な具合だったのだから、
そこへ持ってきて、わざわざ波風を立てながら生きる人ってのは
圧倒的なマイノリティだった訳だ。
だが、この「まぁいいじゃん」世代は現代になって問題を
抱えている人が少なくない。
この数年で定年退職を迎えた、迎える人たちだ。
60歳前後の人たちは会社内、家庭内で、どのような生き方を
してきたのだろうか。十把ひとからげでは言えないのは
承知なのだが、私が社会に出たての頃の「先輩」たちは、
テキトー感に溢れていた。
バブルも「ど真ん中」で経験している人たちだ。
私はバブルの最盛期の時には小僧だったが、30歳くらいの
「金」もある「ポジション」もある人たちが世間を席巻していた。
まぁ相当に遊んだのだろう。
この世代の問題は「なんとかなった」っていう幻影に
しがみついたままだっていう事だ。子育てや夫婦関係においても、
この「なんとかなるだろ?」みたいな思考が蔓延していた。
不倫も大流行させた年代だ。「積木くずし」も流行った。
家庭崩壊なんてものも流行らせた年代だ。
これらを見るにつけ、やはり「なんとかなるっしょ」、
「テキトー」な感覚で生きてきた人が多かったと感じさせる。
さて、その遊びの達人たちが「仕事」を失う。
バブル景気を作ってきた人たちだ。とにかく働いて、
とにかく遊んだに違いない。仕事に没頭するあまり、
夜遊びに没頭するあまり、家庭を顧みず、そして真の友人も
作らず生きてきた人たちが、仕事と会社を失って、
どこへ向かってゆくのだろう。
自分を十分に見つめる時間が手に入るのだ。
これまでの人生を振り返って、焦燥感に支配され、我が身を
苛むことになりはしないだろうか。
この考察は大切だ。
私自身の身の振り方というより、子供たちが巣立ってゆくときに
送ってあげたい言葉を模索しているからだ。
しらけ世代は、決して、しらけてなんかいられないのである。
しらけ世代は浦島太郎状態だ。
この複雑化した現代社会のサイバースペースに居場所は、あるだろうか。
私は、今さら社会に「迎合」させる必要なんてないと考えている。
それよりも、これまで勝ち得なかった「コミュニケーション能力」と
「真摯な情熱」こそが、余生を豊かにさせる最も大切なツールだと
思えてならないのだ。



