2019年04月07日

巣立ち その2

昨日、次男も家を出て行きました。


長男のときと違って、情緒的な別れは皆無に等しかったです。
ただ。
それは、「客観的」というか、外から見ればというか、
掻い摘んで流れを言えば、そうなるってだけです。
親としては、子供が大きな荷物を抱えて去っていく後姿を
見送るのは、やはり例え様の無い空しさを感じるものでした。

次男は去年の春、高校を卒業して地元企業に就職しました。
地元では有名な会社の関連会社です。関連会社ですが、
まぁ同じ会社です。待遇なども同じです。ちょっと考えられない
待遇でした。静岡で働いている人ならば、大抵の人は羨む
高待遇だと思います。家内も息子と同じ会社で働いていました。

ただ、高待遇では有りましたが、仕事内容は決して息子が
思い描いていたようなものでは有りませんでした。大企業という
ものは、そういった「仕方の無い」仕事を受け持つ人材も
多く必要です。大勢の人たちが互いを支えあって企業として
成り立っているのです。どうして息子が採用されたのかは
分かりませんが、今となっては「どうして」その会社に入ったのかも
分からなくなってしまいました。やはり子供には「目的」を持って
働くという「ビジョン」が見えにくい、持ちにくいということでしょう。

息子は、この春から服飾系の専門学校に通うことになりました。
息子が洋服に興味を持つようになったのは高校一年生くらい
からです。多くの子供たちが「オシャレ」に気を使う、感心を
持つようになる年頃です。まぁ普通のことです。
私もオシャレには強い関心がありました。小学校の5年生くらい
だったでしょうか、ファッションデザインに強い興味を持って、
デザイン画などを一生懸命に描いていました。将来は、ファッション
デザイナーになりたいと作文に書いた事も有ります。
そんな話をする前から、息子は、デザイナーになりたいと言い出した
のですから、これは正に蛙の子は蛙というやつです。

息子が学校に内緒でバイトを始めたのも「服を買いたいから」って
理由です。彼女も出来ましたが、友達と遊びに行っても食事代など
にお金を使うことは限りなくゼロに近かったと思います。
友達のクーポンまで利用してマックでポテトだけを「ただ」で食べて
良しとして来たなんて数えたらキリが有りません。ちびちび小遣いを
せびっていきましたが、息子がファッションに興味を持ったことが
私には痛快で、ついつい服を買ってあげてしまったり、私の「お古」を
出してきて、サイズが合えば着れば良いと渡していました。

息子は「しつこい」程にファッションの質問を浴びせかけてきました。
発達障害の特徴ですかね。一度、興味が湧くと止まらなくなります。
何度も同じことを聞いてきます。偏執的になって、デザイナーの
名前だけでなく、その生い立ちや出自まで。ブランドの起源や、
それらのマーケティング、社長の年収にまで興味を持ちます。
実は私も服飾に関しては結構な知識があったので、息子のQに対して
直ぐにAを出せるという関係が、益々息子の服飾への関心を煽って
いったのかもしれません。
では、なぜ息子は高校卒業と同時に専門学校に行かなかったのでしょう。

それには、いくつか理由があります。これも私の過去と類似しています。
息子には交際していた彼女がいました。高校生くらいの恋です。
一時も離れていたくは無かったんだと思います。我が家の経済状況も
進路を考える上で大きな要因になったと思います。高校生くらいの頃は
口も重くなります。親を気遣ってということもあったでしょう。
年がら年中、金の無い騒ぎをしている我が家です。とても専門学校に
通わせてくれとは言えなかったのかもしれません。奨学金という手も
有ったのですが、それは「借金」だと息子は考えていたようです。
勿論そうです。

