2023年07月29日

意識の中の空間

隅田川の花火大会ですね。


梅雨明け後は殆ど全く天気が崩れません。凄いです。
山では1回だけ「夕立」というか「ゲリラ豪雨」的に短時間だけ
降雨が有りましたが。あとは非常に過ごしやすく、夜になると
肌寒いくらいの毎日です。
こんなに過ごしやすい夏は何年ぶりでしょうかね。
10年近く無かったかもしれませんね。

今日は「なんとなく」仕事が終わったというか「区切り」が
付いたような日になりました。終わった訳じゃないんですよね。
現在進行形で3つくらい仕事をやってるんですが、珍しく
「いっぺんに」「次の段階」に進む感じになって。

結構いつになく「真面目に」コツコツと毎日仕事をしたので、
順当に片付いて行きましたね(笑)私は働かないので、
諸々溜まって行ってしまうんですよ。別に威張って言う訳じゃ
無いんですけど、力仕事じゃないんで「努力」とか「頑張る」
とかってのが出来ないんですよね。仕方が無いです。
「作業」的な時間も「要素」も殆ど無いですからね。設計屋は。
考えるのが「基本的な」仕事ですからね。

思考するのに「妨げ」になることは出来ませんし、
問題から逃げたり向かって行ったりと「加減」も絶対に必要な
仕事です。申請業務とか構造設計とかは正直「馬鹿楽」だと
私は思ってますね。
殆ど「考える」って必要ないですから。
それこそ「頑張る」が効きます。頑張れますよね。

設計やってて一番ストレスになるのは「出来ないこと」です。
もうどうしようもない。どうにもならないってやつです。
2大「どうにもならない」の定番は「金」と「広さ」ですね。
なにするったって金が無きゃ始まりませんからね。予算ですよ。
「いくらで」って言われちゃ、もう「出来そうなこと」を思いついても、
無理だよねってなりますからね。

キャリアを積めば積むほど「先が見える」ようになりますから、
歳を取った人間の「口数」が少なくなるのは当然だよなって、
最近凄く思うようになりました。
年寄りは喋らないですよね。そういうことなんですよね。

私は「往生際」の悪い人間です。往生際っていうか、自分の
ことを無知で浅はかな人間だと思っているので「もしかしたら」
とか「俺が知らないだけかもしれない」とかって、ガチで
思っちゃうんですよね。何とかしようとしてしまう。
だから凄く時間が掛かるし、ストレスも凄まじくて。

今週は新築のプランとリフォームのプランを完成させました。
もう完璧です。プランが完璧なんじゃなくて私の仕事の
「プロセス」が完璧に終了したって意味です。
私の「もしかしたら」っていう「総当たり戦」みたいな試行錯誤を
経た後に出来上がったプランですから、もう私には、やり残した
ことはありません。これ以上良くなる可能性が有るとしたら、
それは、もう「別の人」が設計をやるしかありません。
今日は受注前のクライアントにも「そのように」お伝えしました。

私は年中、設計をやっていますが、一般の住居を作ろうとする
方々にとっては「一生に一度」の大事業な訳です。
だから「悔い」が残るような選択をして頂きたくないし、
良い事業だったと思って頂きたいと強く願っています。
そりゃもちろん自分が「一番良い」と思って仕事をしていますが、
選択をするのは、クライアントです。
これも縁なのです。

私は20坪にも満たない戸建ての設計をする時も3階建ての
集合住宅を設計する時も「脳内」で設計をやっています。
PCを使って、縮尺は1/100で配置計画からやりますが、
「そのスケール」で設計をやっていません。脳内です。
だから無限に広く、限りなく狭苦しい空間を感じながら
プランニングを行えるんです。

素人の方は平面図を「真上」から見て、「余白」を見ます。
そうです「余白」しか見ていないと言っても過言ではありません。
だから誤魔化そうとするHMの営業や設計担当は家具の
縮尺を出鱈目に小さくしてレイアウトして「嘘」をつきます。
8畳間にTVを置いてソファを置いたら、図面で見ると随分と
狭い空間だなって思うものですよ。

確かに広くは無いです。
でも仕方のないことなんです。予算も有るし、それこそ
集合住宅のリフォームであれば、もう「決まった」条件に
縛られながらの試行錯誤は避けられません。
だから私は基本的には広く見せるとか「小手先」のテクニックで
空間を広げるみたいなことはしません。
TVでタレントがやっているリフォームなんかですね(笑)
実際には使えない。

それでも。
「近く」にいて欲しい存在や、近くに置いておきたいもの、
それから近くで感じていたい「感覚」ってものが絶対に有ると
私は思っているんです。
だから、それらを上手に並べれば狭いんじゃなくて「近い」
「居心地が良い」「包まれた」空間になると考えているんです。

私が大切にしているものは勿論「余白」なのですが、
言い換えると「暗がり」なんです。
見えるから狭いんです。見えなければ、その先は「意識」の
中の存在になるんです。
私の設計は夜になって初めて体感することが出来ると思います。

私は毎度思います。
狭小住宅は広く作っては意味がない。狭いからこそ存在する
意味も価値も有るんだと、変わり者である自覚と常識人を
演出したい自分との戦いに明け暮れる毎日なのです(笑)

意識の中の空間
時々家じゅうの灯りを消してランプの灯りで夕飯を食べます。
音楽も流しません。広い家で独りぼっちで飯を食うのが辛くて
始めたことなんですが、この闇はむしろ広く感じてしまいます。
外では鹿が草を食む音がしています。虫も鳴いています。
なんとなく夏の終わりを感じるようになりました。


建築家 本多 信章さんの家づくりプロフィール

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Posted by アーバンギア at 22:33│Comments(1)建築
この記事へのコメント
そうか。ライトですね。
うちは天井と壁にスポットライトみたいのだけで
空間に深みがないようです。
寝室スタンドライトを買おうかな?
Posted by こばたまこばたま at 2023年07月30日 10:23
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    コメント(1)