手始めに、このくらいのアホウとコミュニケーションの
練習をすると良いです。
ただ、この「しらけ世代」、大変に幅の広い年代を
総称して言っているようだ。
簡単に言ってしまえば、「団塊の世代」以降で60年代生まれ、
よく言った「新人類」という世代までを言うらしい。
団塊の世代は昭和の22年から24年(説によっては26年)
くらいまでの「ベビーブーム」という間に生まれた
人たちのことを言う。
驚くことに24年の法改正まで堕胎は刑法で禁止されていた。
従って敗戦後、想像に易い理由で子供は沢山生まれることになる。
それは恐ろしい数の子供だ。
非常に「雑に」扱われた世代である。
政府の方針も滅茶苦茶だった。
「金の卵」なる言葉も誕生した。この団塊の世代の大学
進学率は、せいぜい20%程度だったらしい。
のちに経済的な理由も手伝って出生率は激減したと言われているが、
私は決定的な理由は違うところにあると思っている。
団塊の世代の「雑さ」加減に疑問を持った人が多く
いたのではないかと想像している。
団塊の世代の親の多くは大正世代だろう。
1950年代の前中期に生まれた世代は学生運動に参加したという
人は相当に少なくなっているだろう。また共通一次試験を
経験していないという人たちでもある。
「争う」必要が無い世代だったとも言って良い。
もちろん広義の意味で争う必要が無かったと言っているのだが。
自由で「ノンポリ」だなんて言われた世代だ。
ベビーブームの煽りで「一人っ子」なんて人も多かったはずだ。
一人っ子は家庭内で争う必要が無い。兄弟がいない分、
「勝ち取る」という習性が希薄だ。またよく言われる「短気」で
「わがまま」な一面を持っている子供が多いように感ずる。
親が相当に厳しく躾けても、やはり「摩擦」の少なさでは
団塊の世代に比べれば、頭抜けている。
したがってコミュニケーション能力が低い人が多い。
基本的に世論が「まぁいいじゃん」な具合だったのだから、
そこへ持ってきて、わざわざ波風を立てながら生きる人ってのは
圧倒的なマイノリティだった訳だ。
だが、この「まぁいいじゃん」世代は現代になって問題を
抱えている人が少なくない。
この数年で定年退職を迎えた、迎える人たちだ。
60歳前後の人たちは会社内、家庭内で、どのような生き方を
してきたのだろうか。十把ひとからげでは言えないのは
承知なのだが、私が社会に出たての頃の「先輩」たちは、
テキトー感に溢れていた。
バブルも「ど真ん中」で経験している人たちだ。
私はバブルの最盛期の時には小僧だったが、30歳くらいの
「金」もある「ポジション」もある人たちが世間を席巻していた。
まぁ相当に遊んだのだろう。
この世代の問題は「なんとかなった」っていう幻影に
しがみついたままだっていう事だ。子育てや夫婦関係においても、
この「なんとかなるだろ?」みたいな思考が蔓延していた。
不倫も大流行させた年代だ。「積木くずし」も流行った。
家庭崩壊なんてものも流行らせた年代だ。
これらを見るにつけ、やはり「なんとかなるっしょ」、
「テキトー」な感覚で生きてきた人が多かったと感じさせる。
さて、その遊びの達人たちが「仕事」を失う。
バブル景気を作ってきた人たちだ。とにかく働いて、
とにかく遊んだに違いない。仕事に没頭するあまり、
夜遊びに没頭するあまり、家庭を顧みず、そして真の友人も
作らず生きてきた人たちが、仕事と会社を失って、
どこへ向かってゆくのだろう。
自分を十分に見つめる時間が手に入るのだ。
これまでの人生を振り返って、焦燥感に支配され、我が身を
苛むことになりはしないだろうか。
この考察は大切だ。
私自身の身の振り方というより、子供たちが巣立ってゆくときに
送ってあげたい言葉を模索しているからだ。
しらけ世代は、決して、しらけてなんかいられないのである。
しらけ世代は浦島太郎状態だ。
この複雑化した現代社会のサイバースペースに居場所は、あるだろうか。
私は、今さら社会に「迎合」させる必要なんてないと考えている。
それよりも、これまで勝ち得なかった「コミュニケーション能力」と
「真摯な情熱」こそが、余生を豊かにさせる最も大切なツールだと
思えてならないのだ。



手始めに、このくらいのアホウとコミュニケーションの
練習をすると良いです。
Posted by アーバンギア at 14:47│Comments(2)
│あれこれ
この記事へのコメント
わぁ~~、奥様の益々のファンになってしまいましたぁ~~(#^^#)
子供たちが巣立ってゆくときに送ってあげたい言葉を模索・・・
うん、もちろん・・・
「俺の生き方をトレースする以上の人間になるように‼」なのかな??
私はアーバンギアさんの生き方って、とても格好いいなと思ってますよ。。
まだまだ、夢を追いかけてもいいご年齢です。
私は、最初の頃からのブログ殆ど観ましたが(殆ど忘れちゃいましたが・・・(*´ω`*)印象に残っていることがたくさんありますよ。)文筆の分野もいいのかな??な~~んて思っていたりして。。。
もちろん建築家としての大義を果たしてからね(^^)/
大変、失礼をば。。。
子供たちが巣立ってゆくときに送ってあげたい言葉を模索・・・
うん、もちろん・・・
「俺の生き方をトレースする以上の人間になるように‼」なのかな??
私はアーバンギアさんの生き方って、とても格好いいなと思ってますよ。。
まだまだ、夢を追いかけてもいいご年齢です。
私は、最初の頃からのブログ殆ど観ましたが(殆ど忘れちゃいましたが・・・(*´ω`*)印象に残っていることがたくさんありますよ。)文筆の分野もいいのかな??な~~んて思っていたりして。。。
もちろん建築家としての大義を果たしてからね(^^)/
大変、失礼をば。。。
Posted by simo
at 2016年01月30日 22:19

空疎しか感じられないのは自分のせいか?実を求めて山に登った様に見える。形は何かを主張している様なラッピング模様だが箱は空箱である様だ。一体何を求めているのか?イッパシの者と認められたいのは分かるし批判はしないが 比重が外箱に傾き過ぎている。一般人じゃないんだよ俺たちは感?子供達が一番分かっているはず
Posted by a at 2016年02月14日 10:27