奨学金は将来の自分への投資です。最初から無駄になると思ったら、
それは無駄遣い。下らない時間つぶしのための金。借金になるだけです。
しかし本気で「学び」に向かっていくのなら、使って当然の金だと思います。
つまり、ここです。息子は「がち」に成り切れなかったということだと思います。
それは彼女の存在だったり、「発達障害」である自分に自信が持てない
という「不安」が、親元を離れて「一人暮らし」が出来ないという結果に
結びついたのではないかと思っています。

高校を卒業後、当初は「独立」を宣言していました。これは「一人暮らし」では
ありません。つまり「同棲」を始めるという宣言です。会社に通うには、
山を下りた方が便利ですし、市街地に暮らしていた方が相当に豊かに
暮らせると考えたからでしょう。全く、その通りです。彼女と「なあなあ」の
暮らしについて反対しないはずが有りません。息子は彼女の御両親にも
大変に可愛がって頂いて、ご自宅に下宿させても良いとさえ言って頂きました。
私たち夫婦は益々それでは問題だと考えました。当然です。18歳になった
ばかりの「子供」が結婚するのかも、どうかも分からないで、可能性という
ものを「固定して」生きて行くなどと、まともな親なら許すはずがありません。
破局したらどうするつもりだろうと。

案の定、高校卒業後、ものの1ヶ月くらいで息子は振られてしまいました。
抜け殻のような生活になりました。毎日の送り迎えの車中で、息子に
沢山話しかけますが、その答えは、どこかうつろで、私まで泣いてしまい
そうになりました。気持ちが落ち着くまで結構な時間を要しました。
ご他聞に漏れず、失恋は新しい恋でしか癒されないという感じで、数ヶ月する
と新しい彼女が出来、家族にも紹介してくれましたが、なんか息子には
合わない子だなと思ったとおり、極々短期間で息子は振られました。
誰の目から見ても美男子だと映る息子ですが、やはり中身で付き合うものです。
息子の「足りない」ところが同い年の女の子には幼すぎると感じるのでしょうか、
どうしても長続きしません。
この年頃の男子は同じような経験をするはずです。私も全く同じでした。

このようにプライベートでも気が重くなるようなことが続き、更に悪いことに
職場で嫌がらせを受けるようになりました。息子の勤務態度が悪かったと
思いますが、悪いときに、きつい言葉を浴びせかけられたのだと思います。
職場の皆さんは息子よりも大人で、本当に良くして頂いたと本人も言っていました。
もっともっと頑張って、会社に馴染もうと、もがけばもがくほど、意地の悪い
先輩の一言が重くのしかかってきたようです。私は会社を辞めれば良いと
言いました。そんな頃に、あのデザイナーへの憧れが再び頭をもたげ、
別の道で夢を見たいと強く考えるようになったのです。会社を辞める決心をして
からは、少しだけ勤めに行くのも元気が出たように見えました。
会社のみなさんに退職して服飾の専門学校に行きますと打ち明けてから、
全く揉めることなく、一時の感情ならばと引き止めて頂いたのですが、
最終的には考えを後押しして頂いて、「本多君の作った服を着てみたいから、
頑張ってね。」「そのときが来るのを楽しみにしているから」「きっと連絡して
してくれよな」と言って頂いた先輩もいらっしゃったそうです。
聞いていて涙が溢れました。そう静かに教えてくれた息子の目にも薄っすらと
涙がありました。ありがたかったです。

学校を選びました。息子に尋ねられました。専門学校なら、どこが良いと。
良い、悪いは分かりませんでしたが、建築と同じように日本でデザインを
学びたいのなら、それはもう当然、東京しか考えられません。何校か有名な
学校が有りますが、私でさえ知っている「専門学校」を教えて上げました。
すると息子の友人も何人か、そこに通っていると答えました。良い部分も
悪い部分も、ある程度理解して、その学校にへ進学することになりました。
ただ、息子の悪い癖で何事もギリギリなのです。

結局、奨学金の予約採用も申し込みませんでしたし、受験の申し込みも最終日に
「私が」出してきましたし。合格は出来たのですが、とうとう「アパート」も見つからず、
というか借りる「貯金」も底をついて、結局、友達の家に居候するという。
暫くバイトして、落ち着いたらアパートを借りて一人暮らしをするらしいです。
勝手にしてくれ。
入学式も6日なのに出て行ったのは6日の朝。ドタバタです。朝の5時過ぎに
起きて、大慌てで家を出ました。しかし山道の途中で書類を忘れたとUターン。
もう新幹線には間に合わないだろうとなって、執拗に夫婦揃って
「お前というやつは」と散々息子を叱り飛ばし、息子もすっかり意気消沈して。

それでも土曜日の朝ということもあって、奇跡的に新幹線の時間に間に合いそうな
時間に駅に到着できました。しかし、またもノロノロと荷物を持ったり、支度を
している息子に「さっさとしろっ!!」と、どやさなければならず。こちらも情けなくて、
物凄い脱力感に支配されたのでした。息子は「行きたくなかった」んです。
分かっていました。発達障害です。自立して全てを完璧になんて出来やしないです。
物凄くバイタリティーがあるように見えますが違います。なんでもこなしますが、
「一人」が駄目なんです。私と一緒です。私は家内がいないと何も出来なくなります。
全く役に立たないのですが、いてくれないと不安になってしまうのです。それまでも
そうでした。彼女だったり友人だったり、母だったり。誰かが確実に寄り添っていて
くれるという安心感がないと全く勇気が出てきません。

実は巣立って行くことになって、今頃になって、また新しい彼女が出来たんです。
ああ...
家を出て行く2日前に彼女を家に連れてきました。長身の美人でした、明るく
優しい感じが一瞬で伝わってきます。こりゃ駄目だと私も家内は思いました。
この「静岡の彼女」がいる限り東京での一人暮らしの成功の可能性は限りなく低く、
そもそも明日、愚息は家を出て行けるのかなとさえ思いました。案の定です。
物凄く足取りは重く見えました。馬鹿野郎...

「行ってきます」小さく、か細い声。
息子は、そう言って大きなキャリーケースを引きずって歩き始めました。
後姿に向かって家内が「おい拍!!何か有ったら電話してくるんだよ!!」
「無理しないで、何でも言いなよ!!」と叫びました。さっきまで鬼のような形相だった
「母親」は眉を八の字にして不安で一杯という表情で息子に向かってエールを
送りました。大粒の涙は流しませんでしたが、夫婦ともども心の中は、土砂降りの雨の
ように涙を流していました。息子は振り返りもせず駅ビルに消えていきました。
振り返られなかったんだと思います。私たちは車に乗り込みました。
家内が「忘れ物は無いな?!」と後ろの席に座っていた長女と三女に声をかけました。
娘達は「どうでもいい」という、けだるい表情で「無いよ」と言いました。
でも私は、嫌そんなことは無い、あいつは忘れる。忘れて当たり前のやつだと思い、
助手席の後ろの収納に手を入れました。有りました。入学手続きの書類の封筒が。
これを取りにわざわざ山道を引き返したのに。

私は封筒を掴むと駅ビルに向かって走りました。息子は階段をゴトゴトとキャリーケース
を引きずって、やっと下りたところでした。私のバタバタと掛けて来る足音に気が付いて
息子は振り返りました。私は怒った顔をしていたと思います。息子に向かって
封筒を突き出しました。息子は一瞬「あっ」という表情をしました。息子の心境は
手に取るように分かりました。「ごめんなさい」息子の口癖です。「ごめんなさい」、
息子は、そう言いたかったんだと思います。「ありがとう」ではありません。
「ごめんなさい」なんです。いつもいつも叱られてばかりです。発達障害の宿命です。
結局は叱られてしまうんです。時間もギリギリ。なにをするにもギリギリ。

私は「おいっ!!しっかりしろよ!!」と大きな声で息子に言いました。
息子は返事をしませんでした。生まれて初めてです。寂しそうな目で私を見つめて、
また振り返ると駅ビルの中に去って行きました。私はガラスの向こうに息子の姿が
霞んでいくのをじっと見ていました。すると息子が振り返りました。ほんの一瞬だけ
息子は振り返りました。目が合いました。きっと息子は振り返ると思いました。
息子は私が、いつまでも自分の後姿を見ていてくれると信じていたと思います。
だからそれを「確認」したかったんだと思います。「やっぱり見ていてくれた」
きっと息子は、そう思ったと思います。

離れていても、いつまでも見つめていたいです。息子の傍には今は誰もいません。
でも息子は自分が孤独でないと感じていると思います。それが親子の絆だと私は
思っています。分かれたばかりなのに、早く息子に会いたいです。長男にも会いたいです。
今朝送っていったばかりの娘達にも早く帰ってこないかなと、毎日考えながら
一日過ごしています。私は酷く不完全な人間です。家族がいなければ自分が、
どういうものなのかすら説明できません。
ここ数日、仕事が手につきません。子供たちに何か楽しい出来事は有ったでしょうか。
どこにいても笑顔を忘れないで生きていって欲しいと思います。

息子を送って山に帰りました。暫くして三男を入学式の会場に送るために再び
下山しました。息子達が通った中学校の近くの土手の桜が満開に咲いていたので
記念写真を撮りに寄りました。すると家内の携帯に次男から写真が送られてきました。
「おわったよ」
そうメッセージが添えられた写真には、はにかんだ笑顔と満開の桜が写っていました。
愛してるよ拍。頑張れよ!!

巣立ち その2




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Posted by アーバンギア at 16:51│Comments(5)子育て
この記事へのコメント
桜が満開で素敵な入学式ですね

おめでとうございます
Posted by そぅ at 2019年04月07日 19:31
愛が凄すぎて、こちらまで泣けてきますね。
ほんと、愛情の塊です。なんて親父さん、おふくろさんなんでしょうか。。。
私の愛、そう、子ども達への愛なんて・・・親父さんにくらべたらば・・・
響さん、拍さん、親父さん、おふくろさん、心からおめでとうございます。
これ以上の言葉は思いつきません。
Posted by soarasoara at 2019年04月07日 19:34
こばたまさん:

こんにちは!
この「地下足袋」にしか見えないブーツ、何とかって言う
高級ブランドらしいです。物凄く変だから、変だって言ったら、
物凄く憤慨しました。生まれて初めてってくらい感情を露にして。
ショックだったな。
このジャケットも変だし。高級ブランドらしいけど。

僕も響と一緒に暮らせばって考えているって言ってたら、
僕に言わないで、かみさんに「俺、嫌なんだけど」って言った
らしいです。一人で暮らせないけど兄貴は、しっかりしているので
目障りみたいですね。クソ野郎です。
まぁ一年目は日大理工は船橋キャンパスなんで、東京からじゃ
通うのは、ちょっと遠いんでね。二年目にって言ったんですけどね。
Posted by アーバンギアアーバンギア at 2019年04月08日 11:33
そぅさん:

そうですよね、本当に良い天候に恵まれて、思い出に残る
入学式だったと思います。東京は桜が多いですよね。
2年なんて短いって親の僕が自分に言い聞かせている始末です。
ありがとうございます。


soaraさん:

拍がパルシェに吸い込まれるように入っていったとき、中々こちらを
振り返らないので、もう見えなくなってしまう、早くこっちを見てくれと
心の中で叫びました。そう願った瞬間に息子は振り返ったんです。
こんなに悲しくて寂しいなんて。僕に耐えられるでしょうか。
とても苦しい毎日です。
Posted by アーバンギアアーバンギア at 2019年04月08日 11:40
こばたまさん:

どこのうちも似たようなことがありますね。
振り返ってみると僕もお袋に似たような事言われて
文句を言った記憶が有りますよ(笑)
Posted by アーバンギアアーバンギア at 2019年04月08日 19:05
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